疾うに解けて、君を恋う

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 いつも不真面目な私を起こしにくる、クソ真面目な幼馴染が「一緒に学校をサボろう」なんて言い出した。

 夏と秋の境目で少しだけ怠かったから、私は迷うことなく一緒に学校をサボると決めて頷いた。

 

「まぁ、とりあえず入ってよ」

 

 そう言って朝、既に誰もいなくなった我が家に意気揚々と幼馴染を招き入れた。

 とりあえず体裁だけは整えるために、私の部屋でいつもの制服を脱ぎ捨てる。

 平日に女子高生が二人出歩いていると不審に思われないようにするため、私服をクローゼットから引っ張り出した。

 

「ほら、これ着て」

「ありがと」

 

 そして、それを彼女にサラッと渡す。

 正直なところ、制服から私服に着替えることに対して意味がないとは思ってる。

 この世の中、無関係な他人に関心を持ってる人なんてそうそういないし、不審に思ったとして声をかける人はもっと少ない。

 みんな自分のことに精一杯で、自身の事を気にしているのは本人達だけ。それが普通で当たり前。

 でも、彼女が私服に着替えるという行為は絶対に必要だ。異論は認めない。

 だってほら、長くて黒い髪をしていて真っ白な肌の彼女には、渡した新品の白いノースリーブワンピースがよく似合っている。

 本当に買ってよかったなって思う。一人悶々としながら店内で想像していた姿、そのままだったから。

 

「あれ……?」

 

 ふと気がつくと、いつも持ち歩いているはずの物がない。

 ぱたぱたとポケットを叩いても見つからないし、いつも使っている机の上にも当然のようにそこにはない。

 

「これ?」

 

 後ろから声をかけられたから、咄嗟に振り向く。

 すると、ひらひらと見せつけるようにして、見覚えのあるモノを自身の鞄に仕舞い込んでいく。

 いつの間にか私のスマホも財布も彼女に取り上げられていたらしい。

 そして、顔を見ることもなく部屋からそそくさと出ていく。

 

「ちょっ、まって……」

 

 全くの手ぶらで追いかけるように家を出ると、少し先で待っていてくれる。

 鍵を閉めて近づくと、私の手をひったくるようにとり、少し強引に手を引かれていく。

 引きずられるように人の波とビルの間を抜けて、たどり着いたのは日常的に通学で使っている駅。

 日常の一部は、彼女と一緒でも進みが早い。

 だけど、いつもとは違うホームで電車を待つ。

 どこもかしこも人で溢れかえっているはずのホーム。

 確かにいつもと同じ形をしているのに、人だけが消えている。

 狭い心にすうっと風が流れて、時間が止まる。

 足に痺れが広がって、胸の音がうるさい。

 ここから知らない場所に私達は向かっていくらしい。

 しばらくすると、見たこともない色の電車がやってきて、いつものように横並びではない、二人がけの椅子に座る。

 この車両には乗客もほとんどいない。

 

「どこいくの?」

「これから少し……、長いから」

 

 この女は全く質問には答えるつもりがないらしい。

 こうなったらどうしようもないのはよく知ってる。

 会話をすることは諦めて窓の淵に肘を置き、外を眺める。

 こんなにも景色を眺めるのは久しぶりだ。

 窓からみえるいつもの街は進んでいく毎に少しだけ変化して、次第に見たことない風景に変わっていく。

 同じ場所から出発したはずなのに何もかもが違う。

 威圧するように窓を覆う、灰色の建物は一つも見当たらない。

 窓に映るのは、青と白と緑と時々茶色。それが糸のように引き伸ばされている。

 全体的に背が低い景色は、唯一はっきりと映る忘れかけていた空の色を確かに思い出させてくれた。

 

「……綺麗」

 

 知らない世界を見ていると、意識はここにあるはずなのに夢の中にいるような感覚になる。

 どこかもわからない、何も知らない場所に二人きり。

 私達以外には誰もいない空間で、ただ揺られる。

 寂しいような気もするし、安らぐような気もする。

 確実に言えることは、戻りたくないって思っていること。

 今だけは、しょうもない人生から逃げられてるような気がするから。

 普段は忙しなく流れていく時間は、止まってしまったと錯覚するぐらいゆっくりに感じる。

 ふいに窓から景色が消えた。

 外は真っ暗で車内の光だけが窓に反射して、私と彼女の顔が薄く映る。

 薄暗い車内の中で、今はこの人と一緒にいられる。

 私はここに縋るしかないんだと確かに思えた。

 ふと、横目でみる。

 通路側にぽつんと座り、ずっと私の左手を握りしめて、顔を見つめている。

 いつも薄い表情の色が、はっきりと目に映し出される。

 その姿を見ると、少しだけ口角が上がってしまった。

 私は気づかれないように、そっと顔を背けた。

 

