第78話 天の使徒の翼

「いいか。これは絶対に報告しなければならないことだ」


 人数が減った馬車の中で、行きよりも元気を取り戻したグラニティス大将校閣下が、強い口調で言ってきます。


「閣下。ご自分の責任を、押し付けようとしないでいただきたい」


 そんなグラニティス大将校閣下の向かい側に座っているアルが、その先を言わせないように、バッサリと切ります。


「そもそもです。国王陛下から命令されたのは閣下です。私は証言者の婚約者の付き添いです。そこを履き違えないでいただきたい」


 はい。グラニティス大将校閣下は国王陛下から、お母様の監視役を命じられたのです。しかしお母様は教会の象徴である十字架の金の棒を円卓ごと地下まで貫くということをしでかしたために、国王陛下から怒られることが嫌だと閣下は言っているのです。


 そう言えば、あの金の棒はどこから取ってきたものなのでしょう?

 おそらく私の向かい側に腰を下ろして、自分は関係ないと言わんばかりに、窓の外を見ている黒竜騎士団長様が知っていると思われます。


 なぜなら、何やら怪しい言葉を言っていたのですから。


「アンヴァルト黒竜騎士団団長様。お伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」


 アルとグラニティス大将校閣下がにらみ合いをしている横で、私は黒竜騎士団長様に声を掛けます。

 すると、窓の外を見ていた漆黒の瞳をこちらに向けてこられました。魔眼の瞳で見られるとなんだか、そわそわしてきます。なんと言いますか、目潰しをしたい……すみません。失礼しました。


「なんだ?」

「お伺いしたいことは、一昨日に何があったのかです。あの日お父様とお母様はかなり遅くにネフリティス侯爵邸に戻られたようでしたので、何があったのかお聞きしたいのです」


 私とアルが再び植物園に行った日のことです。あの日お父様とお母様は日付が変わるか変わらないかぐらいに、ネフリティス侯爵邸にお戻りになったと、侍従コルトから聞いたのです。

 そのような時間までいったい何をされていたのでしょう?


「何があったかではなく。しでかしたの間違いだ」


 黒竜騎士団長様は吐き捨てるように言ってきました。しでかしたということは、お父様かお母様が何をされたのでしょうね。


「あの日夕刻までは普通だったのだ。しかし、伯爵が夕食を食べに行こうと突然言い出して、連れて行かれたのは北地区の繁華街だ」


 北地区の繁華街とは王都の第二層の北地区にあります。ただここは貴族が赴くような場所ではなく、訳アリの者たちが集う一角で表向きは、繁華街として賑わってはいますが、黒い噂が絶えない場所となっています。


 そのような場所にお父様とお母様が?


「それも屋台で買い食いをしながら、繁華街の中を堂々と歩くものだから、いろんな奴らに絡まれるだろう? 殴り飛ばして、絡まれては殴り飛ばしてを繰り返すものだから、普段は表に出てこない無明むみょうのカルスまで出てきて乱闘騒ぎだ」


 これは……どう言葉を返していいかわかりませんわ。


 ガラクシアースの特徴的な白髪に金眼の色素が薄く、幽霊のような容姿は、貴族の間ではガラクシアースの者と認識されていますが、庶民の方から見れば、容姿の整った者としか見られないようなのです。となれば、お金になるとふんで、絡んでくる者たちがいます。

 それをワザとお父様とお母様は引き起こして、問題を大きくしていたようです。


 しかし聞き慣れない名前が出てきましたわね。


「あの……カルスという名を聞いたことがないのですが?」

「ああ、遷化せんかのアハトの手下だ」


 それなら聞いたことがありますわ。闇組織の幹部の一人の名前です。北地区を仕切っていると噂で聞いたことがありますが、関わりがない方々ですので、詳しいことは存じ上げません。


「そうですか。それはお父様とお母様がご迷惑をおかけしました」


 私はそう言って頭を下げます。しかし、そこで問題を起こした意味がわかりませんわ。


「いや、それは大した事はなかった」


 え? 騒ぎを起こして大した事がなかったのですか?


