盲目カメレオン
@aoyanagi0428
盲目カメレオン
「ねぇねぇ知ってる?最近話題になってるあの絵」
「知ってる!なんか思わず目に留まるよね」
「知らない色合いなのに、風とか匂いとかがわかるの。魔法がかかったみたいになるよね」
「あの絵を描いてる人の名前…なんだっけ?」
「確か名前は…」
『盲目カメレオン』
二年三組一番 青柳美姫
朝、目が覚める。古くなりすぎて大して大きな音もしない目覚まし時計を止める。今の今まで寝ていたせいか体が重い。あぁ、もう朝か、もう少し寝ていたかったな。と名残惜しい気持ちになる。とはいえ、昔から眠りは浅く、一度起きてしまえばもう一度寝るのは難儀なもので、渋々体を起こす。母の怒鳴り声が響き渡る前に急いで着替え、リビングへと向かう。リビングでは、母が僕のお弁当を作っているようでカチャカチャという音に加えて出汁と卵を焼く匂いが混じっていてとても食欲がそそられた、今日のお弁当にはだし巻き卵が入っているのか。
「おはよう」
「あら、今日は一人で起きられたのね。おはよう」
痛いところを突かれたなぁ…もう高校生にもなるというのにまだ母に起こされる日があるとは…と少々心がいたたまれなくなって咄嗟に話題を変えようと視線を動かす。
「あれ?」
そこには、家に今までなかったものがあった。画材だ。僕が画材を手にすると、それに気づいた母の表情が視界の隅で強張ったのが見えた。
「これ、絵の具とかだよね?なんであるの?」
「あ…あぁ、それはね、おじさんがくれたのよ。もう絵は描かないからって、でも、うちには使う人もいないし…特に隼人には必要ないでしょう…?」
なるほど、そういうことか。僕は納得したがそれと同時に苦虫を噛み潰したような気分にもなった。母は良心で気遣ってくれているのだろうが、やられたこっちはただの皮肉にしか聞こえなかった。
僕は、生まれてからずっと色が見えなかった。自分の知っている世界は世間でいうモノクロで、僕にとっての当たり前は世間から見れば異常だった。
僕からしてみれば、生活に少し支障が出るだけで目が見えないわけでも、足が動かないわけでもない。ただ、色がない。それだけだ。でも、母や世間はそれを普通ではないと気にしていた。ある人は憐れみ、ある人は気持ち悪いと罵り、唯一の家族の母でさえ、それを気にしてほかの家族なんかよりもずっと過保護で腫物扱いと大差なかった。
自分で投げかけた話題で母に怒りを覚えるなんてなんて我儘なのか、自分で自分を戒めるが、鉛のように思い気持ちはそのままで、何も変わる事なんてなかった。これ以上この重苦しい空気にも居たくはないので明るい声で話題をそらす。
「おじさん画家だったよね?どうして絵を描かないの?」
「…それはね、おじさんが病気になったそうでなかなか描くのが難しくなったんですって」
病気で絵が描けない…か。何となく僕と似ているようで興味が湧いた。それに絵にも前々から興味だってあったのだ。だから
「夏休み、おじさんの家行っていい?」
暑い、そう思った。いや、感じた、のほうが正しいのかもしれないが、とにかく暑い。都会の夏はどうしてこんなに蒸し暑いのだろうか。銀杏並木沿いの道路をひたすら歩くこと30分、ようやくおじさんの家にたどり着いた。レンガ造りのアンティーク調なおしゃれな家、その玄関の横にある一見場違いな機械的なインターホンを押す。すると数分もしないうちにドアが開いた。
「やぁ、隼人君。待っていたよ」
「こんにちは、和彦おじさん。お世話になります」
「あぁ、そんなに畏まらなくてかまわないよ。丁度、人恋しかったからね」
そう言って笑うとおじさんは歓迎してくれた。僕がおじさんの家に行きたいといった日、母は予想だにしていなかったからか、驚いていた。それでも、おじさんの家に行くことを了承してくれた。おじさんが、「てんかん」という病気のせいで発作を起こしてしまうから誰かが近くにいないと危ない。という理由もあったかもしれない。
「ところで、僕の家に来たということは、隼人君は絵に興味はあるのかい?」
「あ…えっと…絵を…描いてみたくて…」
嘘ではない、僕は生まれてこの方絵を描いたことも、画材に触ったことすらついこの間が初めてだ。色を知らない僕が、絵を描くことが、普通と変わらないことができる。僕は心のどこかでそれを証明したいと思っていた。
おじさんは僕の決意を知ってか知らずか、深くうなずくと
「じゃあ、やってみようか。君がやりたいと、楽しくできるように手伝うよ」
と言うと楽しくてたまらない、という風に鼻歌を歌い、意気揚々と画材を用意してくれた。
