第7回「胡乱な軍配 その⑤」

「数の利はこちらにある。皆で一斉に斬りかかれ」


 どう考えても小物な斬られ役の台詞だが、これは観柳斎が正しい。

 例え人を斬り慣れていない集団であっても、集団でかかれば達人を仕留められる。それはこれから何年も後、油小路で新選組最強候補にも常に名のあがる服部武雄が名も無き隊士たちの凶刃に倒れたことからも明らかだ。


「兄貴、いけるか?」


「いや……それが些か自信が無い」


「心配いらんさ、頭数だけ揃えても所詮素人よ。父上の地獄の稽古の方がまだ死にそうだったぜ」


「いや、剣の腕の話ではない」


「ならなんだ」


「俺は顔見知りは斬れぬから、河井継之助に味方したわけだが……」


「わけだが?」


「こやつらとも、一時は手を組んだ顔見知りだった……」


 全員がぶっ飛んだ。


「どんだけお人よしなんだ兄貴あんたはーッ!」


「えーいふざけおって! 皆、臆することはない! こやつらを斬り捨て、尊王攘夷の魁となろうぞ!」


 谷三十郎、万事休す。


 三十郎が剣を振るえないことには、もう一つの理由がある。それはいつの間にやら隣にぽつりと立ち尽くしていた、千三郎である。


 ここで剣戟になれば、千が巻き込まれる……。

 それだけは阻止せねばならん。だが、どうやって……。


 咄嗟に目に入ったのは、千三郎と彼が背負う木箱。そして脳裏に浮かんだのは、松山の城内で立ち尽くす己に無責任に笑いかける熊田恰の姿であった。


 そうだ、なんとでもなれ。


 三十郎は千三郎から木箱を奪い取ると、不敵に笑って自分を取り囲む者たちへ行った。


「それ以上近づかぬ方が良いぞ! お主ら、これが読めんのか」


 三十郎の合図で、千三郎は提灯を木箱に近づけた。暗がりの中に浮かび上がる「火薬」の文字に、皆の表情が変わる。一様に後ずさりして、三十郎たちを取り囲む輪がザザザと広がった。


「我ら、この貧相な装いを見ての通り板倉家家臣・谷三兄弟である! 家中では大砲組頭として火薬の扱いを任されておったが、こうなっては最早これまで! お主らのへなちょこ剣の手にかかるくらいなら、ここで華々しく爆死してくれる!」


 ひるむ刺客たち。


 三十郎は最期の一押しに「三、二、一……」と、提灯の火で木箱を炙った。

 倉敷村の吉次郎が真っ先に逃げ出した。それを皮切りに、皆が蜘蛛の子のように逃げ出した。武田観柳斎だけがぽつりと残って、その撫で付け髪が秋風でゆらゆら揺れていた。


「……チ。やはり目先の流行りに乗っかる莫迦バカどもはアテにならん」


「武田とやら、お主も逃げねば爆発に巻き込まれるぞ」


「谷と言ったな。その口車だけは評価してやるが、そんなハッタリはこの僕には通用しない。その箱から火薬の匂いなんて微塵もしないじゃないか」


 武田観柳斎。鼻の利く男。

 ぐぬぬ、と引き下がる三十郎。


「お主の愚策も木っ端微塵。火薬だけにね」


 武田観柳斎は、落ち着いた様子で腰の打ち刀をスラリと抜いた。

 応じようと構える万太郎を、河井継之助は制止して「おいお前」と声を張る。


「なぜ俺を狙う。俺は攘夷派に狙われる謂われなどない」


「そうでなくとも身に覚えがおありのはずだが?」


「多すぎてわからん」


 三兄弟と観柳斎がズッコケた。


 そう、この河井継之助という男、思ったことをすぐ口にしたり、上司に口答えしたりという自分勝手なところでかなり厄介者扱いされていたのである。

 ちなみに彼は、かの有名な佐久間象山に師事したこともあったワケであるが、変わり者同士あんまりソリは合わなかったらしい。


「だが、検討はついてるさ。国元の爺さんたちの差し金だろう」


「何かやらかしたんですか?」


「故郷の藩政改革をやろうと思ったんだがね、どうやら敵を作り過ぎたらしい」


 もしや、それでこの男は山田方谷に会いに来たのか?


 自分が成し得なかった改革をやり遂げんとしている百姓上がりを、どうしても見てやりたくなったのだろうか?