 進んでは止まってを繰り返していた電車が、どこかの駅で完全に停止した。

 当然、これまで来たことはない。今日が初めましての寂れた駅。

 誰も降りず、誰も乗ってこない。

 窓の外に広がるのは、人は一人もいないのに無駄に長いホームと、等間隔で並ぶ錆びた照明。

 開いたドアから少しだけ香る緑色の空気は、想像通りのはずなのに知らないものだった。

 そして、先に電車は進まないから、さっさとここで降りろというアナウンスが車内に響く。

 

「どうする?」

 

 ちょっとだけおかしくて、少しにやけながら問いかけた。

 

「……ここ」

 

 彼女は突然立ち上がって、ずっと握られていた左手を引っ張っていく。

 あぁ、あの時は前だったな、なんて昔を思い出す。

 電車から外に出ると、そこは目に入る鉄が全てくすんでいる寂しい場所だった。

 遠くには腐った建物が、緑の中に包まれている姿が見える。

 人の山に呑まれてる毎日から抜け出して、まるで違う世界にきてしまったような気分だ。

 透き通った透明な風が頬を撫でるけど、それは秋というにはちょっとぬるい。

 今を生きていると感じられて心地がいい。

 目の前には、私の手を引く彼女。

 終わってほしくない、戻りたくないなって。

 そんなことをぼーっと考えているといつの間にか誰もいない改札をすり抜けている。

 

「あの、切符は……」

「気にしなくていい」

 

 彼女は少しだけ戻って、雑に箱らしき物へと切符を放り込む。どうも、ご機嫌斜めらしい。

 

「いこう」

「……わかった。いいよ」

 

 古くて角が欠けているタイルばかり道を、二人で進んでいく。

 ガタガタを抜けた先は、所々剥げたアスファルトと車が一台通れるくらいの幅しかない道路。

 彼女は必死に首を振って、周りをきょろきょろ見渡してる。

 私達の今日を切りとって誰かに見せられるとしたら、この幼馴染はどう見えるんだろう。

 今日しか知らない人には、めちゃくちゃすぎて軽蔑されるのかも。それとも呆れる?

 でも、頭がおかしい奴だって思うのは確実。今の私がそう思ってるくらいだし。

 だけど、いつもを知っている人は、こんなの本当の彼女ではないと思うのだろう。

 頭の悪い幼馴染に足を引っ張られることが唯一の欠点で、運動も、勉強も完璧でなんでもできる優等生。

 本当はそうではないことを知ってるのは、きっと私だけ。

 この瞬間は誰にも見せたくない。これだけは私達だけのものだ。


 彼女の背中だけを目で追っていたら、石造りの長い長い階段が視界を覆う。

 両端は木が生い茂り、見上げてみても終わりは見えない。

 彼女は振り返って、私の顔を見つめながら宣告する。


「……のぼる」

「これを?」

「うん」

「うへー、嫌って言ったら?」

 

 一応、聞いてみる。

 

「いくよ」


 まぁ、だろうね。

 案の定、手は引かれていく。

 そのまま、狭い階段に足をかけた。

 砂利と靴底が擦れて、登ってることを確かに実感する。

 木々に覆われていて、揺れるように変化する模様から少しだけ差し込む光。

 枯葉を踏み締める乾いた音が静かに鳴る。

 どれも、あまり好きだとは感じられない。


「ま、待って……」


 すぐ息が上がり、根を上げる私を無視して登り続ける。

 だけど、見えないと思っていた一番上に辿り着くまで数分もかからなかった。時間は、ほんの少しだけ。

 すぐに、気づかないうちに、見えない場所にたどり着いてしまう。

 遠いと思っていた場所は、実はとても近いことを今の私は知っている。

 登りきった先にあったのは、鳥居とだだっ広い空き地、そして、不釣り合いなほど大きな木製の建物。

 ここは不気味なほど静かで、昼間とは思えないほど薄暗い。

 私達は、比較的綺麗だった石段に腰掛けた。

 二人の距離は拳一つ分も空いていない。

 空気は澄んでいて、鳥居の間から遠くにある三色の青がはっきりと映る。

 上から、薄い青、濃い青、どちらでもない青。

 その下には人々が住む街がある。私たちが歩いてきた道も見えた。

 さっきまで居たはずの駅は、とても遠くに感じる。

 あそこにいた時は真上にあった陽は傾いていた。

 散々黙っていた彼女は、突然、話しかけてくる。

 

