第20話 夏の町(4)

「ほんっとうにごめんなさい!」


 早朝。清らかな空気に満たされた竹林に、蝉の合唱よりも大きなユメの謝罪が響いた。


 腰よりも下に伸びていた虎児の後ろ髪は、ユメが3日をかけて、うなじが見えるまで短く切った。そして今日、最後に前髪を切ろうとしたのだが。


「決してわざとじゃないの! でもになってごめん!」


 ハサミに前髪を当てて、刃を動かそうとした時、一匹の蝉がユメの手の甲に止まった。驚いたユメは手先が狂ってしまい、変な切り方をしてしまった。ぱっつんだ。しかも水平に一直線でなくて、斜めになっている。右の眉毛は見えるのに、左の眉毛は髪で隠れていた。


「別にかまわねぇよ」

「……怒ってない?」

「怒らねぇよ。髪なんてすぐにまた伸びるし、帽子を被るんだろ?」


 虎児が言うと、ユメは安心したように息を吐いた。


「じゃあ、これ」


 ユメが風呂敷を渡す。中には黄土色の着物に、麻で出来た抹茶色の夏羽織、黒色のツバが深い帽子があった。白髪の虎児は老人の振りをして町へ行くため、年相応の落ち着いた色合いだ。


「ご主人の服だったんだろ? 要らねぇ物とはいえ、俺に着せてもいいのか? ……バレたら、ユメは叱られねぇのか?」

「大丈夫。他の使用人さんたちも自分が着るために貰ったり、質屋に売ったりしているのよ。〝要らなくなったから捨てておけ〟という命令だけど、実質はお給金みたいな物なの。虎児の体の大きさに直してあるから。さぁ、さっそく着替えて! ……って、きゃあ!」


 ユメは短く叫んだ。


「ちょっと! ここで着物を脱がないでよ!」

「?? 〝さっそく着替えて〟って言っただろ」

「〝さっそく〟すぎるよ! 他人の……しかも女の前で気軽に脱いだらダメよ!」

「そうなのか?」

「もう! 私、後ろを向いているから、着替えが終わったら教えてね!」

「お、おう」


 不思議そうにする虎児に、顔を真っ赤にしたユメは考えた。


(虎児はとても優しいけれど〝人間の常識〟に疎い……)


 仕方のないことだ。竹林から出たことが無いのだから。


(町に出たら、私がそばで見ていないと)


 彼が恥をかかないために。

 彼が傷ついたり、悲しまないために。

 町の思い出が、彼にとって素晴らしいものとなるために。


 布が擦れる音を聞きながら、ユメは決心した。

 


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