第二章
デス男の体内時計によるとそろそろ晩御飯だと言う。それまでに着替えるから待って頂戴、と部屋から出されたわたし達はまた暇になってしまったね、と笑った。せっかくだしわたしの本来の目的を果たしに行こうと衣装室に行く、と言うと、兄さんもついでだからとついてきた。
カーディガンの新色は、ピンク色だった。生地はやっぱり良くないけれど、よく見たらピンクに赤の糸が織り込まれているようで、一色じゃない分素晴らしい。兄さんに「お前は本当にカーディガン好きだよな」なんて感心したように言われたので、カーディガンの良さを布教していると、すぐに晩御飯の鐘が鳴った。今日のデス男の体内時計は絶好調だったようだ。
食堂に行くと、デス男が佐藤さんに服を見せびらかしていた。カワイイでしょ、なんてくるりと回るデス男は、わたしから見ても、やっぱり可愛かった。
「お、おお、助けてくれ」
「やぁん佐藤ちゃんっ。カワイくないって言うの?アタシ泣いちゃう」
ええん、と泣きまねをするデス男は、どこか楽しそうだ。白とピンクが半々な服が多いなと思っていたので、今回はピンクを基調に白はあくまでポイントで入れる感じにしてみた。というか、土台がそうだったので、そうなった。パニエを下に履いたら、ふわっとしたシルエットになってとても可愛らしく感じる。
「イッちゃん、兄さん。ありがとねっ、アタシのために。それに、このさくらんぼのワンポイントは、イッちゃんがつけてくれたのかしら?」
胸元にあしらわれた、さくらんぼのリボンのワンポイント。なぜか目を惹かれて、兄さんに熱意をもってオススメしてしまった。リボンは複数の候補が出たアクセサリの一つではあったが、お前がそこまで言うんなら、とさくらんぼのものにしてしまった。理由は分からないが、デス男には絶対これだ、と自信をもってオススメできた。
「そう……どうかな?」
「もっちろん最高よ! 覚えててくれたのね、イッちゃん」
「え?」
なんの話だろう、と聞き返す暇もなく、佐藤さんから席に座るように促される。その場で聞くのもはばかられたし、その場はラッキーの眼鏡の話で信じられないくらいに盛り上がったので、わたしの性格では聞くこともできずじまいだった。
晩御飯も終わって、シャワー室に向かう。パープルしか居ないここで性別で分けるのも野暮だが、機能差を加味してここではとりあえず身体の性でシャワー室を二つに分けることにしている。これはお手洗いなども同じことがいえる。同じ機能を持つもの同士が同じ時間に施設を使うのを特に気にするような人は、ラッキーを除いて居ないが、できる限り静寂を求めるシイとは、一応被らないように事前にチェック済だ。ラッキーはあまり人と入りたがらない性格であるため、デス男とコミュニケーションを取ってちゃんと使用時間を分けている。とはいえ更衣から着衣までは個室内で済むのだが、そこは個人の感覚の違いだ。
わたしの後にシイが入る、ということに今日はひとまずなったが、兄さんとトウとは食事後会えなかった。ので、もしかしたら居るかもなあ、なんて思いつつシャワー室の女性の方に入ろうとすると、中から話し声が聞こえた。やっぱり、兄さんとトウだ。
「いや、あれだろ。リラックス効果も含んでるんだろ多分」
「それにしてもやはり非効率だよ。やはりこう、さっと入ってさっと出る、そんな人が居てもいいと思うんだよ、身体だけ綺麗になればそれでいいじゃないか全く! そんなものがあればいいのに……いや! それを作り出すのが私の役目かなるほど! というわけですまない兄さん私はやることが」
「行かせんぞ!」
ドライヤーでもしているのだろう、騒がしい声が聞こえる。ドライヤーと話し声だけでない、暴れるのをそれを阻止するような音も聞こえて騒がしいどころかとても、なんというか、うるさい。
「離せ兄さ……おっと、イッちゃん?」
ちら、と中の様子を見たわたしを即座に捉えたのはトウだった。やっほー、と手を振られたので返す。トウは普段のオーバーサイズの白衣を部屋に置いてきたのか、白シャツにスカートのシンプルな姿になっている。服のカジュアルさで言えばわたしとラッキーがいい勝負になると思っていたが、トウも白衣さえ脱げば意外と、トップレベルでカジュアルなのかもしれない。兄さんよりも少し明るく、少し明るめな黒色は水に濡れてぺったりとしている。
「おお、イッちゃん。入るのか?」
兄さんはパジャマにしているらしい白色のTシャツと黒色の短パンを着ていた。いつも綺麗に七三分けにしている髪はまだ濡れていて、肩にタオルをかけていた。
「うん。そのつもりだけど……いい?」
「まだ僕も髪乾かすし、騒がしくなるけど、それでも良ければ」
五室あるシャワー室の内、一号室と二号室を指さして、兄さんは続けた。
「今日は僕らあそこ使ったから」
「じゃあ、三号室に行くね」
そう言ってタオルなどを取るためにラックに行こうとすると、トウが呼び止めてきた。
「ああっ待ってくれイッちゃん! 兄さん、いいのかい? わざわざ私のところに来て、相談するなんてあんな珍しいことがあったのに、本人を目の前にして言わないのはどうなのかなあなんて思うのだけれど、その辺りどうだい兄さん?」
「なっに言ってんだ!
