第一章
ある日の昼下がり(窓は無いので、推察になるが、昼御飯食べたので恐らく昼下がり)。わたしは暇を持て余して、食堂から続く多目的エリアをウロウロしていた。ここにはシイがずっと居る図書館やデス男が一週間に一回くらい居る衣装室、シャワー室など生活に必要なものから娯楽室まで、様々な設備が整っている。図書館に行く気にもなれないし、かといってゲーム室でゲームをしようとも思えない。何をしようかと悩んでいたその時、兄さんが衣装室から出てくるのを見つけた。それを珍しく思って、声をかけに行った。兄さんは普段スーツばかりの人間なので、衣装室に行く理由というのは大体サイズが変わったからだとか、落ちない汚れが付いたスーツを洗いに来ただとか、そんな理由だ。
「兄さん?」
そう声をかけると、兄さんは驚いたようにこちらを見た。
「あー……イッちゃん。よっす」
手をヒラ、と上げて兄さんは挨拶する。恐らく兄さんの癖だ。
「珍しいね」
「ん? ああ……はは、そうかもな。
まあ、隠すほどのことでもないな。実は、デス男にいい服あっかなぁって、見に来てたんだ。アイツ最近服見に来てないだろ? やっぱ応えてんのかなって、思ってさ。タイムリミット」
兄さんはちら、と個室の方を見る。今日は、必要なとき以外デス男が部屋から出てこない。交流を楽しむデス男にしては珍しい傾向だ。それとなく兄さんが聞いたときは、「ラッキーちゃんに教えてもらった恋愛小説が面白くって」と笑っていたが、真意は定かではない。
「それで、あったの?」
そう言うと、兄さんは指で小さなバツを作った。
「いや……やっぱ僕は、あんまファッションとか分かんなくってさ。イッちゃん、ファッションとか分かる?」
「分からないけど」
わたしは兄さんの横をすり抜けて、衣装室に入る。久々に足を踏み入れた衣装室は、昔とあまり変わっていなくて、少し安心する。横幅的にはそこまで広くないのだが、奥行きはかなりある空間。いわば廊下のような仕様になっていて、ハンガーラックが向かい合うように壁に沿って二対ずつ設置されている。最後に踏み入れたのは本当に、多分、一年前とかなので、ここの人がそこまでファッションに興味がないことが、本当に分かる。わたしはカーディガンをたまに漁るくらいだし、兄さんもスーツをずっと着ているからスーツのところだけしか見ない。そういえば三号室のみぃが居た頃には、デス男とファッションの話題で盛り上がっていたな、と思う。しいて言えばシイが一瞬「森ガール」について興味を持っていたが、本当に一瞬で、デス男とみぃが悲しんでいた。そのみぃと一番仲が良かったのは、わたしだった、と思っている。だから、
「みぃからの知識の受け売りなら、話せるよ」
と兄さんの方を振り返ると、兄さんは驚いたようにこちらを見て、
「……そうだな。そっか……」
と笑って、こちらに歩いてきた。
みぃは三号室の住人で、この前まで三号室に住んでいたものの、取り壊しの影響で別のところに移された人だ。当時五歳、フリフリの服が好きな子で、特に黄色を好んでいた。髪をツインテールにしていて、デス男の髪もそれに惹かれたところはあると思う。薄めの茶髪はラッキーに似ていたかな。
「みぃいわく、デス男はピンクが好きなんだって」
「だろうな」
兄さんと共にロリータファッションが多くある場所の近くに行くさながら、デス男の好みについて話す。デス男はわりと自らの好みを全面に出すため、特に議論する間もなく話が進んでしまった。
「でもさ。ピンクっつっても色々あるわけで。フリフリって言っても色々あって、さてどうしようってなった後に、何も浮かばなくなってさ」
兄さんが困ったように見るその先には、兄さんが抜き出したのだろうか、目がピンクに染まりそうなくらいにピンクの服がずらりと並んでいた。全てサイズ感も違って、きっと兄さんはピンクを抜き出して満足したのだろうと感じさせた。というより、ピンクを抜き出して、悩んで、そのまま出てきた感じか。
「……あの、とりあえず、サイズ感、デス男のサイズ感で抜き出さない?」
そう言うと、兄さんははっとした顔で私を見た。
「……そうだわ」
この時わたしは、兄さんのことを初めて、バカだと思った。
抜き出していくと、デス男のサイズ感に合うものはとても少なかった。そもそもデス男のサイズに合うものは本人が部屋に持っていっているというものあるとは思うが、それにしても少なく、結局二着しか残らずじまいだった。しかもなんというか、わたしから見てもわかるくらいにあまり可愛くない。
当然と言えば当然なのだが、服はわたし達に合わせるのではなく、いわゆる普通の人達に合わせて作られている。このような服は恐らく外では女性が多く身に着けることもあり、女性の体格に合わせて作られているからか、男性の身体の中でもガタイの良いデス男に合う服があまり作られていないのだろう。兄さんやわたしが着ればピッタリだろうなと思えるような服が多かったのも納得できる。
