第7回「胡乱な軍配 その③」

 玉島は、備中松山を流れる運河の終着点でもある。


 三十郎たちも乗って来た高瀬舟が常に行き来するので、運河はそのまま「高瀬通」とも呼ばれた。船着き場も同様に「高瀬場」と呼ばれ、北の山国から鉄や米、薪や綿といった産物が運び込まれる。


 港は活気にあふれていた。というのはつまり、常に物資と舟が行き来し、光る汗と熱気であふれていた。

 が、三人が向かったのは、入り組んだ小道を曲がりくねった先にある怪しげな旅籠屋だった。祭りのような喧騒は遠く響くようになって、彼らの耳へ入っていた。


「あったぞ、目印の提灯だ」


 三十郎が指さした先で、武田菱の真新しい提灯が草臥れたようにうな垂れている。真白い紙が陰気と湿気でふやけてしまっているようだ。


「十両払う気前のいい場所には見えねえけどな」


「まあ、半分の五両でも良いではないか」


「この分じゃそれだって怪しいぜ」


 誰も寄りつかなさそうな、陰気な旅籠屋。しかしいざ入ってみると、八畳の部屋に凡そ二十人ほどが肩を寄せ合っている。皆、三兄弟同様に貧相な身なりだが、どうやら浪人者や士分でない者も混ざっているようだ。


 上座に座っている男を、三人は見た。

 これがまた、奇妙な風体の男だった。


 頬は剃刀で削がれたように痩けていて、山伏のような撫で付け髪。茜色の羽織には、黒々と提灯と同じ武田菱が浮かんでいる。

 腰を反らし、こちらを下に見るようにして大仰に座っているので、高い鼻が尖った山頂のように見えた。


「諸君」


 男が口を開いた。思わず不快になるような、嫌な甲高さの声である。


「諸君らには今、この国がどう映る。……じゃあ、君」


 あてられた若い浪人は、突然で言葉が出ず、首を傾げたり笑ったりしていた。

 なんだかこっちまで気まずい空気。

 男は大袈裟に「フン」と一笑した。


「いや、何も恥ずかしいことではない。こんな辺鄙な地でそれを掴むのは容易なことではない。しかしだからこそ、本日ここに集まった各々方は幸運であると言える。今日を機に視野を広げることができるのだから」


 男は扇子を取り出すと、滔々と語り出した。

 その様はまるで講談師のようであった。


「今、日本は異国からの脅威に晒されている。

 黒船以来、夷狄の船はぞくぞくと我が国の港へと押し寄せているのだ。

 

 老中首座の阿部様というのはどうも八方美人なきらいがある。開国を推す奸臣どもの言いなりになり、かと思えば攘夷を訴える名君水戸斉昭公に従う。

 結局困り果てた阿部様は、老中首座を降りてしまわれた。


 もはやこのような幕府だけにこの国の行く末を任せきりにしてはおけない。

 我々一人一人が各々に立ち上がる時が来たのだ。

 次の時代を開いていくのは、君たちなのだ」


「あのお」


「はい、そこの板倉家に仕官していたであろう君。ふふふ、なぜ初対面の僕がそんなことに気づいたのか、不思議でたまらないだろう。何故わかったって? 実に単純な推理だよ、それはね」


「いや、それは良いです、どうせ貧相な着物ですよ。質問があるのですが」


「おや、なんだろう。難しい言葉を使っていたならすまないね、攘夷というのは、夷狄を攘う、つまりは異国の者の好きなようにはさせないという崇高な志のことだよ」


「いえ、その」


「なんだね、ハッキリ言いたまえよ」


「十両はいつもらえるんですか」


 男はズッコケた。


「あの」と万太郎が続ける。


「な、なんだね……」


「長くなるなら出てっていいか?」


 男はさらにズッコケた。


「私からも」と千三郎が続ける。


「なんだよクソ! いい加減にしろ!」


「そもそもあなた誰ですか」


 男は回転を加えてズッコケた。

 男は目を細めて、三兄弟をそれぞれ目にした。そしてよろよろと立ち上がると、咳払いひとつをして眼下の皆に言った。


「待ちきれない方もおられるようなので、いよいよ本題に入ろう。皆のように志高く攘夷を唱える英傑とは対照的に、夷狄に尾を振る売国奴も少なくない。本日は、そいつらを斬る為にお集まりいただきました次第です」


 斬る、という言葉でその場の空気がピンと張りつめた。

 皆が唾を飲む様に、男は満足気にニヤリと笑った。


「申し遅れました、僕は武田たけだ観柳斎かんりゅうさい。草莽の志士としてお国の為、尊王攘夷に奔走する男です。以後、お見知りおきを」


 先ほど言葉に詰まっていた若い浪人がおずおずと手を挙げた。


「誰を斬るんでしょうか?」


「良い質問です。その男は越後長岡からこの玉島へのこのこやってきています。江戸で開国論者の佐久間象山に学び、長岡の殿様には無礼な建言書を送ったとして危険視する輩も少なくなくてね。


 男の名は河井かわい継之助つぎのすけ


 各々、仕損じぬよう参りましょうね」


 後に新選組五番組長となる甲州流軍学者・武田観柳斎。

 谷三十郎と同様に嫌われ者になる運命のこの二人。

 この玉島の一件が、後々の奇妙な縁のはじまりとなったのである。


 そして、今から彼らが斬りにいく河井継之助!

 彼もまた、幕末になくてはならない人なのであるが、今回は急を要する事態のため、解説はまた今度にさせていただきたいのである。


「万太郎兄上……」


「ああ。妙な話に巻き込まれちまったな……」


「それもですが、三十郎兄上が真っ青になって動かぬのです」


「ああ、これな。実は兄貴は……」


 重ねて申し上げます。

 このままずるずる話が延びてしまうのもそれはそれで楽しいかもわかりませんが、急を要する事態でございますので、次回に繰り越させていただきます。


 では、また次回。

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