第73話 あの? 私は顧問を命じられたはずですのに……

「皆様。この度、国王陛下からの赤竜騎士団の訓練の顧問を務めるように命じられましたフェリシア・ガラクシアースです。よろしくお願いします」


 私は五十人程の臙脂色の隊服を身にまとった方々の前でニコリと笑みを浮かべて挨拶をします。


「よろしくしなくて良い」


 私の隣で機嫌の悪いアルが前方を睨みつけながら言っています。


 アル。これは国王陛下からの命令ですからね。


「母に確認しましたところ、簡単な訓練でさえしていないとお見受けいたしましたので、これからの訓練内容は大幅に変更していきます。母が」


 私が発言した瞬間、目の前の方々から悲壮感が漂ってきました。いいえ、元からお母様が現れたときから、皆様の顔色が悪かったのです。

 それが土気色と言っていい生気のない色になっています。


 そして『簡単な訓練?』「あれが訓練? 絶対に死ぬ」「俺、生きていけないかも」とか聞こえてきます。


 この漏れ聞こえる声に、ため息が出てきます。ですから、死の森ごときで死にかけるのです。


「ひよっ子共! 整列!」


 お母様の怒声が空間に反響しながら響いてきます。その声に私の前にいた臙脂色の隊服を身にまとった方々が背を向けて、お母様の元に駆けて行っています。


 流石、お母様。よく調教……訓練が行き届いています。


 そして、お母様に追いかけられていた新人と思われる人たちは、体力の限界になったのでしょうか。地面に倒れ込んでいます。


 ……全然体力がありませんわ。私が赤竜騎士団の皆様の前で挨拶をしている間だけで、倒れてしまうなんて、これではBランクの冒険者以下ですわ。これのどこが騎士団の中でも精鋭なのでしょう。


「シア。あいつらの前で愛想笑いは必要ない」


 アルが私を見下ろしながら言ってきました。愛想笑いですか? これは貴族の令嬢として必要なことです。人の前でニコニコとしておけば、大抵うまく回るものです。


「アル様。私が愛想笑いをしていても、誰も気にはしませんわ」


 貴族とは笑顔を向けながら腹のさぐりあいをするものです。当たり前のことですわ。

 しかし私は人を怒らせてしまいますので、笑っておけば大抵呆れて去って行かれますわ。シャルロット様が。


 お父様がお母様に追いかけられていた人たち、一人ひとりに何やら声をかけて手を差し伸ばして起こしています。『大丈夫?』だとか『よく頑張っていたね』とか『君、凄いね』とか声をかけています。きっと暇なのですわね。


 そして、お母様が班ごとに分かれなさいと言っています。……班とはなんでしょうか?


「アル様。基本的な事を聞いてもよろしいでしょうか?」

「どうした? シア」


 私がお母様が何をしようとしているのか興味津々で見ながら、アルに質問をしますと、何故か腕を引っ張られ、アルの方に向かされてしまいました。

 あの? アル。お母様の訓練風景を見て、私も勉強しなければなりませんわ。


「あのですね」


 私は何故かアルに腰を抱えられ、訓練の様子が見れなくなってしまいましたので、首だけを向けてます。


「基本的なことだと思うのですが、班とは何のことなのでしょう?」


 あら? 五つに分かれています。これが班なのでしょうか?


 私が首を傾げて見ていますと、頬に手を当てられ、顔の向きを戻されてしまいました。


「見ても面白いものではない。シアは俺の方を見ていれば良い」


 ですから、私はお母様の訓練の様子を見ておかないといけませんわ。


「アル様。私は赤竜騎士団を鍛えなければなりません。今の彼らはアル様の足を引っ張る存在でしかありません。これから起こることは、先日の第三層に現れた魔物など小物だったと思うことでしょう。そんな小物ですら手を拱いているようでは、赤竜騎士団など居ないほうがマシです」


