グレイフォード篇

街に立ち籠める匂い

ビルはそのまま急ぐようなこともせずに歩いて5人を追っていった。途中帰っていく空き馬車に会ってその御者に話を聞き、雪でこれ以上馬車でゆくことができなくなっていたという話を聞いた。そして雪道をトボトボと歩いていく内に雪が降り始めて、より体の体温を奪い始めた。ビルはかつてきていたローブを着てまたゆっくりと進んでいった。

5人に追いついたのは夜も更けて彼らが休憩を取っている頃だった。

「あ、ビルさん。遅かったですね」

「急ぐ用も無かったしな。そっちは無事だったのか?」

「何事も無かったよ。まあ雪が降ってるところに入った時はどうしようか困ったけれども」

焚き火を囲みながらお互いの安否を確認した。既にオリヴィアとカミラは寝袋に入って寝ていた。凍えそうなものだが、恐らくこの結界が有能なのだろう。入る時にも感じたが熱を外に逃さないようにできている。

「でもなんでビルだけ降りてったんだ?確かに俺は寒くて動けやしなかったけどフレッドを止めたのはなんでなんだ?」

「魔王が急襲してくる可能性があったから、だな」

「魔王が!?どうして...」

「勇者の戦闘方式は全力で支援魔術を発動して強力な聖剣を使用する。これには手間がかかる。だからこそ魔王に挑む際はこれらの用意を最大限利用する。そうだろ?」

「うん。合ってる」

「魔王からすればこの時間は自分にとって不都合でしかない。つまり急襲で準備させぬままに殺すことを企んだ可能性があった」

「実際、先々代の勇者と聖女もそのようにして殺されています。全然起こっても可笑しくないことなんです」

「だからこそ俺が残って足止めをする必要があった。馬車への攻撃を察するに遠距離攻撃だったろうから対抗手段を持つ俺は最適って訳だ。だがまあ襲撃してきたのが下っ端で良かったよ。お陰でそこまで消耗せずにここまでこれた」

「お前にとっての下っ端がよく分からねぇんだけど...そーゆーことね」

ゲイルはビルの行動に納得し焚き火に数本の枯れ枝を焚べた。

「少し聞いてもいいか?」

「ん?」

「フレッド達がそれまで戦っていた魔王は氷雪魔王・ガルベリアのことか?」

「はい。ちなみにもとから隠すつもりはありませんでしたよ。話題に出されなかったのでこちらから言う必要はないかと考えてはいましたが」

「使う魔術とかは名前の通りだけなんだけどねぇ...技能スキルの練度がすごく高いんだ。防御にしろ攻撃にしろ...それに相手の部下も強くて魔王に集中しようとすることすら難しくなるんだ」

「氷か。確かに厄介な攻撃だな。持久戦に持ち込むことも厳しいか...まあ対面しないことには相手の実力を測ることなどできようはずもない。今色々と考えるのも無駄かもしれん」

「無鉄砲な...」

「初見の相手にはそうするしかないだろ?魔術師の仕事はその初見をどう攻略するかというところに帰結するワケだしな」

「一応私たちが知っている相手の戦略を共有しておきましょうか」

「頼む」

そうして勇者、聖女、魔術師、盾使いの4人はしばらくの間話し合い、魔王への想定を練っていった。


グレイフォードとは元々大きく横に展開された石造りの壁のことを指していた。この壁はかつてより魔族の侵攻を防ぎとめるためにあった。その壁の内側に出来た街とその壁を総じてグレイフォードと呼ばれるようになった。壁は高さ30mほどであり崩れてしまいかねないか不安にはなるが古代の技術の賜物か、至る所に魔術式が刻まれており壁の強度を向上させ、長い間維持できるようになっている。

その壁に隠された街、グレイフォードではその土地柄のためか、非常に対魔族に対する意識が高い。練兵は勿論のこと、学園の生徒への学習はより戦闘を重視したものとなっている。

その壁の向こう、つまり街の反対側では今魔族が押し寄せている。フレッドらに聞いた話によれば大半が雑魚の魔族や魔獣であり集団で攻撃を浴びせかければ漸く倒せるほどだという。だがその大半に含まれない翼を持つ魔族は倒すのが困難となる。魔術の命中はより困難になり未だ学園を卒業していないもの、或いはまだ新人の魔術師は対処に苦労する。弓使いとて同じことだ。ただの魔族を倒すことでさえ数人が負傷・戦死するのに翼を持つ魔族が現れようものなら街が被害を被ることだってあるほどに厄介な敵らしい。