「はぁー……これ、どっちがデス男の好みなんだろうな? なんか普段デス男が着てるような、ふわふわ、フリフリって感じのじゃないけど、どっちも」
兄さんが首をかしげながら、二つの服を手に取る。細部までじっくりと無言で見つめて、納得のいく結論は出なかったみたいだ。そっと首を振った。
「あー、こういう時みぃが居てくれたらな……。僕じゃわかんないよ……」
服をハンガーラックに戻して、しゃがんで頭を抱える兄さんを横目に、わたしは二つの服を見る。どちらもなんだかのっぺりとしていて、脳内でデス男が着ている風景を思い浮かべるも、やっぱりどちらも合わない。それが装飾の足りなさからくることに気づくのに、そう時間はかからなかった。
「この服、装飾が少なすぎる、んだと思う」
その言葉を聞いた兄さんは顔を上げて、二つの服を見る。そしてサイズが小さいほうの服(わたしと兄さん的にはピッタリだ)を見ると、ほう、と感激したようにわたしを見た。
「その通りっぽいな……。でも、そう考えるとデス男の服ってすごいよな。バリエーションあるし、装飾もしっかりあって……。どこで仕入れてきてんだろ? いや、ここでしかないんだろうけど、さ」
兄さんがそう言っているのを見て、ふと、わたしは思い出した。まだみぃが居た時代、みぃとデス男の会話を。
みぃはまだ四歳だったが、環境のせいでもあるのだろうか、シイほどではないけれど大人びていた。そもそもこの施設の人は精神的な成長速度がかなり早いのでみぃも例外に漏れずという感じだ。原初、パープルだからそうなのだとも疑われていたが、そんなことは無く、個人の気質によるものだと認識された。実際のところ、こんなところに閉じ込められて人格否定されたらそうなるだろう、というのがわたしの解釈だけれど。みぃはファッションに興味が強く、その中でも特に裁縫、服飾に強く関心を示していたみぃは、わたし達の誰よりも、それこそデス男よりも、衣装室に籠って暮らしていた。わたしが職員さんから教えられたカーディガンの新色入荷にふと興味を持って時々衣装室に行くときも、みぃは必ず衣装室に居て、わたしを出迎えてくれた。あの日もそんな日で、何気ない、暇な一日だった。
「それで、どうすればいいの? アタシあんまりお裁縫できないわよ?」
「ならわたしが教えたげる! デス男はどんなお洋服が好き?」
そんな話声が遠くから聞こえて、楽しそうだな、と二人の元へ歩いていく。足音で気付かれたのか、二人は手を振ってわたしを歓迎してくれた。
「イッちゃんだ! どうしたの? もしかして、イッちゃんもようやく気づいてくれたの?ロリータファッションの良さに……!」
みぃはわたしの手を取って、目を輝かせる。そんなみぃに申し訳ないなと思いつつ、興味がないものはないので、わたしは静かに首を振った。
「ええっ、残念……。イッちゃん、ぜーったい似合うよ?」
「ごめん」
それだけ言うと、みぃは本当に残念そうに声を上げた。デス男はそのやり取りを微笑ましそうに見ている。
「ああっ、それでそれでね、イッちゃんにも意見聞いてみようよ! ねっ、デス男!」
「いいわね、イッちゃん、ちょっと協力してくれる?」
そう言われるとやっぱり弱くて、うなずくと、デス男とみぃはとても嬉しそうに笑った。みぃはデス男を連れてロリータファッションのハンガーラックを巡って、たびたびデス男に服を取ってもらっている。ハンガーラックは、わたしでちょうど良いくらいの高さなので、まだ五歳のみぃには少々……いや、だいぶ高いのだろう。逆にデス男にはだいぶ小さそうだ。わたし達は定期的にチェッカーに浸されることはあるがその他の身体検査は全く受けないので、各個人の身長なんて知る由もないが、多分、デス男の身長は180をゆうに超えている。それ以上あると言われても、疑う要素は全くない。戻ってきたデス男の手にはデス男サイズでもなければみぃサイズでもない服があった。
「……わたしは、着ないよ」
そう言うと、みぃは笑って、
「無理には、着せないよっ」
と言った。
「でも、デス男もみぃもサイズ的に合わないよね」
「そう! だから、この辺りの服から装飾だけをもらうの! それで、残った布はわたしが貰ってぬいぐるみを作って……」
「ああ、あのぬいぐるみ達の布ってそこから出てたんだ。シイが不思議がってたよ」
わたし達の欲しいものの要望は通りやすいけれど、品質は悪い方だ。外で作られたものの中から粗悪品が選ばれているんだろう、とラッキーが推察していた。恐らくその中でもわたし達の住むモリオン隔離施設に流れてくるものは良いものが多くて、それは人数が少なくて趣味嗜好もわかれがちなわたし達だからこそだろう、とシイが推察していた。シイが元居た場所は人数の多いところだったそうで、シイは本にしか興味がなかったが、そこでも少し質のいいものがあればそれを巡って喧嘩が起きていたという。だからこそ、要らなくて、品質の良いものはわたし達に流れてきがちだ。