「複数の店に教会からアリスリーフの一部が流れ込んでいたから、騒いでた奴らを引っ張ってくることが出来た。問題はその後だ。夫人が北地区の教会を破壊したんだ」

「え?」


 私は思わず、黒竜騎士団長様の隣に視線を向けます。死んだ魚の目をしたグラニティス大将校閣下がいらっしゃいました。


「その後処理に比べたら、乱闘騒ぎなど可愛らしいものだった」


 どうやら、天罰として用いた金色のオブジェクトは、その北地区の教会の物だったようです。


「しかも、少し目を離した隙に、何があったかわからないぐらいに粉砕されていた」

「あの……流石のお母様もその辺りの分別はお持ちだと思いますが?」


 北地区の教会を潰したのですか?

 それはお母様らしくありませんわ。教会が民の信仰を集めている場所と知っていらっしゃるはずですもの。いくらなんでも、王都内で何か問題を起こすのは良くないとお存じのはずです。


 しかも粉砕。教会の形すら保っていないということです。


 これは余程のことがあったとしか思えません。しかし、その場に居た黒竜騎士団長様が理由をご存知でない様子。


「それに、北地区の教会が無くなれば、かなりの騒ぎになっているのではないのですか?」


 いつもでしたら、冒険者ギルドに足を運びますので、そのようなことは私の耳にも入るでしょう。しかし、ここ数日行くことがありませんでしたので、どのような騒ぎになっているのか、わかりません。


「天罰だと騒いでいる者たちがいたな。しかし、流石教会の者たちというか、粉砕された瓦礫を、神王の儀にこじつけて、神の力が宿った物として売りつけていたな」


 どこまでも強欲ということでしょうか? しかし、神王の儀の影響というには、些か日が経ちすぎていると思います。


「誰がそんなことを信じるのだ?」


 隣のアルが馬鹿馬鹿しいと呆れています。


「はぁ、それが中央教会の十字架ソルトワールが神王の儀で消えたということが、民にまで広がっている。これは神への信仰が足りないと神の怒りの現れだと、教会の者たちが言いふらしていたのが、今回のことでいっそ信じられるようになったのだろう。金を出して買っている者たちがいた」


 こ……これはなんて酷いのでしょう。

 確かに神王の儀でガラクシアースの屋敷に教会のモニュメントが取れて突き刺さりました。

 しかし、あの存在曰く、教会が悪事を働くと我が家に知らせられるというものの一環であり、民の信仰とは全く別の話です。 


 言うなれば、神という存在が教会の者たちに怒っている……あら? もしかしてお母様とお父様は、北地区の教会で何か問題があるとわかり、お父様のお役目として神というものの代わりに罰を、お与えになったのではないのでしょうか?


「この事があったから、陛下からくれぐれも、ガラクシアースに勝手なことをさせないようにと言われていたのに、まさか十字架ソルトワールを突き立てて証拠の物を燃やすだなんて……陛下になんと報告をすれば……」


 グラニティス大将校閣下の生気は私には感じられず、頭を抱えてうつむいています。

 国王陛下は遠目でしかお見かけしたことがありませんので、よくわかりませんが、そのように気を病むほど、怖い方には見えませんでした。グラニティス大将校閣下の嫌がりようが私には理解できません。


「そのまま報告してください。ここで我々は降りますので」


 アルは念押しをするように、グラニティス大将校閣下が国王陛下に報告をするように言います。

 教会とはそこまで離れていませんので、もうネフリティス侯爵家の敷地内に入りましたわ。


「俺からも一つ聞いていいだろうか?」


 黒竜騎士団長様が私の方を見て尋ねてきました。その魔眼やっぱり目潰……失礼しました。


「はい。何でしょうか?」

「ガラクシアース伯爵令嬢が言っている『ジュウジカ』というものは、ガラクシアースでは、そう言っているということなのか?」


 ……十字架。私は首を傾げます。

 ガラクシアースでそう言っているかと聞かれましても、家族の話の中で教会のことが出ることがありませんので、わかりませんわ。


 でも、グラニティス大将校閣下も黒竜騎士団長様も『ソルトワール』とおっしゃっていましたわね。


 私の中では十字架なのですが、違うのですか?


