第2回「でんでん虫 その①」


 平穏を望む谷三十郎の家へ


 やって来た、一人の赤ん坊。


 同時期、小さな一つの藩が


 変革の時を迎えようとしている。


 〇


 新年で初めに向える満月の日を、昔は小正月と呼んでそれぞれに祝った。


 備中松山では、この時にトンド焼でくべた餅を神棚に供える。一年の豊穣を祈るためだ。

 今日はそのトンド焼の日である。神社の境内に囲いを作り、そこへ火を付けて正月飾りを投げ入れる。皆は釣竿のようにしなる竹棒の先へ餅を挟んで、その火にあてている。


「ほら千。兄様と一緒に焼くか」


 寒さで耳と鼻先がほんのり赤くなっている三十郎は、鼻を啜って背負った赤ん坊を見た。大きく谷家の上下対い蝶の紋が施された印半纏。その中で、兄の背中にあるのが、あの日の赤ん坊である。男児であったため千三郎と名付けられた彼は、兄の背中から出てこようとしない。トンド焼の炎がまぶしくて嫌がっているのだ。


「三十郎、あまり近づくと火傷しますよ」


「母上、千のことは心配ご無用。私が楯となっておりますので!」


「千もですけど……」


 はじけた火種が三十郎の真っ赤な鼻先に触れた。情けない声をあげながら走り回る彼を、城下の皆が笑う。


「兄貴は最近、千にべったりですね」


 万太郎は相変わらず、ムスッとした顔で甘酒を飲んでいる。隣の三治郎、こちらは本当の酒も飲んでいるので、霜焼けした三十郎のように顔を真っ赤にしていた。


「家のことなど二の次で、強い奴にペコペコする奴だと思ってました」


「お前は言葉を選ばんなあ……。でもあいつは、お前が産れた時だってああして張り切ってたんだぞ」


 万太郎の眉間にしわが寄る。自分は今の話をしているというのに。


「母様がお前をおぶって出かける度に、棒きれを槍代わりにして、警護じゃ、警護じゃ、言うて」


「……」


「父上な、いつもあの頃のこと思い出すよ」


 風がそよそよ吹いている。万太郎は、なんだか無性に照れ臭かった。父はすっくと立ちあがると、三十郎を呼びつけた。


「餅ばかり焼きすぎるなよ、神棚に供えるぶんを残しておけよ」


「心配ご無用!」


「それに昼から稽古だろう。動き回ると、後に響くぞ」


「心配ご無用!」


「そればっかりだなお前は……」


「ちゃんと根拠がございます! 万太郎はああして動いておりませぬし、日々鍛錬を欠かしておりません! しかも飲んでおるのは甘酒、酔っぱらって動けなくなることもございますまい!」


「お前が戦うんじゃバカ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る