喧騒から遠ざかって

結局、あの後70層まで潜っていった。

それまでの階層では階層守護者はいなかったのだが70層からは出現しており挑むのも無謀だろうという判断のもと、撤退することになった。

魔物も強さや戦略などが大幅に変わり始め、初日と比べ明らかに難易度が上がっていたため4日ほどかけて攻略することにした。裏を返せば、この初日こそ調査のチャンスであった、ということだろう。あと1日遅れていれば更に時間は延びていただろう。

迷宮型暴走ダンジョン・スタンピード以前の地図と変化はなく、時間がかかったのはむしろ罠や魔物といったまさしく迷宮遺跡ダンジョンといった攻略の妨害によって時間がかかっていた。

迷宮遺跡ダンジョンは特定の数階層ごとに大きく魔物の種類・戦闘方法・潜み方が変化する。114層はジャングルの中に魔物が隠れるようなこともせずに待ち構えることを主体としていたが60層近くは主に遺跡の中で上下移動が激しくその中に魔物が潜んでおり先制攻撃はかなり控えめであった。

罠にも多数種類があり単に落とし穴や吹き矢であればまだ良いのだが左右の壁が迫り来たり天井が崩落したりといった罠には流石に苦戦した。

そうしたことも相まって、統括者ギルドマスターに勇者が報告しに行っている間、ビルを除く4人は皆長椅子に腰掛け寝たり、深い溜め息をついたりしていた。

明らかに疲労の色が拭いきれていなかった。こればかりは仕方のないことだ。迷宮遺跡は本来こんなに急ピッチでやることではない。攻略はかなり長い間をかけて準備を整えてから向かうものだ。訓練程度で2,3階層まで潜るのとはわけが違うのだ。

「しっかり休みましょう...皆さん...皆さん?」

疲労が出ながらもなんとか笑顔を作って見せて寄ってきた子供と会話をした聖女がそのまま共に長椅子に座る3人に声をかけるも一人として答えようとしない。いや、答えられない。

「重症だな。全員」

「なんでそんなに疲れていないんですか...」

いつもかなり棘のある調子で話すオリヴィアでさえ声に張りはなく呆れるように眺めながら言葉を放ったビルに問うことしか出来なかった。

「もう言ったろ。昔は旅をしてた。それで体力がついただけだぞ。そのうち全員これぐらいは平気になるんじゃないか?」

「大体なんで魔術師がピンピンしてんのよ...レイだって歩けそうにも無いじゃない」

「ん?ああ...まぁ...慣れだ」

「慣れでどうにかなるものとならないものがありますよ、ビルさん...」

「とにかく宿に行きたいです...今すぐに...」

「ほひゃいいはぁ...ふぃー」

「欠伸しながらだと何言ってるかわからないですよ」

このような探索において最も先に体力が尽きやすいのは重い鎧を纏う盾使いでも勇者でもない。また、先だって調査を進める探索者でもない。魔術師なのだ。

魔素とは魔術の要になるものである。それを用いて万物に影響を与える。だがそれは人体にしても同じことが言えるのだ。魔素を多く包含する魔術をメインとする職業ジョブは本人の基礎的な運動能力にも害を与える。主に体力が削がれる。

また魔術を発動する際の魔素の操作も加護があってもなくても意識的にその操作に集中する。これは使用する魔素・魔力の多さ、つまり強大な魔術を使おうとするほどにこの意識は向けられる。これが何に影響を及ぼすのか。

例えるならば右手と左手でそれぞれ母国語と魔術言語を同時に書くようなものである。片方が日常に行えていたとしてももう片方の動作を並列して行おうとするとどちらかが疎かになる。つまり身体操作が魔術の発動中困難になるということだ。それ故に盾騎士は率先してこれらを行う職業ジョブを優先してガードする必要が生じる。またこれらは精神的にも削られる行為であるため体力・精神力共に疲弊しやすいのだ。

