第25話 布団を敷いて

 夏斗が寝室に入ると、すでに清子は退散していて、パジャマ姿の澪がちょこんと待機していた。

 部屋にやってきた夏斗を見て、軽く手を挙げたのも束の間、澪は大きくあくびをする。


「眠い?」

「うん」


 あくびのせいでこぼれた涙を拭いながら、敷き布団の上に座る澪は頷いた。


「移動が長かったから、疲れてしまったのかも」

「そうだよな。今日はもう寝ようか」


 夏斗は電気のスイッチを操作して、一番暗い豆電球だけが灯るようにする。

 そして自分は、澪が座っていない方の布団へと転がった。

 部屋はそれなりに広く、布団を2つ敷いてもなおスペースにゆとりがある。

 夏斗と澪それぞれの布団も、くっついているわけではなく間隔が空いていた。


“夏斗くんが隣にいるだけで安心感すごい……。”


 畳の上に敷かれた布団に横たわり、澪は薄暗い天井を見上げる。

 普段の高級ベッドとはまるで寝心地が違うが、夏斗が隣にいると、不思議なことにいつもより安らかな気分になれそうだった。


「侘助さんと清子さん、すごく優しい方たちだった」

「そうだな。澪にそう言ってもらえて良かった」


 暗い部屋で、互いの顔は見えない。

 2人は仰向けで同じように寝転がったまま、声だけをかわす。


「お料理もすごく美味しかったし」

「でしょ? ばあちゃんの料理は絶品だよ」

「夏斗くんの料理って、清子さんに教わったの?」

「大体はそうかな。料理だけじゃなくて、その他の家事とかも。なかにはじいちゃんに教わったものもあるけど」

「やっぱり。味付け似てたもんね」

「まあ、どうしても似るよ。結局、俺の慣れ親しんだ好きな味ってことだし」

「そうだよね」


 侘助も清子も寝に入った家の中は、しんと静まり返っている。

 車やバイクの音も何もない、耳が痛くなるほどしんと静まり返った田舎の夜に、2人はゆったりと会話を続ける。

 内心では、同じ部屋に寝そべっていることにドキドキはしている。

 それでも、初めて同じベッドで一緒に寝た時ほどではない。

 あの時よりも2人の距離がぐっと縮まって、良い意味で緊張感が取れているのは確かだった。


“夏斗くんの手だけでも握れたらな……。”


 自然にそんなことを考えて、澪はこっそり布団から手を出す。

 夏斗の寝ている方に伸ばしてみたものの、その手に触れるのは畳の感触だけだった。

 夏斗と2人きりの時は、いつもより大胆になれる澪である。


「明日からは手伝いだし、体力使うから早めに休んだ方がいいね」

「そうだね」


 夏斗の言葉に同意して、澪はゆっくりと目を閉じる。

 移動の疲れもあるし、普段は喋らない初対面の人と話したりもした。

 茂にしても侘助、清子夫婦にしても、優しくて良い人たちだ。

 それでもやはり、多少の気疲れはある。

 このまま目を閉じていれば、すぐに眠れてしまいそうだった。


「おやすみ」

「おやすみ」


 今日最後の会話を交わして。

 夏斗の声が耳に残るなか、澪は眠りに落ちていった。




 ※ ※ ※ ※




 深夜。

 夏斗は何かを擦るような物音で目を覚ました。

 スマホで時刻を確認すると、1時を少し回った辺り。

 侘助や清子が活動しているような時間でもない。

 それに物音は、もっと近くから聞こえてきている。

 徐々に暗闇に目が慣れてくると、その音を出しているのは隣で寝ている澪だと分かった。

 彼女の右手が、何かを探すように畳の上で動いている。


“うなされてるんだ……。”


 澪の寝顔を見て、夏斗はそう悟った。

 いつもは無表情なその顔が、今は苦しそうに歪んでいる。

 さらには、一筋の涙も伝っている。

 そして何かを求めるように、右手はずっと畳の上を行き来している。


「……っ」


 夏風邪の時とはまた違うその辛そうな様子を、夏斗はただ黙って見ていることができなかった。


「澪、大丈夫だよ」


 澪がどんな夢を見ているのか、夏斗には分からない。

 それでもできる限りのことをしようと、優しく彼女の右手を握った。

 もう片方の手も重ね合わせて、そっと包み込む。

 すると徐々に、澪の表情が和らいでいった。


“良かった……。”


 ほっとしてみて、自分の手を澪がぎゅっと握り返していることに気付く。

 ちょっとやそっとでは離れそうにない。

 それに離してしまえば、澪がまたうなされてしまうかもしれない。


“そばにいるって約束したもんな。大丈夫。そばにいるよ。”


 夏斗は心の中でそう語りかけて、自分の布団を引き寄せる。

 そしていつも通りに冷たい澪の手を握ったまま、静かに目を閉じた。

 手と手だけ。必要最低限の接触。

 それでも距離が縮まったことで、すぐ横からは澪の寝息がはっきりと聞こえてくる。


 入学以来話したことがなかった女子と、今は自分の祖父母の家で手を繋いで眠っている。

 恋人でもないのに。


“人生って何があるか分かんないよなぁ……。”


 そんなことを考えながら、夏斗はゆっくりと2度目の眠りに入っていくのだった。

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