サクラはハルに告げる

佐久ユウ

サクラはハルに告げる

 幼少期から伸ばしていた黒い毛束が化粧室のダストボックスに消えた。ハルは鏡の向こうの自分を見つめる。少しだけ「かわいい」と思う反面、顔剃りで切った不揃いの毛先は粗野で凛として、男の所有物となる女より「イケてる」かもしれない。

 でも、やっぱり「変」だ。


『ソレ、変な感じね』

 一番はじめの婚約者に向けて放った自分の言葉を思い出して苦笑する。真綿で包み、さらに箱に入れられて育てられたハルの率直な感想は、婚約者に喜びより侮辱を与え心を萎えさせたらしい。ハルにしてみれば他意のない言葉だ。でもそれが二人の関係の決定的な亀裂となった。先方から婚約解消が突きつけられ、ハルの両親は十八年間に及ぶ教育方針の誤りを知った。

 だが一人娘は楽観的だった。むしろ髪と一緒に穢れが断たれ、自然に近づけたことが誇らしかった。長くあるべきと伸ばされた髪を切ると「変」ではあったが、いずれ慣れるはずだと思うことができた。

 ハルは足元に視線を落とす。両親が無理やり持たせた栄養補助食品が心を重たくする。いっそ箱を解体して中身の『三十種の自然栽培野菜と天然酵母の完全食』と印刷されたパウチを捨て去ってやりたかった。でも食べられる物を公共のダストボックスに捨てるのは気がとがめた。

 ターミナルを出れば、重力変化で箱の重さも六分の一くらいになるはずだ。

「学校へ持っていくしかないか……もったいないしね」

 ハルはため息をつきキャリーワゴンを引きずって化粧室をあとにした。


*****


「季節外れのご入学おめでとう、編入生さん」

 ハルを出迎えた女学生の愛らしく無垢なほほえみは、両親が捨てた着せ替え人形達に似ていた。ストレートの金髪は光背のように広がり、栗色の瞳は光の星が輝く。色白の頬が桜色なのもよく似ている。


 ハルの生家には少女型の着せ替え人形が二体あった。情操教育のため男女一対の人形の一つは、幼子には早すぎる外見的特徴があり「教育上よろしくない」と両親が破棄した。だが人形を一つにすることを両親は嫌った。当時両親は「ひとり」という概念を敵視し、人形も再度もう一対を買い直して、少女型を「ふたりめ」として与えた。夫婦の間にも「ふたりめ」が来ることを願掛けするみたいに。ハルの両親は、自然的な治療を諦められなかった。

 そのためハルの情操教育は二体の少女型が担当した。「お母さん」と「ママ」が働き、家事をして、同じ布団で眠る。情報フィルタリングされた屋敷ではそれが自然だった。教育は全て家庭内で行われ、長じてから生物学で「雄」や「男」の存在は知ったが、AI家庭教師はその役割を言及しなかった。両親はAIに過激な表現を避ける設定フィルタリングが施していた。彼らは性教育は嫁ぎ先の「男」がおこなう事が自然だと考える人達だった。

 だから両親は十八になった一人娘に何十回も「なぜ?」「どうして?」と問いかける羽目になる事を予想していなかった。自然主義者の彼らにとって自然でない概念は「ごく自然に」排除されていた。

 だから娘が何十回も婚約破棄に至っても「相手との相性の問題」でしかなかった。

 ついにハルは「だから男に興味が無いんだって!」と両親に叫ぶ。ハルはようやく異性結婚の義務に対する違和感を言語化できて満足した。だが両親は良家の遺伝子が残せぬ事実を向けられ、地獄に落ちる心地だった。「ふたりめ」を自然な形で望むには母親は高齢で、婚約先からの侮蔑の言葉に耐えられなくなった父親も限界だった。

 だから夫婦が長い嘆息とともに夜空を見上げ、目に入った月に願いを託すのは必然の結末だった、

 月は両親にとっての最後の希望になった。そして懐かしい面影を持つ少女に出会ったハルにとっても別の意味で希望となりつつあった。



「みんなを代表して、歓迎するわ」

 人形の面影を持つ女子生徒が、柔らかな手を差し伸べる。ハルは自然と笑みをこぼして握手をした。

「サクラさん……貴方とは会った、のかな?」

「同い年で「さん」は不要よ。同じ顔ばかりだから紛らわしいわよね? 識別名はリッカ。二週間前に検査棟で挨拶したけど貴方は気を失いかけてたし、覚えていなくとも仕方ないわよ。重力変化にやられたの?」

