編集中

 暗い画面の自分と相談するように口を開く。


「警察か?」


 スマホを取り出す。通報の仕方を思い出す間の時間に、幾つものイメージが脳裏に浮かぶ。ガザギナが軽蔑するテレビや新聞、週刊誌に彼自身の顔が載っている。静かにスマホを握った手を下ろす。ぽた、と零れた涙がズボンに落ちる。


 涙を拭う。どれだけ拭っても涙は止まらないまま、手が雑巾のように濡れる。止めるのを諦めて、涙は流れるままに放っておく。

 スマホの地図アプリを開いて、近所の山を探し始める。ホラーやドッキリの類を配信した記憶がある。人気の無い場所に心当たりはあった。


「隠すか」 


 冷たい涙と裏腹に息が熱くなる。心臓が生き返ったように脈打つのを感じる。


「そうだ。こんなことあっちゃならねぇ」


 ガザギナは立ち上がり倒れた女を見下した。


「人を殺した程度の、この程度の逆境で。人気配信者のガザギナ ガロウが終わっちゃならねぇ!」


 涙で目は潤んだままだが、その奥に強い決意がみなぎる。ガザギナは倒れた女と対面する。むせかえるような血の匂いが彼を迎える。ガザギナは鼻から深く息を吸い、死体遺棄を開始する。必要な道具を広い自宅からかき集める。


「買っといてよかったなぁ」


 キャンプ動画で使ったブルーシートで肢体を包む。長く放置されていたそれは埃で汚れていたが不都合はなかった。


 青い袋になった肢体を担ぐ。べしゃり、と袋のひだから赤黒い血が垂れてくる。ガザギナは顔をしかめると袋を床に落とす。垂れた血を雑巾で拭き取る。ブルーシートには赤黒い筋が付き、床板に血液がべっとりと浸みこんだ。帰ってから掃除すればいいと思い直してひとまず無視する。どうせあとで掃除するならとガザギナは袋を引き摺って玄関まで運ぶ。移動する血痕がはっきりと残される。


 ドアを微かに開けて人の往来を確かめる。今は夜。街灯が眩しく、星のない住宅街には人の気配はなかった。それを確かめて、今度は袋を抱えて車庫まで移動する。真っ赤な外車の後部座席に袋を倒す。彼は赤い車ならば多少血が付いても見分けられないだろうと考えて、スパークリングレッドを選んだ自分の先見の明に鼻を高くした。



 早速、車を発進させて目的地に向かう。

 ハンドルを握る手が震えている。重い袋を持ったからに決まっていた。ガザギナの腕には流線的なシルエットを描く美しい筋肉が付いているが、特に肉体労働が得意なわけではない。


(流石に重労働だ。一人じゃ無理か? 誰かに助けを求めるか?)


 片方の手でスマホを操作する。通話アプリを立ち上げて、長い連絡先リストをスクロールする。


(〇〇は駄目だな。あいつの発言炎上させたのがこないだ。高評価は結構稼げた。××はどうだ? 動画で滅茶苦茶にイジったけど優しそうから許されるかもしれん。あれは再生数伸びたなぁ。クソが、ブロックされてる)


 前方への注意をおろそかにしながら鮮やかな赤の高級車は市街を走る。当然、歩行者を轢きそうになった場面もあり、「晒すぞ!」の罵声を飛ばしてかろうじて回避する。フロントガラス越しに前を見れば、街灯の光が十字に鋭く煌めいて、度の合わない眼鏡をかけたようなきらきらした夜景がガザギナの目に映る。涙が未だに引かないまま、すらっとした目元に溜まっている。


 熟考の末に一人の人物に電話を掛ける。昔、コンビを組んで配信していた親友だった。いつからか疎遠になったが、今の窮地を知らせればきっと助けに来てくれると信じていた。涙声でガザギナは話し始める。


「俺俺! 俺だよ! 突然連絡してすまねぇ!」

「……ガザギナ? なんで今?」

「久しぶりだけどよぉ。今、困っててよぉ」


 涙で滲む夜景が後方に飛んでいくのを見て、後ろにある袋に意識を向ける。


「なんていうかさぁ」


 鼻をすする。その音に親友が返事をする。


「何? 泣いてんの?」

「いや、大したことじゃねぇんだよ。大したことないんだけどよぉ」


 自分の窮地をどう説明したものか、少しの間考える。その考える間に親友が話し始める。懐かしい訳知り顔が声の向こうに見えるようだった。


「ははん」

 電話の向こうで鼻を鳴らす音がした。

「ドッキリだな」


 ぽた、と溜まった涙がズボンの上に落ちる。気安い調子で親友は続ける。


「あれマジでないからな。ああいうのって事前に許可とるヤツだろ。お前マジでヤバかったからな」


 対して、ガザギナは声を取り繕うことなく叫ぶ。相手に合わせて声色を変えるのはガザギナの数少ない特技だったが、今は使わなかった。


「違うって! マジで困ってるんだって!」

「動画の企画だろ。『昔の知り合いに金をたかってみたwww』とか、そんなんだろ」

「マジだって、ガチでやばいんだって」


 ガザギナの声に悲壮さが混じる。


「手伝ってくれよ」


 その真剣な声に親友は何かに気付いた。震える涙声の中にある秘密をそれとなく察した。珍しくガザギナが声を取り繕うことなく狼狽していることに気付いた。そして、彼はガザギナをよく知っているからこそ、次の通りに返した。


