赤ずきんちゃんのお仕事

おじさん(物書きの)

銀の砂

 この物語は一本の電話から始まります。

 さっそく、と言うべきでしょうか、テーブルの上に置かれた電話機がけたたましく鳴り始めました。物語の主人公である少女は、額に張り付いた前髪を掌で撫で上げると、荒くなった息遣いを数回の深呼吸で整え、純白のタオルで顔の汗を拭います。その後、無駄な贅肉一つない身体にタオルを走らせ、初めて黒い電話機に視線を向けました。それはとても大事な用件の時にしか鳴らない電話機で、そのとげとげしく、大きな呼び出し音とは対照的に、丸々としたかわいらしい外観が印象的です。

 そして、凛とした表情で電話機の前に行き、堅いソファに腰掛けます。電話機を目の前にすると、普段使っている携帯の電話とは違う呼び出し音が、頭の中でいやに静かに——そう努めているからでしょう——鳴り響くのでした。

 受話器に手を置き、十回目の呼び出し音を待ちました。今のは九回目です。

 この電話機を使用する時は、十回目の呼び出し音で受話器を取らなければなりません。それが相手との約束だからです。

 十回目の呼び出し音を確認すると、受話器を持ち上げ、耳に押し当てました。

『問題は?』

「ないわ」

『変わりないようだな』

 何かを確認するかのような沈黙が一瞬ありましたが、電話相手の男は言葉を続けます。

『直ぐに動けるか?』

「どこに何時?」

『Gの4、地下住宅街にある〈イデの楽園〉に…今から一時間弱だ』

「そこなら問題ないわ。それで?」

『〈おばあさん〉に〈鼻薬〉を届けて欲しい』

「簡単な使いね」

『そうだ。ただし、俺の大事な〈おばあさん〉の使いだ、慎重に頼むぞ』

「判ってるわ、今まで手を抜いた事もないし。それで、〈イデ〉での行動は?」

『待ち合わせの席だが、入り口を入って左側、一番奥の席だ。テーブルの上にアイリスの花が生けてあるのが目印になる』

「アイリスね…」

 アイリスがどんな花であったか思い浮かべてみましたが、それは叶わぬ事でした。

『…花が飾られているのは店内でその席だけだよ』

「安心した」

『そこからの行動は彼が教えてくれる。私からは以上だが、何か質問は?』

「ないわ」

『報酬はいつも通りでいいな?』

「ええ」

『では…頼んだぞ、赤ずきん』

 男はそう言うと、静かに電話を切りました。

 そうです。赤ずきんちゃんは運び屋だったのです。


 まず、赤ずきんちゃんがした事は、受話器を置く事と、先程のトレーニングでかいた汗をシャワーで洗い流す事でした。

 身支度を整え、長い金髪を三つ編みにすると、仕事時のトレードマークである赤ずきんを被ります。この赤ずきんは裾が長い為、腕を動かし易いように両脇にスリットが入っていました。そして用意しておいた籐編みのバスケットを左手に下げると、チューインガムを一枚取り出して口の中に放り込みます。葡萄味のチューインガムは赤ずきんちゃんの嗜好品なのです。


 赤ずきんちゃんの住む家から最寄りの駅まで、歩いて三十分ほどでしょうか、乾いた風を頬に感じながら、駅前を通るバスを待つ事にしました。辺りに人はなく、バス停もありません。ですが、数分もすると巡回していたバスが音もなくこちらにやって来ます。

 赤ずきんちゃんはバスに向かって軽く手を挙げ、停止後一秒と待たずに開いた後部ドアから乗り込みました。バスの車内は加湿器が稼動していて、常に快適な湿度を保つようになっています。赤ずきんちゃんは誰も居ない最後部の座席に座り、ゆっくりと湿った空気を吸い込みました。時折、シューシューと加湿器が蒸気を吐き出す音がします。その度にローズマリーの爽やかな香りが車内に吐き出されるのでしょう、赤ずきんちゃんはその刺激的な香りを楽しむように深呼吸しました。


 外に出ると、再び乾燥した空気が待っていました。駅の構内も変わらず乾燥していましたが、外よりも幾分かましのようです。

 階段を下り、赤ずきんちゃんが地下鉄の車両に乗り込むと、周囲からざわめきが上がります。しかしそれは席に着いて数分も経過するとなくなり、赤ずきんちゃんの事に関心を持つ人達は居なくなりました。興味本位の視線は嫌いでしたが、人々の他人に対するそうした無関心さは好ましく感じます。


 電車を降り、更に階段を一階分下ると、幾つものシャッターが閉まった商店街が目の前に続きます。この区画の照明は半分落ち、非常に薄暗いのですが、わりと広い通路を行き、地下住宅街に出ると明るさが戻りました。そこへ電気式のバスが静かに横切りましたが、〈イデ〉とは方向が違うので、歩いて行く事にしました。


 五分ほど同じような景色を行くと、目的地である〈イデ〉に着きました。外観上、回りの建物と変わりなく、それと判らしめる物はドアノブに掛かった〈営業中〉と書かれた、木製のパネルだけのようです。赤ずきんちゃんは銀の懐中時計を取り出し、時間に余裕がある事を確認するとドアを開けました。

 店内は木製の家具、上品なランプシェードと落ち着いた雰囲気を醸し出し、小さ目の音量で流れている音楽は、耳触りの良い外国の歌でした。

 入り口の正面、中央にはカウンターがあり、その左右には三つずつテーブルがあります。カウンターの中に口髭のマスターが一人、何やら調理中のようです。

 指定された席を見ると、アイリスと思われる花が飾られており、そこには既に男が来ていました。赤ずきんちゃんがその席に歩み寄ると、男は読み耽っていた雑誌から顔を上げ、赤ずきんちゃんを見上げてから足先まで視線を下げて行き、再び顔に戻すや、椅子を軋ませながら大笑いし始めました。その男の姿は壊れたマリオネットのような危うさを感じます。

 調理を終えたマスターは、一人、笑い続ける男を一瞥するも、反対側に居る先客にオムライスを出しに行きました。先客の男はやや小太りで、場違いに笑い続ける男が気にならないのか、目の前に並べられた料理に一心不乱で挑んでいます。