 私はアルを見上げて言います。赤竜騎士団を鍛えることはアルのためなのですよ。


「……赤竜騎士団を解散させるか」


 無表情がデフォルトとはいえ、表情が何も浮かんでいない顔でそのようなことを口にしてはいけませんわ。

 赤竜騎士団は必要ですわよ。解散させる方向に私の言葉を捉えないでくださいませ。


「アル様。竜騎士団は領地を越えて動ける唯一の武装集団です。我々ガラクシアースは、お父様の命令がなければ動けません。それも勝手に他領地にはいけません。赤竜騎士団は、この国にとって必要な存在ですわ」


 はい。お母様も色々他の領地から依頼を受けて、魔物の討伐依頼を受けていますが、それは他の領主とお父様との間で契約がかわされています。ですから、ガラクシアースに払う依頼料が払えないところには、お母様が討伐に赴くことはありません。


「必要か……俺はシアの横に立てるようになるために、赤竜騎士団を利用しようとしただけだ。ここにいる理由は既に俺にはないぞ」


 私の横に立つため? あら? 第二王子に引っ張って来られたのではなかったのですか?

 それに既に理由はないですか……ネフリティス侯爵家を受け継ぐと決められたからでしょう。


「アル様。再度言いますが、赤竜騎士団にはアル様のお力が必要です。ですから、私は赤竜騎士団を鍛えるのです」

「それはシアが俺のためにということか?」

「はい」


私はにこりと笑みを浮かべて答えます。…… お母様からの命令でネフリティス侯爵家とは良好な関係でいなければなりませんから。


「ですから、私に知らないことを教えてくださいませ。騎士団の基本的なことは私の知識にはないのです」


 するとアルは懐から紙を出してきて、何かを書き始めました。私はそんなおかしなことを言ったのでしょうか?

 あと、お母様の方が気になるのですが、そちらを見ては駄目なのでしょうか? 先程から悲鳴しか聞こえませんけど。ええ、金属と金属がぶつかる甲高い音すら聞こえません。


「シア。そっちはつまらないから見なくて良い」


 アルには私がお母様の方を気にしていることがバレていたようです。


「これが赤竜騎士団の部隊を図にしたものだ」


 あ……アルが何を書いているかと思えば、竜騎士団の部隊をわかりやすくしてくれていました。



 とてもわかりやすいですわ。


「一部隊百五十人が王都に常駐していると説明したのを覚えているか?」

「はい。コッコもどきのときの話ですわね。それを三つに分けて行動していましたね」

「そうだ。この百五十人が中隊だ。そして、五十人に分けたものが小隊。それを率いるのが小隊長。その小隊を十人五つに分けたものが班。分けられたときは班長が指揮をとる」


 ああ、それで十人に分かれていたのですね。今は悲鳴も聞こえなくなりましたが。


 小規模で動く時は班単位で動くのでしょう。

 王都では表立って赤竜騎士団が動くことが、あまりありませんので、どういう場合かはわかりませんが、泉のダンジョンに潜ったときは異例中の異例だということがわかります。ですから、後からお二人が追いかけて来られたのでしょう。

 団長である第二王子と副団長のアルだけの行動はあり得ないと。


 冒険者で言えば……十人だと二グループぐらいでしょうから、一グループだと少し手に余るから二グループで依頼を受けようという感じでしょうね。


「ありがとうございます。アル様。とてもわかりやすかったですわ」

「シアが俺のためにだなんて、可愛いことを言うからだ」


 ……かわいいですか? これはお母様からの命令なのですよ。


 先程まで機嫌が悪かったアルの口角が少し上がっているので、機嫌は良くなったみたいです。


「ですから、あちらの様子を見てもよろしいでしょうか?」


 うめき声しか聞こえなくなった方がどういう状況になっているか、気になりますわ。


「見てもいいことはないから、見る必要はない。シアの視界に入る価値もない奴らだ」


 そこまで言わなくてもいいと思うのです。

 私がアルの態度に困っていますと、背後からお母様の声が聞こえてきました。


「フェリシア。コレは当分の間はクレアと同じメニューをさせておきなさい。本当に話にもならないわ」


 はい。直ぐ背後でお母様の呆れた声が聞こえたのです。私はすぐさま振り返ります。


「はい。お母様」

「ひよっ子以下は体力作りね。身体強化も使えずに、よく騎士団に入れたものね」


 お母様は吐き捨てるように言います。それは私も疑問に思っていました。赤竜騎士団に入れるのは精鋭だと聞いていましたのに、噂と実際に目にした感じが違って疑問に思っていたのです。

 これが精鋭なのですか? と。


「アルフレッド君。因みに聞いてもいいかしら?」


 お母様は腰に手を当てて、右手の親指で後方を指しながらアルに疑問を口にしました。

 あの? 私はなぜまたアルの方に身体を向けられたのかしら?


