自分のセクシュアリティについて

 性の在り方について様々な議論が盛り上がっている昨今。私が一番悩んでいた頃と比べると、いろんな情報がネットにはあふれている。質問に答えると自分のセクシュアリティが分かる、というような診断サイトがやたらと存在するし、セクマイのインフルエンサーを見かけることも増えた。

 ただ、あまりにも短絡的にLGBT(この言葉も今は胡散臭いとすら思ってしまう)と結びつけてしまうことが多すぎる、と思う。例えば、自分の体が気持ち悪いんだよね、と言うと、すぐトランスジェンダーなの?男になりたいの?と聞かれる、みたいな。結局我々は人を分類してカテゴライズしたがる生き物なのだ。もちろん、自分自身のセクシュアリティに名前がつくことで安心できる人もいる。私自身もそうやって救われたこともある。でも、なんでもかんでもそうやって当てはめるのはなんか違うんじゃない…?と思ってしまう面もある。

 じゃあ結局私はなんなんだ?ってことで自分で整理してみた。(さんざん言っておきながら私も診断サイトを利用しています…使いやすいと思ったのはanone,というサイト。)



性自認:女性=シスジェンダー

 まあ今のところはそういうことにしとくか…って感じ。自分の女性性(肉体についても精神についても)についてしばしば悩むことがあり、Xジェンダーかも、と思っていた時期もあるけど、女であることを捨てたいかと言われるとそこまでの覚悟もない。安易にそう名乗れるものでもないだろうし。ただ体と心のずれは若干あるので、その点はどうなんだろう?と今でも悩み中。


性的指向:ヘテロセクシャル

 これもまあそうだなって感じ。そういう経験は今のところ男性としかないし、女性への性的興味もないことはないが、好奇心の域は越えないかな。


恋愛指向:ヘテロロマンティック(+リスロマンティックの傾向あり)

 好きになるのは異性だけ、とほぼ断言できる。好きかもな、という同性の子もいたけど、それはその子だけが特別だったんだと思う。

 ただいろんなものが積み重なって、自分に恋愛は向いてない、と確信している。それがリスロマンティックの部分。ざっくりいうと恋に見返りはいらない、という考え。好きな相手に好かれなくてもいいし付き合わなくてもいい。なんなら好きにならないでほしい。好かれてしまったら逆に相手のことが気持ち悪くなっちゃう。今流行りの蛙化現象ってやつ。

 なんで恋に見返りがいらないかっていうと、自己肯定感が低いからこんな自分を好きになってくれるわけがないと思ってるから。どうせ振り向いてなんてくれない、という諦めの気持ちを最初から持ってしまっているから。もっと言うと私のことを好きだと言う人間は信用できない。(自分を好きになる人間はこの世に存在しないと思っている=自分のことを好きだというのは嘘、もしくは人を見る目が壊滅的にない)自分でもやべえ思考してんな、とは思うが、この思考を変えられる日は来るのかしら。


表現したい性:ノンバイナリー、もしくはジェンダーノンコンフォーミング

 この「表現したい性」という概念は、私にとっては画期的な概念だった。自分ではこう思ってるけど人からこう見られるのは嫌、って部分があるから、そこを切り分けて考えられるようになってかなりすっきりした。

 簡単に言えば、周りから女性として見られたくない。特に異性からは。自分では女性だと思ってるんでしょ?男性を好きになるしセックスもするんでしょ?と思うかもしれないが、私にとっては「女性であること」と「女性として見られること」は全く別物だし、他者からそれを押し付けられるのが私には何よりも我慢ならない。女だからとかじゃなく、ただ「私」を見てくれ、ただ「私」として扱ってくれ。私はただ私として在りたいだけなんだよ。

 なんでそう思うようになったかっていうのは、また別に書こうと思う。

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