その中でも布は品質が良かったから、シイが不思議がっていたのだろう。布単体でなくて服から出ていると分かれば、納得だ。
「それでねイッちゃん、フリルをここから持ってきて、このリボンをこっちにつけるとこまではいいんだけど、そこからが決まんなくってね。どうしましょ……」
……そこから、わたしは何て言ったっけ。確かあの後、お礼にってみぃからピンクベースの白色水玉柄のぬいぐるみを貰ったことは、記憶しているし……そのぬいぐるみは、未だ部屋にあるのだけれど……。
「……イッちゃん? イッちゃーん?」
その声に呼び覚まされて過去から戻ってくると、兄さんがわたしの顔を覗きこんでいた。わたしが微かに反応を示すと、それに気づき、兄さんがふ、と微笑んだ。
「ん、良かった。はは、イッちゃんは集中したら戻ってこなくなるよな。何考えてたんだ?」
どれくらい考えていたのか分からないが、考える前と同じ体勢を取っていた兄さんが立ち上がった拍子に少しふらついていたところから、もしかしたら長い間座っていたのかもしれない。兄さんのことだから無意味に座っていたりはしないだろうし、もしかしたらわたしの顔色や体調を窺ってくれていたのかもしれないな、なんて考えて、なんだか少し申し訳なくなった。
「……兄さん。兄さんのかき集めた服、意味があったかもしれないよ」
兄さんの問いかけにはそれだけ返して、わたしは先ほどの二着の隣に避けたピンク色の服を見た。
「思い出してたの。みぃと、デス男と話した時のこと。
あの時みぃは、デス男の服を作るのに、他の服から装飾をかき集めてる、って言ってた。……わたし達も、やってみない?」
そう言いながら手に取った服は、偶然にも装飾がたくさんついていて、兄さんはなるほど、と頷いた。
「それなら、土台はこっちがいいだろうな」
と、比較的装飾がつけやすそうな方をハンガーラックの端っこにかけた兄さんは、こちらに来て、良い装飾を選び始めた。
大体のデザインが決まって、二人で裁縫を始める。裁縫セットは二人分が奥にあった。デス男が普段から使っているのだろう、一人分は使用した歴があったが、もう一人分は長年使用されていないようで、少し埃をかぶっていた。残念ながらわたしは手先が器用ではないので、兄さんにデス男が使っている方を使ってもらい、わたしはみぃの方を使う。デス男の方の針を曲げてしまったら、本当に示しがつかない。
「なあ」
その言葉で、現実に戻る。集中してしまって、中盤まで一切喋らずにきてしまった。兄さんも喋らなかったから、わたしの気質もあってこの部屋はとんでもなく静かだっただろう。何時間経ったのだろうか。晩御飯の鐘は鳴っていないから、とりあえず七時間は経っていないことだけは分かる。基本時計はなくて、わたし達の生活の時間基準は御飯の時間で回っている。だから体内時計が重要になってくるのだが、没頭しがちなわたしやシイ、それからトウは機能しないしデス男もたいがい適当なので兄さんしか体内時計の機能者が居ない。その兄さんが没頭していた、と思われるので、いつ晩御飯の鐘が鳴るかは今日のところは全く分からない。
「なに」
そういえばこの前……、と、また思考に集中しかけたので、兄さんの声に意識を戻す。
「みぃはどうなったんだろうな」
それを聞いて、兄さんの方をちら、と見る。兄さんの瞳は裁縫に集中していて、その先には器用に装飾品を付ける華奢な手がすいすいと動いていた。
「幸せかな、今。好きな服を着られているかな。みぃらしく過ごせているかな」
そう言いながらも手は止めない。目先のことに集中しながらも、兄さんの目はもっと遠くを見つめている。
「心配だな。シイの昔居たとこだって、どちらかって言えば矯正施設みたいな感じだったんだろ? みぃの着たい服を……やりたいことを、やれていればいいな」
シイが元々、五歳まで居た場所。アレキサンド隔離施設は、かなり厳しかったところらしい。シイは好きな人を男性で固定されるように、毎日毎日男性と会わされたり、カウンセリングでずっと価値観を揺らがされたりしていたらしい。もしそこよりもひどい目にあっていたら、みぃはどうなってしまうのだろう。
「……寂しくなったよね」
「……ああ」
そんなしんみりとした雰囲気の中で、服を作り終えたわたし達は、デス男の元を訪ねた。デス男はとても喜んでくれて、兄さんと共になんだかうれしくなった。
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