「アレ。どうしたら、ここまで体たらくになったのかしら?」


 体たらく。それはお母様が教えていたときよりも、腕が落ちているということですか?


「毎日の訓練を簡略化していたからです」

「アルフレッド〜……」


 地獄の亡者のような声がお母様の後ろから聞こえてきます。この声は第二王子ですわね。

 アルがお母様に告げ口したことに文句があるようですが、サボっている方が悪いのです。


「私が絶対にするように言っていた訓練をってことかしら?」

「はい」

「……そう、私はきっとナメられていたのね。サボってもバレなければいいって」

「う〜」「あああ〜」「ちがいます〜」


 亡者共がうめき声を上げていますが、何を言っても、悪いのは貴方たちですわ。


 そして、お母様は両手をパンパンと叩きます。


「はい! 休憩終わり! 班ごとに連携をとって、来なさい! 戦闘開始!」


 急かすように叩かれている手の音にも反応できないのか、私の耳にはうめき声しか聞こえません。


「いつまで寝ているの! 倒れても立ち上がる! 剣を構える! 敵は待ってはくれないわよ!」


 そう言ってお母様の気配が離れていき、再び悲鳴とうめき声が聞こえてきました。

 これは戦闘訓練をする前に、皆さん一緒に体力作りから始めるべきですわね。


「こっちだよ~」


 今度は背後からお父様の声が聞こえてきました。それと複数の足音。足音?


「アル様。確か新人の方は地下道の掃除をしてもらっていましたわよね」

「そうだな」

「足音が聞こえてくるのですが?」

「そうだな」

「地下道を足音を立てて、掃除とは何の掃除をしているか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「……道?」


 アルは疑問形で返事を返してきました。道ですか。これはきっとアルが新人教育から外されていたため、起こったことなのでしょう。


「地下道に潜る魔物の特性を教えることから始めないといけませんか?」


 私は普通であれば知っていることを教えなければいけませんかと、確認します。地下道に潜む魔物の多くは臆病モノです。地下道の影に潜み、襲う時は集団で襲ってくる小物です。

 増えすぎると害にしかなりませんから、地下道の掃除の依頼があるのです。魔鼠ですとか、魔蝙蝠ですとか……大型の黒く光る油虫の討伐依頼です。


「いや、シアが教えるようなことじゃない。レイモンドが教えるべきことだった」


 アルはそう言って、一歩前に出て私がいる場所と入れ替わりました。


「後ろにいるのが、君たちに訓練をつけてくれる僕の娘のフェリシアだよ〜」


 お父様が、土埃を被った人たちの前に立って、私を紹介していますが、そのような紹介の仕方はしないでほしいですわ。


「おい!」


 そこにアルが声を上げます。すると土埃を被った百人ほどの集団が震えています。もしかしてアルは新人たちに怖がられているのですか?


「言っておくが、フェリシアと呼んで良いのは俺だけだからな。貴様らは先生と呼べ。いや、声もかけるな」


 あの? それでは普通にお話もできませんわ。


「基本的に貴様らの訓練は俺がつけることになる。俺はレイモンドのように甘くはないから覚悟しておけ」


 アル。無表情でそのような事を言うと、脅しているようにしか聞こえませんわよ。


「貴様らは視界にも入る価値はない」


 言い過ぎですわ。もう少し普通にお話をしてください。殺気も漏れているではありませんか。

 ほら、アルの殺気に当てられて、意識を失っている方もいらっしゃいます……そこまで強くない殺気でも意識を飛ばしてしまうのですか?


 本当に暗黒竜の残滓と戦えるほど強くなれるのでしょうか?


「さて、シア。上に戻ろうか」


 え?

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