第2話 枯れ果てる野花
雲心月性
枯れ果てる野花
人生は複雑じゃない。私達の方が複雑だ。人生はシンプルで、シンプルなことが正しい事なんだ。
オスカー・ワイルド
第二話【枯れ果てる野花】
「幾ら私が可愛いからって、整形してる?の質問っておかしいと思うのよ」
「うんうん。すみれちゃんは可愛いからね」
「整形なんてお金の無駄よ。だって私は生まれた時から可愛いんだから。これ以上可愛くしたってお金がもったいないでしょ?」
「すみれちゃんは本当に可愛い。俺、すみれちゃんのこと大好きだよ」
「本当にムカついたんだけど、女って女優なのよ。女に対しても男に対してもね。だから私言ってやったわ。『整形してると思われるほど可愛い顔でごめんね』ってね」
「すみれちゃんは間違ってない。うん。俺はいつだってすみれちゃんの味方だから。何があってもすみれちゃんと一緒にいるからね」
「その前に会った人も、『すみれっておじさんたちに貢がせてるんでしょ?』とか、『学生の頃援交してたよねー』とか、平気でそんなデマを言ってきたから、思わず食べようとしてたペペロンチ―ノをぶちまけてやったわ」
「酷い!すみれちゃんがそんなことするわけないのに!すみれちゃんが可愛くてスタイルが良いからって、碌な女じゃない。それにすみれちゃんが好きなのは俺だもんね。おじさんなんか好きじゃないもんね」
「あら、私おじさんは好きよ。それに誠人のことは別に好きじゃないわ」
「俺一応おじさんに片足突っ込んでるよ」
「突っ込んでるくらいのおじさんじゃダメよ。もっとディープな感じが良いの。疲れ切った表情とかそそるわ」
「すみれちゃん、俺超疲れてる」
「あんたはもっと仕事しなさい」
「お前等いい加減にしろ」
いつもの通り、タカヒサの部屋に入り浸って、好き勝手話しをしていた誠人とすみれに、タカヒサはため息をつきながら言う。
トレジャーハンターで使うのであろう大きな銃の手入れをしている最中で、銃にこめる弾も綺麗に整列している。
「だって見ろよタカヒサ。すみれちゃんが椅子に座って足を組んでるんだぜ?こんなセクシーなすみれちゃん、次はいつ見られるか分からないだろ!!」
誠人にそう言われ、タカヒサはちらっとだけすみれの足を見た後、また視線を銃に戻してこう言った。
「筋肉のついてない足だな」
「そういうことじゃねえよ。それに女の子は筋肉ついてなくたっていいだろ。ちょっとぷよっとしてるくらいが可愛いし触り心地も良いんだよ」
ねー、すみれちゃーん、と満面の笑みですみれの方をみた誠人だったが、足を組み直す素振りをみせたすみれの足によって、顔面を蹴飛ばされるのだった。
すみれはタカヒサのことを眺めていると、それに気付いた誠人がすみれとタカヒサの前に立ちはだかる。
「すみれちゃん!なんでタカヒサのことそんなに見てるの!!」
「・・・この前の指輪と首輪、なんだったのかなーと思って。あんた知ってるんでしょ、タカヒサ?」
先日、ミツクニから奪った2つ。
あれ以来、特にタカヒサは何か言う事もなく、値打ちもないということで闇ルートで売ることもしなかった。
だからといって、タカヒサは大事にしているという様子もなかったため、すみれは気になっているらしい。
すみれからじとっとした視線を向けられてもなお、タカヒサは動じずに銃の手入れをしていると、今度は誠人から質問が飛んでくる。
「俺も気になってた。世の中にも人にも興味も関心もないお前が手に取るくらいだから、そっちでは有名な何かってことか?」
「・・・・・・」
ふう、と深い息を吐いたあと、タカヒサはリュックの中からごそごそと何かを取り出す。
タカヒサが取り出したのは小さめのリュックで、その中から出てきたのは、回収した指輪と首輪だった。
「これは、ドロイの七道具だ」
「ドロイの七道具?」
「ドロイ=マロウ=アル=チェスタ。今からおよそ80年前に実在した男だ」
「そいつが持ってた道具ってことか?」
「ああ。だが、ただ持ってたわけじゃない」
誠人が眉間にシワを深く作ると、タカヒサは2人の前に置いた指輪と首輪を見ながら、知ってることを話す。