 赤ずきんちゃんは目の前の男を睨み付け、感情のままにチューインガムを膨らませると、顔と同じくらいの大きさになり、透けて相手が見える頃に割れてしまいました。それは、大笑いを続ける男を呆気に取らせ、笑いを止めるには十分でした。

 赤ずきんちゃんは顔に張り付いたチューインガムを取り除きながら椅子に座り、男に話し掛けます。

「それで?」

「あ…いやぁ、悪い悪い」

 男は笑い過ぎて強張った頬を弛めるよう、努力しながら続けます。

「事前に会えば判るとは聞かされたが、ホントに〈赤ずきん〉とはね」

 男はズレた丸い眼鏡を押し上げて、

「冗談だと思うじゃない」

 と、呟くように言いました。

 赤ずきんちゃんはチューインガムを咀嚼しながら男を睨み付けます。そこへ——

「いらっしゃいませ」

 マスターが簡素なメニューを持ってきましたが、赤ずきんちゃんは振り向きもせずに、

「長居はしないので結構よ」

 と、メニュー表を手で制し、押し黙ります。苦笑いをしながら男がマスターに目配せすると、メニュー表を置いてカウンター内に戻りました。

「もう一度謝っておこう。さっきは笑って悪かった、この通り」

 そう言うと仰々しく頭を下げます。

「それと、自己紹介もしておこうかな。名前は〈ルース・しもん〉ちんけな情報屋をしている。で、これがおれの携帯の番号」

 しもんは雑誌の空白に電話の番号を書いて、その部分を破り取ると、赤ずきんちゃんの方へ紙片を押しやりました。赤ずきんちゃんはその紙片を手に取ると二つ折りにし、スカートのポケットに仕舞い込みます。それは赤ずきんちゃんなりの和解行動でした。

「それじゃ、本題に入ってちょうだい」

「そうだな。まず君がこの店ですべきこ事は、これを注文する事」

 そう言うと、しもんはメニュー表を指差し、その指は〈西のパン〉を指していました。

「次にそのパンの届け先を君に示す者との待ち合わせ場所だが——」

「あなたが教えてくれるんじゃないの?」

「届け先までは知らされてないからね。ま、おれは〈西のパン〉がなんなのかすら知らない訳だし」

「今回は随分と慎重なのね…」

「それだけ大事な物なんだろ。話を戻すが、待ち合わせ場所は〈ゴートン〉駅ビル内の中央広場、キーワードは〈拾う者〉」

 そう言い終わると、しもんはホットミルクを美味しそうに啜りました。

「以上でおれの役目は終わりって訳だ」

「お疲れ様」

 赤ずきんちゃんが立ち上がると、なにやら電子音が鳴り出します。ふと見ると、どうやら小太りの男の携帯電話のようです。

 赤ずきんちゃんはカウンターに手を置き、〈西のパン〉を注文し、マスターがカウンターの下から取り出した物を受け取ると、手提げのバスケットに入れ、元通り上から布を被せました。

〈西のパン〉はずっしりと重く、中身を繰り抜いたパンには〈鼻薬〉がたっぷりとつまっている、と想像させました。

 

 赤ずきんちゃんが〈イデの楽園〉を出たところで、ほんの少しだけ視点が小太りの男に変わります。

 男はオムライスの山をスプーンで崩しに掛かりました。玉葱の甘さ、鶏肉の素朴な味わい、トマトの酸味、それらを包み込む玉子のまろやかな舌触り。〈イデの楽園〉のマスターが作るオムライスは絶品と言えます。しかし、この男がその絶妙なるオムライスの味を楽しんでいるかと言うと、それは疑問です。スプーンをひたすら口に運び、数回咀嚼しては喉の奥に送り込んでしまう姿からは、ただ食欲を満たす為だけに食べているようにしか見えないからです。

 そして、残りが二口ほどになったところで、男の携帯が鳴ります。男はコーラをがぶ飲みし、電話に出ると同時に他の客に気付きました。

「あ……」

『間抜けな声を出してんじゃねーぞ〈シュガーウルフ〉…お前、約束の時間を忘れた訳じゃないよな?』

「忘れてないよ〈フェイクウルフ〉」

『今どこに居る?』

「お昼が近いから、地下住宅街の——」

『約束の時間を言ってみろ』

「あ…いや、その……別の話があるんだ、外に出るからちょっと待って」

 男は慌ただしく会計を済ませ、外に飛び出しました。外には誰も居ません。

「あ…、居ない……」

『なんだ? 説明しろ』

「さっきまで居たんだ…」

『誰が居たって? 死人でも見たのか』

「ち、違う、見たんだ〈赤ずきん〉だよ」

『…確かか? いや、見間違える筈がないな』

「うん、間違いないよ」

『で、その〈赤ずきん〉はどこに居る?』

「え…見失っちゃったから……」

『馬鹿野郎! 早く探しやがれ!』

「わ、判った」

『待て、お前さっきどこに居るって言った?』

「地下住宅街の喫茶店に…」

『だったら早く駅に戻れ、出入り口はそこしかないんだからな』

 フェイクウルフに焚き付けられるようにして、シュガーウルフは駅へと走り出しますが、ふとした疑問をフェイクウルフに問います。

「〈赤ずきん〉の目的地が地下住宅街の中だったら?」

『馬鹿か〈赤ずきん〉が動いてるんだぞ、そんな小さい〈山〉な筈がない。判ったら走れ!』

「うん…ぁ」

『どうした?』

 シュガーウルフが小走りで角を曲がった先に赤ずきんちゃんが見えました。

「い、居た。追い付いた」

『よし。駅に先回りして〈赤ずきん〉に不審がられないように気を付けながら〈赤ずきん〉がどこに行くのか確認するんだ、場所が判ったら直ぐ私に連絡しろ。聞いてるか、今お前が居るのはどこの地下街だ?』

