第57話 公爵令嬢
カラカラという音と共に重なるような振動が心地よく体に響いてきます。私の隣には機嫌の良いアルがおり、向かい側には侍従コルトと侍女エリスがいます。
私達はただいまネフリティス侯爵家の馬車に乗って、植物園に向かっているところです。
ええ、もちろん私は買い物に行きたいと言ったのです。しかし、アルからもクレアからも拒否されてしまいました。何故駄目なのでしょう?
アルは他人のプレゼントを選ぶだけなら、商人を呼び寄せればいいと言い、クレアはアルと私のデートには付き合わないと、さっさとアズオール侯爵家から出ていってしまいました。
慌ててクレアに付けてもらっている侍女が追いかけて行きます。しかし、行きは同じ馬車に乗ってきましたので、引き留めようとしていますと、侍従コルトから『このようなことがあろうかと思いまして、迎えの馬車を用意しております』と言われてしまいました。
ここまで先読みができてしまいますと、恐ろしさを感じてしまいます。
この結果として、アルの要望のデートに行くことになったのです。
「アル様。どうして植物園なのでしょうか?」
植物園は王都の第三層の北地区にあり、元々は公爵家の別邸があったのですが、管理が国に譲渡されたときに国の管理化となり、植物園になったそうです。
その公爵家があったのは四百年前だそうで、詳しい経緯は私は知りません。しかし、時々冒険者の駆け出しの人たちが受ける依頼に、害虫駆除があります。その依頼を受けたときに入ったことがありますが、敷地内に池があったり、小川が流れていたりと、とても景観がよかったのを覚えています。
因みに植物園の入園料が五万
「ああ、今の時期は丁度薔薇が見頃だろう?」
確かに初夏の今の時期は薔薇が咲く時期ですわね。でも、薔薇でしたらネフリティス侯爵家のお庭でも見れますわ。よくお茶の後にお庭を散歩しているときに見ますもの。
「あとシアに面白いものを、みせてやろうと思ってな」
「面白いものですか? それは楽しみにしておきます」
面白いものとは何でしょう?
「シアは植物園に行ったことはあるか?」
「一度依頼を受けて入ったことはありますが、散策という意味ではありませんわ」
一度依頼を受けたときは、特にこれと言って変わったものはありませんでしたが、何かあったでしょうか? 元々あった別邸のお屋敷は移築されたと植物園の屋敷跡に立て看板がありましたので、建物は休憩に使われる東屋ぐらいしかありません。あと管理人棟ですか。
小川が流れているというのは、貴族の敷地では人工の川を好んで作る方もいると聞きますから、特に珍しいものではないでしょう。
「依頼? 冒険者の依頼で?」
「そうですわね」
駆け出しの冒険者が受けられる依頼など限られていますもの。あとでわかったことですが、その依頼は誰でも受けれないということでした。ええ、内容の割に依頼料が高いと思っていましたら、受ける側を選別されていたのです。貴族の方が利用する施設ですからね。素行がよい人物を選ぶでしょうね。
そんな話をしておりますと、馬車がガタンと揺れて止まりました。目的地に付いたようですわね。
外から馬車の扉が開けられました。そのときに御者の方が侍従コルトに、コソコソと話をしています。
聞き耳を立てていますと、何やら聞きたくない言葉が聞こえてきましたわ。
「アルフレッド様」
「なんだ?」
先程まで機嫌が良かったアルの機嫌が急降下していくのが、隣からひしひしと感じます。御者の人の言葉が聞こえていたのか、それとも横に視線を向けてしまったのか、アルはわかってしまったのでしょう。
「カルディア公爵家の馬車があるようなのですが、如何なさいますか?」
「はぁ」
わかっていながらも侍従コルトの言葉に、アルはため息が出ています。
カルディア公爵。
アルがため息を吐いているのは、その公爵様がこの植物園に来ているのではなくて、恐らく、そのご令嬢の方がここにいらっしゃる可能性が高いのです。
