第55話 少女に吹き飛ばされる騎士
蒼天には雲一つなく、少し冷たい風と初夏の日差しが降り注ぐ庭には、思っていた以上の多くの人達がいます。
ここはアズオール侯爵家の庭です。整えられたというには少々緑が少なく、庭園というより広場と言っていいほど芝生が広がっている庭です。
そこには青い隊服を着た者たちが、五十人程でしょうか? こちらに興味深げな視線を向けて来ています。
「お姉様。あれば青竜騎士団の人たちでしょうか?」
クレアはお茶会に行くようなドレスを着て着飾っています。見た目は剣など持ったことがない普通の貴族の令嬢に見えます。
「そうね。暇なのかしら?」
私は普段、黒竜騎士の人たちが忙しく王都中を走り回っているのを見ていますので、ここになぜ青竜騎士の方々が多くいるのかわかりません。確かに青竜騎士の方が代理で決闘を受けると聞いていましたが、このように多くの人達がいなくてもいいと思います。
「フェリシア様。このような
昨日の内に領地に向かったエルノーラ様の代わりに、ヴァイオレット様がマルメリア伯爵家として、この場にいらっしゃいます。
「お父様が、マルメリア伯爵家で行うことを拒否していなければ、このような人の目に晒すようなことには、なっていませんでしたのに」
「お嬢様。丁度よいではありませんか、余波があたった風に装って、婚約者様をボコってもらえば」
ヴァイオレット様は初夏らしい淡い水色のドレスを着ています。その背後ではヴァイオレット様の使用人が、日傘を差して毒を吐いています。相変わらず、この方はブレないですわね。
「クルス。今日は人目があるから、黙っておいて」
「かしこまりました。お嬢様。舌打ちだけに留めておきます」
「はぁ……」
ヴァイオレット様曰く、この侍従兼護衛の方は優秀だそうです。しかし口が少々悪く、ヴァイオレット様から口を閉じる薬か何かを知らないかと聞かれたことがありますが、残念ながらそのような物は毒物に多いため、お勧めはできませんでした。
「そう言えばエルノーラ様は素直に領地にお戻りになったのですね。てっきり今日はいらっしゃると思っていましたわ」
するとヴァイオレット様は大きくため息を吐かれました。
「はぁ、昨日は素直に帰ってくれなかったので、眠ってもらって、馬車に乗せたのです。お父様と一緒に戻りましたので、使用人の目を盗んで王都に来ることはない……といいのですが」
マルメリア伯爵様は昨日の夕方に領地に戻って行ったのですね。神王の儀のためだけに、多くの貴族が動かされたことが、本当にわかりますわね。
しかし、ヴァイオレット様は領地に帰ったエルノーラ様の動向を心配しています。流石にマルメリア伯爵領まではアズオール侯爵子息も赴かないでしょう。
そのアズオール侯爵子息といえば、青い隊服を着た集団の中に混じって、こちらにニヤニヤとした笑みを浮かべて見てきています。
あの方、エルディオンと同じ歳ですのに、学園に行かなくてもいいのでしょうか? 確かに、貴族とは交流も大事にされていますので、予定があれば休んでいいとエルディオンから聞いてはいます。しかし、これは貴族の交流ではないと思いますわ。
何が賭けられているのかわからない決闘です。
ああ、そう言えばお金が賭けられていましたね。
「シア。やっぱり殴るだけじゃなくて、頭と胴を切り離して置いたほうがよかったか?」
私の隣に立っているアルが物騒なことを言っています。それはもうくっつかないので、ただの死体になってしまいます。
「アル様。ヴァイオレット様の婚約者様ですからね」
ヴァイオレット様との関係を悪化させたくはありませんわ。
その物騒なことを言ったアルは、赤竜騎士の隊服の姿ではなく、紺色を基調とした生地に金糸で細かな刺繍がされたスーツ姿です。私としては臙脂色の隊服よりも、普段着のアルの方が見慣れています。そして、私のドレスはアルのスーツと同じ用に紺色の生地に金糸で刺繍がされています。
なんだか、お揃いで恥ずかしいですわ。
しかし、なぜ紺色なのでしょう? 初夏に着る衣服としては、あまりもちいられませんわね。
そのようなことを考えておりますと、アズオール侯爵子息が、こちらにやってきました。その背後にはガタイのよい青竜騎士の隊服に身を包んだ人がついてきています。
この方が代理の方でしょうか?