訓練した場合を除いて、だが。

「みんな疲れてるなぁ...」

「それはフレッドだって例外じゃあないだろう?」

「まぁね...本音を言うともっとゆっくりしていたいんだけどそうはしてられないみたいだ」

「教会からですか?」

「うん。翌日以降、可及的速やかに、だって。」

「内容は読めますけど...」

「大変ねぇ...」

「また街を移るのか...まぁそれぐらいならいいか」

「今移動の話をしないでくださいよゲイルさん」

「敢えてダイレクトに言わなかったのに...」

「気分が重いですね...」

「だなぁ...」

「...........スマン」

「言い方はどうであれ皆分かっちゃいたんだ。別にいいだろ」

「そうだけど...まぁ明日の昼にここに全員集合で良い?そこから話し合いとかをしたいから」

「「異議なし」」

「それでいいと思います」

「賛成」

「賛成よ」

「よし、今日は解散!終わり!」

それを聞いて勇者含め皆開放された顔をして立ち上がりそれぞれの宿のほうにフラフラと歩いていく。一方ビルは宿に帰る気になれずレヴェンの街の外の道へと歩いていって、川沿いまで来てから茂みにごろりと寝転がった。

王都の喧騒からは遠く離れた、虫の声一つ聞こえない川のせせらぎの音だけが辺りに響き渡る中、青白や赤などの小さな光が無数に煌めいているほんの僅かに青のかかった闇の空を見上げた。

ビルは無心で空に浮かぶ星を見ながら一つ、二つと息を吐いた。この初夏の草はまだまだ深い緑にはなっていない中、草の匂いが鼻をくすぐった。

まだまだ若い頃だった。確か10か12の頃だった時、勇者の英雄譚に心を踊らせた。その心は自分が英雄の境地へと達することができないと悟っても諦めきれずにいた。それは何時しか暴走してただ強い力になることを求めて旅を始めた。

幾度となく魔族と戦った。幾度となく窮地に追いやられては追いやって殺した。

今となって魔族を殺すことに躊躇はない。物語の主人公は、魔族を信用したが余り酷い最期を迎えた。そんな話を何度も聞いていた。

幾度となく人を救った。だがそう思うようには好転しない。かつて牛のような魔物を殺し襲撃されていた馬車を救った。その馬車の中から聞こえてきたのは無駄に声の張った顔や身なりの良い若い貴族の叱責だった。

『殺すまでは必要なかっただろう』『逃してやれなかったのか』『脳のない狩人め』

中には若い女が3人ほど乗っているのが見えた。だからこそそんな愚者を殺せなかった。人が魔族より畏れられる存在であってはならない。だからこそ雑魚の言い分に対するプライドよりも俺は頭を下げた。男は馬車から出て抜刀し俺の頭に刀の切っ先を向けて脅した。

俺はすっかり人のために魔族やら魔物やらと闘う気力を損なった。なぜこんな馬鹿を助けるのだろう?数ある内の数少ない例だろうと、助けた人間から後ろ指を刺され口撃されるのは耐え難かった。自分から動けば損をする。だから頼まれない限り動かない。頼まれれば必ずやる。その律儀さは自分から他人を助ける正義を捨てたはずなのにまるで少年の心の持つ純真な正義を捨てきれていないことの現れのように思えた。それに気付いたのはルクスの2人だけだった。

