第3話 アジサイ園

暫く、リビングのソファでウトウトとしていたら、紫音が階段を下りてくる音が聞こえた。

時計を見たらもう1時を過ぎたところだった。

そうか、1時間ぐらい僕は眠っていたらしい。

「迅、ただいま。これ食べたら出かけよう。」

紫音はテーブルの上にビニール袋に入ったパックを二つ置いた。

中身は僕の大好物のカフェのマスターのカレーだ。

「やったぁ、マスターのカレーじゃん。」

芳醇な香りの褐色の液体を紫音は鍋に移し変えて温めなおしてくれる。。

温めている間に、着替えるといって、紫音はクローゼットに入っていった。

僕は皿に米を盛り付け、紫音が温めてくれたカレーのルーを米にかけた。

うーん、良いにおい。

冷蔵庫から、福神漬けとらっきょうを出し、テーブルに、二人分のカレーと一緒に並べた。グラスには冷たい炭酸水を入れて。

着替えた紫音が、クローゼットから出てきて、二人でそのカレーを無言で平らげた。


「紫音、出かけるってどこへ?」

カレーを食べ終わって、洗い物を食洗器に入れながら、僕は紫音に聞いた。

「うん、まずその養護施設ってのに行ってみようと思って。依頼人がお姉さんに出会ったっていう養護施設の園長になら、色々聞けるんじゃないかなって。

その養護施設は武蔵野にあるらしい。車とってきたから。あと、詳しい情報は車の中で話すよ。」

「了解。」


紫音の愛車は赤のNS-X。運転はかなり安全運転だが、実はレーサー並みのドライブテクニックを持っている。以前、サーキットで試走したのを見たことがあるが、かなり上級テクニックだった。

僕は、紫音の助手席に座って、タブレットを繰りながら紫音の話を聞いている。

タブレットには今回の依頼の詳細が記録されている。

「彼女の育った養護施設は武蔵野のアジサイ園という施設だそうだ。そこの園長は彼女の母親の同級生だったらしい。当時はまだ支援員という立場だったらしいけど、今は園長なんだそうだ。

彼女自身は母親の記憶はほとんどないらしい、かなり小さいときに死別しているからな。母親の事はその園長先生に聞いたんだって。

あと、彼女の勤め先が、ダイコー印刷だ。小さな家族経営の街の印刷所だな。さっき少し調べてみた。

このダイコー印刷の社長ってのがアジサイ園の出身なんだそうだ。園長とも懇意にしているらしく、彼女の就職には園長の口添えがあったらしい。

あと、彼女の恋人が矢来賢二って男だ。まぁ、彼女に金の無心をするぐらいだから、あんまりいい奴ではないよな、きっと。」

「で、紫音はこの依頼、どう思っているの?俺の印象ではあんまりにもぶっ飛んでてこの依頼受けて大丈夫なのか不安なんだけど。」

「うん、確かに、お姉さんの存在ってのは、イマジナリーフレンド?なんだろうなぁってのはあるんだが、俺は彼女に少し興味があってね。これには俺の個人的な興味なんだが。もし、迅が降りるってんなら、いいよ。俺一人でやるし。」

紫音は独身主義者だし、どちらかというとあまり女性に興味がないんじゃないかと思っていたんだけど、意外だな。あんな感じの儚い女性が好みなのか。

少しニヤニヤしながら、紫音の顔を見たら、紫音は今までにあまり見た事のないような険しい顔で前を睨んでいた。よく考えたら、紫音が一人でやるっていうのは珍しい。これは、冷やかす雰囲気ではないような、何かあるのかな。紫音の過去に繋がる何かが。僕はふとそんなことを思った。

