宣戦布告

 村のはずれに子供の斬殺体が見つかった。その死体の検分にリュカが呼ばれた。

 遺体は損傷が激しく、何者かに食されたものと思われる。だがそれは野獣によるものではない。残された部位はたたまれた衣服の上に整然と並べられていた。眼球と脳、それに両手。

「間違いなく人喰いの仕業です」

 リュカの言葉に村人たちは震えた。自作自演を疑う声も出たが、エイロウがそれを否定した。

「リュカなら跡形も残さず食べると思いません? だって、彼女はずっと人喰いを我慢してるんですから。それに、食べるなら一番おいしいわたしを狙うはずでは?」

「おまえ、よくそんなことをぬけぬけと言えるな」

 しかしみんなが口を揃える。

「ですよね」

 経験者たちは肉付きの悪い子供よりも仕上がってる聖女の方がおいしいに違いないと結論した。リュカもそれを否定することができない。

 となると、この猟奇的な行為に手を染めた外敵がいるということにもなる。

 改めて村人たちは別のマンティコアの存在について議論を始めた。

 リュカの方も、これが食事を目的としたものではないと感づいていた。これは自分自身に対する宣戦布告だ。脳と眼球は珍味で、手も指のあたりの歯ごたえがたまらない。そうした部分をわざと残して自分に見せつけている。

「ツケかもしれないな」

 そうリュカはつぶやいた。

 自我を失ったとき、彼女は自分の周囲にいるあらゆる人間を喰った。マンティコアも含めて。だが食べ残しがあったとしても不思議ではない。そのときの記憶はほとんどないから。ただどす黒い感情に支配されて、あらゆる人間を嚙み砕いて腹の中におさめたいとだけ思っていた。

 国教の守護騎士を呼ぶことで見解が一致するのに、そう長い時間はかからなかった。だが果たして間に合うかどうか。


 その夜だった。

「エイロウ、お客さんだ」

 すっかり家にいついてしまったエイロウの手を引き、彼女は血色の月が浮かぶ外へと出た。そこにはすでに蒼色にくすんだ髪の女が立っていて、誰かの二の腕をかじっているところだった。

「勘だけはいいようですね、リュカ? 聖女を家にかくまっているとは」

 いや、勘違いだ。否定する前にエイロウが言った。

「あれ、うちの料理人ですね。あーあ」

「ドライすぎじゃない?」

 敵はそんなやりとりを聞いて不愉快そうに眼光を鋭くする。

「不老不滅にして至極の美食である聖女エイロウ。我らマンティコアの血族にとってこれほどの宝はない。独り占めはよくないですねえ」

 敵の腕は膨らみながら黒い影へと変わっていく。自身の体長を悠々と超える巨大な右腕に、合金の鎧さえも簡単に引き裂く爪が備わっている。

 最初の一撃はなんのためらいもなくリュカの心臓目掛けて飛んできた。速い。リュカはエイロウを突き飛ばし、その反動で自らの身体も横に逃していた。勢いよく空を切った刃はそのままリュカの家に衝突した。派手な音のせいで一撃で倒壊したことが見ないでもわかる。

「元気だな」

 リュカの言葉に、瓦礫のなかで相手は笑った。

「ここに来る前に腹ごしらえをしたので。あなたの方はとんだ腑抜けになっているようですが、まさか人喰いをやめたというのは本当のことなんですかねえ?」

「本当さ。そうじゃなきゃ、エイロウを喰っておまえのことも殺してる」

「お母さまのように?」

 ひゅんと空を斬る音がした。リュカの前髪が舞う。ばっと血飛沫があがった。リュカの目の前が急に歪む。眩暈。鮮烈な甘い香りがあたりを満たす。

「これが聖女の血。なんて甘美な。この世のどんな美酒よりも人を狂わせる」

 斬られたのはリュカではない。エイロウだ。その首から噴き出る血があたりに理性を惑わせる匂いを撒き散らしている。

「あ、ああ……」

 リュカは立ちすくむ。

 敵はなんの迷いもなくエイロウの許へ歩いた。

「喰わせろ、聖女」

 その腕で軽々を身を持ち上げ、切り裂かれた首筋へと口を近づける。

「やめろ……」

 リュカは絞り出すようにして声を放つ。

「なぜ? この女は自分を喰わせることだけが存在価値だ。家畜と同じなんだよ。お母さまたちとは違う。だから我々はおまえのことは喰わぬ。簡単に死なせることもしない。極限まで苦しませてやる」

 聖女の血を長い舌が舐めとった。

「アア、ウマイ、ウマイッッッ!」

 女の身体が変形していく。身体に釣り合わぬ大きさだった右腕に追従するように四肢が膨張していく。エイロウの血を啜りながら人喰いの化け物の本性が現れる。

 それは人間の顔をした黒い獅子だ。巨大で、成人の身体であろうが簡単に丸呑みできるほどの顎を持つ。

「サア、死ノ祝祭ヲ始メヨウ」

 それを見上げるリュカにある感情は、恐怖でもなければ怒りでもなかった。


 羨ましい。

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