ドロイ=マロウ=アル=チェスタは、端正な顔立ちにちょび髭を生やした、マダムたちから黄色い声が上がるほど人気のある男だった。
貨物船などの取り締まりや搬送、移動などと行う仕事をしていたドロイは、女性たちから幾度となく声をかけられていた。
紳士的なドロイの立ち振る舞いに、誰も彼の仮面の下の顔に気付かなかった。
ドロイの素顔、それは、愛という鎖で女性を監禁する、とんでもない男だったのだ。
最初の妻を娶ったのを初め、次々に女性たちを自分の家へと誘い、ドロイの素顔を知って逃げようとする女性たちを逃がさないようにと作りだされたのが、七つの道具。
いわば、ドロイの監禁グッズなのだ。
「この指輪は、一度はめるとその人の指のサイズにピッタリ合って、死ぬまで外せなくなる。首輪は嘘を吐こうとすると首が絞まるようになってる」
「成程な。それをあの野郎はすみれちゃんにつけようとしてたってわけか。でも、なんでそんなもの、あいつが持ってたんだ?」
「さあな。ただ、保管されていたはずのこれらの道具が無くなったって言う話は聞いてた。まさか一般人が持ってるなんて思わなかったけど」
「そのドロイって奴には子供とかいなかったのか?」
「知らない。例え子供が出来たとしても、ドロイに関わった女性はみんな死んでるって話だし、ドロイ自身も最期は自分の首を切って死んだって話だし」
ふーん、と誠人が軽く返事をすると、今度はタカヒサが誠人に言う。
「で、今回は何だ?」
どうせまた何かあるのだろうと、なかなか話しを始めない誠人に痺れを切らしたタカヒサが聞くと、誠人は気まずそうにすみれを見てから、口を開く。
「イオールって女。なんでも、1人の男を愛しすぎて整形を繰り返して、その男に近づく女どもを全員殺してるって噂だ。ただ遺体も証拠もないから、女は野放し状態」
”整形“というキーワードが出てきたから自分は見られたのかと、すみれは目を細めて誠人を睨む。
「さて。女の子が進んで綺麗になることに文句はないが、それで人を殺しちゃあいけないね」
「あれがイオール?」
「そう。美人さんだね」
「整形してるからでしょ」
「すみれちゃん、嫉妬?」
「馬鹿言わないで」
コソコソとするわけでもなく、イオールの家の周りには沢山の家があるため、その前の道を堂々と歩いていた。
丁度イオールは庭にある花壇の手入れをしているらしく、真っ黒で前髪ぱっつんの綺麗な長い髪をしているのが見えた。
目つきは少し鋭い感じがするが、あれほど美人ならばそこは目を瞑っても良いだろう。
「私は今回も囮ってことね。私ほどともなれば、ライバルにもならないけど。あの女が愛した男って、どんな奴なの?」
「そいつも消息不明。写真だけ手に入ったよ」
そう言って誠人が写真を見せると、確かに良い男なのだが、すみれの直感としては、女にだらしない性格の男だ。
どうせ適当に女をホテルにでも連れ込もうとして、あのイオールにも愛してるだのなんだのと嘘を吐いたのだろう。
「男の名前は?」
「ディン」
「はあ、私のタイプじゃないけど、まあ仕方ないわね」
そう言うと、すみれは髪の毛を耳にかけ、イオールへと近づいて行くのだ。
こういうとき、すみれは一切迷いがない。
恐怖というものがないわけではないのだろうが、一番の理由としては、護身術を習っているからだろう。
それも、誠人の隣にいるトレジャーハンターのタカヒサに習っているものだ。
「殺虫剤でも持ってろ」
と言われたのだが、持ち歩くのが面倒だから嫌だと言われてしまったようだ。
そんなこんなの間にも、すみれはイオールの前でにっこりとほほ笑む。
「突然すみません、ディンさんのことでちょっとお話があるんですけど」
「・・・・・・」
両膝を曲げて作業をしていたイオールは、ゆっくりと視線をあげてすみれを見たあと、またゆっくりとした動作で立ち上がる。
頬の汗を手の甲で軽く拭いながら、すみれに向かって微笑み返す。
「ディンのお知り合いの方?」
「ええ、まあ」
「お綺麗な方ですね」
「そんなことありません」
「本当、嫉妬しちゃうくらい・・・」
2人の間に、沈黙が流れる。
