第5話 春の夢(5)

〝なぁ、知っているか? 竹という植物は、他の植物とは少し違ってるんだ。ほら、たとえば梅は花を咲かせると実が出来て、そこから種が落ちて、新しい芽が出るだろう。でも竹はな、土の中から直接新しいたけのこが生えてくるんだってよ。そいつが成長して竹林の一部になる〟


〝そう考えたら、この竹林にある竹たちは、みんな家族みたいなものだな。はは。とんでもねぇ大世帯だ〟







 虎児は目を覚ました。


 干し草を敷き詰めた寝床から、ゆっくりと体を起こす。

 ここは虎児の父親が作った竹の小屋だ。干し草の寝床はあと2つ……虎児の両側に1つずつある。父親と母親の場所。去年の秋から使われておらず、触らずとも冷んやりとした感触が伝わってきた。


「っ、いてぇ……」


 胸にチクリとした痛みが走って、虎児は呟いた。




〝虎児よ。お前さんは純血の妖怪ではなく、半妖だ。珍しい存在ゆえ、あまり生態は解明されておらぬ。しかし一説によると、半妖の弱点は『胸』だと伝えられている。半妖は胸を貫かれたら一瞬で消滅する。……これが嘘か真かは分からんが、一応覚えておけ。いざという時は、自分の心臓を守れ〟




「くそっ」


 父親に昔教えられたことを思い出し、忌々しそうに吐き捨てた。

 虎児は寝起きの時間が嫌いだった。夢からうつつに戻り、空っぽの寝床を見ると、いつも胸が痛くなる。


(この心臓、すぐにチクチクしやがる。トトの言う通りなのか? 俺は本当に胸が弱いのか?)


 きれいな空気を吸いたくて外へ出ると、太陽は少し西側に傾いていた。


「あの娘は、今日も来るかな?」


 虎児の問いに答える者は、いなかった。









「こんにちは。今日も通らせてもらっています」


 娘がペコリと頭を下げた。


 虎児が娘の気配を感じたのは、起きてから約2時間後のことだった。そっと一本道まで近寄って、竹の緑に身を隠していた。

 いつものように驚かすつもりはなかった。ただ様子を窺うだけのつもりだったが、娘は虎児をあっさりと見つけた。

 虎児は何と言えば良いのか分からなくて黙っていると、娘の方から口を開いたのだった。


(……いつもよりも、荷物が多いな)


 今日の娘は背負子だけでなく、西瓜すいかほどの大きさの風呂敷を両手に持っている。


「あの、私ね」


 娘は続けた。


「よく見て歩けば、道にはたくさんの花が咲いているんですね。あなたが教えてくれるまで、気が付かなかったの」

「え……?」


 それは以前、虎児が口にした〝蒲公英たんぽぽ〟のことだろう。


「私は早く店に帰ることで頭がいっぱいだったから、ちっとも周りを見ていなかったんです。でもあなたに教えてもらってから、少し意識するようになりました。そうしたら竹林にも、卯月の町にも、皐月の町にも、たくさんの花があった。みんな色も形も違って面白いの。特に竹林はすごいです。笹の葉に覆われていて日陰が多いけど、よく見てみれば小さな花があちこちに咲いていて……。太陽があまり当たらない場所で一生懸命に生きている姿を見ると、私も元気になるんです」

「……」


 娘を凝視したまま、虎児は固まった。


(こいつ……)



 今、何秒、喋った?



(バカか!? 急いで戻らねぇと叩かれるんだろう!? だからいつも忙しなく歩いていたんだろう?)


 今日だって娘は小走りだった。

 それなのにわざわざ立ち止まった。


(俺のことなんか、気づかないふりをすれば良いだろう!?)


 花の存在だって、決して〝教えた〟わけではない。娘に泣かれて動揺したから〝誤魔化した〟だけだ。


(いちいち足を止めて、頭下げて、お礼言って、他にもいろいろ話して。それでこいつは何秒の時間を使った? バカだ! こいつはバカな娘だ! 何で、俺なんかのために……っ!)


 実際は、ほんの些細な時間だったけれど。

 もしも〝些細〟な時間差のせいで、娘が叱られたら?

 酷い目に遭ったら?

 痛い思いをして、泣いてしまったら……。

 

 それ以上は、考えるよりも先に行動を起こしていた。

 虎児はふわりと一飛びで娘の眼前に移動し、重たそうな2個の風呂敷を取る。


 娘はキョトンとした。


「え?」

「持ってやるよ」

「え??」

「荷物が軽い方が早く歩けるだろう? だから、竹林の出口まで俺が持ってやる!」

「えぇ!?」

「そんな心配そうにしなくても、盗んだりしねぇよ」

「そうじゃなくて! 悪いですよ。その荷物、すごく重いでしょう?」

「俺を非力な人間と一緒にするな。俺のトトは妖怪だぞ! 俺だって強いんだ!」

「でも」

「うるせぇ!」

「だけど」

「あー、もう! お前さんは黙ってさっさと歩けばいいんだよ!」

「ま、待ってください!」


 返事を待たずに虎児が歩き始めたので、娘は慌てて後を追った。


 約2キロの一本道を、虎児と娘は肩を並べて進んでいく。

 申し訳なさそうにする娘の額には、汗が光っていた。精一杯に足を動かしているようだが、虎児にとってはじれったいくらい遅く感じられ、人間と半妖の身体能力の差を改めて知る。

 娘を置いていかないように、そして娘が無理をして転ばないように、虎児は注意して速度を合わせた。


 ほとんど無言のまま2人は出口に着いた。

 はぁ……と娘が感嘆の息を漏らした。

 

「すごい、いつもより早く着いた……! ありがとうございます!」


 虎児は風呂敷を返す。


「礼は要らねぇよ。急げ」

「はい。あぁ、でもこれだけは」

「は?」


 娘は、頬を赤くして微笑んだ。


「私の名前は〝ユメ〟です。よろしくお願いします。じゃあ、また明日」


 娘……ユメは、町に続く坂道を下っていった。

 後ろ姿が小さくなっていく。


「……あれ?」


 虎児は心臓の辺りに触れた。


「……いてぇ」


 虎児は左胸のあたりに手を当てた。



〝よろしくお願いします〟


〝私の名前はユメです〟


〝じゃあ、また明日〟



 娘の名前と言われた言葉が脳内で何度も何度も繰り返される。


(昨日は確か〝さよなら〟だった。でも今日は〝また明日〟だった)


 認識した途端、鼓動が一気に速まった。バクバクとやかましい音が全身に響く。


(何だ、これ! 変だ、心臓がおかしい! 痛い!)

 

 けれど不思議だった。

 いつも寝起きの時に感じる不快な胸痛とは明らかに違う。


 今の痛みは、


(わけが分からねぇ)


 虎児は落ち着こうと、深く息を吸って、吐いた。

……効果は無かった。

 

「……あぁ、そうか。俺は、やっぱり胸が弱いんだ」


 だからこんなにすぐにチクチクしたり、バクバクするのだ。

 虎児は心臓を守るように両手でおさえて、竹林の奥へ消えていった。


 


 



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