クローバーの花束をあなたへ

青いひつじ

第1話




彼が誰なのか、よく分からなかったが、親切な青年だった。



「こんにちは」


「こんにちは、今日も1日いい天気だったね」


私たちの会話はいつも、他愛ない挨拶から始まった。



「もう夏が来ましたね」


「きっと輝くような空なんだろうね」


「はい。今日は雲ひとつない、きれいな青空でした」





私たちが出会ったのは、彼が小学5年生の頃だ。



「こんにちわ」



私はベンチに座り、白に染まった世界の中で考え事をしていた。

突然声をかけられ、とても驚いたのを覚えている。


「僕は、天内小学校に通う、小学5年生、松井将吾です(まつい しょうご)です」


彼は聞き取りやすい大きな声で、ゆっくりと自己紹介をした。

とても元気な少年だった。

私は彼に事情を説明した。




「実は私は目が見えなくてね、話しかける前に肩を触ってもらえるとありがたいよ」


「すみませんでした」


「いやいいさ。小学5年生かぁ。君がどれくらいの身長か触ってみてもいいかい」


「もちろんです」


私はゆっくり手を伸ばし、彼の頭を触った。

そのまま手を自分に近づけると、私の胸に当たった。


「友達にはチビと呼ばれています」


「いやいや。これからグンッと大きくなるさ」






彼は、毎日同じ時間に会いにきた。

雨の降る日、私は近所の屋根のある休憩所へ行った。

彼は、雨の日も私を見つけて会いにきた。

帰り道を心配し、傘をさしてくれた。



「僕が傘になります」


そう言った彼の肩が私の肩に当たった。


「なんだか、大きくなった気がするな」


「育ち盛りです」


「今何年生なんだっけ」


「中学2年生です」



中学生になった彼は野球部に所属している。

練習で忙しくても、彼は必ず会いにきた。

時には2〜3分、今日の空の話だけして帰る日もあった。


こんにちは、さようなら。

そんな当たり前の会話が、私たちにはとても特別なことのようだった。





私たちの間をたくさんの時間が過ぎた。

風に乗って、肉まんの匂いがした。

きっと月が綺麗な季節がやってきたのだ。

そう思えば、商店街はオモチャ箱のようにキラキラと賑やかになり、雪が少しだけ積もって、

太陽が街を溶かすように輝いている。


私の肩に、優しく手が触れた。




「あ、四葉のクローバーだ」


「私も昔よくクローバー探しをしたよ。誰とだった思い出せないけど、その子が見つからないと泣くもんだから、必死に探したなぁ」


「見つかったんですか?」


「いや、見つけられなかった。だから不器用ながらにクローバーの花を繋げて首飾りを作ったんだ」


「その子は喜んでましたか?」


「はは。それもよく思い出せないんだが。でも、帰りに雨が降ってきて、一緒に傘をさして帰ったことはすごく覚えているよ」


「僕も、お父さんと似たような思い出があります」


「君のお父さんはどんな人なんだい?」


「最近白髪が増えてきました」


「それだけ君も大きくなっているのさ」




風が強く吹き、私の顔に春が降ってきた。



「あの、実は僕、大学に進学することになりました」


「そうか、おめでとう」


「明日遠くへ行くため、もうここへ来ることはできません」



「喜ばしいことだけど、寂しくなるね。もう大学生か。身長どれくらい伸びたんだい」



手を伸ばすと、彼の頭は私よりも高いところにあるようだった。



「こんなに大きくなったのか」



青年は鼻を啜った。



「風邪かい?」


「いえ、花粉症で」


「体調にも気をつけてね。握手をしよう」


「僕に、何かエールをくれませんか」


「そんな大それたことは言えないんだが。

そうだな。どうか、いつまでも幸せで」



最後に繋いだ青年の手は、私よりも随分と大きくなっていた。



私は、手を振って見送った。

いつからか、青年との時間を毎日心待ちにしている自分がいた。

この日々がずっと続くと思っていた。



「明日から静かになるな」



少しだけ寂しい気持ちを抱えながら歩く帰り道。私はいつもの八百屋へ寄った。



「おー、まっちゃん、いらっしゃい」



店長の明るい声が聞こえてホッとする。



「なーんだよ。そんな顔して」



「あ、いやぁ、8年くらいかな、仲良くしてた青年がいたんだが、大学が決まって明日この街を旅立つって言うもんだから、、、なんだかね、、、」



「それで寂しくなったてのかい。そーんなしみったれた面してちゃぁ、安心して飛び立てねーだろ。ほら、このトマトかたち悪いから持ってっちゃって」


店長はボコボコのトマトを無理矢理袋に詰め込んだ。



「ありがとう」


「いやー、俺たちもそういう歳だよなぁ。うちの娘も難しい年頃よぉ。白髪染めてよ!なんて言われちゃって」



「店長白髪なのかぁ、知らなかった」



「おめーさんも、いい感じのグレーヘアーになってるよ」



「お、そうか。明日染めに行こうかな」



「気をつけて帰んなよ」



お釣りを受け取り、ちょっとだけ雨の降る帰り道をひとり歩く。





「あら、まっちゃん?」


「仲良かった子がここを旅立つみたいで落ち込んでたぜ。見ろよあの背中」


「あらまぁ」


「でも、なんか幸せそうだったよ。鞄に花束入ってた」


「花束?」


「ありゃあ、クローバーの花かな」









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