そして何よりも厄介なのが相手が氷雪魔王の眷属であるために体温が奪われて行動が困難になるというディスアドバンテージが発生しないことだ。氷雪魔王が起こした冷気は生身の人間が活動するのを妨げる。作物がその場で育つのを妨げる。これらが原因となって現在グレイフォードでは戦闘状態が続いている。そのためこの街には絶え間なく支援物資や戦闘員が送られる。今回、フレッド達6人はその一部という訳だ。

「帰ってきたな...」

「帰ってきましたね...」

フレッドのつぶやきにレイが答え、それきり会話はないまま厳つい門をくぐりグレイフォードへと入った。

道で歩いていたときよりもさらに激しく雪が降っており、街の至る所が雪で白くなっている。それでも人の叫び声が止むことはなく、人が担架に乗せられてどこかへと連れて行かれる。雪が降っているのにも関わらず、辺りは血と煙の匂いが立ち籠めていた。辺りの店も閉じてしまっている。明らかに廃墟だと判る建物も多く改めてここが戦争状態なのだとビルは実感した。

「娯楽もとっくに無くなっちまってるみてぇだな...子供はいんのか?」

「今子供は皆避難しているか訓練していますよ」

「なるほどな」

ゲイルとレイが何気なく会話する。ビルは背筋が凍る思いをした。辺りが凄まじく寒かったことにして、何事もなかったように振る舞い始めた。

「配給か」

「前より並ぶ人が減ったんじゃないかしら?」

「避難した、ということであって欲しいですが...」

「?」

再び理解できていないゲイルを放っておいてビルを除いた4人は不安が少し籠もった声で会話を続けていた。配給の列に並ぶ人々がフレッドらに気づくと少しだけ辺りから声が上がる。だが4人はそんなことに気づくこともなくただ壁へと歩んでいく。

50分ほど歩いた頃、ようやく壁にたどりついた。改めてみるとその巨大さに圧倒される。そして正面には明るい色の木と大量の金属の金具で出来た重厚な扉があり、辺りには鎧を着て控えている兵隊の姿があった。それを率いるように前にいる男は頬に大きな刀傷が2つ交差するように刻まれていて黒髪には白髪が数本混じっている。強者を思わせるその姿は重苦しい雰囲気を醸し出していた。その重苦しい雰囲気を破るように、その男は6人の集団の中で後方を歩いていた2人の男に尋ねた。

勇者ボウズの仲間がまた増えたな...あんたら、名は?」

「初対面の男に聞く言葉か?時間も惜しいし名はまたいつか名乗ってやるよ」

「糞餓鬼が...」

「喧嘩腰すぎねぇか?まぁいいや。俺はゲイルってんだ。ゲイル・ノックス。よろしく」

ゲイルがそういいながら手を差し出すもその男は目を閉じてその手を無視し、無愛想に自分の名を名乗った。

「ゲルバー・ドーズだ」

「無駄話してる場合じゃないぞ、2人とも。門が開く」

フレッドが上を見上げて壁の上にいる人間を見ながら言った。。上にいる人は赤い旗を降っている。その情報を門の前で待機している門番4人が共有しあい、それぞれがまた別の人に伝えていく。すると手前の門が開き、奥にあった門はしまったままの状態で、門と門の間に全員が移動する。その状態でゲルバーが声を張り上げた。

「ドーズ隊!よく聞け!我々は勇者のサポートに回る!それぞれの班が一人一人に付き援助せよ!命令はそれだけだ!あとは好きに暴れまわれ!好きなだけ剣を振るうといい!門番、門を閉めろ!」

そう言い切った直後に先程通った手前の門が閉じられる。そして門と門のスペースにいる門番が門を押していく。門から光が差してくる。それと同時に待機していた全員が門から飛び出していった。辺りで戦っていた魔族や魔獣は相手の増援に僅かに怯み、戦士は雄叫びを上げてさらに剣で魔族を斬り裂き槍で魔族を突く。その間にフレッドは別の魔獣の集団に聖剣を上に掲げて突撃し、少し遅れてドーズ隊の者がそこに加わる。レイはまず辺りにいる戦士の近くに寄り、彼らを回復させる。オリヴィアは魔獣に苦戦している一団に加わりその討伐を優先し始めた。カミラはまず壁に張り付いて登ろうとしている魔獣を弓で攻撃している。