「乗り掛かった舟だし、俺も付き合うよ。」


「ナビではこの辺なんだけどな。」

紫音が車を路地に進め、徐行し辺りを探しながら車を進めていく。

路地の奥に、目的のアジサイ園があった。門があり、そのすぐ奥に駐車場らしい広場ある。車をその駐車場に停めて、僕らは園の建物に入っていった。

丁度、学校から帰ってきた小学生が僕らの横を通り過ぎていく。

「すいません、先程ご連絡させていただきました、赤崎と申します。園長先生にお会いしたいのですが。」

と、紫音が、受付だろうか玄関にいた女性に声をかけた。

「あ、園長に聞いてます。ご案内しますので、こちらからお入りください。」

その女性は窓口から出てきて、僕たちを園長室まで案内してくれた。

園長室は、玄関から廊下を通って一番奥のところにある部屋だった。

園長先生は、とても優しそうな少しふくよかな女性だった。

「はじめまして、私、赤崎と言います。お電話でも少しお話したんですが、こちらにおられた佐伯ゆう子のことについて少し伺いたいことがございまして、伺いました。」

名刺を差し出す紫音に、園長はソファーを勧めた。

「佐伯ゆう子ちゃん。よく覚えてますよ。

あの子は、本当に気の毒な子なんですよ。あの子の母親が、私の友人でして、それでこの施設に引き取ることにしたんですが、大人しい人見知りの性格もあってね、周りに溶け込めなくてね。いつも一人で遊んでいるような子供でした。」

園長は、園のアルバムを広げながら、話してくれた。

「実は、彼女から彼女のお姉さんを探してほしいと依頼がありまして。ただ、お姉さんの情報が何もなくて、そのお姉さんに出会ったのが、この園だったと聞いたもんですから、園長先生にお話を伺えないかと訪れたわけなんですが。」

園長先生は怪訝そうな顔で、僕たちを見た。

「お姉さん、そうあの子は言っていたんですね。

あの子には姉などはいないはずなんですよ。でも、あの子は少し心を病んでいるところがありましてね。あの子が言っているのはそのことなんでしょうねぇ。

実は、ここの施設に入所したときに、一番最初に仲良くなった女の子がいたんです。ほら、この水色のワンピースを着た髪の長い女の子。

ゆう子ちゃんの3つ上だったかしら。ゆう子ちゃんがいつも一人でいるもんだから、この子が声をかけてくれて、ゆう子ちゃんの面倒を見たり、いつも一緒にいたんですよ。名前は、『近藤 奈央』です。でも、この奈央ちゃん、実は小学校の4年生の時に亡くなっているんです。事故だったんですが、学校の帰りに川に落ちてしまって。

ゆう子ちゃん、ショックでしばらくしゃべれなくなっっちゃって、可愛そうでした。

でも、ある時、急に独り言を言うようになって、周りが今度は気味悪がっちゃって、それから、余計に周りから浮いちゃって。」

園長先生は、そう言って僕らの前に一枚の写真を置いた。

その写真には、水色のワンピースを着た女の子が写っており、その横には小さいころの佐伯ゆう子が写っている。

僕は、その写真を見て驚いた。小さいころの近藤奈央の右目の下に、特徴的な楕円形のほくろが写っているんだが、そのほくろは佐伯ゆう子が姉と一緒に撮ったという東尋坊での女性のほくろとよく似ている。

もちろん、同じようなほくろがないとは限らないだろうが、それにしてもそっくりだ。

紫音も僕も驚きを隠せないでいた。

「これって…。この写真の女性と、この近藤奈央さん、同じほくろがあるように思えるのですが、先生はどう思われますか?」

紫音は佐伯ゆう子の写真を取り出し、園長に見せながら言った。

「確かに、同じほくろに見えますね。目元とかも奈央ちゃんによく似ているわ。不思議ね、でも、奈央ちゃんは確かになくなっていますしね。この写真の女性はいったい、誰なんでしょう?」

園長は不思議そうに東尋坊の写真を眺めている。


「園長先生は、ゆう子さんの言うお姉さんは、空想の友達、所謂イマジナリーフレンドだと思ってらっしゃるんですか?」

僕は園長に聞いてみた。

「えぇ、だってそうでしょう。姿が見えないですし。まれにそういった空想のお友達を作る子ってのはいますからね。あなた方だって、まさか本気にしていないでしょ?」

そういう園長に紫音がゆっくり話し出した。

「でも、ゆう子さんは本気でお姉さんを探しておられます。何か、彼女の中で引っかかるものがあるんじゃないかと。イマジナリーフレンドがいなくなるってことはその人にとって必要なくなるってことだと思うんですが、ゆう子さんが僕たちに依頼してきたということは、まだまだ必要だってことだと思うんです。