「シアがそう言っているのは、マルメリア伯爵令嬢がそう言っているかららしい」

「あっ! そうですわ。ヴァイオレット様が教会に掲げられている十字架が見慣れないとかおっしゃっていましたわ」


 そうですわね。家族でネーヴェ様の神殿の話が出ることはあっても、教会の話なんて滅多にありませんもの。


「教会の教えもよくわからないとおっしゃっていましたし、天使の翼がおかしいとも……」

「ふーん……シア。マルメリア伯爵令嬢は天使の翼のどこが、おかしいと言っていたのだ?」


 私が天使の翼の話をしますと、何故かアルの機嫌が急降下していったところで、馬車がガタンと停車しました。

 そして外から扉が開けられます。


「アル様。着きましたわ」


 アルの機嫌が悪くなった理由が分からず、私は笑みを浮かべながら、馬車から降りるように促してみますが、アルは馬車から降りる気配がありません。


 私はグラニティス大将校閣下と黒竜騎士団長様に視線を向けますと、凄く馬鹿な子を見るような視線を向けられています。


 何故でしょう?


「シア。マルメリア伯爵令嬢は何がおかしいと言っていたのだ?」


 また同じ言葉を言われてしまいました。何がと言われましても……


「何故。ふわふわの鳥の翼ではないのでしょう? とおっしゃっていましたわ」


 すると御三方からため息がこぼれ出て、外からは、クスッと失笑が漏れ聞こえ、侍従コルトの『失礼しました』という言葉が聞こえてきました。


「シア。戻ったら一緒に神話の本を読もうか?」


 何故かアルから神話の本の話が出て来ましたが、アルと一緒に本を読む理由がわかりませんわ。


「ガラクシアースは崇める神が違うと聞いてはいるが、ここまで興味がないとは驚きだな」


 先程まで死んだ魚の目をしていたグラニティス大将校閣下とは思えないほど、私に呆れた視線を向けてきています。


「閣下。そうでなければ、十字架ソルトワールを壊して、神罰に見せかけようなどとは、考えつかないでしょう」


 黒竜騎士団団長様は窓の外に視線を向けていますが、その焦点は合っておらず、どこか遠いところを見ておられます。


「シア。天の使徒の姿は、国に平和をもたらした竜騎士の姿だ。神話に出てくる魔物を倒したのが竜騎士だ。だから翼は白い竜の翼だ」


 ……衝撃の事実が発覚しました!

 教会の色ガラスで描かれた魔物と天使の物語は、竜人と魔物の姿だったのです!


「え? 白いふわふわの翼……」

「マルメリア伯爵令嬢の考えは独創的過ぎる。あとでシアにいらないことを吹き込むなと言っておくか」


 アルはそう言って、私の手を引いて馬車を降りました。

 あの……ヴァイオレット様はお茶飲み友達ですので、嫌われてしまうのは、困りますわ。


「閣下。アンヴァルト黒竜騎士団長。教会の件は神罰がくだった。それが全てだと国王陛下に報告してください。それから、これ以上シアを引っ張り出すなと」


 それだけを言って、アルは勢いよく馬車の扉を閉めたのでした。アル。せめて別れのご挨拶はするべきかと思いますわ。




 昼からはアルの部屋で、何故か子供が読むような字が大きく挿絵が入った神話の本をアルと一緒に読むことになったのですが……何故私はアルの膝の上に抱えられているのでしょうか?


「シア。ガラクシアース伯爵と話していたのは、何の話しだったのだ?」


 アルがふと何かを思い出したように聞いてきました。お父様と話していたこととは、どの話でしょうか?

 よく分からず首を傾げていますと、アルが本の上の単語を示しました。


『五番目』


 ああ、あの話ですか。それなら……この辺りにあったはずです。


 私は少し前に読んだ箇所を開いて、同じ様に単語を示します。


『フェンリル』


 ガラクシアース領にある迷いの森の主です。彼らの寿命は長いとはいえ不老不死ではありませんので、主の交代が行われたようです。


「なんだ? シアが昼寝をしていたやつか?」

「あれは三番目ですわ。主の背中で昼寝をしようと試してみたことがあったのですが、ガラクシアースの領地内を追いかけっこすることになったので、諦めましたわ」

「シアでも諦めることがあるのか?」

「ふふふ、流石に泣きながら謝りましたわ。それから三番目が私のお昼寝の場所になったのです」


 そんなことを話していると、もふもふに埋もれて昼寝をしたくなってきましたわ。


「こうやって、シアと過ごせるのは幸せだなぁ。明日はどこかに行こうか?」

「アル様。明日はお仕事に行きますよ」


 一月2000万のお仕事です。がんばりますよ。


「仕事に行ってもシアと居れるから、俺はどちらでもいい」


 アルはそう言って私を抱きしめてきました。

 ここ最近アルと一緒に居すぎるような気がするのですが、気の所為でしょうか?


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