77 何もない②

 お父さんが再婚して俺に新しい家族ができても、俺はお母さんのことを忘れられなかった。なんで知らない人たちと一緒に暮らしているのか、理解できなかった。そして部屋を出ると、みおと宮崎さんが当たり前のように挨拶をする……。あの人たちは何も悪くないのに、俺はずっと避けていた。


 家族じゃなかったから、これは本物の家族じゃない…………。


「あか……ね?」

「うん?」

「髪の毛とピアス……、どうしたの? いきなり……」

「気にしなくてもいい。宮崎さんと関係ないから」

「…………」


 俺があの三人と距離を置いたのは、お母さんのことを忘れたくなかったからだ。

 この生活に慣れていくのは、お母さんを裏切ることと同じだから。俺には今の家族よりあの時の家族がもっと大事だった。こんな風に別れるのは嫌だった。どれだけ考えても、お父さんがなぜそんな選択をしたのか分からない。こうなったのはすべてお父さんのせいだ。


 なんで、お母さんと…………。


「……お母さん」


 会いたかった。

 ずっと会いたかったから、電話をかけたけど……、お母さんは俺の電話に出なかった。「なぜ?」、俺はそんな疑問よりお母さんの立場を理解しようとした。お父さんと離婚してきっと苦しいはずだから、しばらく一人の時間が必要かもしれない、と俺はそう思っていた。


 いつか会えると思って、ずっとお母さんを待っていた。


 そして数ヶ月、お母さんにずっと連絡をしたけど、お母さんは俺に何も言ってくれなかった。どれくらい待ったのかな、長い間……お母さんと話さなかったような気がする。もしかして、俺はお母さんに捨てられたのか、とそんなことも考えていた。


「あかねくん……」


 反抗期が来て、周りの人が全部嫌になっても……宮崎さんにはそうできなかった。

 彼女がなぜお父さんと結婚したのか、大体のことを知っていたから、距離を置くだけで俺は何もしなかった。あの人も大切な人を失った人だから……、その痛みを俺もちゃんと知っていたから……。


「はい……」

「話したいことがあるけど……」

「なんですか?」

「お母さんはね。なぜ、あかねくんがそうなったのか分かっている。あかねくん、最近……あかねくんのお母さんと連絡してるよね?」

「ど、どうしてそれを……」

「家にいる時、いつもスマホを見てたから……。そして、誰かの連絡を待ってるような顔だったから見れば分かる。お母さんに会いたい……?」

「は、はい……!」

「数ヶ月間……、ずっと悲しい顔をしていたから、それが気になってね……」

「はい……」

「本当にいいの? そこにいるのがあかねくんのお母さんじゃなくても、いいの?」

「はい……」


 あの時の俺はどうして宮崎さんがそんな顔をしていたのか、どうして俺にそんなことを言ったのか、分からなかった。

 ただ、お母さんと会いたいだけ。

 すごく会いたかった。


 宮崎さんからもらったメモ、俺はそこに書いている住所に向かった。

 お母さんと会いたかったから……、電車に乗ってけっこう遠いところまで行ったのを覚えている。


「…………ここ?」


 こんな高級マンションに住んでいたのか、お母さんは……。


「ママ!! えへへっ」

「はいはい〜」


 なぜ、お母さんが知らない子供の手を握ってるんだろう。

 その声はお母さんの声なのに、一緒にいるのは俺じゃなかった。


「…………」


 そっか、そういうことだったのか……。

 宮崎さんがなぜそんなことを言ったのか、お母さんを見る前まで知らなかった。

 俺はお母さんと会いたかったから、だから……ここに来たのに、今は知らない子供の写真を撮っている。スマホ……ちゃんと持ってるくせに、どうして俺の電話には出ないんだろう。そして、あの二人は幸せそうに見えた。


 なぜだ。なぜ、俺を捨てたんだ……? その理由を教えてほしかった。

 でも、俺はお母さんに聞けなかった。

 そこには俺の居場所がないから……。


「…………」


 壁の後ろに隠れて、静かに涙を流す。

 中学生だった俺に……、あれはつらすぎる。息ができないほど、苦しかった。


「パパだ!」


 そしてお母さんの頭を撫でる男が、自分の子供を持ち上げる。

 そっか。俺の連絡をずっと無視したのも、お父さんが再婚したのも、すべて理由があったんだ……。今更、お母さんのところに行って「どうして」とか言えない。そのまま電車に乗って家に帰ってきた。


「…………」


 俺はずっとお母さんのことを忘れようとしなかった……。

 お母さんのこと好きだったから、三人で幸せな日常を過ごしたかったから、ずっとお母さんを待っていた。でも、そこにいるお母さんは俺の存在を……頭の中で消したような気がする。もう俺のこと、どうでもいいって思ってるかもしれない。


「お帰り、あかねくん……」

「…………」

「あっ! あかね!」

「はい……」


 頭の中がモヤモヤして、何も考えたくなかった。

 どうしたらいいのか分からなかった。


「…………」


 心が壊れていく。

 でも、俺にはまだお父さんがいるから、全部失ったわけじゃない。


 耐えるしかない、そう思っていた。


 ……


「えっ? 交通事故ですか……?」


 今まで二人で話すチャンスもなかったのに……、お父さんがいなくなった。

 いつも家族のために忙しかったから、疲れたお父さんと話すのは後でもいいと思っていた。でも、そんな風に亡くなるなんて……。どうして、俺の大切な人たちは……俺を離れるんだろう。俺はただ……、家族の温もりが欲しかっただけなのに。


 それがそんなに難しいことなのか……。


「あかね……」

「いいよ! もういい! 俺は一人で生きていくから! 気にしなくてもいい!」

「あかねくん……」


 中学二年生だった俺は一人になってしまった。

 まだ宮崎さんとみおがいるけど……、それは俺が望んでいた家族の形じゃない。家族って言ってくれても、空っぽの心は変わらない。俺はあの時のままでずっと変わらなかった。


 その現実が怖くて、何もできなかった。


「怖い、寂しい。お父さん…………」


 どんどん壊れていく。

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