しかし、それからすぐにイオールはすみれを家の中へと案内した。
すみれはちらっと誠人とタカヒサの方を見ると、誠人はブンブンと大きく手を振っていた。
イオールの家に入ると、そこはとても綺麗に整理されていた。
靴も必要最低限の数しかなく、絵画や花が飾ってあるわけでもなく、殺風景といけば殺風景だ。
クローゼットと小さなテーブルと椅子、テレビに本棚に壺が1つ。
壁紙は白で統一されており、綺麗と言えば綺麗なのだが、なんだか物がなさすぎて、生活感も感じられないこの部屋は、不気味でもある。
「こちらに座って」
そう言われ、椅子に腰かける。
女性の1人暮らしだと思われるが、周りに建っている家にも劣らないほどの立派な一軒家。
どうやってこんな家を建てたのかイオに聞いてみたい気もしたすみれは、躊躇うことなくイオに尋ねてみる。
「素敵なお家ですね。御自身で建てられたんですか?」
「ええ」
すみれからの質問に答えながら、イオはキッチンで手を止めること無く、多分お茶か何かの用意をしている。
家自体幾らかかったのか、土地代なども聞いてみたかった金の亡者すみれだが、おおよその見当だけをつけて聞くことは無かった。
イオがこちらに向かってお盆を持って歩いてくるのが見えたとき、すみれはイオが持っているお盆の上をちらっと見た。
そこには紅茶とケーキが用意されていた。
紅茶は多分、ティーパックのもので、ケーキはふわっとレモンの香りがする、アーモンドが散りばめられたものだった。
「私も自分でこんな家が建てられたら良いんですけどね。イオさんて、どんなお仕事されてるんですか?」
「大した仕事じゃありません。アレルギーとかあります?」
「いいえ」
目の前に用意された紅茶とケーキを眺め、すみれはイオが座るのを待つ。
イオが正面の椅子に座るのを見届けると、イオが紅茶に口をつけてから、ケーキを一口含んだ。
しばらくただ眺めていると、イオがすみれの視線に気づいてこちらを見、口角をあげて笑った。
「どうぞ召し上がって?毒なんて入ってませんから」
フフ、と笑いながらそう言われ、すみれは挑発されたというのか、喧嘩を売られたような気が勝手にして、フォークでケーキを一口サイズに切る。
そのケーキに、正直に美味しいと感じたすみれだが、紅茶で流し込んだあと、再びイオに話しかける。
「イオさん、美人だしスタイルも良いし、男性にモテるんでしょう?」
その問いかけに、イオはフォークを止めること無く口に運んで行く。
飲み込む作業を終えてから、イオは口元を布で拭う。
「私、実は整形してるんです」
「・・・整形、ですか」
「ええ。顔も身体も。あなた確か名前は」
「すみれです」
「すみれさん。今度はこちらから質問しても良いかした?」
「どうぞ?」
「あなた・・・ディンとはどういう関係だたの?」
急に語尾で声色が低くなり、イオの表情も柔らかいものから黒いものへと変わった。
思わずゴクリと唾を飲み込むと、笑みを崩さないようにしながら、すみれは髪の毛を耳にかけながら答える。
「ちょっと、以前お世話になったことがあって」
すみれが道を歩いているとき急に貧血になり倒れてしまった。
その時に介抱してくれたのだと、完全な嘘ではあるが説明してみると、イオは特に怪しんだ様子もなく「そう」とだけ言った。
だが、親指の爪を歯でぎりっと噛みしめているところをみると、すみれに対して良い印象を持ってはいないことだけは分かる。
「あの、それで、ディンさんは今どちらに?」
「・・・・・・」
一瞬、すみれの心臓は止まった。
すぐに再起動してくれたとはいえ、バクバクと激しく波打つ鼓動の動きは、久しぶりというか初めてかもしれない。
先程までケーキを食べるために置かれていたフォークが、すみれの目の前でこちらを向いてすぐそこで止まっているのだから。
まだ鳴りやまない動機を感じながらも、すみれは微動だにしなかった。
「・・・ディンなら、ここにいるわ」
「一緒に住んでるってこと?」
すみれに突きつけていたフォークを皿の上に戻すと、イオは黒く長い髪をさらっと靡かせた。
「私はね、ディンを愛しているの。誰にも渡さないわ」