 フェイクウルフの耳にはシュガーウルフの荒い息遣いしか聞こえてきません。

『もう一度だけ訊くぞ、お前が居る地下住宅街はどこだ?』

「んぁ…、G‐4…だよ」

『G市か、…近くのでかい駅は確か…。よし、今回の件が終わったら好きな物をたらふく食わしてやる』

「ほ、本当?」

『食いたかったら走れ!』

「うん」

 通話を切って携帯をしまうと、シュガーウルフは固い唾を飲み込み、重い身体を揺らしながら走り続けます。その原動力はまさしく食欲だけでした。

 商店街を一心不乱に走り抜けながらも、頭の中は食べ物の事で満ち溢れ、普段は敬遠しがちな階段ですら、魅力的な想像に溺れている今のシュガーウルフには苦になりません。

 階段を上り切ると、忘れていたかのように大量の汗が噴き出し、心臓ははちきれんばかりです。ハッとして振り返って見ると、赤ずきんちゃんの姿はまだ見えません。ホッと溜め息を吐き出し、額の汗を拳の甲で拭うと、赤ずきんちゃんを待ち伏せる為に、柱の陰になったベンチに腰を下ろします。荒い息を整えようと深呼吸を繰り返していると、自動販売機が目の前にある事に気付きました。すると、思い出したように喉の渇きがやってきます。シュガーウルフは自動販売機の前に立ち、素早く目を走らせてジュースを物色すると、小銭を入れてコーラのロング缶を買いました。

 コーラを一気に喉の奥に流し込んでいると、汗で張り付いたシャツがひんやりとします。それと同時に人の気配がしたので振り向くと、赤ずきんちゃんが切符売場に向かうところでした。赤ずきんちゃんがどこまでの切符を買うのかを確認しなくてはいけないので、シュガーウルフは飲み掛けのコーラを捨て、赤ずきんちゃんに近付きます。

 すれ違う時に目が合わないよう、視線を電光掲示板に向け、赤ずきんちゃんが離れて行ってから同じ切符を買い、改札口を抜ける赤ずきんちゃんをゆっくりと追いました。

 そこには既に電車が止まっており、数人の男女が談笑をしながら駅に降り立ち、すれ違い、去って行きます。赤ずきんちゃんはもう電車内に乗り込んだようでした。改札口を抜けてフェイクウルフに連絡を取ろうと携帯電話を取り出しますが、発車のベルが鳴り始めたので、シュガーウルフは慌て電車に乗り込みました。

 赤ずきんちゃんとは離れて座る事にしましたが、ちゃんと視界内には入る場所です。赤ずきんちゃんは紙切れと携帯電話を取り出して何か打ち込んでいました。

 シュガーウルフは携帯電話でフェイクウルフを呼び出します。フェイクウルフは二コール目で出ました。

『赤ずきんの行き先は判ったか?』

「…うん〈ゴートン〉だった」

 離れた席の赤ずきんちゃんに聞こえる訳もないのですが、シュガーウルフは声をひそめて言いました。

『良くやった。後は私の合図があるまでそのまま尾行を続けろ』

「うん、判った。——あのさ、カレーにトンカツを乗せても良いかな?」

『ああ…目玉焼きでも旗でも好きな物を付けろ』

 それを聞くと、シュガーウルフは『やった』と、小さくガッツポーズを取りました。


 ここで赤ずきんちゃんの視点に戻ります。

 ふと視線を泳がせると、立ち上がってガッツポーズを取る小太りの男——シュガーウルフが目に入りました。シュガーウルフは赤ずきんちゃんの視線に気付くと慌てて電話を切り、席に着きますが、どこかそわそわした風であります。赤ずきんちゃんは変な奴だと思うと同時に〈イデの楽園〉に居た奴だと思い出し、少し警戒する事にしました。しかし、一人を警戒しだすと、回りの人たち全てが怪しく見えてしまい、膝の上に置いたバスケットを抱き寄せて、辺りの気配を窺うのに神経を使いました。

 長いトンネルを抜けると、窓から構内の明かりが射し込み、人々か発するざわめきが強まります。

 電車が止まり、赤ずきんちゃんは乗り降りする人たちの流れが止まるのを待ち、発車直前に電車を降りました。シュガーウルフは既に電車を降りたようです。改札口を抜けて広場までの道すがら、しもんに貰った紙片をわざと落とし、何気なくそれを拾いながら辺りを素早く見渡しましたが、シュガーウルフの姿は見当たりませんでした。少し安心したものの、警戒心は怠りません。

 目的の場所で目的の人物を探すまでもなく、赤ずきんちゃんは彼女に近付いて行きます。

 広場に撒き散らされた大量のバラ、人々はそれを避けて歩いています。真紅のバラに囲まれてそれらを拾う彼女の姿は、ミニドレスにボンデージを組み合わせたような服装で、外見だけを見れば十代前半に見えるでしょうか。赤ずきんちゃんは彼女の事を知っていました。名はおろち、信用できるのは〈お金〉と言い切る、赤ずきんちゃんの苦手なタイプです。おろちとは仕事で幾度か行動を共にしましたが、どれも苦い思い出が残るばかりです。

 中央広場をある種の異様な空間足らしめているおろちに近寄り、真っ赤なバラを拾うようにしゃがみ込みます。

「良い香りね」

「香料よ」

「…………」

「今時、本物の薔薇は高いものね。でもこれは本物、防腐コーティングした本物の薔薇なの。香料もオールドローズから抽出した物。こういう所はこだわりたいものよね」

 赤ずきんちゃんは言うべき言葉が見付からず、バラを拾い集めるおろちを見るでもなく、ぼんやりと眺めてしまいます。

「ちょっと、手伝ってくれないの? 薄情ね」

 おろちの眉間に皺が寄ったのを見るや、赤ずきんちゃんは慌てて言いました。

「拾うわよ」

 赤ずきんちゃんはおろちが気分屋で、臍を曲げると任務すら放棄してしまうのを熟知していました。

 バラを拾い集め、おろちの篭に入れながら赤ずきんちゃんは訊きました。

「おろち、早速だけどおばあさんの家を教えて頂戴」

「薔薇を全部拾い終えたらね」

「いいけど……これ、かなり目立つんだけど」

「あら、こうしていればあなたに尾行が付いているか、判り易いんじゃなくて? あなたの格好は目立つものね。それだから直ぐに狙われるのよ」

「これはトレードマークなの。尾行なんて追っ払えばいいんだし、…それより言っておくけど、外見はおろちの方が目立つからね。絶対」

「どこが? 今日はオール白で純潔な感じでしょ? そういった意味では目立つかもしれないけど」

 目立たない訳がない。赤ずきんちゃんはそう思いながらおろちの服装をあらためて眺めました。色合いは確かに白で統一しています。胸元が大きく開いたドレスは大粒の真珠玉ネックレスが映え、ウエスト部分は編み上げのコルセットできつく締め上げられています。スカートは幾重にも重なったフリルで裾が広がり、膝までの編み上げブーツをより一層、際立たせるようです。そして、真っ赤なバラを拾う手元には真珠のブレスレットに刺繍が施された手袋…と、着る者を選ぶ過激さでした。