「怒ってる?」

「……なんで?」

「だって、その、無理に引っ張ってきたから」

 

 気づけば、彼女は私の顔を下から覗き込んでいる。

 突然の不意打ちに目を奪われた。

 

「大丈夫、何も怒ってないよ」

 

 前を向いて、綺麗な風景を視界に入れて、はっきりと答える。

 

「ほんと……?」

「最近の私、おかしかったよね。だからでしょ?」

 

 罪悪感と高揚感が心に同居する。

 だけど、彼女が私を想ってくれた。

 今日が少しでも残ればいいって思う。

 ただ、きっと、それだけ。

 

「……うん。私を避けてた」

「ほんと、ごめん」

「いい。変なのはいつものこと」

「ひっど!」

 

 やっと冗談を言いあえて、安心したように笑ってる。

 その顔を見ると、彼女を少しだけ遠くに感じる。

 風がゆっくり、ゆっくり、木々を揺らす。

 

「あの日、覚えてる?」

 

 葉が擦れる音に包まれる心地よい空間の中で、私ではない透き通った声が反響する。

 

「……泣いて逃げ出した私の手をずっと引いてくれて、後ろをついていくだけでよかった」

「そう、だったね」

 

 忘れられるわけがない。思い出したくないモノが心から引っ張り出されていくような気がした。

 

「だから、今回は逆だって、思って……」

 

 透明な声が震えて、感情の色が咲いていく。

 その揺らぎが本当に綺麗で心を奪われてしまう。

 

「お願いだから……、わたしをおいて、いかないで……」

 

 言葉はそこで途切れたけど、ちゃんとわかってる。

 耐えきれずに横を覗くと、彼女の目には涙が溜まっていた。

 仕舞い込んでいたものが広がって、胸があったかくなる。これは、もうダメかもしれない。

 

「ちょいちょい。おーい、泣かないでー!」


 でも、そのままでは駄目だから、心を何重にも覆う。

 できるだけ明るく。いつも通りに。

 

「だって、だって……!」

 

 いつの間にか、彼女の頭が胸の中にある。

 彼女から飛び込んできたから仕方ない。

 私にはどうしようもなかった。

 

「ほんと、しょうがないな」

 

 誤魔化すためにあえて軽く抱きしめる。

 顔を少しだけ下げると、淡い香りが鼻をくすぐったから急いで顔を上げた。

 もう、彼女を抱きしめながらでも、陽の光は視界に映り込んでくる。

 

「よし、よし……」

 

 冷静を装って、右手で頭を撫でる。

 小さな頭、さらさらな長い髪。

 昔より成長を感じても、ちょっとだけ懐かしい。

 でも、あの頃はこの感情の意味を知らなかった。

 どうしようもなく思い出してしまう。

 考えることをやめられない。

 どろっと、何かが溢れてくる。

 

「大丈夫……」

 

 今、私は誰に言い聞かせたんだろう。

 そうやって自分自身を誤魔化し続けても感じてしまう、私達は大人に近づいたという絶望的な実感。

 いつの間にか、身体も、心も、頭も成長して、見えている世界はどうしようもなく高くなった。

 そして、手が届く場所は途方もなく広がっていく。

 スマホを開けばなんでも知れて、タダで転がってるSNSを開けば簡単に繋がれて、バイトをすればお金を稼げるようになった。

 あの頃と比べればできること、やれることは無限に広がったように感じる。

 今では、あの日遠くに感じていた思い出の場所は、とても近いことも知っていて。

 そして今日は、あの頃では考えられないほど遠くの場所に二人でいるんだ。

 

「大丈夫だから」


 弱った彼女を抱きしめて、背中や頭を撫でて、優しい言葉をかける。

 これだって、子供の頃は当たり前だった。

 でも私は、私達は、これからも変わっていく。

 言葉や行動には沢山の意味があって、心の中にあった大切な二文字の意味も変わってしまった。

 ほんの数年前は君の掌さえあればよかったのに、今では心も身体も、全部欲しい。

 こうしたいという気持ちがこうしなきゃならないに変わって、抱えている気持ちを抑え込む。

 あの頃のように感情だけで生きれるなら、どれだけ楽だっただろう。

 今では、見えれば見えるほど、高ければ高いほど、知れば知るほど、自分自身は狭くなっていく。

 多分、これから歳を重ねれば、更に小さく狭くなっていくんだろう。

 いつか、私という存在は消えてしまうのかもしれない。

 

「大丈夫……、なんだよ」

 