……でも、そうだな……。イッちゃん、デス男にさ、服の感想聞きに行かね? 結局あんま聞けなかったしさ」
その言葉の裏には、きっとわたしの思いを汲み取った真意がある。それに気づいて、
「うん」
と返すと、兄さんは微笑んで、
「じゃあまた、部屋行くな」
と言った。頷いて、三号室に入ったあとも喋り声は聞こえる。残念ながらシャワー室は(というよりシャワー室も)防音なんてないので完全に筒抜けだ。入るまでは完全に無音の空間なので、二人の会話に耳を傾けてみる。
「全く君は素直じゃないねえ、本当の兄さんのように面倒見がいいのにね? ああもちろん本当の兄なんて存在私達には居ないし見たこともないがこれは私の経験則という話ではなくて一般的な書物からの感想だからね」
「はぁそりゃどうも。面倒見なきゃ部屋に籠るようななぁ、人も居るからな。僕が面倒見てやんなきゃ」
「おおっと返ってきた。その節は本当にいつもありがとうございますって感じだねえ。だけどあんまり無理するんじゃないよ、本当はこちら側に入るのも躊躇するんだろう? はは、そういう意味では私達、ここに住めて、さっさと生涯を終えることができて幸せなのかもね」
「……そう、なのかもな」
その後の会話は、水の音に閉じられて上手く聞き取ることができなかった。
シイにシャワー室から出たことを図書館まで伝えに行って、部屋に戻る。さすがに私もパジャマまでカーディガンにするつもりはなく、いつも適当なスウェットを着ている。あら今日は緑なのね、と言われるくらいに、わたしのカーディガンもスウェットもカラーバリエーションを無駄に増やしてしまった。
個室から出たときには兄さんもトウも居なかったので、約束も加味してさっさと部屋に戻る。本棚には図書館から借りてきた本が一冊だけあって、その他は全て物置と化している。その中にはみぃから貰ったぬいぐるみを始めとして、色々な人からのもらい物が陳列されている。本を手に取って、少しでも読み進めておく。この本は少し前にラッキーからオススメされたもので、恋愛小説なんだそうだ。というか、ラッキーが読む小説は九割が恋愛小説だ。ラッキーは飽きないのだろうか。
一ページめくったところで、ノックの音がする。早いな、なんて思って本を閉じては、来客を迎えるために本を閉じた。また今日も主人公のトオルは、部活の先輩のアイカへの恋愛感情を自覚できなかった。というより自覚することを避けているだけなのだが、これがまたもどかしいのだ。先輩にはボクなんか不釣り合いですよ、と部活の同輩であるリノに語るシーンなんかはもどかしかった。わたしがリノの立場だとしたら、トオルにどんな言葉をかけるかな、と考えて首を横に振った。考えるだけ無粋だ。
ドアを開けると兄さんが居た。朝と違って前髪もそのままにしていて、寝る前感が強い兄さんだったけれど、目は冴えている様子だった。兄さんは夜でも朝でも全く眠そうな素振りを見せない。
「よっ。デス男のとこ、行こうぜ」
そう言われたので、
「うん」
とだけ返して、わたし達はデス男のところへ向かった。
デス男はノックするとすぐに出てきた。服に無頓着なわたし達とは違い、可愛らしいパジャマを着ている。デカデカと印字された『mountain』の文字を囲うようにデフォルメ化された山が描かれており、ゆるっとした可愛さだ。デス男はわたし達の姿を見ると嬉しそうに笑った。
「あら! ちょうどよかったわ。アンタ達に会いに行こうかなぁなんて思ってたのよ」
ちらっと見えた部屋の中のハンガーの、一番目立つ位置にわたし達の作った服がかけられていた。少ししか着ていないから洗濯するまでもない、という感じなのだろう。今日着ていた服は洗濯室に持っていったのか、見当たらない。わたしも後で行かなくちゃな。