「やっべ、遅れた...」

そんなことを言いながらゲイルは一人遅れてさらに別の魔族を倒しにいった。フレッドは6匹ほどの魔獣を倒し終えて勢いそのままにそれより奥にいる魔獣へと標的を切り替えていた。

(俺も動くか)

最もレスポンスが遅れたビルが動こうとしたとき、ビルと勇者は遠方より何かが来るのを察知した。フレッドはその気配に気を取られ剣を振るうのを一瞬だけ止めてしまった。その隙を見逃そうとしない魔獣はダメージを与えるために鋭く長い牙でフレッドを貫こうとした。だがその牙が届くことはなかった。

「《炎矢ブレイズアロー》」

ビルが離れたところから炎矢で貫いて猪のような魔獣の頭を焼き消した。

「ここは任せろ、すぐに片付ける。ドーズ、異論はないよな?」

「ふん...兵士を死なすわけにもいかん。従ってやる。聞けい!全兵士に告ぐ!総員退避!門へと退避せよ!この場は勇者の仲間に託す!」

フレッドだけでなく彼のそばで戦っていたドーズにも声をかけた。どうやらドーズも気配の正体までは分からずとも脅威であることは感じ取ったようだ。苛立ちを隠す素振りを見せることはなかったが兵士をすぐに下がらせた。兵士の一部はそのまま戦闘を続けようとしたため再びビルが魔獣へと炎矢を放ち戦闘を終了させそのまま下がらせる。

(恐らくこの襲撃に付き添って雑魚共コイツらも動くんだろうな。翼持ちもいるし油断はならんな...だがそのためだけにわざわざ勇者たち仲間を割かせる余裕はない...俺が片付けるか)

ビルは現状を察し辺りを囲って機を伺っている魔獣と魔族を警戒しながら攻め入ろうとしている魔獣の討伐を優先した。浮遊術式にて空に舞い上がりそのまま壁の上に立つと辺りの様子が一望できた。夥しい数の魔族やら魔獣やらが控えている。だがさらに奥よりやってきている魔獣と魔族の大群に比べればまだ生易しいレベルである。それを率いてやってきた魔族が勇者の正面に着地した。それに注視しようとビルはバッグから一つの木製の単眼鏡を取り出してその様子を確認した。これはかつてビルが闘技場にでかけて行った際席が遠くよく見えなかったためにさまざまな術式を付与して遠くのものを見ることができるように変えたものだった。余談だが実はこの単眼鏡、度が強すぎて闘技場ではマトモに使えなかったために粗悪品かつ思い出の品としてバッグの奥底にしまっておいたものである。見えた景色はちょうど魔族がフレッドの前に降り立つところからだった。最初に降り立った魔族は彼に続いて地に降り立った魔族より一段と保有する魔素が多い。翼も一対多い姿は一見単なる若男に思えるが明らかに階級の差があることを示していた。

赤黒い虹彩を持つ白髪のその男がなにかフレッドに話しかける。2秒も立たないうちにフレッドが斬りかかった。それと同時に傍に控えていた男型が手に持つ大剣にてその聖剣を受け止めて見せる。そこに辺りに散っていた5人はそれぞれのタイミングで寄っていく。聖剣を受け止めた男は最も先に到着したゲイルが引き継ぎ、レイとオリヴィアが同時に到着したと同時にレイは杖を地に当て周囲の味方に支援魔術を、オリヴィアはフレッドの戦いに加わった。すぐに上空から二刀の魔族がその輪に加わりオリヴィアが両手に持った短剣でその魔族に対処する。勇者のもとにはさらに別の魔族が襲撃していった。カミラは少し遅れて参戦し隙をみて矢を放ちゲイルに加勢した。しばらく其々が戦いを続けると後方を飛んでいた小柄な女型の魔族がおもむろに右手を上に掲げ前へ振った。するとその場で大量に控えていた魔族と魔獣が一斉に壁へと向かう。さらに地面から氷の巨人が何体も現れる。氷魔術人形アイスゴーレムだ。全高は10mほどと圧倒的に巨大である。それらは壁へと向かったりフレッドを攻撃しようとしたりと様々な動きを見せた。潜んでいる勢力がやっと出てきたことを確認するとビルは動じること無く範囲破壊型の闇魔術を放つ。