「重力酔いじゃないよ。検査室の椅子に突き上げられたのが嫌だっただけ」

 リッカと名乗った少女が高らかに笑った。

「次第に慣れるわよ。実戦よりはマシ」

「たしかにね。それに椅子は髪の毛を引っ張ったりはしない」

 リッカは微笑みを解いて、制服のポケットから通信端末を取り出して目線の高さへ掲げ、端末上のハルの入学紹介の画像と見比べた。

「髪を短くしているのはそういう理由?」

「その画像、ボクが地上を発つ時に大急ぎで撮影したやつだから。髪は両親と別れてからターミナルのトイレで切ったんだ。短ければ重力が薄い月では邪魔にならくて良いかなって思ってね」

 ニンニクがほのかに香り、リッカの指先がハルに触れた。そもまま引き寄せられ、ハルは気づくとリッカの波打つ金髪に埋もれた。

「そう……それは、痛かったわね」

 耳元のささやきは元婚約者と違って心地良い。

「引っ張られる痛みは、まだ耐えられるよ」

 リッカからはニンニクの強い香りしかしないが、ハルは初めて抱擁の心地よさを知った。


*****


 重力調整された女子だけの学食の机に料理が並ぶ。サラダボウル、パスタ、サンドイッチ、青野菜のパンケーキ、具沢山のポトフと全粒粉のパン……健康志向で女子ウケする食事だ。

 生家の食卓より華やかでもハルには食欲がないのに、皿には机の上と同じ内容が一口ずつ分けてある。ハルは例のパウチで食事を済ませるつもりだったが、クラスメイト達に拉致された。その上、「地上で増える体重を減らしたい」と言って取り皿に分けてハルのトレーに乗せた。

 ハルは地上の体重増加はランチのカロリーと関係ないと思う。でもリッカと同じ顔のクラスメイト達の好意を無下にもできない。皆からは「王子様」と呼ばれ内心有頂天だったし、彼女達の期待に応えるべく「王子様」らしく振る舞った結果だった。

 二十三人目のポニーテール姿のクラスメイトが席に着いたとき、学食に髪を下ろしたリッカが来て、誰かが声をかけた。

「リッカ、こっちへ来ないの?」

 リッカはニンニクラーメンと、端末を載せたトレーを少し持ち上げて微笑む。

「匂いがきついし、離れて食べるわ」

 ニンニクの香りは、甘ったるい匂い……シャンプーや、制汗スプレー、紫外線避けクリーム、化粧品の香料に消されず、はっきりと感じるものだった。

 しかしクラスメイト達は気にせず「毎回にんにくラーメンね」と言うだけだった。皆はリッカと同じ微笑みを浮かべ、自分達の料理に向き直り、手元の端末をいじって進路先の最終検討をはじめる。

 リッカはチラリとハルを一瞥するとクラスメイト達から離れた窓辺の席へトレーを置いた。

 ハルは立ち上がった。二十三人の視線がほぼ同時に集まって散った。クラスメイト達にとって期限が明日に迫る進路表の候補を決める方がハルの食事場所よりも重要だった。おそろいの金髪ポニーテールを揺らし、毛先に指を巻いて端末をスクロールしては候補が被らぬよう、彼女達は慎重に計画を練っている。

 

 ハルは自分の端末を制服のポケットに入れ、栄養パウチとシェアされた品が載る皿をトレーに乗せてリッカの席に近づいた。

 リッカの背後、窓ガラスの外には青い地球が浮かんでいる。惑星を背にするリッカはさながら月の女神だ。下ろした黄金を片側だけ耳にかけている。色白の顔にかかる、寝癖がついた長い前髪も神々しい。その髪を掻き上げて現れた顔立ちは他の二十三人と同じ作りだが、「リッカ」は髪型が皆んなと違うからハルでも分かる。


「美味しそうな匂いだよね」


 リッカは再びハルを一瞥すると、自分の端末をハルに差し出した。マニキュアを塗った指先で電子書籍『バービーはなぜ殺されたのか』の表紙を閉じて、進路表の候補者リストを開く。


「あの子達の匂いキツイから食欲無くした? そのお皿のおかずは私が食べてあげるから、進路先を選んでくれる?」

「匂いから逃げたってよく分かったね。けれど君は体重は気にしないの?」


 声を出して笑うリッカを見て、やはり月の女神に相応しい美しさがあるとハルは思った。


「みんな体重よりも『香害』を気にした方が良いのにね」

「貴方ぐらいに控えめなら良いんだけど」


 転入初日からハルは教室の、学食の、あらゆる場所の匂いにうんざりした。学校に通う前、月の施設で一ヶ月ほど重力軽減訓練を受けて重力変化頭痛は解消したが今度は香りで頭痛が酷くなった。厳密には「男に媚びてるような女っぽい香り」にイライラした。