「それで、何か用事? 立ち話もなんだし、中に入って話しましょ?」
「いいのか? ちょっとした世間話程度なんだけどさ」
「いいわよいいわよ、アタシも暇だったとこだし」
デス男の誘いを断る理由も見つからず、逆にデス男と話せてうれしいくらいだったので、兄さんと目線を合わせて、わたし達は中に入れてもらった。
わたし達の部屋は特に差異はないが、皆好きに飾り付けている。デス男の部屋は服に溢れていて、ピンクを好んでいることもあってわたし達の中で一番色鮮やかな私室になっている。ただし部屋は質素だしコンクリート打ちっぱなしなので、本当に気休めくらいだ。この施設の中でコンクリート以外の素材が床や壁に使われているのはシャワー室くらいなので、もう見慣れたものだが。
「はぁー……しかし、お前の部屋はなんかやっぱ明るいよな。僕も何かスーツ以外部屋にかけてみるか……」
「あら、ロリータ」
「僕には似合わないよ」
デス男が言いきらないうちにさっと断る兄さんにデス男が口をとがらせるのももはや恒例だ。
「兄さん、カーディガンは?」
せっかくだしとわたし一押しのカーディガンを勧めてみると、兄さんはデス男の言葉よりも悩む様子を見せた。
「ああ……ありだな。黒のカーディガンとかないか?」
「本末転倒じゃないかしら?」
デス男の突っ込みが的を得すぎてクスリと笑うと、兄さんも確かに、と笑った。ファッションの話をしている時のデス男は普段よりも楽しそうで、デス男が少しだけ持っていた悲壮感を感じさせない。しょんぼりしているデス男はわたしもあまり見たくないので、嬉しいななんて思っていると、兄さんが本題を切り出した。
「それでさ、その、僕らが作った服、どうだったかなと思って。特にリボンの部分、晩御飯の時になんか言いかけてただろ?」
そう言われたデス男は、ああ、とわたし達が作った服の方を見た。視界に入った瞬間嬉しそうに笑う姿に、こちらまで嬉しくなる。
「ああっ、それね。そう、ホントに嬉しかったのよ! アタシがここを去る日には、これを着ていこうかな、なんて思うくらいにね」
デス男は確かに嬉しそうだったけれど、悲壮感を感じさせないだけで、やっぱりタイムリミットを意識しているのが分かる。ファッションの話題になったら一時的に忘れられるけれど、ほんの少し、気休めになっているだけなのかもしれない。兄さんもそれを感じ取ったようで、いつもより眉が下がり気味だった。デス男がこんな風になったのは、時間が迫っているのもあるのだろうが、九号室に居たインが居なくなったことが一番の要因な気がする。
インは大変にスタイルが良かった。シャワー室でインと出くわした兄さんが真っ赤な顔で出てきたときには笑ってしまった。職員である浮気性で美人に惹かれる、逆に美人にしか惹かれない鈴木さんがメロメロになっていたくらいだ。「アイツがオンナを好きになるタチじゃなきゃ、俺、絶対アイツのこと嫁さんにしてたって!」とわたし達に熱弁していたくらいだ。とはいえわたし達は恋愛感情を持たない人や流動的な人がほとんどなので、特に兄さんに対して熱く語っていた。兄さんは最初こそまともに相手していなかったものの、ある日を境に、急に賛同するようになった。何が起きたかは、誰も知らない。プライベートなことなので、別に知りたいとも思わないけれど。
そんなインは今生きていれば十九歳。ちょうど去年にここを去った。行く先は知らされていないが、きっと生きては帰れないだろうというのが、わたし達の共通認識としてある。それこそシイが言っていた推察は信憑性が高い。資料を辿ると、わたし達が住む国の隣に内戦が絶えない「バロッパー」という国があるらしい。この国の財源がどこから生まれているのかも不明瞭であることから、わたし達の身柄をその国に売って生計を立てている説が濃厚だ、という推察は、わたし達を信じさせるのに十分な説得力があった。それでも最後まで自分らしく生きたらいいじゃない、とその時のデス男は言っていたけれど、いざ知り合いが行った姿を目の当たりにすると、やっぱり怖くなってしまったのだろう。来年はわたしと兄さんの番だけれど、わたしがその立場になったら、わたしが、兄さんがどうなるかは全く分からない。
