第二章 夏
第16話 興味
「冷えてきましたねぇ。私は冬が1番嫌いなんですよ」
朔太郎は足元でゴロゴロしていた黒猫を一匹抱き上げる。
「猫って、すごく温かいんですよ。お客さんもどうですか?」
机の周りにいる10匹を超える猫たちは、朔太郎が仕事で保護した捨て猫だ。みんな毛並みが良く、肉付きも健康的で、きちんと世話をされていることがよく分かる。
「要らねぇ」
客は首を横に振った。
「そんなことより、早く俺を殺してくれねぇか?」
萬屋の閉店間際にやってきた奇妙な客を、朔太郎は切れ長の瞳でじっと見つめる。この客は頭から肩にかけて大きな布を巻いているせいで、相変わらず表情は分からない。
「お客さん、おかしな人ですね。世の中は大金を払ってでも生き延びたいって奴らばかりなのに。貴方は逆だ。金を差し出してまで死のうとしている。どうして私に頼むんですか? というより、死にたければ自分で死ねばいいじゃないですか。そうすれば
「死ねないんだ」
言った瞬間、客はどこからか刃物を取り出した。それから短いけれど鋭い刃を、自分の手首に躊躇なく刺した。一度ではなく、何度も、何度も。野菜をぶつぎりにするように荒々しく。
朔太郎に抱かれていた猫が逃げた。他の猫たちも異様な空気を感じ、本棚の上や店の奥へ飛び移っていく。
「俺は、自分で死ぬことが出来ねぇんだ」
机の上には血溜まりが出来ていた。机上をどんどん侵食し、四方八方に広がり、とうとう床にポタポタと雫を落とし始める。なるほど、これだけの出血をすれば、普通は意識を保ってはいられない。しかし目の前の客の口調はしっかりとしている。
「お前さんなら、もう分かるだろう? 俺は人間じゃねぇんだ」
「えぇ。あなたは〝半妖〟なのですね」
客は、明らかにギクリとした。
「ど、どうして半妖だと分かった? みんなは俺のことを〝妖〟だって言うのに」
「だって〝自殺〟しようとしてるじゃないですか。古今東西、自殺をする生き物なんて、人間くらいですよ」
朔太郎はケラケラと笑った。
「自ら命を断つ猫なんて見たことあります? 犬は? うさぎは? 鳥は? 蛙は? いいや、いない。みんなどんなに追い詰められても、最後の最後まで生きようと足掻くでしょう。それは妖だって同じだ。あなたが純粋な妖なら、自殺なんて発想は生まれないんですよ。ここに人間の血が混じっているから、死にたいなんて願ってしまうんだ」
「……っ!」
血溜まりを指差す朔太郎に、客は刃物を机に置いた。
「その通りだ。俺は父親が妖で、母親が人間だ……」
「ほぉ」
「父親の血が、死ぬことを止めるんだ……! こんなにブッ刺してるのに、急所をどうしても狙えないんだ!」
「それで、私に殺してほしいと?」
「あぁ、殺してくれ」
困ったなぁ、と朔太郎は思う。
閉店時間はとっくに過ぎている。明日は子守りの仕事があるから早起きしないといけない。いつもならば、さっさと依頼を聞いて、殺して、できる限り早めに寝ているはずなのに。
なのに朔太郎は珍しく、この客に興味を惹かれてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます