第80話 君の存在が邪魔だ

「お乗りなさい」


 私の耳にシャルロット様の声が聞こえてきました。馬車の中に視線を巡らせますと、ギルフォード様の向かい側、それも反対側の窓側に距離を取るように扇で顔を半分隠したシャルロット様が座っていらっしゃいました。


「シャルロット様、ごきげん……」

「全くうるわしくありませんわ! 貴女の挨拶など聞く時間などありません! 早くお乗りなさい!」


 私の挨拶を遮るようにシャルロット様に馬車に乗るように言われましたが、どちらの席に座ればいいのでしょうか?




 馬車の窓には分厚いカーテンが引かれ、外の様子を窺うことはできませんが、馬車は速度を一定に保ったまま進んでいます。


 私はシャルロット様の向かい側。ギルフォード様の反対側の窓側の席に座ることになりました。……が、シャルロット様と席を代わった方がいいのでしょうか?しかし、聞こうにもシャルロット様の機嫌が良くないのは、ピリピリとした雰囲気でわかりますので、声を掛けることがためらわれます。


「あの……ギルフォード様。どうしてこちらに? 私に何か御用があるのでしたら、ネフリティス侯爵家でお話することができましたわ」


 私はギルフォード様に話しかけることにしました。あまりお話しすることはありませんでしたが、まだシャルロット様よりかは、お話しができると思います。


「……」


 無視! 無視なのですか!


 ギルフォード様は、あれからネフリティス侯爵邸で姿を、お見かけすることがありませんでした。それは前ネフリティス侯爵様の別邸にいらっしゃるとお聞きしたのです。


 ですのに、なぜシャルロット様と共に行動をされているのでしょうか?

 いいえ、婚約が解消になったとは、聞いてはいませんので、婚約関係にあることには間違いありません。

 ただ、シャルロット様の態度から、お二人の関係は修復不可能だと思っておりましたのに、これはどういうことなのでしょう?


「シャルロット様。ヴァ……マルメリア伯爵令嬢様のお名前を出してまで、私を呼び出した理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 仕方がありませんので、機嫌の悪いシャルロット様から聞くことにします。


「あら? そんなことは決まっていますわ。私が子爵夫人なんて許せることではありませんもの」


 ……あら?婚約解消の話ではなかったのですか?

 てっきりギルフォード様が侯爵を継ぐことができずに、子爵位を与えられることに、流石のシャルロット様も婚約関係を解消する方向に行くと思いましたのに。


「婚約解消をされないのですか?」


 私は思わず聞いてしまいました。するとシャルロット様の目が歪み、手に持っていた扇を私に向かって投げつけてきたのです。

 投げられた扇は私の額に当たって落ちていきました。

 扇を受け取ることも出来ましたが、それをするとグチグチ言われるのが長引きますので、そのまま受け流すのが、いつものことです。


「貴女はわたくしにラトゥーニ侯爵の後妻になれというのかしら!」


 もうそこまでの話が出ているのですか。ラトゥーニ侯爵様ですか。


 このお方は、確か八人の後妻を迎えられて、全員お亡くなりになったと噂されている方です。とは言ってもお茶会で噂話をされている横で聞き耳を立てて聞いていただけですので、それが本当か嘘かは私にはわかりません。


「私はシャルロット様に意見することはありませんが……」

「何ですの! はっきりとおっしゃいなさい!」


 馬車のような狭い空間で叫ばれなくても聞こえていますわ。

 それにまだ最後まで話していませんので、聞いて欲しいですわ。


「なぜ、シャルロット様が子爵夫人になられることに対して、マルメリア伯爵令嬢様の名前を出されてまで、私が呼びつけられたのか、わからないのです」


 何かあるのでしたら、シャルロット様の名前で呼び出されたらよろしかったのではと思うのです。それもカルディア公爵家の方とお見受けする白竜騎士団の方を使いに出されたのです。もともと断りようが無かったと思うのです。