「ヴァイオレット。エルノーラはどうした?」
これはエルノーラ様が来るのを待っているということですか。しかし、エルノーラ様は領地の帰路の途についています。こちらには来られません。
「エルノーラは父と共に領地に戻りましたわ」
「は? 明日こそ観劇に行く予定だったのだが?」
前回も思いましたが、なぜそこはヴァイオレット様ではなく、エルノーラ様と行くのでしょう?
「それでロメルド様。このようなこと、お止めになりませんか?」
「なぜだ! 悪いのはそこの女だろう!」
アズオール侯爵子息はクレアに指を差して言っています。クレアといえば、やる気満々で握りこぶしを作っていますが、クレアは戦いませんよ。
「その女を俺が成敗してやろうと思っていたが、残念なことに怪我をしてしまったからな、俺の代わりを呼んできてやったぞ」
怪我? もしかして、これみよがしに白い布を首に掛けて左手を覆っていますが、それのことを言っているのですか? アルはみぞおちをなぐっていましたので、腕が折れるようなことはしていませんでしたよ。
「ちょっと! 昨日は腕なんて折れてなかったわ!」
クレアもその事を指摘しました。そして、両手を腰に当てて、アズオール侯爵子息にクレアは鼻息荒く言います。
「ふん! 結局、アルフレッドお義兄様が怖くて怖気づいてしまっただけなのでしょう!」
クレア。恐らくそれは確実に勝てる相手を連れてくるために、怪我を偽装したのではないのですか? 普通は決闘の代理の代理なんてありえませんもの。
「怖くなんてない!」
怖くなんて無いとアズオール侯爵子息は言ってはいますが、何故か左手で鳩尾を押さえています。その腕は折れている設定では無かったのですか?
「威勢のいい嬢ちゃんだな。こんな嬢ちゃんが決闘の相手か?」
クレアに言い負かされているアズオール侯爵子息の背後から野太い声が聞こえてきました。ええっと、青竜騎士団の第五十五部隊でしたか? 五十四部隊でしたか? 忘れましたが、部隊長さんですわね。
「決闘のことだが、提案していいだろうか」
アルが言葉を発します。するとアズオール侯爵子息の肩がビクッと揺れ、三歩ほどよろめくように下がり、青竜騎士の方の後ろに下がってしまいました。
「な……なんだ?」
「今回の決闘の件だが、決闘の代わりに『倫理の審判』を行う」
「は?」
聞いたことがない言葉がアルから出てきましたわ。『リンリノシンパン』とは何のことなのでしょう?
アズオール侯爵子息も何のことを言っているのかわからないように、呆然とアルを見ています。
「審判を下すのは俺ではない。この国の真の制裁者だ」
私もアルが何のことを言っているのかわからず首を傾げてしまいます。しかし、制裁という言葉をここ最近よく耳にしますので、ネフリティス侯爵家のお役目の一つに当たるのでしょう。
「おい。誰だかしらねぇが、何を勝手に決めてんだぁ?」
体格の良い青竜騎士の部隊長さんらしい方がアルの前でおかしなことを口にしています。
赤竜騎士団の副団長が誰だか知らないものなのですか? 騎士団が違えばわからないものなのですか?
「はぁ。外野は引っ込んでいろ」
アルは面倒な感じでため息を吐き、右手を振って下がるように促しています。
「ああ? どこのお貴族さまか知らねぇけど、俺は青竜騎士団第……」
「クレア。そいつは殴っていいぞ」
「え?」
「はい!」
青竜騎士の人が自己紹介をしている途中でアルがクレアに殴っていいといいました。私は思わず何を言っているのですか?とアルを見上げ、クレアは大きく声を上げて返事をしています。
ちょっと待ってください。クレアにはまだ早いですわ!
