第6回「晦の行く先 その③」
安政三年十月三十日、朝。
谷家を目指し、
屋敷で裃姿をした三十郎が、座してこれを迎えた。病床にあった三治郎がいた客間に通された一行は、藩主からの通達を粛々と読み上げる。
それは谷家を永の御暇とし、この屋敷から追放するというものだった。母は夫の位牌を手に、涙を流していた。三十郎はそれを背に、恰もとい藩主からの命に平伏していた。
さて、一行が帰った後屋敷へ残った恰は、縁側でうな垂れる三十郎の隣にどすん、と尻を落とした。
「真にこれで良いのか」
「良いと言うか……」
見た時は中々サマになる裃姿だったが、本人の気が抜けた今改めてみると、草臥れてよれよれである。
「丸く収まるなら、それしかありませんよ」
永の御暇。
即ち解雇処分である。申し渡された藩士は、その日のうちに城下の外へ出るのが習わしである。
「どこへ行くんだ」
「とにかく遠くへ行こうかと」
勝静が四つ目として提示した案。それが、谷家をお家断絶として当主の三十郎に永の御暇を与えるというものであった。体裁としては「藩主の寝所に潜り込み、弟が落胤であるとの嘘を直訴をした罪」というものである。つまりは禍根を断つために、千三郎と谷家もろともを国からはじき出したのである。
「万太郎は?」
「怒り狂って飛び出していきました。兄貴は、谷家を滅ぼしたのじゃと。……私もつい、それを言われて腹が立ち、一発…………」
「…………」
恰は、三十郎の目にできた大きな痣を見つめた。
「…………殴られたのか」
「はい」
万太郎は、その日も裏山の荒寺にいた。いきり立ちながら振り回す槍は、舞い落ちる木の葉をぐるぐると乱れさせた。
恰は「お」と、中庭の石鉢へ目をやった。三十郎や千三郎が毎日世話していたメダカが、この日も細々と泳いでいた。
「懐かしいですね、恰殿。昔、恰殿の御父上からいただいたメダカがこうして今の今まで、我が家で生きている」
「え、そうだっけ」
三十郎はズッコケた。無理もない。もう十年は前のことだ。だが、それだけ三治郎が生真面目だったのだと思い出して、妙に嬉しかった。
「このメダカ、大事に育ててくださいませんか」
「お前なあ、楽観にもほどがあるぞ。家が潰れたというのに、メダカの心配かよ」
「そりゃあそうでしょう。この子らだけなのです。私が、谷三十郎が後世に遺せる物は」
三十郎はどこまでも孤独に笑っていた。恰はすっくと立ちあがると、ぶっとい人差し指をピッと三十郎の鼻先へ突きつけた。
「前田利家って武将、おめえ知ってるか」
「そりゃわかりますよ。加賀百万石の……」
「そんな利家さんはな、かつて主君の織田信長から追い出されたことがあるんだ」
「え、なんでです」
「茶坊主を勝手に斬っちゃったらしい」
「ええ……そりゃ、利家さんが悪くないですかね」
「そんで槍一本で浪人暮らしをしたんだぜ、今のお前とおんなじだ」
「……」
「利家さんはその後、戦で武功を立てて、帰参を許された。利家さんにできて、お前にできねえはずがねえ」
「無茶言わんでくださいよ、槍の又左と比べられても……」
「いいや、お前は利家さんだ! 何せお前は俺より強い!」
恰は、言い切った。その声は、この秋晴れの空より澄み渡っていた。
「そうでなきゃ、俺の相棒などどうして務まるかよ! 自信を持て」
「恰殿……」
「なんだ!」
「私って相棒だったんですか? 子分じゃなくて?」
「えっ」
「えっ」
熊田恰と谷三十郎。幕末の備中松山に生まれた二人が臥牛山麓で言葉を交わすのは、歴史上これが最後のことである。だがこの時の二人は、そう思っていなかった。ひょっとすればまたこうして、この国で騒がしく暮らせるんじゃないか、そんなことが漠然と脳裏にあった。
昔話に花を咲かせた。だいたいは、恰が無茶ぶりをして、三十郎が割を食った話であった。
話しているうちに、三十郎は泣いていた。
恰も泣いていた。
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