全力
「フフフっ。そう怯える必要はない。さぁ好きなように攻撃してみろ」
そう言ってはいるが吸血鬼は一切の反応ができなかった。
頭上に2つ浮かんでいる天使の環。2対の光の翼。顔から掌に至るまで様々なところに発現した紋様。そして先ほどまでとは一線を画す、天使の環や光の翼、紋様と同じ色に仄かに光る眼の色は金になっていた。その姿はまるで、この世には存在しないアレを想起させた。
吸血鬼は完全に震え上がってしまったのだ。数秒、正気を失っていたようだがふと我に返ると吸血鬼はあんぐりと開けていた口を閉じ、常人の目では追えない程の速度で手刀を突き出した。ビルは人差し指と中指でそれを挟んで止めた。
「なかなか強いんじゃない?でもさ...パーじゃチョキには勝てなくない?」
ビルが優しくそう言った次の瞬間、吸血鬼の体は挟んでいたところから黒い炭へと変化していき、やがてそれは全身に回ってしまった。瞬く間に黒い炭は黒い灰へと崩れていき、最終的には黒い灰しか残らなかった。
あとに残された吸血鬼は背を見せて逃げ出そうとしていた。翼も出さずに、ひたすらに走り逃げようとしていた。恐らく先ほどの気配もこの吸血鬼のものだったのだろう。全体的に、未熟。それに向けて、ビルは一つ魔術を放った。
「《
この世のものとは思えないほどの眩しさがつながっている空間全体に満ちた。
「...っと。長々とこの姿ではいられないなぁ」
フッと発現させていたすべてを消すと同時に満ちていた光も失せ、そのままスタスタと歩き元の空き部屋へと戻っていった。
(おそらくあれも生きているすべてじゃないな。ほんの一部だ。まだまだ仕事は続くな...倒しましたと仮に報告してみたら先代勇者は帰るかもしれない...そうなると権力争いからは逃れられるかもしれんが生き残った他の吸血鬼が事件を起こしたときに詰られる...ここは無難に何もなかったとだけ報告しておくか)
ほんの少しだけ、しかも本気と言ってもただその形態を使用しただけで魔術の威力は確かに最小限に留めた。普通に放とうものならこの建物、地区、都市はおろか大陸一つが消えてしまう。
それを使えるということはそれを使う相手がいたということなのだがそれを語るのは途方に暮れるほどに長くなる。それを語るときもいつか、そのタイミングを測るのも野暮なものだが訪れるのかもしれない。
どうやらその形態の反動が屋外に出てしまったらしい。空き部屋から出て通りに出ると人々が騒いでいる。辺りを見回せば空間がひび割れ、その亀裂に巻き込まれたいろいろなものが砕け散っていた。
(反動がそっちに行ったか。全く...この力はこれだから使えないんだ。その一方で使わなければ気が晴れんのだから質が悪い)
ビルが文句を心に押しとどめながら騒ぎ続けている人々の所に寄ると先代勇者がいることに気が付いた。先代勇者は大勢の人々に背を囲まれながらひび割れた空間に目を向けていた。
「ん?ビル君じゃないか。君も気が付いたのかい?」
「ええ。しかし見当たりませんでしたね。吸血鬼かと思ったのですが」
「ボクもそう思っていたんだよ。でもこれの予兆だったらしい」
先代勇者はひび割れを指さしながら言った。
「なんか現着したタイミングで妙な気配がしたんだ。ボクは一瞬気を失って、そのあと気づいた時には全身の震えが止まらなかった...魔王と戦っていてもこんなことは起こらなかった。本当に驚いているよ。そうしたらいきなりこの辺りのいろんなものが空間ごとバキバキってなってね。それで色々と確かめていたんだ」
「空間が割れるのか...」
ビルがそう言ったタイミングで、ひび割れが徐々に塞がり始めた。だが巻き込まれたものは元には戻らなかった。
「人が巻き込まれなかったのが幸いだったね」
「同感です」
「ボクはこの辺りで引き続き色々と捜してみるよ。ビル君はこれまで通りで頼む」
「わかりました」
ビルは元居たところの方向に歩き始めた。道中、狩人のギルドがあったため少し覗いてみると騒々しく狩人たちが集められていた。中にはそこそこ高名なパーティーのメンバーも居たことにビルは驚いた。権力争いの激化はもはやここまで表面化する段階にまでなりつつあるのか、と思い、そそくさとその場を離れていった。
そして数分ほど歩いた時、オリヴィアにばったりと出遇した。
「お?呼べたか?」
「呼べたのですが...その瞬間同じ場所からなにやら神々しい気配を感じまして。気づいた時にはすでに何も感じなくなっていたんです。ビルさんはなにか知っています?」
