出会いも別れも突然に(2)

 それから、萩野さんと私の同居生活が始まった。萩野さんは店舗を持っているほど腕の良い美容師。店の準備や新人への指導もあるので、朝早くに家を出る。私が起きた時には、いつも朝食が食卓に並べられている。萩野さんの作るご飯は自分で作るよりも美味しくて、つい食べ過ぎてしまう。そんな生活を続けていたせいで、いつの間にか三キロも太っていた。萩野さんと暮らす日々は楽しいけど、ずっと気になっていることがある。萩野さんに質問をしても必ず答えが返ってくる。何を聞いても大抵答えてくれる。でも一つだけ、いや二つほど答えてくれないことがあった。それは……あの日の夜、何があったのかということ。そして、なぜ家に帰れないのかということ。聞こうとするたびに話題を変えられてしまい、ずっと聞けずにいる。別に、ただの同居人くらいなら気にも留めない。こんなにも気になってしまうのは、きっと萩野さんのことが好きだからなのだろう。無理に聞き出そうとしないのも、嫌われてしまうのが怖かったから。

 同居を始めてから半年後。一緒に出掛けた日の夜に、真剣な目で「話がある」と萩野さんに言われた。それは別の家に引っ越そうという話だった。

 「え?引っ越すって」

 突然の話に驚いていると、萩野さんは一枚の紙をテーブルの上に置いた。紙に書かれているのは部屋の間取り。

 「この家に引っ越さない?いや……回りくどいのは嫌だから言うけど。俺とこの家で恋人として暮らさない?」

 萩野さんの目に揺らぎはなかった。私の目から涙が溢れ出す。萩野さんは慌てて私の涙を拭い、「こんな俺と恋人なんて嫌だよね。ごめんね」と言った。首を振り「違うんです。嬉しくて……萩野さんと同じ気持ちでいることが嬉しくて……」と言う。すると、萩野さんは私にそっと口づけをした。

 「こんな俺でもいい?」

 そう聞かれて、私は深く頷く。萩野さんはもう一度、私に先程よりも長く深い口づけをした……。

 

 新居へ引っ越すのに、それほど時間はかからなかった。積まれた段ボールを片付けながら、胸が躍る。この家で萩野さんと思い出が作れると思うと楽しみでしかたがない。一緒に食卓を囲み、一緒にテレビを観て、同じベッドで眠る。「同居」していた時とほとんど変わらない生活でも、恋人になった、それだけで目に写る景色が色濃く鮮やかに見える。些細なことにも幸せを感じた。

 「ずっと、このままでいられたらいいね」

 ふと口から飛び出た言葉。萩野さんは「そうだね……」と微笑んだ。

 何事もなく平和な日常が過ぎ去っていく。交際して一年、二人でたくさんの場所を訪れた。何をしていても萩野さん、いや、宗司さんと一緒にいるだけで楽しくて。時に小さなことで喧嘩をすることもあったけど、その日のうちに必ず仲直りをする。ただ、交際して一年過ぎた頃から、宗司さんの様子がおかしくなった。明らかに遅い帰宅、休みの日は落ち着かない様子でスマホを眺める。疑うのは浮気だった。宗司さんが浮気などするはずがないと信じていても、心の中で疑っている自分がいる。

 「最近、帰りが遅いね。仕事が忙しいの?」

 そう聞いてみると、宗司さんの目が泳ぐ。

 「あ、そ……そうなんだ。ちょっと新人に色々教えていてね。そろそろ二号店も出そうと思っているからさ」

 全然、私の目を見てくれない宗司さんに「ねぇ、何か隠してることあるんじゃないの?」と言った。

 「隠し事?そんなのあるわけないじゃないか。もしかして、俺を疑っているの?」

 宗司さんにそう言われて、傷ついたのと同時に疑いは確信に変わった。たとえ浮気ではなくても、宗司さんは何かしら隠し事をしている。隠し事を探ろうとしても、私は宗司さんの友達も家族も知らない。誰にも話を聞くことができない。あの日から何かを隠すために突然、私といる時間を増やした宗司さん。一緒に居ても、どんな話をしていても、全てが嘘に聞こえてきて、楽しくなかった。そんな生活が続いていくうちに、私達の間には溝ができ、次第に会話も減っていった。もう、私達は終わりなのだろうか……そう思っていた矢先。

 「ごめん。もう、別れよう……」

 宗司さんから別れを告げられた。胸が痛くて苦しくて、私は必要な荷物だけを持って、家を飛び出した。宗司さんが追いかけてくる様子はない。駅に向かい、電車に乗り込む。一時間後、目的の駅で降りて、実家に着いた。遅い時間に帰ってきた娘を両親は温かく迎え入れてくれた。両親は同棲していることを知っていて、宗司さんに会わせたこともある。「もしかして、喧嘩でもした?」という母に、私は頷いた。虚しかった、別れを告げられたことも言えない自分が。

 それからは心が落ち着くまで実家で過ごした。宗司さんからの連絡もなく、スマホを見る度、胸が締め付けられる。母から「そろそろ戻って話し合ったらどうなの?」と言われても、宗司さんのいる家に戻る勇気はなかった。話し合っても、同じ言葉が返ってくるだけだから。実家に居座り始めて、一ヵ月。ようやく、心も落ち着き始めた。それと同時に、捨てきれない宗司さんへの想いだけが募っていた。決心がつき、私は二人で過ごした家に向かう。鍵を開け、中に入ると……。目に写ったのは綺麗に掃除された部屋とテーブルに置かれた数枚の紙。家の中に宗司さんの姿はなかった。テーブルの上に置かれていたのは綺麗な文字で綴られた宗司さんから私への手紙だった。

 

 “ 美乃里みのり

 美乃里に手紙を書くのは初めてだね。それも、最初で最後の手紙。

 だから、最初に言っておくよ。俺は美乃里を愛しています。これからも、この先もずっと。”

 

 手紙には二人で紡いだ沢山の思い出が綴られていた。頬を涙が伝い、視界はぼやける。それでも涙を拭い、手紙を読み続けた。

 

 “ 美乃里と出会ってから今まで、とても短い時間だった。でも、とても濃くて幸せな時間だった。こんなに幸せでいいのだろうかと思ったこともある。だからこそ、美乃里と別れたくなかった……。もっと、ずっと一緒にいて沢山の思い出を作りたかった。できれば、結婚して幸せな家庭を築きたかった。

 この家に美乃里がいないだけで、こんなにも胸が苦しくて、生きるのが辛いのだと今になって気づいたよ。だけど、それもあと少しで終わりだと思う。あと少しで、俺は。

 俺、美乃里のこと幸せにできていたかな。美乃里のこと守れてたかな。会いたい、会いたい。会いたいけど、我慢するよ。実里を守るために。

 美乃里、同じことを何度でも言うよ。俺は美乃里を愛してる。ずっと、ずっと。だから、絶対に幸せになってくれ。俺なんか忘れて絶対に幸せになってほしい。これが最後の俺の願いだ。

 じゃあね、美乃里。”


 手紙を読みえると、私はその場で泣き崩れた。宗司さんの手紙はまるで遺書みたいだった。どれだけ探しても、もう二度と宗司さんとは会えないのだと言っているようだった。その日の夜、宗司さんが帰ってくることはない。目を赤く腫らした私がひとり。母から何度もかかってくる電話にも出られず、二人で愛を育んだベッドの上、唯一残っていた宗司さんのタオルを抱きしめ天井を見ていた。

 

 そして、三日後。宗司さんが亡くなったことを知った……。

 

 

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