「な、イッちゃん」
そんな風に考えている内に、話が弾んでいたようで、兄さんがわたしの方を見た。慌ててうん、と返すも、デス男はあははっ、と軽快に笑って、
「何考えてたの?」
と言ってきた。そんなに分かりやすいだろうか……。
「なんでもないよ。明日の晩御飯なんだろうな、って」
ここでインの話をすると多方面が悲しみそうなので適当なことを言って誤魔化す。二人とも察しが良い方なので普段ならこんな嘘はすぐバレてしまうのだが、雰囲気の問題もあったのだろう、生姜焼きだぞ、と言われただけで話が終わった。正直、助かった。
「それで、なんの話してたの?」
わたしがそう言うと、デス男が微笑んだ。
「アタシの、今後の話よ。アタシはそろそろ、本当にそろそろ時間なの。東堂ちゃんに聞いたら、あと四ヶ月で去らなきゃいけないんだって。だからそれまで、めいっぱい人生を堪能しなきゃね、なーんて」
悲しげに微笑むデス男は、ここを去る前のインとは印象がまた違っていた。インは自信満々で去っていったし、全く悲しそうじゃなかった。むしろ自らの美貌を磨くことに最後まで余念がなかった。
「……四ヶ月?」
ふと先程のデス男の話が気になり、尋ねてみる。兄さんがらしい、と頷いた。
「本当に聞いていなかったんだな……」
「それもイッちゃんの美点よ? 東堂ちゃんに言われちゃったのよねぇ、あと四ヶ月で退去だー、って」
あはは、と笑うデス男は、兄さんとの会話の中で吹っ切れたのだろうか、先程よりも悲しそうじゃない。
「……デス男」
「うん、なぁに?」
そんなデス男にわたしから言うこともあまり無かったが、今のデス男だから伝えたいことがあった。インからの受け売りだけれど。
「『ワタクシは最後までワタクシでありつづけるわ』」
そう言ったわたしは、インの癖を模倣して髪をかきあげる。デス男と兄さんは一瞬驚いたが、すぐに懐かしそうな目を見せた。
「そうね。アタシも、インちゃんみたいに、元気に行くわよーっ!」
おーっ、と笑うデス男の勢いに、わたし達もつられて腕を上げた。
「それで! そう、イッちゃんがまた向こうに行く前に、アタシからイッちゃんにお礼。イッちゃん、ありがとね。あの服のリボン」
デス男が、パン、と手を叩いてわたしを見る。そうだ、それに疑問と引っかかりを覚えてやってきたんだ。わたしがリボンを見ていると、デス男がピンときていないことを察したのか、言葉を繋げた。
「アタシがさくらんぼ好きなの、覚えててくれて。ありがとね」
それを聞いて、思い出した。そういえば、みぃとデス男に装飾を選べを言われたとき、わたしはさくらんぼを選んで、デス男がとても喜んでいたな。それをわたしは潜在的に覚えていて、それであんなにさくらんぼを推したのか。
わたし達の生活は、空虚の中で進んでいく。だからこそ忘れることも多くて、一日一日を大事に過ごせていないような気がしていた。タイムリミットはあるけれど、大切なものがあまりないが故に、わたし達はどこか死を探しているような生活を送ってしまっている。けれど、その空虚の中にも、皆との思い出が潜在的にあるのだと思うと、この日々も何か意味があるのだと、嬉しくなった。
「……うん。喜んでくれて嬉しい」
わたしが笑ってそう言うと、デス男も笑って、手を繋いでぶんぶんと振ってきた。
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