 リッカがラーメンを啜る。ニンニクの匂いがハルの鼻腔をくすぐった。それ以外の匂いは彼女にはなく、純粋なニンニクだけの香りが心地よかった。麺の端をリッカの紅い唇がちゅっと音を立てて吸い込んだ。


「仕方ないの。あの子達は匂いで自分と他人を区別しているのよ。着せ替え人形はみんな同じ外見だから」

「着せ替え人形?」

「サクラ……私たちよ。地上にも着せ替え人形があるでしょ? 二体で一対の情操教育と言う名の恋愛矯正プログラム。月のは女の子が黒髪のお姫様。王子様は黒髪、茶髪、金髪と色々あるけど。ちょうどこの端末の中にいる候補者みたいにね」

「人形はあったけど、貴方は人間でしょう?」

「そう? 再生樹脂を枠型に流して作る人形は誰もが好む最大公約数の顔なのよ? 同じく遺伝子操作でデザインされた私達はあらゆる王子様から好かれる容姿なのだから一緒じゃない」

「クラスメイトがボクを王子様って呼ぶのは情操教育のおかげってこと? 本心じゃなくて?」

 ハルは眉間に皺を寄せた。二週間前の自己紹介の後、クラスメイト達から『歓迎します、王子様』と呼ばれたことを思い出した。

「異質だからそう呼んだのかもね。でも私は王子様とは言わないわよ、転入生さん」

「リッカはニンニク以外の匂いはないし、ポニーテールもしない……皆んなと違うよね。でもラーメンは括らないと髪が邪魔をしない?」

 リッカは両口の端を挙げて澄ました顔をする。

「他の子と同調したくないの。お揃いのポニーテールや、人工的な女らしい香りが嫌。さぁ、お皿を頂戴。最近はお腹が空いて困るくらい」

「羨ましいね。ボクはここに来てからなぜか食欲が落ちたよ。重力の影響なのかな。皮肉だけど実家から来たコイツが今の生命線」


 ハルは『三十種の有機自然栽培野菜と天然酵母の完全食』のパウチをチュッと吸った。リッカは皿の取り分けたおかずに箸をつける。ハルはクラスメイト達に悪い気がして、チラリと後ろを向いた。だが端末に夢中で気づいてる様子はなかった。


「皆んな本当に熱心だね。なのにリッカの未来のパートナーをボクが選んで良いの?」

「月の花嫁学校にくる進路先なんて、どれも似たり寄ったりよ? 学歴も年収も顔のパーツもほぼ同レベル」


 リッカが手元の端末をタップする。画面に現れたのは見目麗しい男たちだった。進路先と呼ばれるその一覧表は彼女達の将来の結婚相手でもある。ハルはその画面を指先でスクロールした。地球で地位ある政治家、起業家、投資家、学者、名門の令息などなど。いずれも顔立ちが良く、高身長で、学歴も体力も申し分ない。勤め先や肩書きの違いはあれど、どの相手も同じような特徴を持っている。ハルは画面から視線を上げた。


「他の子達は真剣に選んでるよ?」

「まぁ肩書きとスペックが同レベルでも、写真では相手の心が読めないからね。転入生さんは? 皆んな進路票は出すのよ?」


 リッカが皿のおかずを口に運ぶ。赤い唇にハルは視線を奪われ、その動きを見守った。


「ボクは花嫁になりたくて来たわけじゃない……身も心も女だけど、男になれたらと思ってる」

「それじゃあ無理やり入学させられたくち?」

「最初はね。自然主義者の親に転入させられたんだ。君たちを「見習え」だって。ご都合主義な自然主義者だよ」

「自然主義者ってなぁに?」

「手を加えていない有性生殖こそが人類の正しい形だと信じる哀れな人々さ。人工妊娠も遺伝子操作も許せないとか言いながら『正当な恋愛』を勉強するには「月の花嫁学校」が最も優れている、という理由で地球から送還された」