「ああ。何やら色々起こってたぞ。詳しいことは先代勇者に聞いてくれ。少し俺にはちと説明が難しい」
「そうですか...」
「とにかく今日は特に収穫無し、といったところか?」
「そうですね...私は今夜そのあたりを調べてみます」
「なにかあるかもしれないしな。それでいいと思うぞ。俺は少し用事がある」
「?」
「まぁ気にするな。野暮用というやつさ」
オリヴィアに訝しまれながらもビルはそのままオリヴィアの横を通り抜け、少し狭い路地へと入っていった。それは別の大通りに向かって伸びていて、そこにはいくつもの料理店が軒を連ねていた。
そのうちの一つのそこまで大きくはない料理店へと入っていった。
席の6割ほどが人で埋まっていて、老若男女、1人、家族の区別なくそれぞれが席に座ってワイワイと楽しんでいた。ビルは一つの2人席に腰掛けた。店員が来て、小さい水の入ったコップを置く。そしてメニューを手渡した。
そこまで多くないメニューのうちの一つをビルが指さしながら店員に声をかけると
「代金を先に頂戴いたしますね。40レーンです」
と言った。ビルはちょうどの額を店員に手渡し、その店員は受け取るとすぐに厨房の方へと歩いて行った。
ビルは料理が届くまでの間、頬杖をついてガラス越しに緋色に染まった家々と斜陽を眺めていた。毎日繰り返される、見飽きた光景。だが、何度見れどその美しさは変わらない。人々を労うかのような、美景だ。見ているうちにビルは瞼を閉じ店の喧騒をただ聞くことに専念した。
暫くすると急に店内が静かになり始めた。何事かと頬杖をつくのをやめ店の入り口の方を見ると、2人とも白のスーツに様々な装飾が施された服を着ていて、眼鏡をかけた背の高い金髪の男が横と翡翠色の髪をした少し背の低い男が入店してきていた。2人は何故かなにも話すことはなく、執事の男を連れてビルの座っている席と一個別の席を隔てたところに座った。店内は厨房の音以外聞こえていない。
(ああ。第一皇子と第二皇子か。全くお忙しいことだ)
ビルは彼らの姿を確認するとまた窓の方向を向いて景色を眺め始めた。足音がしてこない。恐らく店員も固まってしまっているのだろう。しばらくしてから足音が聞こえ始めた。
「...遅い」
ふと気になって目を皇子のところへと遣ると睨むような目つきをした金髪の皇子が店員にポツリと文句を漏らしていた。
まあまあ、と翡翠色の髪と柔和な目つきをしている皇子が苦笑しながら宥めた。彼らは早急のうちに料理の注文を終えるとそのまま向かい合って座ったまま黙りこくった。
緊迫しきった雰囲気の中、料理店のドアがカランカランと音を立てて空き、数名の女性の声がした。足音がこちらに近づいてくる。ドアからは2つの通路があるのになぜかこの2件はこちらへと歩いてきた。なんだか凄まじく嫌な予感がしたビルは机に突っ伏して寝たふりをした。
「久しぶりですね。セリアさん
「あ...ご無沙汰しております。第二皇子・ファルガー・フォル・ベルロード様」
「そこまで畏まらなくてもいいよ。僕たちもただ料理店に来ただけだからね。それより...こっちの人に話しかけようとしていた気もするんだけれど...この人はどういう人なのかな?」
(適当こいて誤魔化せ。頼む。巻き込むな。早くしろ料理人。とっととこの場を切り抜け___)
「この人とは少し以前から御縁がありまして。彼は今勇者パーティに所属していてここに来てらっしゃってるのですが...」
(全部言いやがったよ。終わっちまったよ)
「話しかけるのも失礼かな?少し気になるけどあとで話してみようかな」
(ふざけんじゃねー)
そう思ったタイミングだった。料理人がパスタを持ってきて置いた。料理人に体を揺さぶられた。
「おい、揺さぶるなよ...起きざるを得ないだろう...」
「ふふふふ...いいでしょう?別に今は。約束を果たしてこの店に食べに来てくださって感謝していますよ」
「全く...」
「おや、料理人の方ともお知り合いだったのですね」
「少し昔に縁が出来てだな...」
ビルはしばらく、パスタを食える間もなく大勢に囲まれる羽目にあってしまったのだ。
「全く...えらい目に遭わされたよ。本当に...」
結局ビルは興味津々だった第二皇子とだけでなく第一皇子とも喋る羽目になった。少しセリアと知り合った過去を話したところ、第一皇子の目がかなり鋭くなっていた。
(とっとと宿屋見つけて眠ろう。無駄に疲れた...)