ゆう子さんの心を助けたいんです。なので、ゆう子さんのことも伺いたいんですが、彼女の両親のことや、園での生活なんかを教えていただけないでしょうか。」

「ゆう子ちゃんの事ねぇ。あの子の過去は本当にかわいそうな子で。でも、私から言ってもいいのかしらね。」

園長先生はまだ警戒しているみたいだ。


「彼女がどうして『お姉さん』を出現させたのか、彼女が幻想と分かっている中でその『お姉さん』を我々に探すように依頼したのか、それがどうしてもわからず、しかも、彼女はその『お姉さん』の名前を知らないという。何も知らないしわからない。これは、彼女の生い立ちがきっと関係しているんじゃないかと思うんです。

だから、ゆう子さんの事を知りたいんです。きっと、彼女の心が助けを求めているんだと思うんです。なにか、彼女の心を救えるヒントが欲しいんです。」

園長先生は少し考えて、席を立った。

僕らは、園長先生を怒らせてしまったのかと思ったが、暫くして何かノートのようなものをもって戻ってきた。

「ゆう子ちゃんがなぜあなたたちに依頼をしたのか、私はわからないですが、もしかしたら、ゆう子ちゃんのこれからの人生をいい方向に変えれるチャンスをあなたたちが与えてくれるかもしれないとの期待を込めて、この話をしようと思います。

あの子の人生は今まで、本当に悲しいものだったんです。

あの子の母親は、私の友人だったと、先程お話ししました。このノートは彼女が、ゆう子に残した唯一のものです。ここには、あの子の母親が、ゆう子を生んだ経緯を日記という形で書かれています。

この日記をあなた方に託します。ただし、父親の名前は伏字になっています。あの子の母親から託された時からこの状態でした。だから、私も父親を探ることはしていません。ただ、名のある方だということは彼女から聞いていました。」

園長は、覚悟を決めたという顔で僕たちにそのノートを差し出した。紫音がパラパラとそのノートをめくって中を見た僕たちは驚いた。

「これ、僕たちに見せていいんですか?」

僕は園長先生に聞いた。すると、園長は頷いて

「このノートはゆう子にも見せています。ただ、彼女にはあまり必要がなかったのか、私の手元に置いておいてほしいといいました。

あなた達はきっとこのノートを悪用するようなことはしないと思います。だから、あなたたちにお見せすることにしました。

きっと、ゆう子ちゃんを助けてあげてください。お願いします。」


紫音は、そのノートを受け取り、園長先生にお礼を言って、立ち上がろうとした。

「もう一つお伝えしたいことがありまして。」

園長先生が神妙な顔をして僕たちを引き留めた。

「ゆう子は、実は過去にここの男性職員から、性的な悪戯をされた経験があります。お恥ずかしい話なんですが、長年にわたって割と頻繁に行われていたようで、私たち職員も気づいてやれなかったのが、悔しいんですが。

ゆう子が心的外傷後ストレス障害になって初めて発覚したんです。中学生の時でした。始まりは小学校の低学年だったようです。その男性職員はもうここにはおりません。ことが明るみに出て、割と大ごとになって、結局、家庭もあったんですが、離婚し、その後どうしてるかはこちらで把握してないですけど。

そんな、辛い過去を背負っている子なんです。どうか、あの子を助けてやってください。お願いします。」

そう、園長先生は深々と頭を下げられた。


僕たちは、アジサイ園を後にした。帰りの車の中ではふたりともあまり言葉を交わすことがなかった。

僕は、紫音は何を考えているんだろう。そういえば、僕は紫音の過去の話をあまり聞いたことがないなぁと、紫音の横顔をまじまじと見ていた。

「ん?何?」

紫音が僕の視線に気づいて、聞いてきた。

「いや、そういえば、俺、紫音の昔の話ってあんまり知らないなぁ。と思ってさ。あ、話したくなかったらいいんだけどね。」

「そうだな、迅にはいずれ話さないとな。でも、今じゃない。」

「そっか、紫音のタイミングでいいよ。俺はいつでも。」

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