 ハルは栄養補助食品のパウチを握りしめ、音を立てて吸い込んだ。リッカが声を出して笑った。


「あははは。『正当な恋愛』? 地球人は月にまだロマンがあると信じてるんだ……まぁ地球人の夢を育てる場所には違いないか」

「君も地上に夢を持つだろう? 少なくとも二十三人は薔薇色の未来を信じているよ?」


 真面目な顔になったリッカは栗色の瞳を細めた。


「なら貴方も夢ある地上だと思うの? それなら地上から来た貴方が私の進路先を選んでよ」

「違う。ボクにはそもそも君の進路先は選べない。男は恋愛対象外だから良さがわからないんだ。だからボクは自分の進路票を出さずに此処に残る」


 何気なく言ってしまった言葉をハルが後悔する間もなく、リッカの栗色の瞳は見開き、色白の頰が桜色に染まった。


「そう。地上には戻らず、月で研究でもするつもりなのね。地球外人員として残れば、異性結婚の義務から外れるしね」

「そうするつもりだよ。リッカ……」


 ハルは緊張で食道まで逆流しそうな栄養ドリンクを飲み込こみ、リッカを青い瞳で真っ直ぐに見つめた。


「それでも『月にはやっぱりロマンがある』と言ったら、君は笑う?」


 リッカも真っ直ぐに栗色の瞳に星を輝かせて見つめかえす。


「笑わないわよ。私も『正当な恋愛』とやらに反抗したい生き物だもの。進路表もどうでもいい」

「いま君が言ったこと……ボクはYESだと受け取っていいの?」


 人形のようなリッカの桜色の頬がより濃くなる。

 

「そうよ。ハルもYESなら、昼休みに一緒にサクラを見ない?」

「サクラ?」

「ええ、さっそく私の故郷を紹介したいの」


 リッカは満面の笑みを浮かべ、最後のおかずを口に入れた。


*****


 学食のある校舎を出て、透明なカプセル型の車に乗る。車は透明なチューブを通って静かの海を音もなく進んだ。校舎がある「陸」よりも低くなっている薄暗い「海」のには幾つものドーム型の建物が点在していた。


「ほら、あれが育成棟。あっちは遺伝子研究棟その隣が病院兼産院。全部が私達の、私の故郷よ」

「入学するひと月前にもオリエンテーションで見たよ。あの病院も行った……健康診断と遺伝子提供だっけ?」

「そうね。でも貴方の両親は自然主義者なのに、よく遺伝子提供を許したのね」

「あの人たちは自分達の血筋を何らかの形でどこかに残したいと思っているんだ。自然主義者だから人工的方法に極力頼りたくなくてね。ボクは一人娘、自然な形は望めないから月に送る事にしたんじゃないかな。研究棟に遺伝子が残るから」

「提供された遺伝子は地球外で適応できるように何かしら操作されるわよ?」

「自然交配でさえ遺伝子は組み変わるでしょ。まぁ積極的に望む結末ではないだろうけど、最低限なんとかしたい、みたいな。遺伝子提供は編入の絶対条件だし、遺伝子操作よりボクの恋愛観が運良く矯正されることに望みをかけたのかも。ここの学校は地上の男性から高評価だしね」

「でも貴方は矯正されなかったのね」

「この学校の授業って、ヨガ、会話術、心理教育、マナーや、美容、文化教養、地理歴史、宇宙一般の学術……地上と代わりない。それでボクの嗜好が矯正されるのだったらとっくに変わってるよ」

「なるほど。遺伝子操作で嗜好も操作できたら素敵だけど、案外難しいものね」


 ハルは思わず、リッカの横顔を見つめた。リッカは見られたことを感じて栗色の瞳を細めて妖しく微笑んだ。


「ハル、いま私が怖いことを言ったって思った?」

「ボクは君を知りたいから、どういう意味でその言葉が出たのかを知りたい」

「そう、怖いのではないのね。私たちはクローンだから同じ顔って訳ではないの。遺伝子操作で容姿も操作できるから必要以上に相手の嗜好に合わせないという倫理的な配慮で皆んな同じ顔なのよ。王子様達の欲望はキリがないでしょう? だから着せ替え人形を参考に最大公約数の好ましい姿にしたの。もちろん流行に合わせて毎年、パーツは少しだけ変化するけれど」

「だから人形だって? 意思はあるのに?」

「いいえ本当に人形だもの。地上に下りれば、髪型や顔立ちはファッションや化粧でカスタマイズされて外見にも個性が生まれる。でもその外見は私たち自身で支配できない」

「どうして? 君たちにも自由意志や人権は保証されてるはずだよ? 自分の好きな姿をすればいい」

「分かっていないな、転入生さん。花嫁学校で育つ月の子は、王子様に媚びることを地上で覚えるのよ。地球外でも耐えられる遺伝子を残すことが私たちの存在理由なんだから。王子様に見放されれば孵卵器として蔑まれるか、さもなくば好事家のコレクションになる。私たちの権利は砂上の楼閣なの」