「それはアルフレッドに対するものです」


 意外にも答えがギルフォード様から返ってきました。

 アルに対するものですか? あの場にアルはいませんでしたわよ。


 私は首を傾げてギルフォード様の方に視線を向けます。ここにギルフォード様がいらっしゃることも、私にとっては不可解でありますのに。


「そもそも統括騎士団長への報告の話し自体が嘘ですからね」

「え?」


 ということは、アルを呼びにこられた方も、普通ではありえなかったことだったと? ……にしては、アルの態度がよくあるような態度でしたわね。


「嘘というより、統括騎士団長への報告を行う方向に持っていったと言い換えるべきでしたね。そうすれば、自ずとアルフレッドはフェリシア嬢から離れなければならない」


 あら? この言い方ですとどちらかと言えば、シャルロット様が私に御用があったと言うよりも、ギルフォード様が私に何か御用があったようですわね。


「あの? もう一度お尋ねしますが、私に何をお話しになりたいのでしょうか?」


 アルと私を離してまで何かお話しがあるのでしょう。きっとアルが側にいれば都合が悪いこと、それはネフリティス侯爵家の跡継ぎ問題のことなのでしょうね。


「私とシャルロット嬢の意見は同じだ。フェリシア嬢、君の存在が邪魔だ」


 えっと……シャルロット様から色々言われておりましたので、あまり良いようには思われていないことはわかっていましたが、まさかギルフォード様からも嫌われていたなんて、わかりませんでしたわ。

 あまりお会いすることがありませんでしたのに、私は何かギルフォード様にしてしまいましたでしょうか?


「アルフレッド様の妻には王族の血を引いているわたくしの方がふさわしいに決まっていますわ」


 はい。その言葉は何度かお聞きしていますが、それに対して私はいつも同じ返答を返しています。


「それは前ネフリティス侯爵様が決められたことですので、ふさわしいふさわしくないの問題では無いのです」

「お黙りなさい!」


 私はいつもシャルロット様のこの言葉に、内心苛ついていました。その言葉はアルを第四王女であったネフリティス侯爵夫人の子としか見ておらず、アル自身を全く見ていないと。しかし、私は伯爵令嬢であり、シャルロット様は公爵令嬢。私が何か意見することは間違っていると無言の圧力が示してくるのです。


「私は今まで侯爵位を継ぐために努力してきたのだよ。でも君が妖精の薔薇なんてものを偽装してくるから、あんな戦うしか脳がないアルフレッドが爵位を継ぐなんて、私を馬鹿にしすぎていると思わないか?」


 私ははっきり言ってギルフォード様のことをよくわかりません。


 しかし、ネフリティス侯爵様の態度から、ギルフォード様には何か足りないものがあると、思っていらしたのでしょう。アルが爵位を受け継がなくても、ファスシオン様が受け継ぐはずだったと、あのときアルが言っていましたのに、お忘れていらっしゃるのでしょうか?


 それから妖精の薔薇ではなくて、妖精女王の薔薇ですわ。それも妖精女王から直接承ったものですわよ。


「一つ訂正させてくださいませ。妖精女王の薔薇は本物ですわ」

「何を言っている。私は知っているのだよ。その薔薇。君に付けられている侍女が普通に持っていたことを」


 その薔薇。今日は薄い紅色のドレスに合わせて、薔薇の髪飾りをつけています。

 これは妖精女王の薔薇ですが、ネフリティス公爵領に行ったときに、アルからお店で買っていただいた赤い薔薇です。


 元々は年に一度、前ネフリティス侯爵様が領地中のお店に依頼して、一番品の良い薔薇を受け取るというものでしたが、お店の方のご厚意で頂いたものになるのです。


 本物の妖精女王の薔薇は恐ろしすぎて、普段には使えませんもの。


「これはネフリティス侯爵領に赴いたときにいただいたものですわ」

「ほぅ。それはアルフレッドと共に父上とお祖父様を騙したということか」


 どうしてそうなってしまうのですか! 私が今付けている赤い薔薇と、あのとき前ネフリティス侯爵様とネフリティス侯爵様がわざわざ私のところに来られて確認されたときの薔薇とは、全く違うとわからないのですか?


「その大輪の薔薇。わたくしにこそふさわしいですわね」


 私がギルフォード様に憤っていると、向かい側のシャルロット様が動いた気配がしましたので、そちらに視線だけ向けますと、私の方に手を伸ばしているところでした。


「キャッ!」


 しかしシャルロット様の手は私が張った結界に弾かれ、体ごと向かい側の席に倒れていきます。どうやら、薔薇の髪飾りを私から奪おうとしていたようです。


「あのアルフレッドの婚約者をしているだけあって、姑息な手を使うものですね」


 ギルフォード様は本当に私のことがお嫌いなのですね。シャルロット様と同じ視線を私に向けてきました。


「その薔薇をこちらに渡しなさい」

「嫌です」


 この薔薇はアルからいただいたものです。たとえ本物の妖精女王の薔薇でなくてもギルフォード様にお渡しすることはできません。


「ただの伯爵令嬢が私に意見を言うのですか?」


 ギルフォード様はネフリティス侯爵家の御子息。ネフリティス侯爵様と血が繋がっておられなくても、ネフリティス侯爵家のご長男の血筋であることには変わりません。

 それに対し、私は伯爵令嬢でしかありません。


 身分が全て、そして同じ身分でも女性よりも男性の方を重んじる社会です。それが一番わかるのが高位貴族の男性のみが教育を受けられる学園という存在。


 この厳しい貴族社会で女性の身で一商会を立ち上げられたヴァイオレット様は本当に尊敬に値する方です。


 私はふるふると震えながら、頭に付けられた赤い薔薇の髪飾りを外します。

 これはアルからいただいたものですのに……なぜ、手放さなければならないのでしょう。

 しかし、この場でギルフォード様に逆らってどうなるのでしょう? 力任せにこの場を切り抜けることはできるでしょう。ですが、貴族社会は噂一つでその身を底辺にまで落としかねないところです。