「 」
口を開き、ディンとはそういう関係ではないと言おうとしたすみれだったが、イオの本性を出させるためにも、心にも思っていないことを口にする。
「私の方が、彼のことを愛しています」
すみれのその言葉を聞いて、イオは目を大きく見開いていたが、もう1人、悶絶している者がいた。
それは、すみれとイオの会話を聞いていた男、誠人だ。
「すみれちゃん・・・!!まさか、女にだらしない男が好きだったなんて・・・!!」
「どう考えても嘘だろ」
「分かってるよ!!分かってるけど、俺だって嘘でもすみれちゃんに“愛してる”なんて言われたことねぇっての!!!どういうことだ!!世の中どうなってんだ!!!」
「うるせぇ野郎だな。どうせあいつのことだ。イオって女キレさせて、どう来るか見ようってんだろ」
「ああああああ!!!!すみれちゃん!!俺もっと頑張るから!!でかい家建てられるように頑張るから!!!」
「そこかよ」
はあ、と誠人の横でため息を吐いているタカヒサは、同じように耳に取りつけているイヤホンから聞こえる2人の会話に耳を傾ける。
「あなた、本気?」
「ええ、本気よ。だから教えて。今彼はどこにいるの?」
「・・・そんなに知りたいの?」
「あら、教えてくれるの?意外とあっさりしてるのね」
途端、すみれはくらっと眩暈を感じた。
「・・・!?」
ゆっくり椅子から立ち上がるが、それでも足元はふらつき、思う様に身体は動いてくれない。
睡眠薬でも入れられていたのだろうか。
いや、今は何を入れられていたとしてもどうしようもない。
すみれはイヤホンに手を置き、トン、と一度だけ指で叩くと、その場に崩れてしまった。
倒れたすみれを見て、イオはすみれの身体を足でつんつん突いている。
「・・・あなたが悪いのよ」
イオはすみれの髪の毛を掴むと、風呂場の方へとズルズル引きずって行く。
シャワーを出してすみれを濡らしている間に、イオはキッチンへ向かい、そこの床下にしまってあるのこぎりを取り出した。
のこぎりを包んでいた新聞紙を取り除くと、イオはさらに大量に溜めておいた新聞紙やちらしを持って移動する。
湯気がたちこめた風呂場には、すみれが横たわっているだけ。
扉をしめて一旦シャワーを止めると、新聞紙を濡れない場所に置き、すみれの身体を動かして位置調整をする。
「・・・白いうなじ」
すみれの白い肌を見てぽつりと呟くと、イオは用意したのこぎりをすみれの首にあてがう。
「その辺にしてくれないと、俺が君を殺しちゃうよ?」
「・・・誰?」
ふとイオが顔をあげると、風呂場の上の方についている小さな窓から、知らない男が顔をのぞかせていた。
ふと、男はイオの足元で起き上がらないすみれを見ていると、今度は風呂場の方の扉がいきなり勢いよく開いた。
ぶつかりそうにはなったが、なんとかギリギリのところで避けられたイオは、そちらから来たターバンを巻いた男に思わず顔を顰める。
2人の男に挟まれた形となったイオだが、それよりも驚いたのは、扉の方から現れた男が手に持っていたものだった。
「それは・・・!!」
「タカヒサ、それ何だ?」
「・・・壺」
「見りゃ分かるよ。なんの壺かって聞いてんだよ」
「・・・あんたも知ってるよな?この壺がどういう壺なのか。だからずっと持ってたんだろ?」
男、タカヒサにそう言われ、イオは壺の方をじーっと見ていたが、急に顔をすみれに向けると、のこぎりを持っていた手に力を入れる。
まずい、と思った窓から覗いていた男、誠人だが、その心配は無用だった。
瞬時に壺を足元に置き、すでに準備はしておいた銃を構えると、イオの手元を狙って撃ったのだ。
手に怪我を負ってしまったイオは、思わずのこぎりを落とす。
落とすと言っても、すみれの頭の上にだが。
「何なの?この女といい、あんたたちといい、ディンはあんたたちなんかに渡さないって言ってるでしょ・・・!!」
「渡すもなにも、もうこの世にいないだろ、ディンって男は」
冷静に誠人がイオに言うと、イオはタカヒサの足下にある壺を見つめる。
それからタカヒサのことを見ると、ゆっくりと口を開く。
