第33話 Sideジグルド
マリィ……否、聖女マリアベルがブレナバン行きを決めた夜。
俺はパチパチと弾ける薪に当たっていた。
昔から焚火が好きだった。
ぱちぱちと弾ける炎を見ていると、虚しさを忘れられる。
王族として生まれ、王族として生きようとした俺には、人を治める才能が圧倒的に足りなかった。
代わりにあったのはどう考えても王族には要らない音楽と詩歌の才。
何のために生まれた?
何のために生きている?
国を捨てた俺は、それを見つける旅に出た。二度と戻るつもりはなかった。友人のロンドが指揮する馬車に元聖女とその侍女が乗り合わせた時も、どこか他人事だった。
何しろ、マリィが孤児になるよりもっと前に俺は国を出ているのだ。干渉するどころか、存在すら知らなかった。
そのままスルーして祖国に向かい、一つの王朝を終わらせるはずだった。
その事情が変わったのは、同腹の母を持つ第一王子に頼んだはずの元側近との再会だった。
彼の母が俺の乳母だったこともあって兄弟のように育った仲だったが、俺の元に現れた時は誰だか分からないほどにやつれていた。
俺と母を同じくする第一王子は暗殺され、覇権を握った第二王子に冷遇、開拓村の代官として僻地に飛ばされたらしい。
それでも自らの村にいた民を見捨てることなくここまで率いてきたのだ。
……俺なんぞより、よっぽと人の上に立つに値する男だった。
マリィとノノに助けてもらった元側近に聞いた祖国の状況は、想像よりも更に最悪だった。
決断が遅すぎたのだ。
国を終わらせる決断が。
……目を背け、逃げ続けてきた代償を払ったのは俺じゃなくて国民たちだった。
「権威で病が防げるとでも思ってたのか。頭の中に欲望しか詰まってねぇのか……」
「頭の中に音楽しか詰まってない殿下といい勝負じゃないですかね」
「軽口が叩けるならまだ大丈夫だな。……よく生き延びてくれた」
垢だらけの義兄弟を抱きしめた。
やせ細った体はしかし、まだ温かった。俺は遅かったけれど、まだ終わってはいないことを理解した。
まだ生きてる。
こいつも、俺も、理不尽な代償を支払わされた国民たちも。
……これか。
これが俺の生まれた意味なのか。
ここが俺の命の使いどころなのか。
親兄弟を暗殺してひっそりと消える予定だった。
消える人間の中に俺の名前が加わるくらいで国民の命が救えるなら、安いと思った。
そして、賭けに勝ったわけだ。優しさに付け込み、搾取し続けた少女に縋ることで。
自己嫌悪と家族への怒りではらわたが煮えそうになっていた俺の元に、マリィとともに寝ていたはずのノノが現れた。
鋭く研がれた刃物のような気配。
野生の虎よりも獰猛なそれを隠そうともせず、俺のそばまでやってくると大剣を構えた。
「あなたにすら慈悲を掛けてしまうお嬢様は寝ております。ご覚悟を」
「アンタのお嬢様はブレナバンを救うと約束してくれた。
「この下郎が……! どこまでお嬢様を利用すれば気が済む! お前たちブレナバンは——」
「……罪は必ず償うし、償わせる」
「当たり前ですッ!」
「腐った血筋は嬢ちゃんの目につかないところで、俺も含めて根絶やしにする。必要ならアンタの元に全員分の首級を届けてやろう」
「……そんな不快なものは必要ありません。私はただ、理不尽を押し付けられ、あの国の者たちが支払うべきをお嬢様一人に背負わせたことが許せないのです」
焚火を挟んで向かい側に腰を下ろしたノノ。
夜の空気を焼くような怒りの気配は、いつの間にか消えていた。
「……あなたがお嬢様を苦しめた訳ではないことくらい、私にだって理解できます。でも、どうしても許せないのです。理性で納得していても、こころは頷いてくれないのです」
「この期に及んで嬢ちゃんの優しさに縋るような真似をしたんだ。アンタが俺に怒るのは真っ当だよ」
だが。
「嬢ちゃんたちが逃げた後、”押し付ける先”が国民に替わった……あのクソどもは、自分で支払うことを知らないまま生まれ育ち、ここまで来たんだ」
だから、俺が支払わせるつもりだったのだ。
「俺は、王族の責務から逃げ続けた代償を支払う。でも、それはあいつらに支払わせた後だ」
「私は嫌な女です」
「……?」
「本当ならばすべて忘れ、お嬢様の幸せだけを考えてさしあげたい。なのに、どうしても大樹林で地獄のような責め苦を受けていたお嬢様が脳裏に焼き付いて離れないのです……お嬢様が忘れようとなさっているのに、私がこだわってしまう」
無理もない話だろう。
吟遊詩人として活動しているときに流れてきた詩は想像を絶するものだった。多少の脚色が入っているのでは、と思ったが本人を見て確信した。
細く華奢な四肢は一目見て分かるほどの明らかな栄養不足だ。
食事量はあのくらいの子の半分以下。それですら苦しそうにしていることがある。長年、まともなものを食べていなかったため、体が食べ物を受け付けないのだ。
普通はそれほどまでに栄養が不足すれば餓死してしまう。回復魔法で命を繋ぎ続けた、というのもあながち間違いじゃないだろう。
本人は気づいていないだろうが、俺やロンド、護衛の男が近づいた時に身を強張らせる。
視線は絶対に合わないし、無意識のうちにノノの服のすそを掴んだりもする。
子供みたいな小さな手で、真っ白になるほど思い切り握りしめているのだ。
見ているだけで痛々しいほどの恐怖だ。初対面の俺ですらそう思うのだから、近くでマリィを支え続けているノノが怒り狂うのも無理はなかった。
「お嬢様のそばに立つ資格など、私にはないのかもしれません」
「……俺から見れば、だがマリィはアンタを信頼しているし、アンタに救われてるように見える。そばにアンタがいてくれてるから笑えてるんだと思うぞ」
「そうだと良いのですが」
「憎しみの炎で自らを焼くことに嫌気が差してるなら、俺に任せてくれ。押し付けられたわけでもなければ、肩代わりしおてるわけでもない。支払うべき人間が支払うってだけの話だ」
ブレナバンは滅ぶだろう。
いや、誰も気付いていなかっただけですでに滅んでいたのかもしれない。麦角に疫病。腐った人間たちによる統治。
今回の件で皆が”気付いた”だけだ。
「アンタは嬢ちゃんのそばにいてやってくれ。大切なものを、間違えるなよ」
「……どの口でそれを仰るのですか」
「すべて投げ出して逃げて、失敗した人間だからこそ言えることもあるんだよ」
納得したのかしないのか、ノノは鼻を鳴らした。
「明日、ブレナバンに着くと思いますのでそろそろ寝ましょう」
「はぁ? ここからどんだけ距離があると——」
「お嬢様が救おうと仰ったのです。可能な限り望みに沿うのが侍女の務めですから」
……なんだってんだよ。
できるはずねぇだろ、と思ったものの無理に縋った人たちがそれを望むならば可能な限り応えるのも最低限の誠意だろう。
そう思った俺は近くの樹木にもたれるようにして焚火から距離を取って、目をつぶった。
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