第6話 春の夢(6)

「虎児さん! 聞いてください! 今日は反物たんものがやっと売れたんですよ!」


 開口一番に、ユメが嬉しそうに報告してきた。


〝例の反物〟とは、何ヶ月も売れなかった商品のことだ。控えめな黄色の生地に、白の花びらが雪のように散りばめられている。ここ最近、町では鮮やかな色と大きな花の柄が流行っているらしく、この反物はいつも売れ残っていた。ユメが奉公している呉服屋の主人は、そろそろ処分することを考えていたという。


「皆さんはあの反物を地味だと言うけど、私は大好きだったんです。しかも買ってくれた方はとても優しそうな人で……。絶対に大切にしてくれます。あぁ、良かった!」


 ユメが卯月の方角へ向く。


「じゃあ失礼します。また明日」

「……おう」


 去っていくユメを見送る虎児。

 2人が会ってから、もう1ヶ月が過ぎようとしていた。雨の日以外、ユメは毎日商売に行っているようで、この竹林を通る。そして虎児を見かけるなり、数分ほど話していくようになった。


 ユメは、見た目はおとなしそうなのに、意外によく喋る娘だった。愚痴や弱音などは一切吐かず、商売の話や町の流行りのことばかりを虎児に知らせてくる。


 対照的に、虎児は派手な外見のわりに口数が少ない。ただ短い相槌を打つだけで、気の利いたことなど1つも言えなかった。

 虎児は戸惑っていたのだ。何せ、こんな風に虎児とわざわざ話そうとする人間なんて今までいなかったのだから。


(こいつ、時間は大丈夫なのか?)


 ユメの話をきちんと聞きながらも、虎児は気掛かりだった。卯月の町に早く戻らないと、ユメは〝奥様〟に叩かれてしまう。


 ユメと話すにつれて、虎児はだんだんと寝つきが悪くなった。

 ユメは、日が暮れるまでにちゃんと店に戻れただろうか。

 怒られてはいないだろうか。

 今頃、どこかが痛くて泣いてはいないだろうか。


 そんなことばかりを考えて、頭が冴えてしまうのだ。

 


 だからある日、虎児はユメに会うのをやめた。


 ユメが竹林の一本道に来る夕方になっても姿を現さず、深い緑に紛れて気配を殺した。


 すると何も知らないユメは立ち止まり、不思議そうに首を傾げた。

 あれ? いつもはこの辺りにいるはずなのに。彼女の豊かな表情からは、そんな心の声が漏れていた。


 虎児は、ユメの荷物を遠目で確認した。背負子だけだ。どうやら運ぶのを手伝う必要も無さそうだ。

 これで今日は、さっさと帰るだろう。

 今日は、な時間は生まれない。

……一瞬、胸の辺りがズキリと疼いたが、その感覚は無視した。


(……って、はぁ!?)


 虎児は思わず声が出そうになった。


 ユメがまったく帰らないのだ。それどころか足を止めたまま、ずっと周りをキョロキョロしている。


(何やってんだ、あのバカ!)


 ユメは明らかに虎児を探している。待っている。

 これでは何のために会わないようにしたのか分からない。むしろ時間が無駄になっているではないか。

 虎児は近くにあった竹を無意識に握りしめた。ギシ、と音が鳴る。


(お前さんのせいでこっちは寝不足なんだよ! 帰れ! 帰ってくれよ……!)


 苛立ちと、祈るような気持ちが複雑に入り混じって全身を駆け巡る。それは何とも言い表せない奇妙な感情だった。

 その感情に耐えて、ひたすら耐えて。

 虎児が解放されたのは、約5分後のことだった。


 ユメが、ようやく歩き始めた。


(っ!?)


 が、安堵が訪れたのは、ほんの束の間だった。

 虎児はギクリとした。

 いつも前を向いているユメの顔が、俯き加減になっている。眉は下がり、よく動く口は何かに耐えるようにキュッと結ばれていた。

 

母親カカ……!?)


 悲しい横顔。

 寂しい立ち姿。

 虎児の視界で、ユメと母親が重なる。


(そうだ、カカもいつもあんな風に……)


 考えているうちに、ユメは行ってしまった。

 太陽が雲に覆われ、ただでさえ薄暗い竹林の影がさらに強くなる。笹の葉の影がユメの後ろ姿に濃く降りかかっていた。


 この日の夜、虎児は一睡も出来なかった。

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