 沢山の他人を知って、自分と比べることを覚えたから。

 それが大人になることなんだって、周りを見て教わってきた。

 そうやって出来上がった世界は、何処もかしこも同じような人で溢れている。

 当たり前以外は認めない社会の中で、求められた自分を演じて生きている。

 どれだけ惨めな人生の落第者を気取ろうと、私は其方側だ。

 通り過ぎていく日々と、普通という時間は息苦しくて窒息しそう。

 あぁ、今日に、今に、後どれぐらい出会えるんだろう。

 

「ほら、泣かないで」

 

 あの時の私は彼女の手を引いて、その前を堂々と歩いていた。

 彼女が泣けば、今みたいに抱きしめて、慰めて。

 でも、知りたくもなかった知識と、他人から見える自分自身を知ってしまったから。

 きっと、見えないまま進みすぎてしまったんだと思う。

 あの頃の私は、疾うに死んでしまった。

 

「私はここにいるよ」

 

 本当に欲しかったモノは口には出せない。

 長い時間が、私達の形を決めてしまったから。

 先にある現実はとても苦しくて、きっと人を傷つけてしまう。

 そして、今を失ってしまうかもしれない。

 そうなったら、二度と今日に出会えないんだ。

 だから、誰も傷つかないように、何も手放さないように。

 こうやって抱きしめて堪えれば、大切な今だけは確かに続いていく。

 

「……ずっと、ここにいるよ」

 

 私の胸の中で泣く彼女は、きっと何も知らない。

 でも、それが当たり前なんてことは言われなくてもわかってる。

 どんなに大切に想っていたとしても、結局は他人でしかなくて。

 自分ですら理解できない脳を走る信号を、他人にわかってくれなんてひどく傲慢な話だ。

 でも苦しくて、苦くて、今にも吐き出してしまいそう。

 だけど、この気持ちが彼女に伝わることは一生ない。

 

「よし! もう大丈夫、……かな?」

 

 これは彼女の身体が揺れなくなったから。

 私は大丈夫、大丈夫、大丈夫なんだよ。

 できるだけ顔を見ないように、胸からゆっくりと彼女を離す。

 

「……うん、ごめん」

「いいよ。暴走癖と泣き虫は、昔から変わらないもん」

「ありがとう」

 

 とってつけた言葉を並べ立てて、太腿に頬杖をつき前を見つめる。

 ふと気づけば、空は赤に染まりきれていない橙色。

 あれだけ多様な色で溢れていた世界は、一つの色に近づいていく。

 これは、まるで私だ。どうしようもなく吐き気がする。

 時間の流れは容赦なくて、ゆっくりに感じていた思い出は解けていく。

 あんなに心地いいと思っていたのに、今は苦しい。

 大切なあの頃は絵のように動かない記憶になっていて、いつもの私に戻っていく。

 それに気づいて、傷ついてしまえば、この時間を終わらせられる。

 

「……もう、大丈夫?」

「うん」

 

 彼女から返事が返ってきて、胸が引き絞られるように縮んでいく。きっと、これなら大丈夫。

 

「そっか……」

 

 私が先に立ち上がって歩きだす。

 そして、彼女がちょこちょことついてくる。

 私達は長い階段を、一緒に一段ずつ降りる。

 腕が届くくらいの距離を空けて、私が前で彼女が後ろ。

 これでいい。これが私達なのだから。

 ちゃんと、あの頃のままだ。

 そして、彼女はいつものように優しい言葉をくれるのだろう。

 

「大丈夫。何があっても私がいる」

「……それなら、安心だね」

 

 ほら、とっても安心した。

 

「ねぇ。今日の欠席、どう言い訳する?」

「どうしようねー」

 

 彼女の言葉に相槌をいれて、軽口をたたく。

 少しだけ見渡すと、道が黒く見えた。

 今を過去と同じように見ることは、どうしてもできない。

 

「……真剣に考えて」

「だいじょぶ、だいじょぶ。……幼馴染がピンチだったとか、てきとーに誤魔化せばなんとかなるって」

 

 これからも一緒に学校に行って、一緒に笑って、一緒に遊んで帰って。

 そういう、いつもになるのだろう。

 だから今は、できるだけ目を閉じて歩いていく。

 

「真昼」

「んー?」


 その声で名前を呼ばれて、大きく一度だけ、跳ねる。

 でも、立ち止まらないし、振り向かない。

 やだ、嫌だ。聴きたくない、言いたくない。

 

 

「私のこと、好き?」

「……好きだよ。いつも言ってるじゃん」

「よかった」


 あぁ、きっと、君は笑っているでしょ?

 だから、私はこれで幸せなんだろうな。





 

 

 

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