「じゃあまずは、何を描きたいか決めようか。君は何が描きたい?」
「僕は…」
何を…描く…?僕に見えるのは映画のモノローグみたいな世界なのに、それしか見えないのに。僕の瞳には何を映しているのか。異端の絵ができてしまえば、失望されるだろうか。そんなぐるぐると頭で考えているのに。口では、考えるよりも、迷うよりも先に、こう言っていた。
「世界を描きたい。自分の見ている。僕が、生きている世界の風景を…描きたい」
いつも自分の意見を押しつぶして何かをしたいとか、やりたいとか言うことなんてほぼなかったように思う。でも、今言った言葉は紛れもない本心だった。頭で考える前に言いたいと心が叫んだ。本心だ。
「そうか、それが君のやりたいことなんだね」
そういうと、僕に絵を描くうえで必要な様々なことを教えてくれた。一日目はそれを理解しようと必死になるので精一杯だった。なにせ画材の名前も絵の描き方も何一つ知らなかったのだ。二日目になるとおじさんが僕の画力を図りたいと絵を描くように促した。
初めて出した絵の具は赤だったが、僕の目にはほかの色と何も変わらなく見えた。でも、色を使い絵を描いている。ということに感動した。絵の具の滲みかたも、少し特殊な絵の具の匂いも聞いてみるのとでは全然違った。楽しい。これが、絵を描くということなのか。
初めて描いた街の絵は、幼稚園児が描いた絵と大差はなかったが、それでも感動した。
これからは、一緒に描きながら教えてくれるとおじさんは言った。その日から来る日も来る日も絵を描き続けた。目に見えて絵が上達するのが嬉しくて、寝る時間も惜しんで描き続けた。ある時、おじさんに聞いてみた。写真ではなく、絵で風景の形を残す意味を、ものの形を残すなら写真のほうが失敗もせずに綺麗に残る、なのに何故、僕たちは絵に残そうとするのか、と
「確かに、風景を写実的に残すうえで一番手っ取り早く、誰でもできるのは写真を撮る事だろう。でも、絵には写真には残すこともできないものを残すことができるだろう?」
「写真には残らないもの?」
「…そう。例えば、音、温度、匂い…そして感情。そんなそこにいないと伝わらないものを伝えることができる」
「音や匂い…感情も?」」
「そう。どんな色でも、どんな形でもいい。絵を描いて映した世界は紛れもなく描いた人が見ている世界そのものなんだ。だから、その絵にはその人が聞いた音が、その人が嗅いだ匂いが…その人が感じた感情が乗るんだ。だから、それを伝えたくて僕ら絵描きは筆を執る。誰かにこの思いが伝わってほしいから。僕らが、その世界なら何物にもなれるから」
僕は、おじさんの話を聞いてからしばらく声がなかった。呆れた訳ではない。むしろ逆に、僕がずっと絵を描いて。生きてきてずっと探し続けた答えをくれた気がしたから。僕の世界を誰かに理解してもらえる。何もできないと虐げられてきた僕が、何にでもなることができる。と迷いなく断言してくれたから。今、僕は長い夢から覚めたんだ。
僕は絵を描いた。夏休みが終わっても、大人になった今でも。あの言葉を忘れられず描き続けている。初めは誰にも見られる絵では無かった。変な絵だとも何度も言われた。でも、そんな言葉で折れるほど僕は脆くなんてなくなっていた。絵の中で、何にでもなれた紛れもない僕自身だと心の底から信じていたから。もうおじさんはいなくなってしまったけれど、おじさんの言葉が僕に、「自分らしくあれ」と背中を押してくれた気がした。今でも色が見えないけれど、でもこの世界が何色にもなれる気がして、普通の人がこれはこの色、あれはその色、と当たり前に定義づけてしまったものを、僕はそんな概念にとらわれることなく絵が描ける。世界で一番自由な画家。それが今の僕だ。
…ねぇ、社会に意見を押しつぶされて、もう何もかも諦めていた昔の僕。君はずっと自分が何を言っても届かないからって疲れ切ってしまっていたけれど、大丈夫だよ。君の未来はとても美しい世界に出会うことができたから。色の知らないカメレオンは、色の知っているカメレオンよりも魔法のような色を映せる。感情も、匂い、温度もなにもかもを伝えることができる。だから、僕らは何にでもなれる。
…僕らのなりたいようになれる。
僕らは盲目カメレオン、概念にとらわれない自由な生き物。
世界の美しさを誰より知っている特別な生き物。
誰よりも世界を愛している…それが僕たちだ。
盲目カメレオン @aoyanagi0428
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