「あんたもしかして、それを集めてるの?」
「集めてるわけじゃないが、野放しにしておくわけにもいかないだろ。特にあんたみたいな奴のとこにあるなんて、たまったもんじゃねぇ」
「おいおい、2人だけで話しすすめんなっての」
どういう壺かを知らない誠人は、タカヒサでもイオでも良いから説明をしろと要求した。
だが、誠人に話しをする気などないのか、イオはタカヒサの方を向いたまま、話しを進める。
「手にした者は命を落とす。それでも集めるなんて、気が狂ってるとしか言いようがないわね」
「気が狂ってるかどうかは別問題だ。それより、これを何処で見つけた?誰から渡された?」
「それを言ったところで、あの人を見つけることなんて無理よ。それに、私はただ、1人の男を愛し続けたいと願っただけなの。それなのに、どうして彼に近づくの?私はディンのために、顔も身体も、彼の好みにしたのに・・・!!」
ゆっくりとその場で立ったイオは、今なお誠人の方を見ようとはしない。
他の住人からしてみると、イオの家の風呂場を男が堂々と覗きをしているように見えるのだろうが、昼間だからか、それとも塀があるからなのか、誰一人として誠人に気付く者はいなかったそうだ。
「それで男を殺して、この壺にでも入れたか」
「タカヒサ、何言ってんだ?そんな壺に男1人入るはずないだろ」
誠人の言葉に、タカヒサは目線だけをちらっと向けたかと思うと、わざとらしく深いため息を吐いた。
少しだけいらっとした誠人だが、タカヒサの話を聞くしかなかった。
「前話したろ。ドロイの七道具」
「ああ、あれな。で?」
「その中の1つがコレ、壺だ。一見ただの壺だが、これはなんでも飲み込む壺なんだ」
「なんでも飲み込むって・・・」
良く見ると、綺麗な装飾が施されてはいる壺だが、そんな話を聞くと見る目が変わってくるというものだ。
誠人ははっと、イオが持っていたのこぎりの方に目を向けると、タカヒサが続ける。
「そ。この女は自分が愛した男も、その男に近づいてくる女も、バラバラにしてこの壺に入れやがったんだよ。全てを飲み込むこの壺に。証拠はなにもないってわけだ」
「そうよ。私は何もしていない。警察に届ける?彼女か妹かは知らないけど、この女が危ない目に遭ったから、私を訴える?」
「その女がどうなろうと俺は構わねえが、訴えるなんて善良な市民のすること、俺達がすると思うか?」
「・・・どういうこと?」
「こうするんだよ」
ふと、タカヒサの方ばかりを見ていたイオは、窓にいた男がいつの間にか風呂場に入っていたことに気付かなかった。
小さめの窓とはいえ、換気を良くするためにと少し大きめにしておいたせいで、誠人という男はなんとかして入って来られたようだ。
そして気付いたときにはもう遅く、イオは何かの薬を嗅がされていた。
頭の奥にツン、とするような匂いで、眩暈も起こり、多少の吐き気までした。
倒れそうになる身体を誠人に支えられたかと思うと、イオは微かに笑った。
「ふふ・・・あなたたちまるで、ロジェのようね」
「ロジェ・・・?」
「ロジェは善人ではない。けど人の道を外した者には制裁を与える・・・」
「誰のことだ?」
何を言っているのかと、誠人はイオに尋ねてみるが、薬が回ってきたのか、イオはすでに目を瞑って意識を手放してしまった。
聞きそびれてしまったと思った誠人だが、それよりも先にイオを運びださないととふと、視界に入ったものに心臓が高鳴る。
「タカヒサ・・・」
「なんだ」
「おい、すみれちゃん、今どうなってる」
「どうって・・・。寝てる」
「そうじゃなくて。状態」
「状態?はあ・・・なんだろ、濡れてる?」
どうでも良いだろそんなこと、と言いたげなタカヒサだったが、そのタカヒサの解答に、誠人は足元をふらつかせる。
どうしたのかと聞けば、誠人は呼吸を乱しながらこう言った。
「ぬ、濡れてるすみれちゃんとか・・・俺、どうしたらいい!?やばい・・・やばいだろ!!タカヒサ!!すみれちゃんには触れないようにして運びだしてくれ!!!」
「・・・無理だろ」
「絶対触るなよ!!絶対な!!」
