最終話 真夏の夜の夢の終幕に勿忘草を添えて
「セイ………ヤ」
大きく伸ばそうとしていた手を下ろしてしまった。
本当なら今自分が精いっぱい出せる声でセイヤの名前を叫ぼうとしていた。でもすぐさま僕は近くにあった茂みに隠れた。その刹那
「僕と結婚してください」
緑の植物達が二人きりの彼らを囲んでいた。アーチにセイヤともう一人女の人が居た。
「もちろん!これからもよろしくね、星夜」
「ああ、夢見。幸せにするよ」
本来なら「おめでとう!」って祝福するべきなのに足が動かない上手く思考がまわらない。
どうしよう、このまま此処から消える?でもそれじゃあ僕が人間に成った意味って。
ああ、これがいわゆる絶望なのか、わかっていた、わかっていた、そのはずなのに…人間とぬいぐるみの恋なんてただの悲劇にしかならないって最初からわかっていたのに。結末がわかってても失恋とはこんなにもつらいものなのか。でもいかなきゃ。おめでとうってそしてありがとうも伝えなきゃ。
鉛のように重い足を動かそうとした。
「まったく、人間なんて生まれ変わるもんじゃないって言ったのに新入り」
「え?」
なんで此処にいるの?兄さん。
そこに居たのはここのパークで働いている男の人だった。顔に見覚えなんて無い、けどそのぶっきらぼうで優しい声は紛れもなく兄さんの声だった。僕のことを一番気にかけてくれた、たった一人の兄弟。
「なんで、なんで此処にいるの兄さん。金持ちの猫になるって言ってたんじゃん」
「気が変わったんだよ」
「そうなんだ、よかったね」
「おい、新入りこっち向けよ」
僕は黙ってしまった。正直この顔兄さんに見せたくない、絶対に馬鹿にされる。ほら言ったじゃん、人間は僕たちぬいぐるみにとってはただのモノでしかないとか言ってきそう。もしそんなこと言ってきたら本当に僕は立ち直れなくなる。
「よく、頑張ったんだな。偉いよ新入り」
僕の予想と違った言葉に僕は戸惑った。
「どうしたの?兄さん、いつもなら怒るのに」
「怒る?なんで?」
少しだけの不機嫌な声が流れたあと、兄さんが言葉を紡ぐ。
「あのなあ、俺はわざわざ好きな相手のために人間になってまで気持ちを伝えようとする奴を馬鹿にするほど腐った人間じゃねえぞ。しかも相手が自分を慕ってくれた奴ならなおさらな」
「兄さん、僕の馬鹿だと思っていないの?」
「思ってねえよ、だからその涙くらい拭わせろよ。兄さんとしてな」
情けない鼻水をすすった音が僕に響いたとき兄さんはもう僕を抱きしめていた。
「頑張ったな、偉いぞ。お前は凄い奴だな」
不器用な手つきで僕の背中に優しく揺すってくれた。兄さんの体温はとても高くて向日葵のような安心感があった。
「兄さん、ありがとう。ごめんね嫌なこと言って」
「別にそんなこと気にしねぇよ」
「兄さん、僕はもう大丈夫だから」
「…わかった」
兄さんは僕の体から離してくれた。ついでに僕の涙を拭ってくれた。
うん、もう大丈夫。気持ちもだいぶ落ち着いたし、これでセイヤのことを心から祝福出来る。
僕は一歩足を動かした。
その瞬間背中に軽く触れられて、僕を前にしてくれた。
あの時とまったく一緒なことについ笑みがこぼれてしまう。
風が吹いている、この季節に似合わない暖かい春の草の香り。
勿忘草がセイヤの近くにゆらゆらと揺られていて、僕の鼻孔に、いや、このパークに居る全員に勿忘草の香りを包んだ。
宝箱に忘れな草色の綿飴を 想月ベル🌙 @yuika0215
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