次の瞬間、この街のどこか知らないところで小さく爆発音が起こった。
ビルはそれを聞こえなかったことにして爆発音のした方向に向けていた首を前に戻しその場から去ろうとした。
次の瞬間、なにか小さいものにドンっと当たってしまった。それはまだ子供だったがビルのすぐ横を走り去っていった。
次の瞬間、何かに気が付いた。
(財布がねぇ!)
スリだったのだ。ビルはその子供を追いかけて走り出した。その子供との距離はみるみる詰まっていったが突如子供は左へ曲がった。
(...スラム街か?そっちを超えたら森しかないぞ)
ビルはそのままスラム街へと入りくねった道を進んでいった。ビルはスラム街からちょうど出たタイミングでその子供に追いついた。ローブの首の部分を掴んで上に持ち上げた。
「何すんだよ!」
「俺の台詞だ。財布を返せ」
「いいだろ!どうせ大金は別の所にあんだろ!」
「確かにそうだがこの財布は手放せねぇ」
「大金じゃないんじゃないか!財布を選べるだけありがたいと思えよ!」
「すまんが俺はレイみたいな慈善の心なんて持ち合わせちゃいないしフレッドみてぇに人々を助ける心もない。鬼畜生とから盗んだことを悔いるんだな」
「...誰それ?」
「聖女と勇者だ。流石に知らないか?」
「あー!新しい勇者?もしかしてあんた『赫眼の魔術師』ってやつか!?」
「そうだ...とにかく財布を返せ!」
「はい」
宙づりになりながらその子供はおとなしく盗った財布をビルに返した。ビルはそんほ子供を地面に降ろした。
「全く...」
「いやー人は選ぶべきだねー」
アハハと照れながらくすんだ赤色の後ろ髪を掻いた。
「ここは森の近くじゃないか。到底住居があるところに思えないが...」
「ふっふっふ...そう思う?そう思う?だってあっちに秘密基地があるからね!」
「秘密基地?」
「そう!つりーはうす?とかいうやつ!」
「ほぉー...確かにこの辺りは良さそうだな。静かだし何せ生き物が多そうだ」
「いいと思うだろ?でもなぁ...」
「ん?」
「いやー騎士がくるんだよこの辺り。何してるのか知らないんだけどさ。それでいっつも騒がしいんだよ!でもなんか最近来ないんだよなー」
「ああ。その件で少し聞きたいことがあるんだがいいか?」
「ん?いいぜー?さっきやばいことしたからなー」
ビルは吸血鬼の事件の変遷について知っている限りのことを聞いた。
「二か月も前から...協会は把握していたのか?」
「一番早く吸血鬼が原因だって言ってたのは狩人たちだったかも?そんな気がする」
「狩人か...わかった。ありがとう。ええと...」
「あ、名乗ってねぇや。アタシの名前はラファルっていうんだ!」
「そうか。俺の記憶できる限りで覚えておこう。騎士が来ないといいな。じゃあな」
ビルはそう言い残して空に向かって大きく跳躍した。そのまま風魔術を駆使して滑空するように空を飛んでいると街の数か所から煙が上がっているのが見えた。そのうちの数個はいまだ火がついていたのでそこに向けてビルは魔術を放った。
「《さざれ石打つ夜雨》」
その地点に火が消えるぐらいの雨を呼び起こした。そのまま高度を落としながら滑空し元いた地点の真上まで到着すると垂直落下した。スタッと地面に音もなく着地するとスタスタと宿屋の方に向かって歩き始めた。
そのまま宿屋で一泊しているとき、さらなる大惨事に遭うことになるのだが、そのことを眠りに落ちたばかりのビルが悟ることは不可能だった。
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