「見た目はね」

 赤ずきんちゃんはバラを拾い、篭に入れながらそっけなく言いました。

「何よ、その言い方」

「別に…。——おまんじゅうみたいだ…」

 赤ずきんちゃんは思わず、そう呟いてしまいます。

「おまんじゅう?」

「なんでもない」

 外は真っ白、中は真っ黒…などと、おろちを怒らせる事は言えません。

「——はい。これで最後よ」

「ん。じゃあ、これ。薔薇を拾うのを手伝ってくれたお礼」

 おろちから受け取った一輪のバラにはメッセージカードが付いており、二つ折りの厚紙を開くと、そこには赤ずきんちゃんが向かうべき場所が記されていました。


 再び、視点は赤ずきんちゃんから離れます。

「シュガーは居ないのか?」

「ああ、その辺でメシでも食っているんだろう」

「良いのかそれで」

「あいつは赤ずきんに接近し過ぎたからな」

「それもそうか。で、次はボクの番って事か」

「ああ、任せたぞ〈チキンウルフ〉私はあの白いドレスの女をつける」

「…動き出した。じゃあ行くよ」

 チキンウルフと呼ばれた男は、人込みに紛れる赤ずきんちゃんを軽い足取りで追い駆けます。赤ずきんちゃんとの距離はわりと離れていましたが、赤ずきんちゃんは目立つので見失う可能性は低く、尾行者であるチキンウルフにとってこれほど楽な尾行は初めてでした。

 赤ずきんちゃんの後ろ姿を見ていると、同業者の間で流れている、赤ずきんちゃんに対する噂のことごとくが見当はずれであると思えてきます。想像していたよりも背丈が低く、ちらりと見えた横顔は幼さが残る童顔で、なにより自分の好みだったからです。

 フェイクウルフから受けた役目は赤ずきんちゃんから〈ブツ〉の届け先を聞き出すか、その相手を見極める事で、理想としては届け先に先回りをして赤ずきんちゃんを待ち伏せる事です。フェイクウルフの計画通りに事が運べば、赤ずきんちゃんが持っている〈ブツ〉も、依頼主の財産も手に入るのです。

 チキンウルフの顔には自然と笑みが浮かんでいました。

 赤ずきんちゃんとの距離が近付くと、その後ろ姿が人込みから離れて行き、人気のない方へと歩いて行きます。その先を眼で追うと、赤ずきんちゃんは階を移動するのに階段を使うようです。チキンウルフは人の居ない所で話し掛けようと、小走りで赤ずきんちゃんを追い駆けました。

 赤ずきんちゃんを下りの踊り場に捉えます。

「赤ずきんちゃん、そんなに急いでどこ行くの?」

 赤ずきんちゃんはぴくりと止まり、振り向くと同時に右手を背中に回し、赤ずきんの下からSMGを取り出しました。

「ブラムS1!?」

 チキンウルフが上り階段の方に飛び退いたのと、赤ずきんちゃんがトリガーを引いたのはほぼ同時でした。

 二十三発の弾丸は一秒強で撃ち尽くされ、階段や壁が抉り、壊される破壊音に遅れて排出された薬莢がリズミカルに床へ落ち散ります。

「っ……なんてやつだ……」

 壁からはパラパラとコンクリート片が零れ落ち、忘れたようなタイミングでタイルが剥がれ落ちて砕け散りました。チキンウルフは腹這いでその場から離れ、第二射から身を守ろうと必死でした。

 赤ずきんちゃんがきちんと構えて撃たなかったお陰で、SMGの命中率は著しく低下し、チキンウルフは命拾いしました。その上、追い撃ちはないようです。

 チキンウルフは恐る恐る下り階段を覗き込みますが、そこに赤ずきんちゃんの姿はなく、ブラムS1から吐き出された薬莢が残されるのみでした。

 深い溜め息と共に、チキンウルフは沈痛な表情のまま携帯を取り出し、フェイクウルフに連絡を入れました。


 フェイクウルフの胸元で携帯が振るえ、歩きながら通話ボタンを押すと、予想通りイヤホンからはチキンウルフの声が聞こえ出ました。

「……失敗した…」

「判っている。ここまで銃声が聞こえたよ。怪我はしていないだろうな」

「ああ、大丈夫だ…」

「それならば、東側のビルの二階にある雑貨屋の先に、家具の展示場がある、人気のない所だ、そこにシュガーウルフを連れて来い。次のアプローチに入る」

「判った。直ぐに向かう」

「切るぞ」

 フェイクウルフはおろちの背後に歩み寄りました。

「止まれ」

 フェイクウルフの言におろちは足を止め、くるりと身体を向けました。

「おろちちゃんに何か用?」

 おろちのしゃべり方が、赤ずきんちゃんとの時とは打って変わり子どもっぽいトーンになっています。このしゃべり方は相手が初対面の時か、おろちが打算的になっている時です。