「わり、今忙しいんだわ」


 ぴろん。と無機質な効果音で通話が切られる。車窓から見える夜景が後ろに遠く過ぎ去って夜闇の中に消えてゆく。


「なんでだよ!」


 スマホを握った手でハンドルを叩く。

 静かな夜に不格好のクラクションが鳴らされる。スマホの画面を睨みつけて、相手の連絡先を削除しようとしたところで、サイレンが後ろから聞こえた。



 警察の白バイだった。高級車の馬力で逃げ去ることを第一に考えたが、もう少し考えて大人しく相手をすることにする。路肩に止まる。彼と比べて凡庸な顔の警察官が下ろした窓から彼を見る。


「お兄さん」

「はぁ」


 まさか車内の袋を見つけたわけではないだろうと楽観的に予想する。高を括って横柄にため息を見せる。まずは不遜な顔つきを演じて、自身に非がないことを雰囲気で表現する。この手の能力は決して低くはなかった。警察官は穏やかに伝える。


「ながら運転してたでしょ。罰点だよ」


 こんなつまらないことで。警察に目を付けられる不運を呪う。BANされかねない言葉を叫びそうになったのを堪える。いま暴言を吐いても視聴者数が伸びないと自分を説得し、穏便に躱す策を考えてハンドルを指で叩く。


 席の後ろから剣呑な血の臭いが漂ってくる気がする。悟られないように虚勢を張る。強張るような緊張感を誤魔化すために姿勢を正す。警察官の目を見て、視線の先を読み取る。


「…なんで泣いてるの?」


 それを尋ねた警察官の目は優しく、人当たりが良さそうで、つまりはガザギナにとって騙しやすく都合が良かった。笑みが零れるのを逆に曲げる。悲しそうに口角を下げて、演技を始める。


「彼女に振られたんだよ……」


 持っていたスマホを素早く操作し、適当な女の写真を表示する。演技の必要もなく涙を流していた彼はそれを利用し、滾々と語り始める。


 「……どうなってんだよ、って問い詰めたらさ、別にあんたと付き合ってたつもりじゃないし、って。はぁ? って感じでさぁ!」


 好ましい虚飾はガザギナの得意とする技能だった。整った顔の青年が女性に袖にされたと恥も外聞もなく泣いている、そんな興味深い状況を演出して騙しきる。真摯な詐術は目を離させない。警察官の目が一瞬でも逸れれば、別のアプローチを即座に取り入れる。警察官が男性なので、振られた女の胸の大きさや腰の細さを小さな声で囁いて惹き付ける。


(パフェに乗ったさくらんぼみたいな甘い言葉、みんな好きだろ。俺も大好きだ)


 後部座席で血の臭いを発している袋を蚊帳の外に、ガザギナのトークは熱を帯びる。禍々しく赤黒いブルーシートの不審物には一瞥も向けさせることなく、ショーはクライマックスを迎える。


「それで彼女の所に向かいながら電話をしてた訳だよ。それを電話越しにめんどくさいわね、あんたとは別れるなんて言われたら!」


 ハンドルに顔を伏せる。どうだ、と見えないように牙を見せて笑う。耳をそばだてて結果を待つ。


「そりゃ災難だったね」


 粗野で歪で魅力的な笑み。すぐに消す。

「関係ない話でしたね、すみません」と、礼儀正しさを装う。ウケる時と許される時だけ考慮する謝罪のカードを、今回は後者だと判断して切る。予想通り警察官は同情的に微笑んでいた。


「今回は注意で済ましとくから、もうやっちゃ駄目だよ」

「はい、あざっす!」


 配信なら煽りを声高に叫んだであろう高揚感を胸にエンジンをかける。袋を見つけられなかった警察を内心で馬鹿にした所で、


 「ちょっと」と警察官が呼び止める。


 肩が竦む。


「お兄さん、かっこいいんだから、次の恋があるよ」

 うす、と答えた。逃げるように車を発進させる。


 安堵の息を吐いて肩の力を抜く。もう警察が追いかけてくることもなく、安心して目的地まで向かえそうだった。


 ひとたび安心すると、今度は屈辱がむらむらと湧き上がってくる。彼が女に振られたという設定が自尊心を損ねていた。ダン、ダン、とハンドルに何度も拳をぶつける。自然と車のスピードが上がる。


 後部座席の青い袋。消された連絡先。警察官のにやにや笑い。今夜を思い返して、ハンドルを握る力で青筋が立つ。


(一番ムカつくのはどれだろうな。あのケーサツもムカつくな。名前覚えたからな。次の動画で名前晒して……)


 突然、雷が頭に走るような感覚を悟った。手の力が緩くなる。近視的な怒りが霧消し、目の前が突然に開けたような錯覚を覚える。赤い車は人気ひとけのない道路を静かに走行している。街灯が少なくなり、暗い道を車は問題なく走っている。


(……動画)


 凪のような心持で、ガザギナは天啓を受けた。



(人を殺してみた動画ってウケるんじゃね?)



