第7回「胡乱な軍配 その②」

 三十郎と万太郎は眼前の光景が夢じゃないと確信した。

 つねり合ったほっぺたがムチャクチャ痛かったのである。


 火薬と書かれた箱からひょっこり出てきたのは、末の弟千三郎だった。

 千三郎は呆然とする兄を前に歩みを進め、言った。


「うぷっ」


 そりゃあ、波に揺られながら小さな箱の中に居ればそういうことにもなるだろう。  

 か細く小さな背中をさすりながら、三十郎は訊ねた。


「千、お前どうして……」


「高瀬舟で」


「阿呆! どうして箱に入ってたんだ!」


「お城の賀陽姫様から頼まれました。仔細は文にしたと」


「……これか」


 三十郎はご家老から手渡された文箱の中身を広げた。そこには、千三郎も共に連れて行くように、と確かに書かれてある。


「千、兄たちは物見遊山でここへ来たわけではない。もう故郷へは戻れぬかもしれんのだ」


「存じてます。お家断絶となったんですよね、周りの者から伺いました」


「そうか……酷なことを訊かせてしまったな」


「確か、万太郎兄上が藩主の奥方に手を出したんですよね」


 隣で黄昏れていた万太郎がぶっ飛んだ。


「違あーう! なんだそりゃ! 変な話になってるじゃないか!」


「ですが皆さんがそうに違いないって……」


「皆さんって誰だ!」


万太郎少年を良く知る酒屋の看板娘

「そうですね、いつかやりそうだなとは思ってました。目つきがたまにジトッとしていやらしい時ありましたもん。ほんと最低って感じ」


万太郎少年の友達・柘之進くん

「いや実際助平なところはあった。槍の腕が立つっていうんでモテてたし、調子に乗っちゃったんじゃないかなあ。だがまあ、悪い男ではなかった……友人として残念でなりません」


万太郎少年の母

「亡くなった主人が憤慨していた時があって、その時はまだ小さかった千に女子の口説き方を教えていたとか(第3回その④参照)……我が子ながら末恐ろしゅうございます……」


「以上、故郷の皆さんでした」


 万太郎は槍を抜身にすると「帰る!」と北に向けて走った。三十郎と千三郎が片足にそれぞれ引っ付いたが、そこは備中松山板倉家が誇る武術の達人、ずんずん進む。


「万太郎! ほら、切り替えるのだ!」


「切り替えられるか! 俺は兄貴が不憫だからついて来てやったんだよ! これじゃまるで兄貴が俺のためについて来てくれたみたいじゃんか! 行かせてくれ! 全員ぶん殴ってやる!」


「行くのはいいがお前、戻りの路銀は?」


「ある! 俺にだって用心棒や方谷先生の塾で稼いだ蓄えが……」


 懐に手をやった万太郎。それなりの額が入った巾着袋があるはずなのだ。右手で探したが、無い。左手で探しても、無い。

 一度背負った荷物を道端に広げたが、無い。

 そして思い出した。


「あの時、原田左之助にくれてやったんだった~~~~!!!!」


「お前結構バカなとこあるよなあ」


 三十郎は万太郎の耳元へ口を寄せる。


「だが真面目な話、そういうことにした方が都合がよいぞ」


「兄貴がカッコ悪くならねえもんな」


「そうそう。いや違うそれもそうだが、俺が言いたいのは、ほら……」


 ハッとした万太郎が、秋の陽を照り返す川面を見つめる少年の背中を見つめた。それはひどくちっぽけで孤独な存在だった。


「お前、千に正直に話せるか? お前は板倉家が厄介なことにならぬよう、つまはじきにされた御落胤で、我々は兄でもなんでもない赤の他人だ、などと。我らが出奔したのも全て、お前のせいだと」


