第2話 鈴木浩一郎29歳、異世界に立つ

 鈴木浩一郎(すずき こういちろう)は勤勉な男であった。大学在学中に簿記とFPの資格を取得し、新卒で就職した商社においても真面目で堅実な仕事ぶりを評価されていた。体育会系出身で体格も良く、いかつい見た目の割に気が優しくて控えめな性格をしているので、見かけ倒しだと称されることもあったが本人はさほど気にしてはいなかった。

 家族には縁が薄く、幼い頃に両親を事故で亡くしてからは祖父母に育てられたが高校を出るころに彼らも相次いで病に倒れ、鈴木は天涯孤独の身となった。それからずっと、鈴木は独りだ。

 もともと祖父母の家に居候のような形で暮らしていた影響で、鈴木は何事も己の中で完結させる人間に育った。祖父母は決して冷たい人々ではなかったが、それぞれに趣味があり、個人を尊重する考え方の持ち主だった。彼らは幼い鈴木を幼児としてではなく一個人として扱い、鈴木も彼らの要望に応えた。それは寂しさを克服するには役立ったし、鈴木は周りからもよく頼られるしっかり者になった。

 しかし周囲をよく観察し、一歩引いてしまう鈴木には真に心を許せるものが居なかった。それを虚しく思うには鈴木は孤独に慣れすぎていた。誰とも分け隔てなく接して親身にはなるが深入りはせず、プライベートでの交流はない。会社の人間には幸い、鈴木のことをオンオフを分けたいタイプなのだと認識してくれ、無理に遊びに誘うようなことはない。鈴木は静かな日常を楽しんで生きていた。彼は穏やかで何も起こらない日々を愛していた。

 だからこそ、こんな状況は困るのだ。鈴木は定時で帰宅し、自宅の鍵を開けたところだった。ドアを開けた瞬間、光に包まれて気づけば見知らぬ場所に立っていた。

 鈴木の腰ほどしかない人間によく似た生き物が、スーツ姿の鈴木を見て喜び合っている。彼らの中では勇者が、魔法使いが、戦士がとファンタジーに定番の言葉が飛び交っていた。周囲を見渡せば地面は淡く光っており、土壁には西洋風の意匠のランプが飾られている。異世界、という単語が鈴木の頭を過ぎり、ぞっと背中が冷えた。

 小人たちの中から一際小さな老人が進み出て、鈴木に向かって頭を下げた。

「異世界からの旅人よ、我々の世界は貴方を待っておりました」

 鈴木は深々と下げられた小さな頭に、己の平穏が完全に壊されてしまったことを悟った。

「俺は、何をすればいいんですか」

 頼られることに慣れすぎた男は、絶望を隠して小人たちに笑いかけた。

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