「赤ずきんのメッセンジャーだな?」

「だったらなぁに?」

 おろちはわざとらしく小首を傾げます。

「赤ずきんの最終的な、ブツの取り引き場所を教えてもらおうか」

 フェイクウルフは上から見下ろすように凄みをきかせて言った。それに対しておろちは相も変わらず可愛らしい声色で、

「おろちちゃん、お金だぁい好き」

 と、片手を差し出して言いました。すると、フェイクウルフは。

「ふざけるな! 素直に言わぬのなら手痛い目に合わせるぞ」

 そう言っておろちの手を払いました。

 しかし、高圧的に手を払って優位に立ったのはフェイクウルフではなく、手を払われたおろちの方でした。

「…痛いわ」

 ただならぬ殺気に満ちたおろちに、フェイクウルフは完全に尻込みしてしまいます。

「言っておくけど、わたしは獲物を目の前にして仕損じる赤ずきんほど甘くないわよ」

 睨み付けられたままそう言われてしまうと、フェイクウルフは喉をごくりと鳴らし、おろちが提示する額を、携帯を操作しておろちの口座に振り込んでしまいました。

「じゃ、頑張ってねぇ」

 すっかり元のトーンに戻ったおろちは、フェイクウルフに手を振ってその場から去って行きます。


 家具の展示場まで戻ると、既に来ていた二人の下に、忌々し気に歩み寄ります。

「…後戻りが出来なくなった」

「何かあったのか?」

「——いや、大した事じゃない。それより急がなくてはならなくなった」

「赤ずきんの行き先が判ったんだな?」

「ああ、どこだと思う? よりによってG−36だと」

「プライベートエリア…」

「どうするんだ? プライベートエリアに入るには相手の許可が必要だぞ」

「判っている」

「…でも、G−36って旧道が通っていなかったっけ?」

「そうだ、先回りするには閉鎖している地下鉄を使うしか手はない」


 そもそもプライベートエリアとは、個人が所有する離れ小島の事を指しますが、その前に赤ずきんちゃんが暮らす、この地域の現状を話しておかなくてはならないでしょう。

 赤ずきんちゃんが生まれた頃のこの土地は緑が豊かで、動物たちの種類も今より何十倍も多かったといいます。事の始まりは、二十年ほど前の異常気象——砂漠化でした。

 最初は平地、農村を砂が襲いました。雨が降らなくなり、土地が涸れ、どこからともなく溢れ出てくるような砂に森が飲み込まれ、人々は住居を失い、その住まいを高地や都市部に求めましたが、ものの十数年で各都市までも砂漠化してしまったのです。その砂漠化の勢いは凄まじく、砂漠化の原因を解明する事は勿論、砂漠化を防ぎ、遅らす事すら出来ず、今に至るのです。

 現在、人々は地下に住まいを移し、限られた区間移動は主に電車を使います。砂漠化していない地域への移動も電車を使っていますが、プライベートエリアには土地の所有者の許可がなくては足を踏み入れる事すら出来ません。何故なら、砂漠化を免れている高地や小高い山々は裕福な人たちが住み、その交通手段にはロープウェイや自家用ヘリなどを使っていて、人体に有害である砂の砂漠を行く者は皆無に等しいからです。それゆえ、それらの土地はプライベートエリアと呼ばれているのです。


 赤ずきんちゃんの右手にはSMGの重い衝撃と熱い余韻が残っています。二十三発の弾丸を撃ち尽くし、相手の反撃を警戒しつつ手早くカートリッジを交換しましたが、相手の反応は何もありません。SMGの掃射に手応えはなかったようですが、どうやら相手に反撃の意思はないようです。

 足早に階段を下りながら、赤ずきんの下に装着しているホルダーにSMGを収め、何事もなかったかのようにチューインガムを膨らませ、その場から離れます。

 閑散とした一階のフロアを横切り、外へと通ずる重いドアを開け、きちんと閉まったのを確認してから、もう一枚あるドアを開けてゴートン駅の外に出ました。

 外に出たとたん、埃っぽい乾燥した空気に変わり、慣れているハズの赤ずきんちゃんも、自然と眉間に皺が寄ってしまいます。

 目的地がプライベートエリアであるという事は、同時に駅からはだいぶ離れ、中継点までは歩いて行かなくてはならないのです。しかしながら、G−36はゴートン駅から見えるほど近く、ロープウェイがある中継点までも歩いて五、六分といった所でした。元々隣接した山々だったお陰でロープウェイ一本で行き来が出来ますが、それにはG−36側からカーゴを呼び寄せなくてなりません。その為、赤ずきんちゃんは備え付けのブザーを押しました。暫くすると、目の前のスピーカーから誰何の声がします。落ち着いた声でした。

『どなたでしょうか』

「赤ずきんです」

『…御用件を』

「〈おばあさん〉に〈鼻薬〉をお届けに」

『伺っております。ただ今そちらにカーゴを移動させますので、今暫くお待ちください。それと、カーゴのドアを開閉いたしますと、自動的に発車しますので御注意くださいませ』

「判ったわ」

『それではお待ちしております』

 彼方を見ると、カーゴがゆっくりとこちらに向かっているのが見えますが、この分だと随分待たされるようです。

 赤ずきんちゃんは辺りを見回しましたが、やはり追っ手のような者はないようです。先程の男に見覚えはありませんが、バスケットの中身が狙われているのは確かなようです。

 これまでも似たような事は幾度もありましたが、赤ずきんちゃんは敵に負ける事なく、依頼をこなして来ました。今回もそれは叶いそうです。何故なら、このカーゴに乗ってしまえば、追っ手がプライベートエリアに入り、赤ずきんちゃんに近付く事が出来なくなるからです。

 カーゴが停車してから、素早く辺りを伺うと、赤ずきんちゃんはドアをスライドさせて開け、滑り込むように乗り込んで後ろでにドアを閉めました。すると、席に着く前にカーゴが動き出したので、赤ずきんちゃんはよろめいて窓に手を付いてしまいます。その窓から見える景色は、右手に山を切り開いて建てられたゴートン駅と指定保護区の植物園があり、窓に寄って下方を見ると銀色の砂漠に波間のような風紋が出来、輝きと陰影を作る様は有害であれ、美しさを感じずにはいられませんでした。

 カーゴの進行方向に目を向けると、緑豊かな小高い山——銀色の海に浮かんだ島が間近に見えて来ました。赤ずきんちゃんは新しいチューインガムを取り出し、噛んでいたガムを包み紙にくるみ、ポケットに仕舞うと新しいガムを口に含みました。