 三十郎が思考をよそに、抜刀した河井継之助と武田観柳斎が向かい合った。


 継之助の構えは、まるで喧嘩のような無頼の構えだった。


「くっくっく、お喋りはここまでで良かろう。尊王攘夷の大義の為、死んでもらうぞ継之助。ここで命運尽き之助というわけだ」


「それはどうかな。武田何某、お前は俺には勝てないよ」


「言ってくれる。確かに僕は甲州流軍学を得意とする軍学者だが、剣とて常人以上には遣えるのだ」


「いいや、お前は勝てん」


「貴様、何を根拠にそう言ってる」


「お前……近目だろ」


 武田観柳斎はギョッとして、冷や汗を流した。

 この男、なぜ自分が目が悪く、夜にもなればほとんど周りが見えないことに気づいたのだ? そんな素振りは全く見せなかったはずだ。


 恐るべし、河井継之助。

 流石に長岡きっての慧眼の持主。


 継之助は咳払いを一つして、言った。


「さっきからお前が話しかけてるの、俺じゃないよ」


「え、提灯持ってるのが継之助じゃないの?」


「私は谷千三郎です。よろしくお願いします」


「え、誰それ」


 言うが早いか、観柳斎の脳天に継之助の刀の柄が振り下ろされた。

 鈍い音があたりに響いて、しばらくして観柳斎が道端に倒れた。


 河井継之助はおもむろに月を眺めると、刀をピュッと振った。

 月光が反射してキラリと光った刀身を、彼はすらりと鞘へ収める。


「ぁこれにて、ぁ一件落着っ」


 河井継之助。後の戊辰戦争で長岡藩を背負って立つ風雲児の旅は、まだ始まったばかりなのである。


「兄貴、なんかあの人の方が主人公っぽいぞ」


「言うな」


 〇


 爽やかな秋晴れの朝だった。遠くの空で、駿馬のような形な雲が青天を駆けていく。玉島の往来で、雀たちがじゃれ合っている。

 港は徐々に活気づいて、いつもの玉島の情景がやってくる。


 旅籠屋の前で、三十郎と万太郎は河井継之助と向かい合っていた。

 皆、それぞれの道へ向けての旅支度を終えていた。


「三十郎君。昨夜は世話になった」


「いえ、性分ですから」


「……あの時君は、俺に助太刀しつつも、武田の手先を斬ろうとしなかった」

 

 ええ、まあ、と照れ笑いする三十郎。

 しかし途端に、継之助は表情を強張らせる。


「その優柔さはさっさと捨てちまえ」


 固まる二人に、継之助はつづけた。


「どんどん斬れ、と言うつもりはない。そうならないのが一番良い。だが今は、それでは守れないものがあまりに多すぎる」


「しかし……」


「弟さんたちが斬られそうな時、お主はどうする」


「……」


 言い淀んだ三十郎を見て、継之助はむしろ嬉しそうに笑った。

 鳶色の目が朝日できらきらと光った。


「悩んどけ。いつか決断できるように」


 不思議な男だ、と三十郎は思った。

 父のようでもあり、熊田恰のようでもあり、どこか山田方谷にも似ている。


 継之助は「うし、そろっと行かんばなんね」とくるりと背を向けて、笠を目深にかぶってすたすたと歩きだした。かなり早足だ。


 継之助は内心の高まる鼓動を抑えながら、思わず顔がほころんでいた。


「良い国だ。……山田安五郎、さて如何なる男かな」


 すると遠くで、谷万太郎が「おうい」とこちらへ声を張った。

 別れの言葉を言い忘れたのだろうか?


「方谷先生と呼べ―!」


「あ、聞こえてたのね……」


 この後、河井継之助は山田方谷に出会うのであるが、熊田恰同様にその人柄に猛烈に感動。直前まで手紙にも「安五郎」と書いていたのを一変して「方谷先生」と慕うようになり、果ては生涯の師とまで呼ぶようになる。

 ちゃっかりした男である。


 さて、この男の事も忘れてはならない。


「くそお……どこで僕の策は間違ったんだ……」


 武田観柳斎。秋の夜中に路上で一晩寝ていたので、風邪を引いたようである。


 大きなクシャミをして、身を震わせながら玉島を出ようとする彼に、一人の少年が駆け寄って来た。千三郎である。


「これ、よかったら」


 火薬箱から取り出されたのは、風邪薬だ。

 観柳斎は自尊心と戦ったが、ふんだくるようにしてそれを懐にしまい込んだ。


「恩を売ったと思うな。次に僕の邪魔をしたら、容赦なく斬るからな」


「代りにお願いがあります」


「何、結構ちゃっかりした坊ちゃんじゃないか。……なんだよ、金ならないぞ」


「これ」

 

 千三郎は『志士求む』の引き札を取り出した。

 小筆で書かれた鯰の絵を指差している。


「あなたの絵ですか?」


「……まあ」


「絵、お上手なんですね」


「…………そう?」


「はい、なのでここに……」


 しばらくして、千三郎は火薬箱を背負ったまま戻って来た。


「どこへ行ってた千! 心配したではないか!」


「まあまあ。で兄貴、これからどうする。路銀が……」


 三十郎はにんまり笑って、ふところから巾着袋を取り出した。

 のぞきこむと、三人で江戸までは行けそうな額の銭が入っている。


「河井殿から、用心棒代だって!」


「お! なんだよ、意外に気前がいいおっさんじゃねえの!」


「一先ずこれでどうにかなる! 行くぞお前たち!」


「おう!」


「はい」


 歩き出す三人。


 三十郎と万太郎の背中を、千三郎は追った。


 背負われた木箱の側面には、細い筆でメダカの兄弟が三匹、描かれていた。

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