第3話 休日、先輩の部屋にて



 ところで、私にはとある計画がある。

 きっと止められてしまうだろうな、と思いつつ、それでも考えずにはいられないこと。


「……今、何て言ったの?」


 ここは先輩の部屋。私は今日、彼女の家に泊まりに来ているのだ。

 目の前には、お風呂上がりで髪を下ろした先輩が、ぽかん、と口を開けている。

 そういう表情をしていてもやっぱりきれいに見えるのは、私が先輩に惹かれ過ぎているからだろうか。


「だから、高校、辞めるって言ったんです」

「……な、な」

「あ、すぐにじゃないですよ?来年の四月になったらって話です」

「ど、どうしてよ」

「だって四月になったら、先輩、卒業しちゃうじゃないですか」

「……」

「東京の大学に行くんですよね。だから私もついていきます」

「……摩夜まや


 目の前に座った先輩が私の名前を呼んでくる。

 その言い方に、ちょっとだけ「呆れた」、の感情が含まれていることに気がついて、私はむっとする。

 止められてしまうだろうなとは思っていたけど、そういう言い方はしてほしくない。


「だって、ここから東京まで、新幹線で五時間もかかるんですよ。毎日はおろか週末にちょっと会うことも出来やしない。年に何回か――お正月とか夏休みに――たまに顔を見るだけ。先輩はそんなの耐えられるんですか?」

「……たった一年だけの話でしょ」

「たった」


 私はますます不機嫌になって、目の前の先輩から顔を背けた。


「たった、って言いましたね。たったって」

「言ったけど」

「……先輩にとって、私と過ごす一年ってその程度のものなんですね」


 我ながら面倒くさい台詞。

 でも本心なのだから仕方ない。

 私は一日だって離れていたくないと思っているのに、先輩は一年を「たった」、と言うのだ。その熱量の差をどうしても感じてしまうじゃないか。


「ええ、そうね」


 そして先輩は、否定されたくて吐いた私の面倒くさいその台詞を、あっさり肯定してしまった。


「……な」

「なによ」

「……ひ、酷くないですか?」

「酷くない」

「酷いですよ」

「酷くない。だって私たちはこれから一生を一緒に過ごすんだから。たった一年程度のことでそんなに狼狽うろたえないで」

「……」

「……」

「……え」


 私は顔を上げた。

 先輩はいたって真面目な顔をして私のことを見ていた。


「なによ」

「いや、だって」


 それって、

 

「……プロポーズ、じゃないですか?」

「さあ」

「さあって」

「そうかもね」

「そうかもねって……」


 先輩は平然としている。

 私は混乱してしまう。

 なんでそんなに平気そうにしているんだろう。

 ちょっとポニーテールに悪戯されただけのことでぷんぷん怒って、ちょっと街中で手を繋いだだけのことで慌てていたくせに。

 

「こ、事の重大さがわかってるんですか?」

「そっちこそ、ちゃんと考えてるの?」

「え?」


 鋭い口調で切り返されて、私は怯む。


「高校を辞めて、私と一緒に東京に来て、それでどうするつもりなの」

「……それは」

「……考えてないんでしょ」

「か、考えてましたよ。その……バイトするつもりですよ。一緒に暮らせるアパートを見つけて、ちゃんとお金も入れます。先輩に迷惑はかけません」


 私は漠然と考えていた計画の中身を話した。

 でも、話すにつれ声が弱々しくなっていくのが自分でもわかった。

 

「それは手段の話でしょ」


 先輩はぴしゃりと言う。


「私は摩夜がなんのために東京に行くのか、その目的を訊いてるの」

「……目的って、そんなの、先輩と一緒にいたいからですよ。それだけじゃだめですか?」

「だめ」

「そんな……」

「あのね、私だって摩夜と一緒にいたいと思ってる。高校を辞めてまでついてくるって言ってくれる気持ちは、正直嬉しい」


 でもね、


「私はあんたに、

「……」

「私は私、摩夜は摩夜で自分のやりたいことを見つけて、そんなお互いを支え合う。二人で生きていくってそういうことだと、私は思うの」

「……」

「……」

「……厳しいんですね」

「……そうね」


 だって私は、あんたの先輩だもの――と先輩は呟いた。

 その口調はでも、ぽつりとしていて、どこかうつむいていて、


「やっぱり先輩も、少しは寂しく思ってくれてるんですね」

「当たり前でしょ、そんなの」

「えへへ、よかった」


 私は安心していた。

 よかった、ちゃんと先輩にも私に対する熱量はあったのだ。

 それも、もしかしたら私のよりも少しだけ大きいのかもしれない――そんなやつが。


「摩夜」


 先輩がその両手を広げて、私の名前を呼んでいる。

 私はそこに向けて飛びこんでみる。と、柔らかな感触が私の身体を受け止めてくれた。

 熱量がどうかはわからないけど、少なくとも先輩の胸が私のそれより大きいのは確かなようだ。


「……ねえ」

「……はい」

「……待ってるから、ちゃんと追いついてきて」

「……わかりました」



 まあ、そういうわけで。私の突拍子もない計画は、久しぶりに見た先輩の先輩らしさの前に、あえなく止められてしまったというわけだ。

 

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