「《闇引穴ポイント》」

ビルは全く迷うこと無く黒い球を各所に生成する。それらは徐々に上昇していきながら強烈な引力を発する。たちまち辺りの雪や土などは吸い込まれ魔族や魔獣も吸い寄せられる。辺りに居た魔族と魔獣が完全に黒い球に吸い込まれきると同時に黒い球を1点に合成する。

(さて、お返しだ)

追発チェイン魔術、《重砲ヘヴィ・ドライブ》」

凄まじい速さで収縮していた黒い球に亀裂が入り、そこから半透明の紫色のビームが500m近く離れた戦場へと降り注ぐ。フレッドら5人はビルの風魔術によって後方へと瞬時に移動される。ビームは魔族のみに命中し凄まじい音を立てながら地をえぐっていった。

ビルは風魔術を駆使して空を飛びそれぞれ構えているフレッドらのところに並び立つ。しばらくすると新たに出来たトンネルから3名の魔族が姿を現した。

「君の折角の魔術でも倒しきれなかったみたいだね...中々怖かったよ、そこの魔術師は...」

「強がるな!ビルの魔術でだいぶ削れたな、今度こそ倒すぞ!」

「チッ...粋がるなよ、人間風情が!」

氷で作った剣と勇者の聖力が籠められた剣がぶつかり合う。他の魔族も、勇者の仲間もそれを合図に動き始める。だが、魔族が皆弱体化していることは目に見えていた。

ゲイルと戦っていた魔族は全体的に右半身が大きく拉げていた。右腕と右足に至っては無くなっており右目ももう見えていない。絶えず血が口から零れ落ちていて魔素でガードする技も使えていない。ゲイルは其奴の腹に戦斧を叩き込んだ。再生もできず、そのまま地面に仰向けに倒れ込んだ。勇者の側で戦っていた男型の魔族と空を飛んで魔獣や低級魔族を指揮していたと思われる小柄な女型の魔族は姿もなく、オリヴィアと戦っていた魔族も全身に傷を追って服もほぼ無くなった状態でかつ素早さが圧倒的に落ちていた。オリヴィアは容赦なく両手の短剣で身体を斬り裂いていった。完全に倒しきったその時、氷雪魔王・ガルベリアの剣が砕けた。上に振り上げられた聖剣はそのまま振り下ろされ、ガルベリアの身体を右上から左下に向かって斬った。

斬り裂いた瞬間、ガルベリアから膨大な量の氷が放たれた。

「《融熱ヒート》」

ビルは一瞬で氷を溶かしたものの、既にガルベリアのペンダントが紅く光っていて、結界が展開されていた。光が強まると同時にガルベリアの姿はどこにもなかった。

「勝った...?」

「...そのようですね...」

「マジ?マジ!?」

「いや、それは早急かもしれないね」

地面には木の板が突き刺さっていた。フレッドはそれを引き抜いて雪を払い読み上げた。

「えー、『今日は俺の負けだ。認めてやる。だがそう上手く行くと考えるなよ?次は心臓を凍てつかせてやる。容赦はしない』...だって。逃げられたっぽい」

「逃しましたか...」

「こんなものを用意していたのか?中々用意周到な奴だ」

「ひー、何に突っ込めばいいのやら...休みてぇな...」

「本当よ、全く...ビルもまさか闇魔術を使うなんてねぇ...一体なの?」

「さぁな。何色だろうとどうでもいいだろ。結局、使いこなせるやつが強いんだよ」

ゲイルがドサッという音を立てて雪の上に仰向けになる。カミラは膝に手をついてビルに疑問を投げかける。ビルはただ片足に重心をのせて片手で頭に僅かに乗った雪を払おうとして気づいた。

「...雪が止んだ?」

「...本当だ」

「......」

「......」

「......」

「......勝った!勝ちました!」

「やっとだわ...」

「危なかったぜーマジでよぉ...」

オリヴィアが見た目相応に飛び跳ねて喜びゲイルは深い息をついた。

ビルはその場で立ったまま未だ曇っている空を見上げていた。

(フレッドはどこだ?)

ふと、気になったが捜すのは何となくこの場の空気的にやめておこうと思い心に押し留めた。


街に帰っていく途中でフレッドの顔が妙に赤くなっていてレイに話しかけられる度に外方を向いていたことについては、4人とも見て見ぬふりをしていた。



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