第2話 メガネ、推しを見る

 やぁやぁ。

 ……なんだい?新しい眼鏡を買いに来てフレームを選んでたけど視界がぼやけてフレームが自分に合っているかわからないって言いたいような顔をして。

 こんにちは!眼鏡だよ!


 眼鏡の現在の状況は、自分の装備者兼推しの顔を目の前にして固まっているよ!

 いや、だって私好みのイケメンな顔がすぐ近くにあるんだよ?普通動揺するでしょう。

 二次元でイケメンだと実際に画面もなしに見てもイケメンなんだな。その驚いたような、戸惑いも見せるその表情も素敵だよ。

 あまりに素敵だったから、私はすぐに両手を合わせて見せた。

 尊い。その一言に尽きる。


 そんな私の推し、ナハティガル君は慌てて私を地面に降ろした。そしてその美しい身体に纏っていた白い上着を脱ぎ、私の肩にかけてくれた。

 あぁ、ナハティガル君の温もり、そしてナハティガル君の匂いを感じる。鼻を埋めてくんかくんかと嗅ぎたい。

 そんな変態地味た思考の中で自分の状況に気づけてなかった。否、まったく気にしてなかったのだろう。

 ナハティガル君の無事を伺うような声音で発された言葉を聞くまでは。


「どこのどなたかは存じ上げませんが、何も纏わないのは寒いかと思います。大きいと思いますが、私の上着を使ってください」


 えぇ、そうでした。私今全裸だったんでした。

 いつの間にか自分の目の前に全裸の少女が現れて、突然拝まれるなんてそりゃ動揺しますよね。明らかに危ない子じゃないですか私。

 改めて自分の姿を見下ろしてみる。

 足のサイズも掌も小さくなっている。まな板に近かった胸部は綺麗なまな板になっていて、毛も生えていない小娘の姿のようだ。

 よかった。これで眼鏡に転生する前の私の姿だったならナハティガル君の視界を穢した罪で腹切りするところだった。少女の姿ならばセーフだろう。恐らく。

 ナハティガル君がかけてくれた上着の前を合わせ、これ以上ナハティガル君の前に裸体を晒さないようにする。まるでナハティガル君に包まれているような気分になってこれはこれでいい。


「……えっと、その」


 ナハティガル君は言葉が思いつかないのか視線を彷徨わせている。

 私だけ何も喋らないのはナハティガル君に申し訳ない。私から話題を振ってあげなければ。何せ私の精神年齢はナハティガル君より上なのだから。年上の女性として年下に良い所を見せなければ。

 とはいえ、ナハティガル君にため口で話しかけるのは忍びないし、夢にも思わなかった推しとの会話にどんな言葉遣いが正解なのだろうか。

 考えて、私は口を開いた。


「ご無事なようでご安心しましたナハティガル。先ほどは危ない所でしたね」


 友人たちが聞いたらそうツッコミを受けそうだ。私も自分に言いたい。誰だお前は。

 なんで穏やかな口調で丁寧に愛おしそうに言葉をかけたんだ。それは相手が推しだからです。そりゃ愛おしいですよ。汚い言葉なんてかけたとなったら自害しますよ。眼鏡バッキバキに壊しますよ。

