第54話 決闘の話が大事になった理由

「行きたくない」


 朝食を終えたアルの言葉です。


 今日も昨日と同じくお通夜のような朝食でしたが、今日はネフリティス侯爵様からお声が掛けられました。


「夕刻に父がこちらに来ると言っている。夕食の時間には戻るように」


 それだけの言葉でしたが、前ネフリティス侯爵様が直々に来るとなると、家族は全員で迎え入れなければならないのでしょう。ええ、私たち姉弟もその場にいて、前ネフリティス侯爵様に頭を下げて、お金の工面をお願いしなければなりません。


 その言葉を残したネフリティス侯爵様は席を立たれ、食堂から出ていかれ、ご長男のギルバート様も続くように出ていかれました。


 そして、アルのこの言葉です。


「まぁ? アルフレッド。昨日は色々と問題を起こしたと、旦那様から伺っていますよ」


 ネフリティス侯爵夫人は食後のお茶を飲みながら、アルに呆れた視線を向けています。


「旦那様のお仕事の邪魔をしたと聞いていますよ」


 確かにあの時間からでは、午前のお仕事中かお昼休憩中か微妙な時間帯でしたわね。


「それから、旦那様に意見したそうね。どうしたのかしら? 今まで侯爵の地位など興味なかったでしょう?」


 ネフリティス侯爵夫人の言葉に反応したのは、お二人。一人は勿論アルです。私の隣で仕事に行きたくないと愚痴っていたアルは、背筋を伸ばしてネフリティス侯爵夫人に向き合います。

 そして、ネフリティス侯爵夫人のもう一人の息子であるファスシオン様は、それは驚いたように目を大きく見開き、アルと侯爵夫人をチラチラ見ています。


「母上。俺は侯爵の地位を得ることを決めました。そのためにお祖父様と父上に自分の意思は伝えています」

「それはフェリシアちゃんのためかしら?」

「はい」


 アルの答えにネフリティス侯爵夫人は大きくため息を吐きます。そうですよね。そんな理由でギルバート様を押しのけて侯爵に成りたいだなんて、駄目ですわよね。


「いつかは言い出すと思っていましたが、もう少し早くても良かったのではないのかしら?」


 ネフリティス侯爵夫人は、アルが意思を示すのが遅すぎると言っているようです。これは夫人自身が予想していたということなのですか?


「母上。シアが、かわいすぎるということに気がついたのです」


 ななな……何を言っているのですか! そんなことを理由に挙げないでください。


「まぁ、そんな理由だと思いましたよ。貴方は昔から変わらないものね」


 しかし、夫人はアルのこの答えすら、予想していたようです。


「大方、フェリシアちゃんに近寄ってくる者が鬱陶しいと思ったのでしょう? フェリシアちゃんは誰にでも優しいものね」


 ネフリティス侯爵夫人。それは違いますよ。私は誰にでも優しくはありません。


「はい、ここ二週間ほどでシアに言いよってくる者が多いと認識しました」

「アル様。それは無いですから」


 誰が私に近寄ってくると言うのです。冒険者のアリシアは他の冒険者たちから嫌われていますし、第二王子が私に向ける視線など礼儀がなっていない令嬢ではないですか。


「アルフレッドお義兄様のお姉様好きも、ここまで来ると、遠くから見守った方がいいレベルですわね」


 今日の朝食は食事量を調節してもらったお陰で、食後のデザートまでたどり着いたクレアが呆れたように言っています。


「でもクレア。アルフレッドお義兄様のお陰で、僕たちが色々助かっているのも事実だよ」


 そんなクレアの突き放したような言葉に、エルディオンは諌めています。そのような言い方をするものではないと。


「兄上が侯爵に? ではギルバート兄上は?」


 ファスシオン様はやはり母親違いの長兄のギルバート様の立場を心配しているようです。


 母親が違うといえど、今までギルバート様を嫡男としてネフリティス侯爵家は動いていたのですから……いいえ、昨日のアルの言葉からはこの状況でギルバート様も試されていたということでしたが。