「あの女がいるのか?」
「恐らくは……」
あの女というのは、公爵令嬢であるシャルロット様のことです。横を見ると窓越しに遠目からでも、シャルロット様がいつも乗っていらっしゃるきらびやかな装飾がついた馬車が見えます。
確実にいらっしゃると思います。しかし、植物園と言っても元々は貴族の別邸だったのです。広さはそれなりにあり、木々が立ち並ぶ小道や、生け垣を使った迷路のような場所もありますので、必ずしも出会うとは限りません。
「アル様。アル様が行きたいところにシャルロット様もいらっしゃるとは限りませんので、行きませんか?」
いつも私のわがままで、外を出歩くことがありませんので、今日ぐらいはいいと思います。
「そうだな。シア」
アルの機嫌が戻ったので、ほっとしました。私がいつもネフリティス侯爵家を訪ねる白の曜日とシャルロット様の訪問の日が重なりますと、その日はアルの機嫌が悪くて困っていましたもの。
そして、私の目の前には金髪をよくその様に巻けるのかと思うぐらいに、グルグルに巻いた長い髪を右手で払い、私を見下ろしている方がいらっしゃいます。
「あら? 幽霊が昼間からいるかと思えば、フェリシア様ではないですか」
はい。目立つ赤いドレスは昼間に着るにはいささか、露出がありすぎるのではと思うほどです。しかし、それを着こなしているのが、先程から話題に上がっておりました、シャルロット様です。
私はその場にすっと立ち上がります。
「お一人でどうなされたのかしら?きっとアルフレッド様から愛想を尽かされたのですわね」
そのシャルロット様の隣には婚約者のギルフォード様ではない殿方がいらっしゃいます。あの方は……
「聞いていらっしゃるの!」
いつも甲高い声で早口でいらっしゃいますから、私はいつも一歩出遅れてしまうのです。それを毎回何かと言われてしまうのですけど。
「いつもぼーっとしていらして、呑気でよろしいですわね。確か、お屋敷が無くなったと聞きましたわよ。貧乏の上に住む屋敷が無くなるなんて、貴族の中でも笑い者でしてよ」
あの……いつも思うのですが、どのタイミングで挨拶をすればいいのでしょうか? 私が口を開けようとしますと、次々に話を始められますので、お話を遮るわけにもいかず、困ってしまいます。
「それからあの凶暴な妹君が決闘をなさるのですってね。本当にガラクシアースの人たちは物騒で困ったこと」
私は挨拶ができずに困っていますわ。
因みに今は私一人だけで四阿にいるところです。アルは準備をしてくると、薔薇に囲まれた四阿で待つように言ってどこかに行ってしまいました。侍従コルトもアルについていき、侍女エリスは軽食を用意してまいりますと言ってこの場にはいません。
いいえ、侍女エリスはアルが戻ってくるまでここにいると言っていたのですが、私が一人で大丈夫だからと言って、侍女エリスを送り出したのです。
しかし、相変わらずシャルロット様はずっと話していらっしゃいますわね。
「聞いていらっしゃるの!」
あ……話が途切れたようです。
私はシャルロット様に向かってカーテシーを行い、深々と頭を下げます。
「シャルロット様。ご機嫌うるわしゅうございます」
「全くうるわしくありませんわよ! なぜ、貴女がここにいらっしゃるの! 貴女がいるだけで、
「それは申し訳な……」
「それにそのドレスは何かしら? どこかの夜会にでも行くのかしら?」
私は頭を上げてシャルロット様を見ます。
そうですわね。紺色の上質な生地に金糸で刺繍がしてありますと、このまま夜会に出ても申し分ないドレスです。しかし、シャルロット様もその赤いドレスは夜会に出ても十分映えると思いますよ。
「シャルロット様のドレスも素敵ですわね。そのまま夜会に行けそうですわ」
ええ、豊満な胸が零れそうなぐらい露出しているドレスは、日中に着られる方は滅多にいないと思います。
するとシャルロット様の右手が動きました。あら? 私は何か機嫌を損なうことを、また言ってしまったのでしょうか?
