第7回「胡乱な軍配 その④」

「開国論者、河井かわい継之助つぎのすけを斬る」


 武田観柳斎の言葉に、皆がごくりとツバを飲み込んだ。


 皆、所詮は三十郎たちと同じく金や己の行く先を求める若人にすぎなかった。今から人を殺しに行く覚悟など、出来ていなかった。


 一人の青茄子のような顔をした若い侍がこっそりその場を去ろうとすると、観柳斎は目敏くその男を呼び止める。


「まさか、おめおめ帰れるなどと思ってはおるまいね。河井の暗殺計画を話した以上、君たちをただで帰すわけにはいかない。表には僕の同志たちが待っている」


 嘘である。

 そんな仲間はこの男にはいない。


 しかし青茄子の侍をはじめとした皆はすっかり信じ切って、一様に顔を真っ青にして観柳斎を見つめていた。観柳斎はその視線たちを、恍惚の表情で受けていた。


「どうする。志士として名を挙げる絶好の機会じゃぞ」


 しばしの沈黙の後、ある若者が拳を畳へ叩きつける。

 その男は、前回武田の質問に答えられなかった、如何にも軽薄そうな若者だった。閉じているのか開いているのかわからない薄い釣り目で、エラの張った頬にはそばかすがあった。


「俺はやる! 志士になってやる!」


「素晴らしい。君の名前は?」


「倉敷村の吉次郎!」


「誰かいないかね、吉次郎君のような勇士に続く者は」


 こう言われると、雨の降り始めのようにぽつぽつと声が上がるようになった。気づけば皆が「継之助、斬るべし」と、前のめりになっていた。

 観柳斎は嫌に甲高い含み笑いをした。ここに居る皆を嘲笑っているようだった。


「万太郎兄上、三十郎兄上が動きません」


「だろうな」


 三十郎は眉をギュッとひそめた凛々しい顔のまま、石のようになっていた。弟二人が突いてもつねっても、一切動じなかった。


「兄貴は人を斬ったことがねえんだ」


「なんですって、それは……」


 千三郎は声を潜めながら、万太郎に言った。


「普通なことじゃないですか」


 万太郎がズッコケた。

 如何に侍が「刀」という生殺与奪を握っていても、それを行使する者はこの泰平の江戸時代には決して多くなかった。そもそも抜刀をするのにも厳しい取り決めがある。それ相応の理由が無ければ、如何に階級の上位に座している侍と言えど罰を受けねばならない。

 そうするうちに侍たちにとっても、刀を抜くようなことは稀になり、中には一度も抜刀せずに天寿を全うした侍もいるくらいだったのである。


「でも兄貴よお」


 と、万太郎は兄の盃に酒を注いだ。

 突然どうして酒が出て来るのか。それは侍の説明をしている間に場面が代わり、今は三人が寄宿している旅籠屋だからである。


「斬らなきゃならねえ時もあるんじゃねえのかな。武士ってのはさ」


「お前はあるのか、人を斬ったこと」


「無いけどもさ。そもそも武士ってのがどうして偉いか知ってるか? 前に熊田殿が言ってたんだけどさ、武士は畑仕事も商いもしなくていい代わりに、戦の時は命を張るんだってさ。だから平時はふんぞり返っててもいいんだって」


「何が言いたいんだよ」


「つまり、武士である以上は覚悟をしなきゃいけないってことだ。いつだって戦に出る覚悟、言い換えりゃ、いつだって人を斬れる覚悟をだ」


 三十郎は盃を一息に飲み干すと「そういう時代か」とゆらりと立ち上がった。風に揺れる柳のような身のこなし。完全に出来上がっている。

 しめしめ、と万太郎は笑った。


「致し方あるまい。悪いのは時代だ。万太郎、行くぞ」


「おうよ。千、お前は遠くで見てるんだぞ。ってお前、何してんだ」


 千三郎は、自分が入っていた大きな木箱にせっせと荷物をまとめていた。


「人を斬ればお尋ね者です。すぐ逃げられるよう支度しています」


「逃げの用意がいいな……」

 


 〇



 冷たい潮風が背筋を過る。どこかで松虫が鳴いている。昼間は活気のあった港も、夜が更けるとすっかり静かになっていた。

 その一筋に、黒黒とした人だかりがある。観柳斎に招集された一行である。


「良く集まってくれた。この暗さでは各々の顔まではよく判らんが、光を宿した眼差しだけはハッキリと輝いて見える。河井継之助はそこの円通寺に居る。その帰り道にこの道を必ず通る。皆で取り囲んで、一斉に斬りかかれ。良いな」


「応」


 影の一行はそれぞれ持ち場についた。

 残された観柳斎は、鼻をスンスンとさせて一行の背中に目をやった。


「……誰か酒飲んでたな」


 そう呟いて、自分もそそくさと物陰に身を潜めた。そしてひたすらに、河井継之助が通るのを待った。

 しばらくして、円通寺からこちらに向かって、手持ち提灯の明かりがゆらゆらと進んできた。夜目が効いている刺客たちは、それが供の者も無く一人で歩いて来る侍だとすぐに分かった。

 背の低い、三十ほどの男。

 河井継之助に違いない。

 皆は狼のように一斉に物陰から飛び出し、継之助を囲い込んだ。

 継之助はぴたりと歩みを止め、鷹のような目でぎょろ、ぎょろ、と皆を見回した。


「主ら、誰ぞに唆されたか。俺を斬っても何にもならないよ」


 刺客たちが黙りこくる中、口を開いたのは三十郎だった。


「河井継之助、天誅を加える」


「若い奴はこれだもんなア」


 継之助は提灯を高く掲げた。自分を斬る刺客の顔を、確かめてやろうと思ったのだ。そして彼は、鳶色の目できょとんとした。


「およ、おみしゃん板倉様んとこの……」


 三十郎もまた、闇夜に浮かび上がった継之助の顔を見てきょとんとした。


「ううむ、だいぶ酔ったな、河井継之助が昼間の侍に見える」


「兄貴! どうやら同一人物らしいぜ!」


「何い!」


 三十郎はまたしても、石のように固まってしまった。酒で赤らんだ顔が徐々に真っ青になっていった。

 背後で武田観柳斎の声がする。


「何をしている。その男をさっさと斬れ!」


「……」


「顔見知りだかなんだか知らんが、大した知り合いじゃないんだろう。斬るのだ!」


 三十郎は悩んだ。

 なぜ顔を見知った男を斬らねばならないんだ。赤の他人であったなら、まだ楽だったのに。いや、むしろ嫌な男だったではないか。ならば斬れるか? 俺に斬れるか? 

 その様子を見た万太郎は、腹を括った様子で耳打ちした。


「どうする。俺はどっちでもいいぜ」


「……うむ!」


 三十郎はすらりと刀を抜くと、継之助に歩み寄った。

 かと思うと、くるりと反転して、観柳斎達にむかって剣を構えた。


「血迷ったか飲んだくれ」


「ひっく。仔細あってこちらに加勢いたす。やはり暗殺は良くない、金の為とはいえ請け負えん」


「已むを得ん。君たち、この酔っ払いもついでに斬ってしまえ」


 冷たく言い放つ武田観柳斎。


 酔っぱらいながら剣を構える谷三十郎。


 その三十郎の隣で槍を構える谷万太郎。


 事態は良く分からないが、とにかく刀を抜かんとする河井継之助。


「すまん、刀を使うので提灯これ、持っといてもらえる?」


「わかりました」


 よく分からないうちに刺客たちの中に紛れ込み、よく分からないうちに提灯を渡された谷千三郎。


 玉島の決闘が始まろうとしている。

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