神様の実在
やがて制服の袖の長さが変わり、草は茶色く枯れて、街の街路樹の葉は全て落ちた。冬が目の前に迫っていた。改心した人から順に去っていくので、サナトリウムに高校1年生の生徒は私とノェルだけになった。私は、ずっとサナトリウムでノェルと過ごしたい一心で、信仰を拒んでいた。改心しない生徒への、教師たちの当たりは日に日に強くなっていった。
ある日、サナトリウムにノェルの親が来ていた。私はノェルと親が話している様子を遠目に見ていた。親はノェルを激しく罵っていた。そのときだった。「あっ」と私は思った。ノェルが殴られて、その場にへたり込んだ。私はその様子を見て激しい怒りを感じた。
******
「殴られたとこ、痛くない?大丈夫?」
私はノェルの痣を撫でながら言った。その傷をつけたノェルの親が許せなかった。
「あんな親、死んじゃえばいいのにね」
「そんなこと言わないで……。普段はとっても優しい人たちなの」
「でも神様のことになると、すごく怒るの」
ノェルは親をかばった。ノェルは震えていて、今にも泣き出しそうだった。
「なんかどんどん肩身が狭くなるね」
「うん」
「私たち、ずっとこうやって生きていかなきゃいけないのかな……」
ノェルは何かを迷っている様子でそう言った。
その頃、脳手術による無神症治療が医学界で承認された。それはビッグニュースになった。
私たちは、街の喫茶店でそのニュースについて話した。その喫茶店の店主は隠れ無神症者で、私たちは昔からよく、他の客がいないときに三人で話し込んでいた。
「脳手術を受ければ、無神症者でも神を見ることができるようになるんだって」
ノェルは静かにそう言った。何か含みのある言い方だった。
「私は絶対に嫌。まやかしを見るなんて」
「ノェルもそう思うよね?」
ノェルは小さな声で「うん……」と言った。ノェルはそれきり黙ってしまった。
「手術を受けるかどうかはあくまで当人が決めることだよ」
店主が沈黙を破って口を挟んだ。私は誰であってもそんな手術は受けるべきではないと反発した。
******
「ねぇ、手術のことどう思った?」
ノェルは私に尋ねた。私たちはノェルの部屋で話をしていた。
「どうって……。私は神様なんて嫌いだし……」
「そうだよね」
「でも私、両親みたいに神様が見えてたら、神様のこと愛してたのかなって」
「私はそんなの嫌!」
私は大きな声でそう言った。ノェルがビクッと肩を震わせた。
「びっくりさせちゃって、ごめん……」
「ううん。大丈夫」
ノェルはそう返して微笑んだ。私は部屋を後にした。
それから二週間ほど経過したある日。なんと、ノェルは脳手術の第1号被験者に名乗りを上げた。私は激しく動揺した。なんでよりによってノェルが?私はノェルに怒りと困惑をぶつけた。
「私たち、ずっと神様なんて信じないって……。なんで……!?」
「でも、親が手術を受けないと縁を切るって。改心しないなら一人で生きていけって……」
「それに、世の中の人と同じになれるなら、それもありなのかなって、ちょっとだけ思った……」
「ミャハ、ごめんなさい……」
ノェルはまぶたを震わせて、苦しそうに謝った。
「ねぇ、ミャハも一緒に、手術受けてみない……?」
「私、ミャハには苦しまずに、幸せに生きてほしい」
ノェルはぽつりとそう提案した。
「そんなの受けるわけないじゃん……!」
「ノェルなんてもう知らない……!!」
私は泣きながらノェルの提案を拒絶すると、その場を後にした。
******
やがてノェルは、手術を受けてサナトリウムに帰ってきた。私は手術前にノェルに言ったことを後悔していた。ノェルだって辛かったんだ。ずっと悩んでたんだ。私はそう思った。
「ねぇ、このあいだはごめん。私、やっぱりノェルが好き」
「ノェルが神様を信じようと、そんなの関係ない」
私は気まずい感情を抱きながらもそう言った。今まで通りずっとノェルと仲良しでいたいと思った。
「ありがとう。私もミャハが好きだよ」
いつものようにノェルはそう返した。しかし、そう言いつつもノェルの目はどこか曇っていた。私はできるだけ明るくしゃべった。
「神様が見えるってどんな気分?幸せ?」
ノェルはぼーっとした表情で「ん……」とだけ言った。
「私も手術受けちゃおうかな。ノェルとお揃いがいいし」
私は迷いながらも、ちょっとだけ本気でそう言ってみた。
「えっ……?」
「なんちゃって!」
それから私たちは、以前のように街に出かけた。クリスマスが近づき、街の街路樹たちは色とりどりの電飾のドレスを身にまとっていた。『裁きの日は近い』『神と和解せよ』という無神症者へ向けた看板が嫌に目についた。私たちはいつもの喫茶店に入った。
私たちはコーヒーを頼んだ。私はコーヒーにミルクを入れて、その茶色と白色がマーブル模様を作る様子を、じっと眺めていた。ノェルはしばらく黙っていたが、やがて、重苦しそうにぽつりぽつりと話し始めた。
「あれから私は、神様の夢を見るようになった」
「それはとても強烈で」
「神様を信じられない今までの気持ちと、神様を信じなきゃっていう強迫観念がぶつかって、すごく辛い」
「手術なんて受けなきゃよかった……」
私はてっきりノェルは幸せになったのだと思っていたので、びっくりした。
「そうなんだ……。ごめん……」
「ミャハが謝ることはないよ」
ノェルはそう呟いた。店主はそんなノェルの様子を見て、苦そうな顔をしていた。私はノェルを元気づけようとした。
「神様がいてもいなくても、私さえいればそれでいいでしょ。ねぇ?」
私はノェルの目を真っ直ぐ見据えてそう聞いた。ノェルの瞳は曇ったままだった。私はしょんぼりしてコーヒーカップに目を落とした。コーヒーの模様はいつの間にか消え、薄茶色一色になっていた。
「外の空気でも吸おっか」
私はそう提案した。私たちはコーヒーを飲み干してカフェを出ると、河川敷に向かった。河川敷の下の広場では、子どもたちが凧揚げをしたり、犬を連れた人たちが散歩をしたりしていた。私たちは芝生に座って川を眺めた。川はゆっくりと、しかし後戻りすることなく流れていた。
「こっちを見て」
私はそう言うと、ノェルに無理やりキスをした。ノェルのまつ毛に再び星が流れた。それは以前とは違って、とても悲しそうな流れ星に見えた。それが二度目のキスだった。
「どう、何か分かった?」
「分からない。何も……」
ノェルのその言葉で、私は二人だけの世界が壊れつつあることを悟った。私たちは河川敷を出ると、夕焼けの中、黙ってサナトリウムへ向かった。私は歩きながらノェルの方を振り向いたが、彼女の表情は夕日の長い影に隠れて見えなかった。やがてノェルがぽつりと呟いた。
「私、神様が実在するのか確かめてみようと思う」
「どうやって?」
「それは、言えない……」
それが、私が聞いたノェルの最後の言葉になった。ノェルはその日の晩、私への遺書を残して自殺した。
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