 葡萄の上品な甘味が口の中に広がり、良く咀嚼してから試しに、とばかりガムを小さく膨らませます。それを繰り返しながら、カーゴが揺れるのに身を任せました。

 カーゴを降りて舗装されていない土を踏むと、赤ずきんちゃんは大きく息を吸い込みました。ここには加湿器で最適化された部屋にはない、ひんやりとした心地良さがあり、ついついしゃがんで路傍の野花を眺めてしまいます。しかしながら寄り道をするわけにもいかず、赤ずきんちゃんは先を急ぎます。

 なだらかな坂を暫く歩いて行くと、木立ちが広がり煉瓦作りの塀が見えてきました。塀の上には槍のような鉄の格子が並んで、物々しい感じですが、門扉は既に開かれ、赤ずきんちゃんを迎え入れてくれています。

 門扉をくぐり、庭園と呼ぶに相応しい、手入れの行き届いた庭木や色鮮やかな花々の中を夢心地で行くと、いかにも古びたお屋敷が低木に囲まれて建ち、赤ずきんちゃんはそこで立ち止まって振り返り、溜息をつきました。

 木製の重厚な扉に付いたノッカーは狼が鉄輪を銜える形になっていました。赤ずきんちゃんは鉄の輪を持ち、扉に二度、叩き付けます。

 それほどの間を置かず、左右の扉が引き開けられました。そこにはやや暗い印象の男が立ち、赤ずきんちゃんに頭を下げました。

「お待ちしておりました。どうぞこちらへ。御主人様がお待ちしておいでです」

 男に付いて屋敷内に入ると、自動的に扉が閉まり、草木の葉がこすれ合う音も静寂に呑み込まれてしまいました。

 無言で行く男の後ろを付いて行く赤ずきんちゃんは、肌にピリピリとしたものを感じていました。今まで体験した事のない、この静けさの為でしょうか。

 そして、男は扉の前で止まり、赤ずきんちゃんに振り返ります。

「御主人様はこの部屋でお待ち申しております」

 扉は男が開け、赤ずきんちゃんはその部屋に通されました。

 その部屋の調度はシンプルそのものです。楕円のテーブルに二脚の椅子、他には壁際にある古びた本棚と柱時計くらいのものでした。テーブルの上に置かれた数冊の書籍は開いたままで、主人の姿は見えません。この時、赤ずきんちゃんが思ったのが、この部屋は来客を招き入れるような用途には使われていない。という事で、次の考えと行動にに移る前に、後頭部に強い衝撃を受けてしまいました。


 男はこの部屋に二人の男を招き入れました。

「どうだ、そっちの首尾は」

「屋敷の主人は縛り上げておいた」

「それに執事と召使が三人、縛って同じ部屋に入れてきた」

「よし。赤ずきんも縛って、その辺に転がしておけ」

 男たちはウルフでした。

 フェイクウルフは赤ずきんちゃんの腕からバスケットを奪い取り、チキンウルフが手早く赤ずきんちゃんを後ろ手に縛りました。

 バスケットをテーブルの上に置き、フェイクウルフは布を取り去りました。

「ん、パン?」

「それに手榴弾も入ってる」

「そうだ、忘れるところだった」

 と、チキンウルフは赤ずきんちゃんに近寄り、赤ずきんの下からSMGを引き抜いて二人に見せます。

「一応ね」

「どこからこんな物を手に入れるんだ、こいつは」

「だけど、赤ずきんはこんな所までこんなパンを届けに来たのかなぁ。美味しそうな…あれ、このパン、見た目より随分重いや」

「見せてみろ。これは…中か」

 フェイクウルフはパンを二つに割り、中に詰まっていた物を取り出しました。それは厚手のビニール袋に入り、見た目は砂糖やさらりとした飲み薬のようです。しかし、両手で〈鼻薬〉を持ったフェイクウルフは、興奮した口調で、

「こ、これだけで、億はするぞ」

 と言い、暫くそれをぼんやりと見詰め、引き攣ったような笑顔をし合いました。

「…という事は、それを買えるだけの金がこの屋敷にあるって事になるよな」

「いや、金は振り込みだろう。だが、金目の物は幾らでもあるだろうな」

「なら、手分けして探そうぜ。それと、手榴弾とブラムS1はボクが貰ってもいいかな?」

「ああ、それも貴重品だが、私はその類の物に興味はないからな。シュガーウルフも同様だろう」

「うん、そんなのはいらない」

「それじゃ遠慮なく」

 そして、三人は部屋を出、個々の目的に沿って行動を開始し、赤ずきんちゃんは部屋に残されました。


 チキンウルフは先ほど見付けた一室に居ました。その部屋には鉱物の標本や動物の剥製が飾られており、動物の中には絶滅したものも少なくありません。それらはとても貴重で価値のある物でしたが、チキンウルフの目的はそれらを持ち去る事ではなく、銃遊びの標的としてそれらを利用し、自らの内的ファンタジーを満足させる事でした。然りとて、実際に銃を撃つほどチキンウルフはまぬけではありません。もっとも、照準に剥製が入る度、小さな声で「バーン、バーン」と繰り返していましたが。

 そんなチキンウルフの背後に近付く者が居ました。その気配に気付く筈もなく、チキンウルフは狩人にでもなったつもりで、次々と標的を変えて行きます。照準の先に男が立っていました。チキンウルフは慌ててSMGの銃口を下げ、男に誰何します。

「だ、誰だ、お前」

「誰でもいいじゃないか、そんなの」

「この家の者じゃないな?」

「それより、赤ずきんちゃんは無事だろうな」

「赤ずきんの仲間か!」

 チキンウルフがSMGを構えた瞬間、男の手が動き、低い呻き声と同時にSMGが床に落ち、転がりました。チキンウルフの手の甲はナイフで切り裂かれ、SMGも男によって部屋の隅に蹴り飛ばされてしまいます。そして、男は丸い眼鏡を押し上げながら、こう訊き直しました。

「いいか、一度しか言わなねぇから良く聞いて、正直に答えるんだぞ」

 いつまでも血が噴き出す手の甲を押さえながら、チキンウルフは怯えたように頷きました。

「赤ずきんちゃんは無事なのか?」

「ああ、気絶させて縛り上げてはいるが——」

 チキンウルフが言い終わる前に、男の膝蹴りがみずおちにめり込みました。男に倒れ掛かって来るチキンウルフを払い退け、ナイフとSMGを回収します。ナイフに付いた血はチキンウルフの上着で拭い、SMGはバスケットの中に〈西のパン〉がなくなっているのを確認してから入れました。