そんな自分がどうしてこんなところにいて、再び正義の看板に名を連ねようとしているのか。成長していない自分を嘲笑ってビルは声に出さず冷たく笑った。

俺が勇者パーティに入った理由。そんなものは唯一つ。

守りたいものがある強い眼を聖女が持っていたから。

自分が些細なことで折れてしまった夢を、未だに強く持とうとしていたから。愚直なまでに真っ直ぐな目に、抗えなかった。

勇者にあってみても、全く同じ眼をしていた。だからこそ自分はついていくことにきめたのだ。小娘にひっくり返されるような意志ではない、とあの場で証明してみせた。

期待をされているのだ。自分は求められている。批判するやつらじゃない。

迷いはない。俺は俺のやることを遂行していく。

ビルは自分の確固たる意志を確認してから、より騒々しくなっているレヴェンへと戻った。


一夜が明けて。

勇者一行の6名全員は教会へと呼び出されていた。

彼ら以外に誰もいない堂の中、勇者が少し前へ出て、それ以外の5人は皆少し下がったところに控えていた。

勇者の前にいるのはジルフェルク大司教である。

迷宮暴走ダンジョン・スタンピードを解決してくれてありがとう。ここはもう問題ない」

「いえいえ、万が一に控えていただけです。それに解決したのは僕ら全員ではなく新しく加わってくれた2人です」

「形はどうであれ、解決してくれたんだ。素直に礼を受け取ってくれ。それでいきなりで悪いが、ある場所に向かってもらいたい」

「まあ予測は付きますが...聞かせてください」

「...グレイフォードです。向こうの方から救援要請が来ています」

それを聞いたビルとゲイル以外の全員がピクリと反応した。空間が張り詰める。ゲイルは堪らず横に居たビルに耳打ちした。

「...なぁ、グレイフォードっていうと...」

「ああ。今まさに魔族との戦争をやってるとこだ。おそらく俺が加入する前はそこで戦っていたんだろうな」

「...ヤバくねぇか?」

「なんとかするしかないな」

ばっさりと切り捨てるように言ったビルの言葉に顔を歪ませながらゲイルは正面に向き直った。

「...行きます。新しい仲間もいる。今度こそ、倒す」

力の籠もった言葉を勇者が発した。僅かに不安そうではあったが強い決意を表明してみせた。言葉にはしなかったが3人も皆同じような顔をしていた。

「では、私からは以上です。なるべく、早くお願いします。...神のご加護があらんことを」

ジルフェルク大司教は最後にそう呟いてマントを翻して去っていった。

「...今度こそ倒しましょう。そして戦争を終わらせにいきましょう」

「...3度も負けるわけには行かないんだ。やってやる」

後ろを向いて歩いてくる勇者に聖女が声をかけた。僅かに殺気を放っている勇者も短くただ淡々と返した。そのまま堂から出ていこうとした勇者にビルが一声かけた。

「待て」

「...なんだ」

「詳細は知らないが怒りに身を任せるな。そんな殺気を放つようじゃあ幽玄魔王の方が随分マシだ」

「...詳細を知らないくせに止めようとするな」

「ビルさん。先にこの堂から出ていってくれませんか。心を落ち着かせたいので」

「そうしよう。だがその殺気のまま出ようとするなよ」

「お、俺も...」

震え上がっているゲイルを連れて堂を先に出る。

「怖すぎんだろ...アイツら...」

「あれはマズいな。おそらく永くは持たん...」

「ん?どういうことだ?」

「...いや、何でも無い。それよりもあれを民衆に観られる方が悪印象だ。せっかくこの街で上げた評価が台無しになる」

空を見上げれば昨晩の空を同じく雲一つ無い青空だった。小さな子が遊ぶ声も人々が談笑する姿も数多く見える。

「《天涙雨ティア・スコール》」

ビルがボソッと言った言葉と同時に空が曇り、小粒の雨が降り始めた。やがて雨は強くなっていき、声は雨で掻き消されるようになった。人々は慌てて近くの建物に雨宿りを始めた。人が完全に居なくなってから、ビルは小さな風を作って自分の頭上に移動させ雨を弾かせて歩き始めた。


翌日。

「ごめんなさい...冷静じゃなくなっていましたね」

「いや、後からジルフェルク大司教から話を聞いた。そりゃ冷静にもなれなくなる」

「本当にごめんなさいね、突き放すようにしてしまって」

「アレは怖かったぜ...」

馬車に乗りながら6人は会話していた。昨日のあの出来事のあと、暫くしてから頭が冷えたらしい。ビルは一息ついて再び本に目を落とした。

「それは何の本なのかしら?」

「ん?魔術に関する本だが...」

「何時でも学習は欠かさないってか。魔術師は大変だねぇ」

「いや、初級向けの本を添削しているんだが...」

「え?」

「ジルフェルクに頼まれててな。暇があったら毎回やるようにしているんだ」

「大司教さまがですか?」

「ああ。聞こえは若干悪くなるがアイツの小遣い稼ぎというところだな」

「小遣い稼ぎに協力すんのかよ...儲けはどうなんだ?」

「それはアイツに聞いてくれ。詳しいことは知らん」

「知らないんですか...」

「そりゃあそうだろ。本を送ってくる郵便物に金も入ってないのにいちいち収入の話をされたら堪らんからな」

丁度話が終わったタイミングで馬車がゴトンと揺れる。ビルは自分の向いに座っている勇者がその横にいたオリヴィアと話していることに気づいて、またすぐに本に目を落とし、小さなペンで小さく修正の文字を書き込んだ。


6時間後

「かなり冷えてきたな」

「もう冬並みの寒さじゃねーか...グレイフォードはもっと寒くなんのかよ?今でも奇襲されたらマトモに戦うことも出来ないぞ?」

「元々は冷えていなかったのにねぇ...」

「元々?それはどういう...」

「みんな頭を守れ!」

ビルが問おうとした時にフレッドが全員に警戒するよう声をかけた2秒後に馬車が横転しそうなほどの力が右側から伝わり進行方向右側が大きく持ち上がって辺りにあった回復ポーションやら薬やらがビルの側へと滑り落ちる。

