第23話 ただいま

「ざるうどんと、おろしぶっかけうどんな。お待たせしました」


 茂が2人の前にうどんを置く。

 どちらも涼し気な見た目で、夏のお昼ご飯にぴったりだ。


「「いただきます」」


 声をそろえて言ってから、夏斗はざるうどんを箸で掴む。

 そして良く冷えたつゆにくぐらせ、一気にすすった。


「んー、やっぱ美味いですね。茂さんのうどんは」

「当たり前よ」


 うどんの表面はなめらかでいて、噛むとしっかりコシがある。

 鰹節や昆布など複数の出汁に醤油を合わせた特製のめんつゆも、夏斗がずっと食べ続けていた変わらぬ味だ。

 つゆには別添えで酢橘すだちがついていて、後から味変して楽しむこともできる。


「美味しい……」


 おろしぶっかけうどんを食した澪は、麺を飲み込むとただ一言そう口にした。

 そして思わずもう一口、さらにもう一口と食べ進める。

 その様子を、茂は嬉しそうに眺めるのだった。


 うどんを食べ終えて、会計を済ませる。

 帰り際に、茂が夏斗に尋ねた。


「ちなみに夏斗、こっちにはいつまでいるんだ?」

「1週間くらいですかね。じいちゃんばあちゃんの家にいる予定で」

「おーそっかそっか。そんなら千尋とも会えそうだな」

「千尋さん、帰ってくるんですか?」

「5日後には帰ってくるはずだぜ。まあ、その時は店に顔出してくれよ」

「もちろんです」

「澪ちゃんも、また食いに来てくれよな」

「はい。美味しかったのでまた来ます」

「じゃあ、茂さんまた」

「おうよ。ありがとうございました」


 店を出ると、一気に暑さが襲いかかってくる。

 それでも冷たくて美味いうどんを食べた分、気分は涼やかだった。

 それに田んぼや川などで水があるため、体感温度は都会より段違いに低く感じる。


「ここからはどれくらい?」

「歩いて10分くらいかな」


 キャリーケースを引きずって、夏斗と澪は再び歩き始める。

 澪は生まれてこのかた都会暮らし、こういう田舎に旅行に来たこともない。

 もちろん、舗装道路や電線など当たり前に生活に必要なものはそろっているのだが、たくさんの人の群れや高いビルがないだけで目新しさを感じていた。


「ここを曲がればじいちゃんの家だから」


 夏斗が言っていた通り、歩くこと10分。

 2人は夏斗の祖父母の家へと到着した。

 いつも夏斗のじいちゃんが使っている軽トラックが、駐車場に止まっているので、2人とも在宅のようだ。


「ただいま~」


 夏斗は呼び鈴を押すでもなく、引き戸をガラガラ開けて中に呼びかける。

 その様子を見て、澪は驚きのあまり夏斗に尋ねた。


「インターホンとか押さなくていいの? それに鍵がかかってなかったみたいだけど」

「ここではしないのが普通かなぁ」

「へ、へぇ……」


 がっちりと厳重にセキュリティが固められた豪邸に住んでいる澪にとっては、まるで想像もつかない世界だ。


“やっぱり夏斗くんと一緒にいると、今まで全然知らなかったことにたくさん出会えるな……。”


 澪がうっすら感動すら覚えていると、奥から人影が姿を現した。

 エプロンを身に着けた優しそうな顔の女性が、2人を出迎える。

 夏斗の祖母――長屋清子きよこだ。


「おかえり、夏斗」

「ただいま、ばあちゃん。元気してる?」

「うん、大丈夫だよ。夏斗は?」

「俺も元気。あ、こちらが連れてくって連絡してた友達の霜乃木澪さん」

「初めまして」


 澪が夏斗の隣に姿を覗かせると、清子は盛大に目を丸くした。

 そして家の中に向かって大きな声を上げる。


「侘助さん! 夏斗がお嫁さん連れて来ちゃったよ!」

「ばあちゃん!?」


 慌てて訂正しようとする夏斗の横で、澪も口を開く。


「まだ違います」

「まだ……?」

「あ、いや、なんでもない」


 咄嗟に出てしまった言葉を夏斗に突っ込まれ、澪は急いで視線を逸らす。


“何言ってるの私……。夏斗くんに恋人がいないとほっとしたり、「まだお嫁さんじゃない」とか言っちゃったり、なんか変だよ……。”


 夏斗との距離が特殊な道を通って急接近したばかりに、澪の気持ちもふわりふらりと揺れ動いて定まらない。

 幸か不幸か、夏斗がそれ以上突っ込んでくることはなかったので、澪はほっと胸をなでおろした。


「嫁さんだとぉ~? ちと早いんじゃないか~?」


 そんなことを言いながら、ゆったりともう1人玄関にやってくる。

 夏斗の祖父である長屋侘助わびすけだ。

 連日の農作業で真っ黒に日焼けしていて、半袖からのぞく腕は夏斗よりも筋骨隆々としている。

 真っ白な頭をしていなければ、とても高校生の孫がいる年齢には見えないほどの若々しさだ。

 しかしずっと一緒に暮らしていた夏斗からすれば、少し疲労の色が見えるような気もした。


「よっ、夏斗」

「じいちゃん、ただいま」

「よく来てくれたな。えーっと、そちらの美人さんは?」

「友達の霜乃木澪さん」

「初めまして。今日から1週間、よろしくお願いします」

「よろしくな。いやしかし、これは困ったな」


 夏斗と澪の顔を交互に見てから、侘助は太い腕を組んで言った。


「いろいろあって、一時的に家の中に物が溢れててな。お客さんが寝れるような部屋が、一部屋しかないんだわ」

「……!?」

「……!?」


“1週間ずっと澪と一緒に寝るってこと……!? それはさすがにまずいんじゃ……?”


“夏斗くんと1週間もずっと一緒に寝れる……!”


 思いっきり目を丸くした夏斗と、わずかに頬がぴくっと動いただけの澪。

 見た目に正反対の反応をした2人は、心の中まで正反対なのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る