 シュガーウルフは至福の時を満喫していました。先ほど見付けていたものの、家中の者を縛り上げ、赤ずきんちゃんを待ち構える為に後回しにしていた事を、今は誰に構うことなく行えるのです。

 調理人が途中まで下ごしらえしていたものを食べ終え、シュガーウルフは下腹を撫でながら、二つある冷蔵庫の一つを開けました。その中には見た事しかない物や、見た事すらない物が十分な間隔をおいて置かれ、その中から調理をしなくても良いハムやチーズを取り出し、一口食べては他のものに齧り付きます。

 食べ疲れたかのように荒い息使いになり、冷蔵庫以外の抽斗や棚を開けて、再び驚きの声が洩れました。巷では大変貴重な果物類が、傷みのない状態で置いてあったからです。シュガーウルフは林檎を手に取り、一齧りしてみました。「シャリシャリ」した歯触りが新たに食欲を湧かせ、葡萄やら苺やらを食い散らかしました。

 そんなシュガーウルフの背後に近付く者が居ました。その気配に気付く筈もなく、シュガーウルフは口の周りを果汁で濡らし、顎と手を動かし続けます。

 そして、背後から転がり出た物をシュガーウルフは反射的に、口に運んでいました。その異様な硬さに冷静さを取り戻した次の瞬間、鈍い炸裂音が屋敷内に響き渡りました。


 赤ずきんちゃんは大きな音で意識を取り戻しました。そして、自分の置かれた状況を確認する為、頭を動かさずに視線だけを走らせます。どうやら、周りに人は居ない様子で、部屋も変わっていません。身体を起こすと後ろ手に縛られた腕を動かしてみますが、容易に自由を取り戻す事は出来ないようです。

 ロープ抜けに夢中になっていると、不意に背後から人の気配を感じ、上半身を捻って振り向きました。

「やぁ、元気だった?」

 そこにはしもんが立っていて、赤ずきんちゃんは驚いて声が出ませんでした。

「このバスケットはキミのだろ、残念ながら〈西のパン〉は奪われたようだが」

「…奪われた? …なんて事……」

「取り戻せばいいさ。まだ間に合う」

「そうね、だったら早くこのロープを解いてくれる?」

「自分で抜けられないの?」

「出来たらそうしてるわよ」

「それもそうだ」

 そう言ってしもんは赤ずきんちゃんを拘束しているロープをナイフで切りました。

 赤ずきんちゃんは手首を擦りながら立ち上がりバスケットを受け取ると、SMGを手に取り、カートリッジを取り出して残弾数をチェックしました。減りがないのを確認すると本体に戻してホルダーに収め、チューインガムを新しく替えます。

「ブラムS1も君のだったんだ」

「ええ、おかしい?」

「いや、似合ってるよ」

「そう。で、あなたはなんでこんな所にいるの?」

「随分な質問だな、おれは君を助けにこうしてやって来たというのに」

「あたしをつけてた?」

「いやいや、君を尾行していた奴等を尾行して来たのさ。苦労したよ」

 赤ずきんちゃんは溜め息をつきました。

「——話を戻すけど、あたしを殴った奴はまだこの屋敷内に居るのね?」

「まぁそうなんだが、君を探している間に二人ほど倒しておいたよ」

「何人居るの?」

「全員で三人だな」

「後一人ね。直ぐにでも片付けなきゃ、屋敷の人たちの安否が気になるし」

「素人くさい奴等だったからな、殺されちゃいないだろう」

「素人の方が怖い時があるでしょ。それにどうやってこの島に入ったのよ、あなたたち」

「さっきも言ったが、おれは君を尾行している奴に気付いて、そいつ等を尾行。ここへは旧地下鉄を使って侵入した。旧地下鉄は各ポイントで封鎖している筈なんだが…」

「ともかく、あたしの仕事を終わらせるわ」

「おれは屋敷の人達を探しておこう」

「お願いね。じゃ」


 フェイクウルフの耳に手榴弾の炸裂音が聞こえました。

「チキンウルフか? …貴重品だと言っただろうに」

 そう言って溜め息を吐き、背丈ほどもある金庫のダイヤルを回し、当たりを探ります。

「金持ちの金庫がこれほど旧式だとはな、これなら工具も必要ない」

 フェイクウルフは指先の感覚だけでダイヤルを右へ左へと回し、それを繰り返す内、どうやら本当に開けてしまったようです。

 その時、フェイクウルフが背後の気配に気付く筈もなく——

「そこまでよ」

「!」

 振り向いたフェイクウルフの額にSMGの銃口が押し付けられます。

「赤ずきん…」

「下手に動かない事ね、頭に穴が空いちゃうから」

 赤ずきんちゃんはその顔を見て、トリガーに指を掛けました。屋敷に迎え入れたのがこの男だったからです。

「ま、待て、撃つな。お前のブツには手を付けていない」

「どこ?」

「向こう、机の上に…」

「屋敷の人たちは?」

「二階の一室に縛り上げている」

「怪我はさせてないでしょうね」

「あぁ、勿論だ…」

「そう、ならもういいわ」

 と、赤ずきんちゃんは巨大な金庫を一瞥して言いました。

「大きな金庫ねぇ、あなたが開けたの?」

 フェイクウルフはこくりと肯きます。

「中は見た?」

「いや、まだだ」

「じゃあ、扉を開けて」

「…何故だ…?」

「いいから」

 赤ずきんちゃんが短く言うと、フェイクウルフは両手を上げながら立ち上がり、金庫に向かいました。

「…開けるぞ」

 赤ずきんちゃんから返答はありませんでしたが、構わず金庫の扉に手を掛け、力を込めて扉を引き開けます。

 目の前の状況にフェイクウルフは驚き、声を絞り出しました。

「……なんだ、これは…」

 その声は金庫内に吸い込まれ、赤ずきんちゃんの手によって封されました。


 赤ずきんちゃんは〈鼻薬〉の状態をチェックして、ビニールに破れなどがない事を確認し、バスケットに入れると、二階に向かいました。

 階段を上りきり、左右の廊下を確認すると、一室からしもんが顔を覗かせます。しもんは赤ずきんちゃんを手招きして室内に戻り、赤ずきんちゃんはチューインガムを包み紙に出してから部屋に入りました。この部屋は客室らしく、落ち着いた家具に無駄のない調度です。

