第6回「晦の行く先 その①」


 谷千三郎は、先代藩主の御落胤。


 この国を揺るがしかねない秘密が、


 明るみに出てしまった。


 三十郎の運命の歯車が、大きく狂い始める。


 〇


 千三郎は賀陽姫の膝の上で、微睡の中にいた。


 なんだかひどく疲れた。眠れないからとメダカを見ていたら、知らない男に連れ出され、かと思えば兄に抱かれ、城までやってきて、お殿様に会わされた。


 夢に違いない。きっとそうだ。奇妙な夢なら、前にも見たことがある。自分はそういう星の下に産れてきたのだ。


 賀陽姫が子守歌を口ずさむ。知らぬ歌だが、不思議と母のそれより暖かかった。これは夢。厭な夢……。

 その時、目が覚めた。朝食の途中に寝てしまったらしかった。母も兄たちも、何事も無かったように白米をかき込んでいる。いつもの朝だ。


 千三郎は、兄におずおずと訊いてみた。千は一体、誰の子なのでしょう、と。兄は鮎をひょいっと口に入れると、首を傾げた。


「誰も何も、父上に決まっているだろう」


「そうですよね、そうですよね」


「当り前だ。そうですよね、父上」


「無論。何故そんな当然なことを訊くのだ」


 父は笑った。母も笑った。兄二人も笑った。

 つられて自分も笑った。

 賀陽姫は子守歌をふと止めた。膝の上で腹違いの弟が、笑みを浮かべて眠っている。一筋の涙を流しながら。


 〇


「策は三つございます」


 すべてを話し終えた方谷は言った。

 谷家の末っ子千三郎の出生が、先代藩主板倉勝職の落とし胤であったという衝撃の事実。加えてそれが巡り巡って、皆の知るところとなってしまった。板倉勝静は寝間着姿で頬杖をつき、方谷の言葉を遮った。日頃から冷静沈着な勝静だが、流石に焦りが見える。


「下手をすれば家中が乱れる一大事ぞ」


 いや、焦っているのではない。彼は怯えているのだ。着任早々、改革を押し進めた勝静・方谷コンビだが、それは常に保守派との対立の上に成り立っている。それが表面化していないのは、何よりこの二人を認めていたのが先代の勝職であるからであった。

 勝職の御落胤が国に居るということは、誰が千三郎を担ぎ上げ、家中に波風を立てぬとも限らぬということである。


「その乱れを防ぐのも、この方谷の役目。お任せ下さい」


 方谷は改まって、口を開いた。


「三つの策でございますが、それぞれ上策、中策、下策がございます。まずは一つ、全てを包み隠さず御公儀に伝え、指示を乞うのです」


「おお、それが上策じゃな」


「これは下策も下策。最も愚かな策でございます」


 三十郎たちは初めて、勝静がズッコケるのを見た。


「これはいわば失態。もっと言えば大失態。明るみに出れば、殿の面目は丸つぶれ。他家からは『あやつは何のために養子に行ったんだ』と嗤われ、民からは『いらんことだけしに来た改革馬鹿』と揶揄されることでしょうな」


「お前、私怨込めとるだろ」


「いえ。兎に角、我々で秘密裏に解決するしか手立てがないということでございます」


「義父上も厄介事を遺してくれたな……」


「二つ目、こちらが上策でございます。千三郎君を正式に後継とお認めになるのです。そしてお傍に置いて、殿の改革を継ぐ者に育てる」


「ならん。義父上の直系を正式に迎え入れれば、今度は養子の儂の立場が危うくなる。儂、割と嫌われとるんだから」


「でしょうな。よって、落としどころの中策でござる。千三郎君の身分は隠し、そのまま当家の者のところで育て、ゆくゆくは家臣としてお抱えになるのです。会津の名君、保科正之公と同様、必ず板倉家を支える忠臣となりましょう」


「おお! それじゃ、それでゆこう! 流石は方谷、我が右腕!」


「で、それを進めようと谷家に預けた結果が今です」


 家中の全員がぶっ飛んだ。熊田恰とご家老は「貴様、何してくれとんじゃ」と鬼も逃げる剣幕で三十郎をちぎっては投げ、ちぎっては投げた。三十郎は「面目ない」と、滝に飲まれた襤褸切れのようになされるがままになっていた。


 しかし、方谷も悪い。千三郎が殿の落胤であると、三治郎にすら中々言い出せなかった。それは方谷の脳裏に、多少の平凡を求める欠片があったからである。あの騒々しい一家に囲まれた千三郎を思うと、全て隠し通して、あの家の三男坊として過ごした方が幾分か幸せだろうか、と己の中にある百姓が言うのである。


「よし、わかった」


 声を上げたのは、藩主勝静。

 果して、彼が選んだ答えとは。


「お決めになられたのですか?」


「決めた」


「私が献策しました上中下、どちらになさるので?」


「どれも選ばん。四つ目じゃ」


「え」


 勝静は策をとうとうと語った。いや、策、というほど大仰な物ではない。ただ先延ばしにしたような、それでいて振り出しに戻ったような、しかしそれしか無いような、そうでもないような。

 策を聞いた一同は、思わず黙ってしまった。特に、三十郎は絶句していた。


 一方その頃、裏山に残された万太郎と原田左之助は。


「うし。これに懲りたら、二度とうちの屋敷に来るな」


 普通に万太郎が勝っていた。


「こんな負け方があるか~ッ!」


 左之助の悲痛な叫びが夜の山へ響いた。

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