あなたの天使
天使みたいな子だって小さいころから言われてた。
ぼくはうれしかったし、この先も天使みたいでいようって思った。——本物の天使になろうって思った。
同じクラスのまりあちゃんはお父さんがアメリカ人で、幼稚園のときに劇で天使の役をやったって言ってたから、「天使ってどんなの?」って聞いてみた。
「神さまのしもべだよ。神さまを信じてる人を守ったり、神さまの言葉を伝えたりするの」
「しもべってドレイのことでしょ。ちょっとやだなぁ」
まりあちゃんは首を傾げた。
「人間のドレイはやだけど、神さまだからいいんだよ。神さまはやさしくて立派だから」
それからまりあちゃんは「自分を愛するように隣人を愛しなさい」「右の頬を打たれたら左の頬をも差し出しなさい」という神さまの言葉を教えてくれた。難しいけどがんばってその通りにしようと思った。ぼくは天使なんだから。
やっぱりダメだ。
やさしく澄んだ天使の心でいられない。
この汚い気持ちをどうすれば消せるのか教えてほしい。——ぼくの神さまに。
お正月に書いた絵馬を思い出して、台所に捨ててあったかまぼこ板にタコ糸をくくりつけた。サインペンで「ぼくの神さま きてください まってます」と書いて、通学路にあるさびれた神社の木に引っかけておいた。
神社にも神さまはいるのだから、神さまネットワークでぼくの神さまにも届くはずだ。
学校の帰りがけに神社をチェックし続けて一週間、ついに木の前に立って絵馬を見ている人を見つけた。
「お兄さんがぼくの神さま?」
「はあ? ……これ、お前が書いたの?」
高校生くらいのお兄さんは目つき悪くぼくを見下ろして、ぼくは後じさりしながらうなずいた。
「あー、そうそう。俺って神サマなの。今は学生に擬態してんだけど」
ぼくはうれしくなって飛び上がった。
「ぼく、天使なんだ! 神さまのしもべだよ」
「僕、ねぇ……。じゃあお前は今から犬になれ。ワンワン鳴いてみろ」
ぼくはすぐに四つんばいになって、キャンキャン犬の鳴きまねをしながら走り回った。
神さまがしゃがんで「おいで」と言ったから、ぼくは駆け寄ってその膝にあごを乗せた。
「面白ぇな、お前」
神さまはぼくの頭をわしわしなでた。ぼくは楽しくなって、神さまのお腹に頭からつっこんていった。神さまは尻もちをついて笑った。
命令をもらって、言われた通りにちゃんとできて、喜んでもらえて、ほめられる。これが天使の幸せなんだってわかった気がした。
神さまの指令でぼくは体に悪そうな駄菓子を食べ、手がインクで黒くなるマンガ雑誌を読み、神さまのスマホでゲームをした。どれもママが知ったら叫び出しそうなことだったけど、神さまの言うことだから仕方ない。
ある時、神さまは炭酸入りのジュースを買ってきてぼくにわたした。
「こんなの飲んだら脳みそが溶けちゃうよ」
ぼくは言ったけど神さまはちょっと笑っただけで自分のジュースをぐびぐひ飲んだ。
「じゃあ俺の脳みそはもうトロットロだな」
ぼくはふたを開けてもらった缶をかたむけて、ふちにたまった液をなめてみた。
べろがピリピリして、甘くて、ちょっとだけ大人になったみたいでわくわくした。
——神さまとの遊びに夢中で忘れるところだった。ぼくが神さまを呼んだ理由。
ぼくは天使として、ママを救わなきゃいけない。ぼくにしかできないことなんだ。
ぼくはママを苦しめるようなことなんてしちゃいけなかった。神さまに会ったりしちゃいけなかったんだ。
お別れを言うために神社で待ってたら、いつもみたいに鳥居から入ってきた神さまはぼくの顔を見てぎょっとした。
「お前、その顔、どうした?」
奥歯をかみしめると、ほっぺたが熱くずきずきした。
「ぼくのせいでママが悲しんでて、それで、右の頬をぶたれたら、左の頬もどうぞってしなきゃいけないって、神さまの言葉だから……」
そして泣いてるママを抱きしめて、大丈夫だよって言って、ママが苦しいのを自分のことみたいに感じて、自分のことと同じくらい——自分のことよりももっと、ママを一番大事にしなきゃいけなかった。
それなのに、ほんの少しだけ、いやだなって思ってしまうんだ。ママなんかいなきゃいいのにって思ってしまうんだ。ぼくがダメな天使だから。
神さまはぼくの両肩に手を置いて、ぼくの目をまっすぐ見つめた。
「その言葉は——まぁ、言葉のあやってやつだ。今から言うのがお前への本当の指令だからよく聞けよ。いいか、右の頬か、左の頬か、どこでもいい、体のどこかをぶたれたら、そいつはお前の——俺の敵だと思え。勝てそうになければ逃げろ。他の大人を味方につけて戦え」
いいな、と言って神さまは手をはなす。ぼくはよろよろ立ち上がる。
ママを助けるやさしい天使と、神さまのために戦う天使と。ぼくはどっちの天使になればいいんだろう。
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