「ギルバートはこのままですと、伯爵の地位でも与えられて、外に出されるわね。ほら、あのわがままシャルロット。あの娘とコミュニケーションを取ることを放棄した時点で駄目ね」


 またシャルロット様の名前が出てきました。ネフリティス侯爵夫人も難しいことをおっしゃいます。シャルロット様は昔からなにも変わりませんもの。


 しかし、あのシャルロット様が伯爵夫人という立場に収まるでしょうか? 私にはそれすらも難しいと思ってしまいます。


「恐らく今日のお話はその件だと思いますから、アルフレッド。自分の立場を理解して、仕事に行きなさい」


 ネフリティス侯爵夫人からアルを諌めてくれました。仕事に行きたくないと駄々を捏ねるアルに自分が決めたことなのですから、自分の役目を果たすようにと。

 ありがとうございます。ネフリティス侯爵夫人。


 しかし、昨日ネフリティス侯爵様に話をしたにしては、話が早いですわね。もしかして、これは前ネフリティス侯爵様に話が行った時点で決められていて、アル自身が侯爵様に話をして自分の意思を伝えたということが、きっかけになっているのですか?

 もう既に話は決まっていたという風に。


「失礼します。奥様」


 話を終えて立ち上がろうとしていた侯爵夫人を侍従コルトが止めました。


「何かしら? コルト」


 普通でしたらアルの侍従であるコルトが侯爵夫人の行動を止めることは、いささか問題になることですが、前ネフリティス侯爵様に仕えていた侍従コルトは侯爵夫人も一目置く使用人らしく、立ち上がろうとしていた腰を再び降ろして、侍従コルトに応えました。


「実は今日、アルフレッド様に行っていただきたいところがあります故、私めからジークフリート殿下に連絡を入れさせていただいております」

「あら? それは貴方自身が動かなくてはならなかったものかしら?」

「問題が大きくなってしまいましたので、先に根回しをと行動したまでです」

「まぁ……あの件ですわね。それは仕方がないことですが、コルト。アルフレッドを甘やかすのも大概にしておきなさい」


 侯爵夫人はそれだけを侍従コルトに言って、食堂を出ていきました。

 いったい何のことでしょう? それに侍従コルトはアルを甘やかしているのですか? よくわかりませんが、とても気が利く使用人だと思っています。


「コルト。あの件とはなんだ?」


 あの件と言われ濁されており、具体的に何のことかわからず、アルは侍従コルトに尋ねています。それも、先程まで仕事に行きたくないと機嫌が悪かったのですが、侍従コルトの話から行かなくてもいいと捉えられる言葉を聞いて、機嫌が戻ったようです。


「それは、お部屋に戻ってからお話します」


 侍従コルトはそれだけを言って、先程いた壁際に戻って行きました。これはここでは話ができないということなのでしょう。

 まぁ、なんとなく私には予想がつきました。恐らくクレアの決闘の件でしょう。

 思っていた以上に話が広まり、あちらも引くに引けない状態なのだと思います。しかし、なぜここでアルが関係するのか私は首を傾げてしまいました。





 エルディオンとファスシオン様を学園に送り出したところで、クレアには私がお願いしていた勉強という名のマナー教育をネフリティス侯爵家で受けてもらい。半泣きのクレアをネフリティス侯爵夫人のところに送り届けたところで、私は客棟に戻ることができず、アルの部屋に連れて行かれてしまいました。

 あの……本当にここを私の部屋にしないでいただきたいです。


「それでなんだ? コルト」


 ソファーに座っている私の隣に腰を降ろしているアルが、侍従コルトに説明を求めました。


「実はクレアローズ様の決闘の件なのですが」

「まだ、その話が生き残っていたのか?」


 はい。それは私も同感です。アズオール侯爵子息はアルにボコボコにされたのですから、普通であれば、話し合いの場が持たれてもいいぐらいです。しかし、そのようなことはなく、決闘を強行しようというのです。


「はい。どうもファスシオン様についているロクスの話によりますと、決闘の勝敗にかなりの金額が動いているようなのです」


 ん? どういうことなのでしょう? ロクスというのは、確かファスシオン様の侍従の名前でしたわね。それは学園内を調べていたら、何かしらの情報が出てきたということでしょうか?