 透明なカプセル型の車が広い庭園に入った。ドアが開き、車から降りると体がふわりと地面に着地した。庭園は人工調光されたドームで覆われていて、人工的な青空の下、若草色の芝生の上にサクラの老木が満開の花を咲かせていた。

 二人が動くと桃色の花びらが空をスノードームのように漂った。


「さっきの話、それなら養われなくても生きていける力を身につければいいだろう?」

「無理よ。王子様はそれを望まないもの。だから私たちは同一化してきたの。なるべく同じになって、トラブルが起きた時に誰かのスペアになれるようにね。でもそんな時代も終わりにできるわ。私たちはようやく私を獲得できる……ハル、地面を蹴りすぎないようにこちらへきて。この部屋は重力が弱いの。転ぶといけないから」


 リッカがハルの手を引いて桜の木の下へ誘った。二人の上には満開の桜の花が咲いていた。

 

「ハル、このサクラ……ソメイヨシノはクローンでね、同じ品種同士では子は生まれないの。皮肉よね。月には女の子がいっぱいなのに、クローンのルナ同士では子供は望めない。だから私達は自分を残すために地球に夢を見ているのよ」

「ボクにとって、地球は地獄みたいなところだったけど、君たちには夢のある場所なのか……」

「少なくとも地上の現実を知るまではね。進路先は人格的にも優れている候補者が選別されているとはきく。でも心や性癖は偽れるわ。何を考えているか分からないブラックボックスよ。クローンだからサクラは短命なのではないの。地上の環境が合わず、耐えられなかっただけだと思う。環境さえ合えばこのソメイヨシノみたいに樹齢百年だって超えられる」


 リッカが手を広げると、金髪が空中に広がり、桜の花びらが舞って髪を飾った。


「だから、ハル。この桜の下で女だけの花園を一緒に作らない? 体細胞から生殖細胞を作る技術は確立されている。私たちクローンはそうやって作られるんだもの。そこに私たちとは異なる貴方の遺伝子が加われば、女だけで完全な子供が持てるわよ?」

「待ってよリッカ。ボクたちはキスも結婚もしていないのに、どうして子供だなんて言うの? 飛躍しすぎだよ」

「そうかしら? 私たち『正当な恋愛』が実現できるのよ。非生産と誹られず、欲望や快楽の視線に晒されず、男が最も尊ぶ「清い身体」で効率的に純粋な愛を地球外に残す事ができる。だからハルと私で純粋な愛を証明しましょう?」


 制服のポケットからピルケースをリッカは取り出し、手のひらに中身を出す。彼女の手のひらには二つの白い錠剤があった。


「ハル。貴方が選んで。貴方が飲むか、私が飲むか、二人で飲まないか、二人とも飲むか」


 ハルは急速に喉が乾くのを感じた。


「どういうこと?」

 

 リッカが桜の下で高らかに歌う。

「匂いが嫌になったのはいつ? 固形物はダメでも完全食のパウチは食べられるのはなぜ? 貴方のご両親はご都合主義者で、何を望んでいた?」

「ボクは……君が何を言っているのか、よく分からないよ」

「わかるように言うわ。ハル、貴方が選んで。お父さんになるか、お母さんになるか、二人ともお母さんになるか、今はやめるか」


 ハルは自分の下腹部を押さえた。健康診断の時に椅子に座らされ、子宮を調べられていたことを思い出す。ハルは背筋が冷えていくのを感じた。

 婚約者に無理矢理こじ開けられそうになった最低な記憶が蘇る。


「なぜ、勝手にそんなことをしたの!」

「勝手? 貴方は月にロマンを望んでいたのではなくて? 結果が早くなっただけよ。寿命は遺伝子で操作できないのだから。望むなら早く産んで育てれば自由な時間も増えるわよ?」

 リッカのさも当たり前のように微笑む。


「でも……ボクの意思は?」


 リッカが近寄り、ハルの側に立つと再び手のひらの錠剤を見せる。

「だから、今聞いているの。貴方の意思は私の手のひらにある。貴方が選べばいい。この薬で未来は決まる」

「これがリッカの望む『純粋な愛』なの?」

「私はハルの髪も引っ張らないし、身体も汚さない。王子様達みたいな愛し方はしないの。それともハルは王子様がすることを私に求めたかった?」

「それは……」


 顔を桜色に染めたハルが言い淀むと、リッカは微笑んだ。


「ハルは『男の子になれたらと思う』って言ったよね。それならまずは一つ目の決断をしてみたら?」




 

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