 ぶわっと噴き出すようにタイトル、進行、プロット、編集のアイデアが溢れてくる。

 酷く痛む頭痛が始まる。


(タイトルには【悲報】を付けたい。いかにも大仰でPVを稼げるような煽情的な。「www」はちょっと古いか? だがこの侮蔑的な笑いは普遍性がある。殺人の不謹慎な単語に「てみた」の軽いノリは相性良し。「うっかり」も相乗的に印象を)


 パン、と自分の頬を叩いて思考を止める。手を濡らした涙の冷たさで冷静さになる。犯罪の場面をアップロードするというのがどういうことなのか、彼にだって理解出来る。稀代のバカの行いだと何度も何度も自分に言い聞かせて平静を保つ。落ち着いて深呼吸。自分の考えを一笑に付すつもりで口角を上げる。声が出ない。涙がぼろぼろと零れる。呼吸が荒くなる。心臓が早鐘を打つ。押さえつけるように自分の胸に手を当てる。受け取った天啓を馬鹿な考えだと捨て去ろうとする。頭痛は辛うじて堪えられる。




 車は順調に進んでいる。その目的地である山の麓に車を止めると、袋と道具を担いで山を登り始める。自分に問題ないと言い聞かせて、ガザギナは荒い息を吐く。

 天が味方するように死体遺棄は進んでいく。ゆっくりと進む彼の周囲に目撃者の気配はない。死体を埋めるのにあつらえ向きの場所を簡単に発見する。順調に進む。あたりの見えない闇の中で、彼は穴を掘り始める。汗を流しながら、涙を流しながら、黙々と用意したスコップを突き刺し、持ち上げ、腕を振り続ける。


 頭痛がまだ続いている。敢えて何も考えないように作業に集中する。繰り返し繰り返し土を掘る。自然動物に掘り返されないように深く掘った穴に、ブルーシートの包みを落とす準備をする。闇の中でふらふらと両手をさまよわせる。足元が暗い。無意識にライトを使うためにスマホを取り出す。これがいけなかった。



 暗い闇の中で四角い光が美しい顔を照らす。

 ふわりと画面に通知が届いた。

 ガザギナのダイヤモンドカットの瞳が画面の光を反射する。



「あぁ」



 あなたの動画が高評価されました



 その通知を見て、ガザギナは声を上げる。



「あぁ、あァ…」



 数字が増える。その快楽にガザギナはかれていた。



 予約投稿していた動画が公開されていた。

 最悪のタイミングだとガザギナは目を輝かせた。


 いいねが。高評価が。お気に入りが。コメントが。フォローが。★★★が。♥が。


 増えていく。


 通知が画面いっぱいに並んで流れて行く。数字が見る見る間に増えていく。



「あぁ、あァ、あぁ!」



 頭痛がどんどん酷くなっていく。痛ましい金切声が喉から出る。チカチカと瞬く通知が否応なしに脳の中枢を刺激する。本能的に感じた危険に関わらず、指先が無意識に画面を開く。見てはいけないと知りながら、動画の再生数を確かめてしまう。数字は増える。10回から20回、30回、100回、200回。まばたきする間に数字が増える。


 その数だけ反応されたという快楽。その数だけ自分の顔が映されたという快楽。その数だけ自分が磨いたうつし身に親指を上げて称揚されたという快楽。その数だけ自分の言葉が讃美され、他者に評価されているという快楽。股間から背筋を伝ってゾクゾクと甘く震え、昇り絶頂し目が開き脳を覚醒させ、ドーパミンやアドレナリンの報酬系が痛むほど炸裂する根源的な承認欲求の快楽。


 ガザギナはこれの為に生きていた。これの為なら、なんだって出来た。



「あぁ、あァ」



 頭が割れるように痛い。手が震えてスマホを取り落とす。その暗い画面には彼自身の顔が映っていた。


 美しいかおだった。本当に、美しいかおだった。その輝く瞳と長いまつ毛が狂気と正気の間で妖しく揺れている。零れる涙がダイヤモンドカットの目に危うい耽美な眼光を宿している。狂う自分を押さえ付けるためにスリムな頬を色気のある右手で覆って、もう片方の左手は頭痛を抑えるように艶ある黒髪を握りしめる。苦痛に歪んだ口元からかれるときの悲鳴が漏れる。もしも聞く者がいたならば蕩けさせるほどの甘美な声だった。



「あぁ」



 彼は天啓に従うことにした。



 頭痛が止んだ。



 彼は、


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