「そりゃそうだが……千を騙せってのかよ」


「今更だろうが。あやつが産れた時から、我々は兄弟として共に暮らした。それなら、真実を告げねば真の兄弟と変わらん。違うか」


 普段は揉め事になると真っ先に立場を変える兄だが、家族のことになると、こうして意固地になる。万太郎もこれには頷くほかなかった。


「それに、私は千と本当に血のつながった兄弟と思えることがある」


「ぼんやりしてるとこだろ」


「ちゃわい! 顔がね、やっぱ似てるよね。美男子同士だし」


「兄貴も川面見て来れば」


「どういう意味?」


 とその時、二人を「兄上方」と千三郎が呼んだので、二人は慌てて振り向いた。袴が触れ合うような近くに、千三郎が立っていた。


「……聞いた?」


「聞きました」


「いや、これは、その……」


「三十郎兄上は私みたいな美男子じゃないと思います」


 二人はズッコケた。


 だが幸いにも聞こえてはいなかったようである。

 さて、三人がまず成すべきは、路銀の調達である。いくらか包んでもらっているが、何せあての無い旅路だ。不必要に散財することは避けたい。


「よし、槍で魚でも獲って売りさばくか」


 万太郎は意気揚々と槍を手にした。


「よせよせ、港で魚を売っても大した値はつかん。もっとこう、ぱぱっと儲かる我らに向いている仕事は無いかな、酒飲んでるだけとか」


「三十郎兄上、無いと思います」


 そんな三人を、「や、そこの御三方」と呼び止める声がした。太くハッキリとした豪快な声だ。振り向くと、色黒な男が立っていた。腰には二本差しをして、年のころは三十半ばといったところか。


「板倉様のご家来だな? いや、そうだろう」


 妙に自信にあふれている男だ。松葉のようなバサバサとした眉の下で、鳶色の目が炯々と光っている。

「如何にも」と三十郎が答えると、やはり、とでもいうようにニヤリと笑って彼の肩を叩いた。


「聞きたいことがある。安五郎という百姓のことだ」


「存じませんな」


「知っているはずだぞ、何せ神童だの、今蕃山だの、備中聖人だの、たいそう評判になっているそうではないか」


 そこまで聞くと、三人の脳裏にはあの優し気な老人の顔が浮かんだ。

 安五郎とは、山田方谷のかつての名である。


「百姓あがりの儒学者などという、胡散臭い男が藩政改革をしておると聞いてな。見に言ってやろうと思ったわけだ」


 万太郎は面白くない。三人の中で方谷と最も親しかったのは万太郎だ。


「どなたか知らんが、恩師を侮辱するな。先生は藩の財政を回復させるために日々奔走されておられる」


「若いことを言うなあ! だが為政者とは皆そういうものだ。誰しも国をより良くするため、奔走する。何も安五郎が特別じゃない」


「理屈立った野郎だ!」


 いきり立つ万太郎を抑える三十郎と千三郎。その様子を見て、色黒の侍は興味深そうに無精ひげまみれの顎を撫でつけた。


「ふむ、どうやら安五郎は、領民には慕われているようだな。それも士分の者からもこれほど尊敬されているというのは実に興味深い。ははは、期待できそうだぞ」


 去っていく男に、三十郎は「待たれよ」と声をかけた。


「貴殿、何故我らが板倉の者だと気づいた? この玉島は西国の要所、備中だけでなく多くの家の者がいるんだぞ」


「知りたいか」


「勿論」


 男は鳶色の目を見開いて、言った。


「その着物……」


「なぬ、紋は入っておらぬはずだが……」


「そんな貧相なもん着てる侍、日本中で板倉の侍だけだよ」


 三人はぶっ飛んだ。


「じゃ、そゆことで」


 実際、板倉家は先代藩主勝職の散財で金が無く、参勤交代の時もあまりに貧相な着物なので一目でわかったとか。

 山田方谷が藩政改革を無事に成し遂げ、立派な着物を着られるようになるのは、もう少し先の話。三十郎たちは間に合わなかったのである。残念。


「ちきしょ~! 何なんだあの侍は! お家断絶して早々ツイてない!」


「兄貴、お家断絶がそもそもツイてないぞ」


「いえ兄上方、お二人はツイてらっしゃいます」


「なんだ千、慰めてくれるのか?」


「いえ、ズッコケた拍子にこれを見つけました」


 千三郎の手には、一枚の紙切れが握られていた。

 どうやら引札チラシのようで、『志士求む 報酬十両』と中々に達筆な字の隣に、これまた上手なのか下手なのかわからぬ鯰の墨絵が描かれている。


「でかした千三郎! さっそくここで金を稼ぐぞ!」


「でも兄貴、志士って書いてるぜ。俺たち志士か?」


「じゃあ志士ってなんだ」


「志のある……士?」


「我々にだって志はあるぞ! 志士といって不足はない! 行くぞ万太郎、千三郎!」


 弟二人は「いいのかなあ」と、兄の振り上げた拳に握られた怪しげな引札を見つめていた。

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