 白竜騎士を動かして、統括騎士団長様にも影響を与えることができると、ギルフォード様は私に見せつけたのです。


 赤竜騎士団に所属するアルに影響を与えることが可能だと見せつけたのです。


「早くこちらに渡しなさい」


 下唇を噛み締め、視界が滲むなか、私は手を前に差し出します。私の手から奪い取られる赤い色。

 頬を伝い薄い紅色のドレスに濃い紅色の水玉の模様がポツポツと増えていきます。


「貴女はここで死になさい」


 ギルフォード様の声が聞こえてきましたが、私の心には響いてこず、ただ後悔だけが残っていました。


 アルの言う通り、部屋から出なければよかったと。


 そのとき、ガクンと馬車が揺れ、勢いよく馬車が走り出したことがわかりました。


 どうしたのでしょう?

 慌てて周りを見渡すといつの間にかギルフォード様もシャルロット様もそのお姿が、馬車の中にはありませんでした。


 何が起こったのでしょうか?

 分厚いカーテンを開け、外を見ますと鬱蒼とした森の中にいることがわかりました。


 そして最近感じたことがある外部から干渉される感覚。


 これはもしかして死の森に放り込まれたという感じでしょうか?……そう言えばギルフォード様が何かおっしゃっていましたわね。

 確か『貴女はここで死になさい』と……え? 私がこの死の森で死ねると思っていらっしゃるのですか? この食料が豊富な森で? 獲物が取り放題の森で?


 今日、初めてギルフォード様とたくさんお話しをしましたけど、あの方はとても思い込みが激しい方なのですね。

 ガラクシアースの私がこの程度の森で死ねると思っておいでなんて……もしかして、朝の訓練を見られた時に勘違いされたのでしょうか?

 私が本気で戦ってアルに負けていたと。

 あの……私が本気で戦ったら、アルは五体満足ではなかったと思いますわよ。


 しかし、戻ったらアルに謝らないといけないですわ。せっかくアルから頂いた薔薇をギルフォード様に渡してしまったと。

 でも、執務室から出たことも怒られてしまいますわね。


 ……そうですわ! ここで狩りをして手土産を持って帰りましょう!

 何がよろしいでしょうか? この前は素材中心に集めましたので、この森で自生している果物や野菜にしましょうか。

 宝石のようなキラキラした果物がいいでしょうか?


 私が何を持って帰ろうかと考えていますと、突然馬車が宙に浮いたような感覚に襲われました。

 そして天井にヒビが入り、そこから割ってはいってくる鋭い切っ先。


 あら? 向こうから獲物がやってきましたわ。でもドレスのまま戦うとドレスが汚れてしまいますわね。


 私は亜空間収納から黒い外套を取り出し、身につけます。丈が長い外套ですので、ドレスの裾まですっぽりと覆われました。

 さて、久しぶりに獲物を狩りますわよ。


 次いで亜空間収納からショートソードを二本取り出します。そして、馬車の天井を突き破って壊そうとしているモノに対して、ショートソードを奮おうとしたところで、再びガクンと宙に舞う感覚に襲われ、地面に激突しました。


 私はまだ何もしていませんわよ?

 すると馬車の扉のノブがガチャガチャと動き始めます。

 え? ポルターガイストですか?

 この森にそんなモノはいなかったはずです。いいえ、エルディオンが骸骨を探し出してきたぐらいですから、否定はできませんわね。


 そして馬車の扉ごと外されて外に落ちていきます。

 あの……貴族用の馬車は敵襲を受けても中々壊れないようになっていると聞いた記憶があるのですが、鍵がかかっている扉ごと取り外せるものなのですか?


「シア! 無事か!」


 扉をぶち壊して中に入ってきたのは、なんとアルでした。

 ……あら? 統括騎士団長様に報告に行っていたのでは無いのですか?


 時間的にはそんなに経っていないですよ。ん? そもそも王都の中心から死の森に、馬車でたどり着けるほど時間は経っておりませんわ。何が起こったのでしょう?



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