第3回「黒船と恋、ときどき父上 その③」

 元来、幕命によって諸国は城を一つしか持つことを許されていない。


 その中で、備中松山には城が二つある。

 一つは山城として国を見下ろす松山城。もう一つは、政庁や藩主の住居として機能する御殿屋敷である。この頃、谷三十郎たち備中松山の侍にとって「お城」とは後者の御殿屋敷を指す言葉である。

 よってこの屋敷へ入る際は、三十郎も半裃に袖を通して、いつもより少し目に力を入れ、口元をギュッと縛って歩くのである。ただこれは三十郎が城勤めに慣れていないからで、熊田などは至って自然に、欠伸などしながら歩いている。


「小堀遠州って城主、おめえ知ってるか」


「はて」


「昔のここの殿様なんだがな、その人の頃は、あっちの山城を上屋敷、こっちの城は下屋敷、てな具合に呼んでたらしい」


「はあ」


「だけどな、それから久しく経って今じゃ殿様は皆こっちの城で寝泊まりする。となると、殿の御住いを下屋敷、っていうのは、こりゃどんなもんだろうな」


「そうですね」


「お前、なんかやけに素っ気ないじゃねえの」


「緊張しておるのです! 殿と話すのなんて、初めてなのです! ああ、足が重い、先ほどから鉄塊を抱いているようです」


 そう言いながらのしのし歩く三十郎の腕には、鉄塊のように大きな西瓜が抱えられていた。熊田恰は、ツッコまなかった。


 板倉勝静。


 鼻筋がすらりと通って、二重瞼の聡明らしい顔立ちの若き藩主である。生まれたのはここから遠く離れた奥州白河。こちらへお国入りしてまだ間もなく、どこか松山の侍たちとは距離を取っている。

 しかし、教育係として絶大な信頼を置く方谷は別である。此度、熊田と三十郎の目通りを許したのも、彼らが持ち寄る軍制改革が方谷の思想を基礎に据えたものだからである。熊田の持参した改革案を、勝静はしげしげと見つめていた。


「中々思い切ったものだなあ」


 勝静の想定では、此度の軍制改革の内容は洋式兵器や調練を導入する程度にとどまると思っていた。ところが意見書には、農兵制の導入や、下級藩士たちを屯田兵として国境警備にあたらせる防衛体制のことまで記されていた。


「この国の侍たちは視野も狭く、洋式調練をやりたがらぬ割にその練度は他国の者に劣っている、と聞いている。こうして改革を進めることで、この国が御公儀のお役に立てる精強な国となるのなら、このまま進めよ」


「はは、手厳しいお言葉、痛み入ります!」


「しかしだ、熊田。藩士たちを移住させ、国境警備にあたらせるという案、これは如何であろう。素直に従うてくれるだろうか」


「心配ご無用! 本日はそれを先導するために、一人選りすぐりの者を呼んでまいりました」


「ほう、その名は」


「旗奉行、谷三治郎殿の嫡男で三十郎と申す者でございます!」


 その名前を聞いて、何故だか勝静は黙ってしまった。不思議に思って熊田が尋ねると、首をかしげて彼は言う。


「三治郎の子が三十郎ということは、その子は三百郎になるのかな」


「弟が二人おりますが、それぞれ万太郎と千三郎と申します」


「何。三、三十ときて、どうして万とか千になる」


「は、はて……」


 松山藩主・板倉勝静。


 細かい事を気にする男。


 一方、しばし待つよう言い渡された谷三十郎は、奥の間で念願の姫と対面していた。先代藩主勝職の娘で、名を賀陽という。狐のようにツンとした目をぱっちり開いて、凛として快活な娘である。勝職の養子となった勝静とは義兄妹。三十郎とは同い年であった。


「姫様、その、ほ、本日は土産を持参いたしました!」


「まあ、大きな西瓜…………ふふっ」


「何か?」


「いえ、前にもこんなことがあったと思って。あなた子供のころ、西瓜を一口で食べる名人だったでしょう」


「そうでしたかねえ」


「家のことなんて少しも考えなくて良かったあの頃、楽しかったわね。その時の夕焼けの赤いこと……」


 賀陽姫は遠い昔に想いを馳せていた。大人たちもこの夕焼けを見ると、無性に悲しくなるのだろうか、と黄昏たあの日。


「あの頃は、無茶をしました。お城を抜け出して、森へ行ったり、川へ行ったり」


 三十郎も憶えている。その時、姫が侍女を連れてやってくるのが、必ず谷家の裏口であったことは、密かな自慢だ。実際は三治郎が揉め事を嫌って口外しない性分だから選ばれていただけで、決して淡い理由ではない。と、賀陽姫は言っていた。

 しばらく語り合い、三十郎は退散した。心の中がほくほくと暖かくなっている。


(憶えていてくださったのか、あんなに昔のことを……)


 熊田の声で夢から覚める。支度が出来たから、殿に会いに行くというのである。咳払いで心を入れ替え、背筋をピンと張って廊下を歩く。

 あ、と思い出したように天井を見上げ、足を止める。

 西瓜の返事をもらっていなかったのである。

 だが、問題はない。方谷が多忙な以上、軍制に関しては熊田が取り仕切ることになる。とすればその熊田にくっついていれば、自分はこうしてちょくちょく城に出向くことができるではないか。そうして地道に賀陽姫との距離を縮めて行けばよい。

 三十郎のその算段を崩したのは、他でもない熊田恰であった。


「殿、この者が手始めに国境へ移住してくれる家中の勇士、谷三十郎でございます」


「おお、思ったより色白だな」


 城中に、三十郎の「え」の声が響いた。小さく切り分けた西瓜を侍女と食べていた賀陽姫は「何の声かしら?」と首を傾げた。

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