出会いも別れも突然に(1)
夜の十時頃。家のチャイムが鳴った。インターフォンに写るのは白いTシャツとジーンズ姿の男性。男性は慌てた様子でチャイムを何度も鳴らす。いつもなら居留守を使い、諦めて帰るまで待ってるのだけど。その時はなぜか話だけでも聞こう、そう思った。「どなたですか?」と尋ねると、男性は家の扉をドンドンと強く叩き「今、人に追われているんです。中に入れてください」と言った。もちろん、こんな時間に男性が家に入れてくれなど怪しいに決まっている。ただ……「お願いします。どうか助けてください」と震えた声の男性に怪しさは感じなかった。別に、これといって感が良い方でもない。それでも、この人は大丈夫だと思い、すぐに家の中に入ってもらった。中に入った途端、男性は玄関で倒れるように座り込んだ。急いで台所に向かい、コップに水を注ぎ入れ男性に渡す。すると、男性は喉が渇いていたのか、水を一気に飲み干し「ありがとうございます」と言った。とりあえず、部屋の中に上がってもらい、ソファーに座ってもらった。男性はずっと俯いたまま肩を震わせている。私は男性が落ちつくまで待っていることにした。しばらく経つと、男性は口を開き「こんな遅くにお騒がせしてしまい申し訳ないです。何もしないので、朝になるまでここに居させていただけないでしょうか」と私の目を見つめる。どんな事情があるのかは知らないけれど、先程の様子を見て外に出すのは危険だと思った。「わかりました」と答えると、男性は「本当ですか。ありがとうございます」と安堵した表情を浮かべた。ただ、このまま見ず知らずの人を泊めるのも怖いので、身元の分かることを尋ねてみる。男性は言い淀むことなく答えてくれた。男性は
「ありがとうございます。有難く頂きますね」
そう言うと、萩野さんはお辞儀をして去って行ってしまった。その日から萩野さんと会うこともなかった。
それから一ヵ月後のこと。同僚に誘われて居酒屋で飲んでいた。小さなミスが積み重なり、自暴自棄になっていた私は足元がふらふらになるまで飲み続け、挙句の果てには終電を逃してしまった。同僚は先にタクシーで帰り、私は友人に教えてもらった近場のネカフェに向かう。その道中、転がっていた石につまづき、前から歩いてきた二人組の男性に肩がぶつかってしまった。夜中に出歩いている人に
「謝ったじゃないですか!もう離してください」
そう言っても、うるさいと怒鳴られ路地裏に引きずり込まれそうになる。そんな時だった。
「何してるんだ?」
後ろの方から男性の低い声が聞こえてくる。振り返ると、そこには萩野さんが立っていた。萩野さんはスマホを耳に当て「もしもし、警察ですか?今、目の前で男性二人組が嫌がる女性の腕を掴んで……」と話し出す。男性二人は舌打ちをし、私の身体から手を離した。そして、逃げるように去っていった。身体の力が抜け、その場に座り込む私。萩野さんは手を差し伸べて「大丈夫ですか?」と言った。萩野さんの手を取り、立ち上がると「ありがとうございました」と深くお辞儀をする。
「こんな時間まで飲んでいたんですか?女性が夜遅くに歩いてはダメですよ」
仕事でも嫌なことばかり重なり、変な男には絡まれるし、萩野さんには叱られる。普段なら言われたことにも素直にうなずけるのに。散々な目にあったせいで、つい言い返してしまった。
「別に萩野さんには関係ないです。夜遅くに女性が歩いちゃいけない法律なんてあるんですか?」
酔っ払い相手のめんどくさい絡みにも萩野さんは優しく対応してくれる。手に持っていたコンビニの袋の中から、水を取り出し「これ飲んで。まだ口もつけてないからあげるよ」と萩野さんは言った。「ありがとうございます」と呟き、貰った水を飲む。水のおかげで荒ぶった心も少し落ち着いた。
「さっきは助けてくれたのに。失礼な態度をとってしまって、ごめんなさい」
私が謝ると萩野さんは「気にしないで。俺もこの間、あんな時間に助けてもらったし。これでおあいこだよ」と微笑む。その後、「じゃあ、一緒に行こうか。どうせ、君の行きたいところなんて少し先にあるネカフェでしょ?」と言い、萩野さんは私の手を握り歩き出す。萩野さんに連れられ辿り着いた目的のネカフェ。「あの、わざわざ、案内までありがとうございます」とお礼を言い、ネカフェに入る。すると、萩野さんも一緒に中へと入ってきた。
「あの……送ってくれたんじゃ?」
そう聞くと、「いや、俺もここ使ってるんで」と萩野さんは言う。
「え?もしかして、あの日からずっとですか?」
「まぁ、ちょっと事情があって家に帰れなくて」
萩野さんはと困ったように笑っていた。酔っぱらっていたからだろうか……、いや既に酔いも
「あの、それなら私の家で暮らしませんか?」
口走った言葉を無かったことにはできない。萩野さんは目を見開いて驚いていた。
「あの……迷惑じゃなければという話で。こんな知り合って間もない人に、一緒に暮らそうなんて言われたら気持ち悪いですよね。聞かなかったことにしてもらえれば……」
なんて恥ずかしさを紛らわすようにつらつらと言葉を並べる。そんな私を見て、何故か萩野さんは大きな声で笑った。「あ、こんな時間に大声出したら怒られるか。ごめんね」と口に手を当てて、微笑む萩野さん。
「私、何かおかしいこと言いました?あ、いや変なことしか言ってない……」
一人で勝手に落ち込んでいる私に、萩野さんは「確かに変だね。普通はこんな知り合ったばかりの人間に暮らそうなんて言わないし。それも男である俺に。お人よしが過ぎると思うよ」と笑う。確かに、考えてみれば危機感がなく、何をされても文句は言えない。
「それじゃあ、やっぱり、この話は聞かなかったことにしてください」
そう言うと、萩野さんは首を振る。
「いや、なかったことにはしなくていいかな。年上の男がこんなことを言うのは情けないけど、その提案に乗らせてもらえないかな?もちろん、ちゃんと働いているから家賃も光熱費も半分払う」
「え?いいんですか?」
自分の提案したことなのに思わず驚いてしまう。「こっちこそ、いいんですか?って話になるんだけど。ダメかな?」と首をかしげる萩野さんは実家で飼っている大型犬に見えた。「大丈夫です。せまい家でよければ」と言うと、萩野さんは「ありがとう」と満面の笑みを浮かべた。
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