はぁ、これは甘んじて受けましょう。
私の左頬にシャルロット様が右手に持っている扇が叩きつけられます。だからと言って私の頬が傷つくわけではありません。ガラクシアースの私はシャルロット様の扇では傷つきません。
「いつも貴女は
馬鹿になんてしていません。
「たかが伯爵令嬢ですのに、公爵令嬢の
あ、またシャルロット様は扇を振り上げましたわ。今日はいったい何のことで怒っていらっしゃるのでしょう? 今まで色々怒られて来ましたが、ここ最近は何で怒っているのか理解できないことが多いです。
私は勝手にギルフォード様との婚姻が一年後となったので、色々あるのだろうと、思っています。
「おい! いい加減にしろ!」
シャルロット様の右手は手首を掴まれ、私に向かって振り下ろされませんでした。
「俺は何度もシアに手を出すなと言っているよな」
戻ってきたアルの機嫌は一段と悪くなっていました。
「アルフレッド様。ごきげんよう。婚約者をフェリシア様から
「全くならない。ずっと言い続けているが、俺とシアとの婚約は生まれたときから決まっていたことだ」
「あら? そんなこと、今では流行りませんわ。祖父が王族である
はい。シャルロット様は、以前からアルに私と婚約を変われと言っているのです。しかし、婚約とは家同士の婚姻であります。
それに私とアルの婚姻は前ネフリティス侯爵様からの打診です。ですので、前ネフリティス侯爵様にお伺いを立てずに変更することはできません。
アルとの婚約は別の意味もありますので、シャルロット様の意見は通らないと思います。
それにアルとの婚約者の場所は何がなんでも譲りません。ガラクシアースの未来がかかっているのですから。
「ふん! 王族だからなんだ? 俺は昔も今もシアひとすじだから、他の婚約者は必要ない」
アル様。その言葉を言うとシャルロット様の機嫌が更に悪くなって、後でまた会ったときにグチグチと言われてしまいますわ。
「たかが伯爵令嬢ですのに!
シャルロット様からすごく睨まれていますわ。
しかし、今日の取り巻きの男性は、肝が座っていませんわね。シャルロット様の態度にオロオロし過ぎですわ。これぐらいで慌てていては、シャルロット様の取り巻きは務められませんよ。
「当たり前だろう」
「っ━━━━━━━」
シャルロット様は私のことをキッと睨みつけて、無言で立ち去っていきました。
はぁ、色々言われるのはいつものことですが、次に会えば呼び出しを受けて、いつもの倍は言われそうですわ。
「シア。怪我はないか?」
「ありませんわ」
アルは私に近づいてきて、左頬に触れました。
扇で叩かれましたけど、傷にはなっていないでしょう。
「すまない。少し離れただけだったのに、あの女を近づかせてしまった。コルト。あの使えない侍女はどこに消えた。シアの盾にもならないのなら外せ」
「申し訳ございません」
はっ! なんだか侍女エリスが悪いことになってしまっていますわ。
「アル様。エリスは私が頼み事をしましたの」
「頼み事?」
「ええ、昼食をここで食べればいいと思ったので、軽食を作ってもらっているのです」
材料を持ち込みなら、管理人棟のキッチンが使えることを侍女エリスから聞きましたので、私が作ろうとしたのです。しかし、侍女エリスが簡単な軽食なら作ることができると言いましたので、私が食材を提供して作ってもらうことにしたので、この場には侍女エリスが居ないのです。
「そろそろお昼ですので、アル様と外で食べるのもいいと思ったのです。あの……駄目でしたか?」
私、いらないことをしてしまったのでしょうか?
するとアルは私を抱きしめてきました。
「駄目じゃない」
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