 ナハティガル君は疑問に思わなかったのか、少し緊張したような面持ちで私と視線を合わせてくる。


「貴女が助けてくださったのですね。あの光のおかげで難を逃れました」

「私に出来る事はあの程度しかありません。貴方の力があってこそ危機を逃れただけであり、全ては貴方の力でございます」


 うーん、可愛い声になってるからこの口調が似あわないな。でも今更幼い口調に戻すわけにもいかないし、しばらくはこの口調を意識しないと。


「恐れ入りますが、貴女は一体どなたなのでしょうか。私の事を知っているようですが」


 ナハティガル君の問いに私は迷うことなく答えた。


「私は貴方の眼鏡です。眼鏡の姿が本来の姿であり、ずっと貴方を見守っておりました」

「……メガネ、ですか」


 そう呟いてナハティガル君は黙り込んでしまった。

 まぁ、そうだよね。少女が突然「私、眼鏡です!」って言っても、何言ってんだこいつって反応になるよね。

 信じてもらうには眼鏡の姿に戻ればいいのかな。でもまた少女の姿になれるかわからないからなぁ。どうせなら眼鏡じゃできない事をしたい。


「……女神、様ですか?」

「え、いえ。眼鏡です」

「女神様ではなく?」

「眼鏡です。貴方がさっきまでかけていた眼鏡です」


 ナハティガル君は自分の顔に手を当て、眼鏡がない事に気づいたようだ。少し目を閉じて何かを考えてから口を開いた。


「あれは、祖父からステータスグラスと言う物だと聞かされていたのですが」

「そうなのですか。ですが私達は眼鏡と呼んでおります。眼鏡の方が言いやすいでしょう?」


 そう言えば、このファタリテートにはナハティガル君以外に眼鏡キャラはいなかった。勿論モブにもだ。もしかしたらこの世界では眼鏡は私一本しかいないのかもしれない。

 あれ、つまり私レア装備品?


「……とりあえず、理解しました。メガネ様」

「様はいりません。私は貴方の所有物ですから。寧ろ私が貴方をご主人様と呼ばなければいけませんね」

「そんな、恐れ多い事にございます」


 焦ったナハティガル君もカッコいい。それにナハティガル君の所有物ってすごくいい言葉だね。ファンとして何よりのご褒美になるわ。推しの眼鏡に転生してよかった!


「とにかく、メガネ様。私は貴女の素肌を見てしまいました。それに関して責任を取らねばと思う次第にございます」

「……責任?」

「えぇ。いくら幼い姿であろうとも、女性の素肌を見てしまうのは死に値する事態かと」

「そんな大袈裟な」


 大袈裟とはいえ、ナハティガル君が責任を取ってくれるという言葉はとても妄想力が発揮される。

 良くある話としては結婚してくれる事だろう。つまり、家に帰るとナハティガル君がお出迎えしてくれて、ナハティガル君がご飯を作ってくれて、ナハティガル君が朝起こしてくれて。もしお願いしたら裸エプロンで出迎えてくれたり、「先にご飯にする?お風呂にする?それとも……私?」みたいなベタなこともしてくれるのだろうか。何それ天国か。楽園か。


「……メガネ様、それでよろしいでしょうか?」

「へ、あ、はい」


 妄想に勤しんでいる間にナハティガル君が何か言っていたようだが私の耳には入っていなかった。しまった、目の前にナハティガル君がいるというのに妄想のナハティガル君に夢中になってしまうなんて、現実のナハティガル君に集中しないと。

 何度か頭を振ってからナハティガル君を真っ直ぐに見つめる。さあ、何でも言ってごらんなさい、と覚悟を決めた心は簡単に崩れ去った。

 ナハティガル君は上着下に隠されていた私の右手を晒し、その手の甲に唇を落としたのだ。

 ナハティガル君の薄い唇の柔らかさと、吐息の温もりが、手の甲に集中する。

 思わず悲鳴を上げ失神してしまいそうな状況であったけれど、下唇を血が出る程に噛むことでなんとか抑えた。


「マッフェン ズィー アイネン フェアトラーク」


 ナハティガル君がそう呟いたと思うと、私の右手の甲が青く光った。その光はどんどん光源が弱くなり、光が無くなるとそこには花のような紋様が残っていた。

 私がそれをまじまじと見ていると、ナハティガル君は安心させるように口を開いた。


「許可を得ましたので、メガネ様を私の契約神として契約させて頂きました。これでメガネ様の今後に心配はいらなくなります。まぁ、もしかするとメガネ様を苦労させてしまうかもしれませんが」


 私が聞き逃している間に話が進んでしまっていたようだ。詳しく聞こうと右手の甲に向けていた視線を上に向ければ微笑んでいるナハティガル君の顔があった。


「改めてよろしくお願いしますね、メガネ様」


 その笑顔に耐え切れず、私は背中から地面に倒れた。

 推しの幸せそうな笑顔を見れて、本当に眼鏡に転生してよかったと実感した。



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