(さて...どうするかな。万が一もあるし俺が残ったほうが良いか)

言無しの風魔法で横転しかけた馬車を戻し馬車の後ろから外へと飛び出て敵影を確認する。

「ビル!?一人で闘う気か!?僕も出る!」

「やめておけ!俺は万が一を想定して動く!5人は先に街に接近しておけ!緊急時なら連絡する!」

馬車から顔を出してビルの後を追おうとしたフレッドを押し留めてビルは敵の姿を確認した。

(ほー...雑魚か。万が一ってほどでも無かったか?)

敵の姿は3つ。皆、赤黒い虹彩に白い髪、人間と変わらぬ2本の腕に2本の足、褐色の肌の上に着た黒い服とやけに延びた爪。そして青白い透き通るような翼に頭から生えた角。魔なる種族にして魔なる獣よりも高位存在。魔族だ。男型が2体、長い髪の女形が1体、その無駄に美しい翼で空を飛んでいた。その男型のうちのより服が豪華な方が薄こちらに掌を向けていた。おそらくこの3体の内の統率者なのだろう。残りの男型の魔族は手に槍を持った筋肉質な体つきの上に袖なしの服を羽織っていていつでも統率者を庇えるように立っており女型は鞘に収めたままの刀を携えて統率者の後ろに控えていた。

しばらく睨み合いを続け、速度を上げた馬車が去るまで待ってからビルは一気に身体強化ブーストを使い統率者の元へと跳躍した。そのまま殴りかかろうとした刹那、槍を持った男が割って入り槍を向けてきた。それを見越していたビルは炎を自分のすぐ側に出現させ相手の槍を焼き尽くしながら護衛を焼き尽くしにかかる。すると今度は統率者が控えさせた女から受けた刀を抜きビルへと振り下ろす。ビルはその刀を殴りかかった右手で受け、そのまま浮遊術式で宙に浮きながら下がる。4mほど距離を取ると統率者の男が声を発した。

「へぇ〜やるじゃん。見た目魔術師っぽいけど殴りかかってくるんだ?人間って何考えてるのかな?」

「さぁな。俺にとってみれば侍従に武器持たせてニヤけてる奴の思考の方が訳分からん」

「言うねぇ?オレ結構強いよ?大丈夫?殺しちゃうよぉ?」

「魔王の配下にしては貧弱過ぎるのにそんなことが出来るのか?」

「は?お前今ガルベリア様を侮辱してんの?」

「名も知らん魔王が強いはずがないだろ」

突如数本の氷の槍がそれぞれ時間差でビルに向かって飛んでいった。ビルはそれを自身に貼った結界で受け止めると身体強化の力を活かし瞬時に侍従の後ろへと回り込んだ。女型の魔族は咄嗟に首を後ろに向けたもののそいつが声を発そうとした時には既に翼を付け根からもぎ取られ血を撒き散らしながら地へと落下していた。ビルは翼をもぎ取った直後に再生されないように翼を焼却し、得物を捨てて素手でまっすぐにこちらに突っ込んできていた護衛の男を躱しそのまま護衛の男の側頭部に掌をを当てて、短く詠唱した。

「《炎矢ブレイズアロー》」

あのときの決闘で使われた炎矢とは全く威力が違う炎矢は護衛の男の頭を灰にしつくしてなお効果は継続して、まっすぐに統率者の胸部へと命中した。その瞬間に再びビルは呟いた。

「《火華イグニッション》」

その瞬間に命中した部分は激しい爆発が発生し、そこを守ろうと部分を強化しようとした哀れな統率者は爆炎によって全身を灰すら残らないほどに焼かれて遺言も残せないまま炎の中に消えた。ビルはもうもうと上がる黒煙の中から敵が所持していた刀を左手に持ち、浮遊術式を解除しつつ地で痛みに悶えている燕尾服を着た女型の魔族を見やって呟いた。

「名も知らん三匹の雑魚ども。来世はマシな生き物になれることを祈ろう。《炎纏》」

ビルは右手に拳を作って炎を纏わせて落下する勢いそのままに殴りつけ女型の魔族もろとも落下地点を焼き尽くした。焼けて凹んだその場所に立って馬車が行った方向へと歩き始めた。

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