 赤ずきんちゃんが部屋に入った時、既に召使は居らず、そこには執事然とした老人が立ち、その横のシングルソファに座っているのがこの館の主と思われました。

 赤ずきんちゃんは軽く膝を曲げ、腰を落として挨拶をします。

「君が赤ずきんか」

「はい」

「ふむ、御伽噺から抜け出たようだね」

 館の主は含み笑いをもらし、続けます。

「華奢な印象ではあるが、芯は通っているようだな」

 館の主の視線が赤ずきんちゃんからしもんに向きました。

「助けてもらってこう言うのも何だが、君は何者だね? 使いの者は赤ずきん一人のはずだが」

「名前はルース・しもん。おれは三人組を追い掛けてきただけで、そちらの事情は知りませんよ」

「ふむ。どうやってこの島へ入ったのだね?」

「旧地下鉄を使いました。旧地下鉄は要所要所で封鎖扉が下りてるはずなんですがね、あの三人組はわけもなくこの島までやってきた」

「そうか、後で調べさせよう。ご苦労だったねルース君、一階の客室でくつろいでいてくれまえ」

 館の主は老執事に手合図をしました。

「案内しなさい」

 しもんと老執事が部屋から出て行くと、館の主はため息を吐きました。

「いささかスマートではなかったようだが」

「申し訳ありません」

「して、届け物は無事であろうな?」

「はい〈鼻薬〉はこちらに」

 赤ずきんちゃんがバスケットをテーブルに置くと、館の主は〈鼻薬〉を注意深く取り出し、状態を確認すると立ち上がり、部屋の隅にあるアンティークな机の抽斗を開けて〈鼻薬〉を入れました。

「〈鼻薬〉を使った事はあるかね?」

「いえ」

「そうか…」

 館の主は再びシングルソファに座ると赤ずきんちゃんを見詰めました。

「〈鼻薬〉は不安を取り除いてくれる。この年になると些細な事にも不安を覚えてね。穏やかになった砂漠化とはいえ、銀の砂に大切なのも奪われた。十年にもなるが胸の空洞は砂のように埋まりはしない。いつ飲み込まれるともしれない不安、この気持ちは私だけではないと」

 赤ずきんちゃんが言葉なく立ち尽くしていると、背後から老執事の声がしました。

「ダンナ様」

 館の主が頷くと、老執事は館の主の元へ行き何事か耳打ちしました。

「赤ずきん、三人組の一人が見つからないようだが」

「えっと…」

「一人は死体、もう一人は縛られていたようだ」

「それなら、残りの一人は一階の背丈ほどもある金庫中に閉じ込めました」

「ほう、赤ずきんを食べ損なった狼は鉄の腹の中か。あれの中では長くはほうっておけないな。そうだな、狼の始末はこちらでしておこう。ご苦労だったな赤ずきん」

「はい。失礼致します」

 赤ずきんちゃんは老執事からバスケットを受け取り、ドアを開け先を行く労執事の後について一階に降りると、客室でくつろいでいたしもんと館を出ました。

 外は変わらず、木々の湿気を含んだ空気です。

「お疲れ様でした。お帰りもお気をつけて」

「ありがとう」

 赤ずきんちゃんは老執事に軽く手を振り、門扉を抜けてカーゴの方へと向かいます。

「…しかし、空気がうまいな」

「自然っていいわよね」

「どこかに無人の島でもないかね」

 二人がカーゴに乗りドアを閉めると、微かな機械音と共に動き始めました。

 赤ずきんちゃんとしもんは対峙して座るも、言葉なく外を見るでもなく眺めるばかり。それは赤ずきんちゃんが唇に人差し指を押し当てたからでした。それは喋るなという事なのでしょう。

 窓からの景色がゆっくりと、そして確実に遠ざかり行きます。

 カーゴが止まり、二人は再び乾燥した空気に触れました。しもんは溜め息を吐いて去り行くカーゴの行く先を見つめます。

「…さらば楽園」

 しもんがそう呟くと、赤ずきんちゃんはこう返しました。

「ここに楽園はないわ」

「うちらからしたらプライベートエリアなんてどこも楽園じゃないか」

 赤ずきんちゃんはチューインガムを取り出すと、一枚を口に銜え、最後の一枚をしもんに差し出しました。言葉を遮る様に。

「食べる?」

「あ、うん。…なぁ、君の名前を教えてくれないか?」

「赤ずきんよ」

「いや…、通り名じゃなくて」

「運び屋に名前はいらないわ」

「仕事は終わったろ?」

 しもんの言葉に赤ずきんちゃんは足を止め、

「…そうね」

 と、呟きます。そして、赤ずきんちゃんは振り返りながら赤いずきんを脱ぎ、背中に手を回して言いました。

「あたしの名前は——」

 赤ずきんちゃんの唇の動きと共に、しもんの足元にブラムS−1の弾が着弾し、乾いた土煙を立てます。しもんは尻餅をついて赤ずきんちゃんの唇を見詰めていました。しかし、残念な事にしもんはその銃声によって、赤すぎんちゃんの名前を聞き取る事は出来なかったのです。

 赤ずきんちゃんはいつもより重く感じるブラムS−1をホルダーに収め、ベルトを外してホルダーを脱ぎ、バスケットに押し込みました。赤ずきんはその上に被せます。そして、三つ編みを束ねていた輪ゴムを外し、チューインガムを膨らませると、駅へと足を向けました。

 銃声が止み、立ち去って行く金髪の少女が見えなくなるまで、しもんはその場に佇んでいました。先程の銃撃に付いて来るなと言われた様だったからです。


 最後になりますが、赤ずきんちゃんから貰ったチューインガムはとても甘酸っぱかったそうです。


 おしまい。

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赤ずきんちゃんのお仕事 おじさん(物書きの) @odisan_k_k

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