「なら、バラバラにして壺に入れて運ぶか?」
「もっと赦さねえ!!!」
「メンドクせぇ野郎だな」
だいたい、濡れてるから乾くまで置いとけばいいだろ、というタカヒサに対し、誠人は自分の上着で拭いてもいいから早くすみれを運べというものだった。
しかし、きっと誠人の上着で自分の身体が拭かれたと知れば、すみれは舌打ちをして怪訝そうな顔をするに決まっている。
そのため、タカヒサは仕方なく、壺をリュックに詰め込み、銃も背中に背負った状態で、すみれを担いだ。
「おいタカヒサ!!すみれちゃんは荷物じゃねえんだからな!!」
「今は荷物も一緒だろ」
「だーくそ!!!俺がすみれちゃんを運べば良かった!!!そしたらすみれちゃん、俺に惚れちゃったかもしれないのに!!!」
「・・・現在進行形、好かれてないことは知ってたんだな」
それから数時間後のこと。
すみれはようやく目を覚ました。
「・・・誠人」
「すみれちゃん、御礼なんて良いんだよ。俺はすみれちゃんの為ならなんだってするんだから」
「そうじゃなくて」
「俺、見返りなんて求めてないからね。すみれちゃんが無事ならそれでいいんだよ。だってそうでしょ?俺にとってすみれちゃんって大事な存在だからさ。守るのが当然っていうか、義務っていうか」
「・・・・・・」
「俺のこと見なおしちゃった?見なおしちゃった?いやー、すみれちゃんにそんなじっと見られると恥ずかしいなー。でもなんでだろう。こう、胸がドキドキするっていうか、バクバクするっていうか」
「誠人、一言だけいいかしら」
「え?何何!?こんなところで愛の告白!?すみれちゃん大胆だね。タカヒサがいるっていうのに。あ、俺達2人の仲を邪魔されないようにタカヒサには出て行ってもらおうか」
「俺の部屋だ」
「誠人、ちょっと口閉じられる?」
「閉じる閉じる。すみれちゃんの口から俺への愛を聞けるんだもんね!はい、どうぞ!」
そう言うと、誠人は目を閉じ、口を閉じ、すみれの方を向いた。
目を瞑っている誠人の真っ暗な視界には、すみれがこちらを見て優しく可愛く微笑んでいるのが見える。
そしてすみれも目を閉じ、唇をこちらに向けてゆっくりと近づいてくる・・・。
一歩、一歩と香ってくるすみれの匂い、とはいってもすみれは香水などはつけていないため、シャンプーなどの類のものだろうが、それがふわっと鼻を掠めたその瞬間。
誠人の左頬に、痛みが走った。
「変態。信じられない」
「え?すみれちゃん、え?なんで?」
左頬に自分の左手を置きながら、誠人は呆然とすみれを眺める。
仁王立ちで自分の前に立っているすみれは、とてつもなく不機嫌だ。
「なんで私着替えてるのかしら?」
「濡れてたから。風邪ひいちゃうでしょ」
「風邪ひいた方がマシよ。まさかとは思うけど、あんたが着せたんじゃないでしょうね」
「俺に決まってるでしょ!タカヒサなんかにやらせたら、すみれちゃんの綺麗な身体が穢れちゃうからね!」
「あんたの方が危険なのよ!!!てか、私の身体に触れるなんて、100年早いのよ!!もう一発殴らせろや!!!」
「俺は危険じゃないよー。ただ、善意からすみれちゃんの濡れた服を脱がして、身体拭いて、新しい服を着せてあげただけだから」
「棒読みで言ってんじゃないわよ。善意じゃなくてむしろ悪意よ。警察に電話しなくちゃ。心も身体もズタボロよ」
「すみれちゃん!やっぱりどこか怪我してるの!?俺がちゃんと診てあげるよ!!」
「タカヒサ、私の代わりに殴ってもらえる?」
「お安い御用だ」
「まじやめろ。すみれちゃんの可愛いパンチならまだしも、タカヒサになんか殴られたらさすがに俺もノックダウンするよ」
「それが目的だからいいのよ」
「誠人、一発殴られるだけで赦してもらえるんだからマシだと思え」
「あら、それくらいじゃ赦さないわよ。全裸にしてバイクで引きずりまわして男じゃなくしてやるわ」
それから数時間、誠人がすみれに土下座をし続け、すみれの我儘に付き合わされることになったのは、言うまでも無い。
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