私がクレアを止めようと視線を向けますと、クレアは拳をにぎって構え、自分の倍以上ある青竜騎士の人の懐に既に入り込み、後は腕を振るうのみ。
「クレア! 手加減!」
「え?」
腕を振るう直前に私は声を上げますが、クレアは手加減ってなに? という顔を私に向けながら、拳を振り切っています。
クレアの動きについていけず、拳をみぞおちに受けて、初めてクレアに懐まで潜り込まれたと気がついた青竜騎士の人は、バキッと何かが折れる音と共に後方に飛んで行きます。
後方にということは、その後ろにいたアズオール侯爵子息に青竜騎士の身体が向かって行くことになったのですが、間一髪というところで地面におしりから倒れ、共倒れすることはありませんでした。
「うわぁ! お嬢様、あれは肋骨と内臓がイッてますよ! しかし惜しかったですね。もうちょっとズレていたら、婚約者様も飛んでいきましたのに」
「クルス。少し黙って」
ヴァイオレット様の侍従兼護衛の方は、楽しそうに解説をしてくださいましたが、何も構えていないままクレアの拳を受けたのです。魔脈も損傷している可能性がありますわ。腕の良い治療師に治してもらわないと、復帰は難しいかもしれません。
はぁ、遠く木の幹に叩きつけられた青竜騎士の方の姿は、血を流しながらピクリとも動きません。私が治療したほうが良さそうですね。
一歩足を踏み出したところで、アルに腕を掴まれてしまいました。
「シア。シアは俺の側に居るように言ったよな」
「はい。しかし、あの方の状態は危険ではありませんか」
これではクレアが人殺しになってしまいます。私が治療すべきでしょう。
「おい! そこの青竜騎士共! 今回の事は青竜騎士団団長に報告しておくからな! それから、さっさとそいつを救護所にでも連れて行け! そのままだと死ぬぞ」
すると青竜騎士の方々は慌てて部隊長と思われる人に駆け寄っていきます。そう言えば名乗る前にクレアがぶっ飛ばしてしまいましたので、結局誰かはわかりません。
あら? 青竜騎士の方の一人がこちらに来ましたわ。
「貴族だからといって、何でも許されるとは思うなよ!」
こちらを睨んで、叫んでいるのはエルディオンと同じ年頃の少年だと思われます。竜騎士団は何歳から入団できるのでしょう?
その少年はクレアに向かって言っています。
「ふん! 貴族を前にして先に名乗ろうとしたバカを成敗したのよ!」
貴族社会は上下関係が厳しいですからね。普通は声か掛けられるまで、相手と話ができないものです。しかし、青竜騎士の方はそれを無視して、勝手に話だし、名乗りを上げようとしました。
貴族社会に馴染みがない方だと、仕方がないかもしれませんが、仮にもアズオール侯爵子息に付き従っているのであれば、彼を立てるべきです。
「ああ? 貴族だからって俺達に何もしてくれないじゃないか!」
何もしないですか。私達は身分の無い方々に、直接何かをするということはないでしょう。
王族の方々が慈善という形で、目に見えるように施しを行うことはあります。しかし、それは一種のプロパガンダであり、全ての民に行えることではありません。
「どうして私が貴方に何かをしなければならないわけ? 私達が守るのはガラクシアースの領地と民だもの。それからお兄様ね。文句があるなら、その地を治める貴族にいいなさいよ!」
クレアの言うとおりです。貴族は他の貴族の領分を侵害してはいけません。それができるのは王族のみ。私達に抗議をしていいのは、ガラクシアースの民だけです。
そこにエルディオンが入るのは、致し方がないことですわ。
「そのアズオール侯爵に税金を下げて欲しいと願いにきたら、この息子から勝てば金をくれてやると言われたんだよ!」
「あら? もしかして、彼らはアズオール侯爵領の方々なのですか?」
私の言葉に少年は頷きました。これは彼らが悪いわけではなく、アズオール侯爵家の方々の問題ですわ。
「ロメルド様。また税を上げられたのですか? これ以上は駄目ですよと忠告いたしましたわよ」
ヴァイオレット様のため息交じりの声が聞こえてきました。何れ、ロメルド様と婚姻すれば、アズオール侯爵夫人となるため、領地の問題は把握されていたのでしょう。
「うるさい! 口出しするなといつも言っているだろう!」
「はぁ」
困った顔をされているヴァイオレット様。そのヴァイオレット様を睨みつけているアズオール侯爵子息。本当になぜこのお二人が婚約者なのでしょうか?
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