「金額が動いているのか……ガキ共が賭け事をしているということか」

「そのようで」


 ん? 賭け事をしているから、引くに引けなくなったということですか? しかし、それであれば、お金を賭けた本人に返せばいいことです。


「しかし、そのお金の殆どは使っているらしく、賭け金の返納が難しい状況のようです」


 ……ああ、だから何がなんでも勝たなければならないのですね。恐らくクレアに賭けた人の人数はごく少数であり、配当率が今現在跳ね上がっていることだと推測されます。

 しかし、元手を使っている時点で賭けの胴元としては問題があります。それとも自分が勝ったときの返納金は手元に残しているということでしょうか?


 ちょっと待ってください。今とても嫌な予感が走りました。


「その話、ヴァイオレット様はご存知なのでしょうか?」

「どうでしょうか? 学園内のことですと、情報が得られないですから、ご存知ない可能性がございます」


 もしかしてアズオール侯爵子息はお金を使い切っても、ヴァイオレット様に補填してもらおうとか思っていませんわよね。ヴァイオレット様は婚約者の不始末を渋々していそうですわ。アズオール侯爵家になにかとお金の工面をしていると聞きますし、いち商会を経営しているヴァイオレット様にとって、婚約者の悪い噂は足を引っ張ることに……ならないような気もしてきましたわ。


 ウィオラ・マンドスフリカ商会と同じ商品を出せる商会は今のところ存在しませんもの。だから、アズオール侯爵子息はいい気になっているのですわ。


「確か決闘の指定時刻は十時でしたわね。その前にヴァイオレット様に会ってきますわ」

「お待ち下さい。フェリシア様」


 私がヴァイオレット様に会いに行くことを侍従コルトが止めてきました。


「今回はアルフレッド様にお任せしましょう」

「どういうことですの?」


 はっきり言って、今回の決闘の件はアルもネフリティス侯爵家も関係ないことです。それなのに、アルにお願いするとはどういうことなのでしょう。


「コルト。もしかしてアレか?」

「はい。本日、大旦那様からお話がありますので、いい機会だと私めは愚考いたしました」

「そうだな。ということは、コルトのことだから、お祖父様にも父上にも話をつけているということか」

「はい」

「ならいい」


 ええっと……何のことかはわかりませんが、ネフリティス侯爵様と前ネフリティス侯爵様に事前に話をしており、私は何もしなくてもいいということでしょうか?


「あの? 私は何もしなくてもいいのでしょうか?」


 すると、隣に座っているアルが私に視線を向けてきました。


「シアは何もしなくてもいい。……あ、俺の側にいてくれればいい」

「はい」


 結局何がどうなったかは、私にはわかりませんが、アルと侍従コルトの中では事が決められたようです。


「あと、クレアも連れて行くから、それまでに母上から解放されるようにしていてくれ」


 か……解放? あの? 普通に貴族の令嬢としてのマナーを教えてもらえるように頼んだのですが?


「それは難しゅうございますね。昨日から奥様はドレスを用意するように侍女に申し付けておりました。クレアローズ様を着飾って可愛がるのを楽しみにしておいでですので」

「それは大変だなぁ。母上の侍女に話は通しておいてくれ」

「かしこまりました」


 そうですか。マナーのお勉強をお願いしたのですが、ネフリティス侯爵夫人の要望に応えるのもクレアの務めのようですね。しかし、クレア自身着飾るのは好きなようですから、案外楽しんでいるかもしれません。


 ただ、私はここで座っているだけでいいのでしょうか? 今まで家の事や冒険者家業をしていましたので、こうやって何もせずに過ごすのは、申し訳ない感じになってきましたわ。


「アル様。何かお手伝いすることがあるのでしたら、言ってくださいね」

「シアは、俺の側にいること以外は何もしなくていい。もし、昨日みたいなことがあれば、ぶっ殺すからな」


 ……これは私が殺されるということでしょうか?

 それから、また昨日の話を出してくるのですか? あれは不可抗力だったと何度も言いましたのに! 転移で来るモノは阻害できませんわ!


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