第21話 リゾット・リスト
エプロンを身に着けた澪は、キッチンに立って少しの時間だけ考え込んだ。
そしてメニューが決まったのか、せっせと調理を開始する。
その後ろ姿を、夏斗は何をするでもなくただ見つめていた。
何か手伝おうとしても、どのみち「今日は大丈夫」と澪が制止する。
だから何が出てくるのかを楽しみに、ゆったりと待つだけだ。
“ちょっとずつ良い匂いがしてきたな……。”
澪の料理の手際はさすがのもので、すぐに夏斗の空腹を刺激する香りが漂ってきた。
流れる動作を見せる澪のエプロン姿に、夏斗はぼそっとひとり思ったことを呟く。
「なんか澪、すごく良いお母さんになりそうだよなぁ」
「……っ!?」
“お母さっ……!? ちょっと夏斗くん、気が早すぎない……!? まずは奥さんからじゃないの……!? いや、別に夏斗くんとどうこうという話でもないけど……!”
夏斗の言葉が耳に入り、危なく澪の手元が狂いかける。
しかしそこは『氷姫』とまで言われた霜乃木澪。
心の中ではかなり動揺しながらも、何とか上っ面の平静は取り戻して調理を続ける。
そしてあっという間に、夏斗のついた食卓へと朝ごはんが提供された。
「カルボナーラ風リゾット。夏斗くんがおかゆ作ってくれたから、それで思いついた」
「まあ、確かに似てるけども」
澪は自分の分のリゾットも運ぶと、スプーンを差し出した。
それを受け取って、夏斗は両手を合わせる。
「いただきます」
「どうぞ」
黄色と白色の中間、薄いクリーム色にそまったお米を、スプーンですくって口に運ぶ。
口当たりも、味わいも、何もかもが優しかった。
卵と牛乳、生クリーム、塩とパルメザンチーズにお米というシンプルな材料で、朝の胃に最適な柔らかい味を作り出している。
「どう?」
自分はスプーンを手に取らず、じっと夏斗が味わう様子を見つめていた澪。
その問いかけに、夏斗は温かな笑顔で答える。
「めっちゃ美味しい。これならいくらでも食べられちゃいそうだよ」
「良かった」
澪はひと安心すると、自分もリゾットに手をつけた。
もちろん夏斗に出す前に味見はしていたので自信はあったのだが、実際に「美味しい」と言ってもらえるとほっとするし嬉しくなる。
それに夏斗と食卓で向かい合って食べると、美味しさもひとしおだ。
「そういえば、さっきばあちゃんからメッセージ来てたんだけど」
食事を取りながら、夏斗が話を切り出す。
「来週以降なら、いつでもオッケーだって。友達も一緒に連れて行くって言ってあるから、澪のことも歓迎してくれると思うよ」
「ありがとう。じゃあ、なるべく早いうちに向かおうか」
「分かった。そう言っとく」
夏斗はただ単に「友達も一緒に行く」と言っただけだ。
だから祖父母は、てっきり男友達が来るものだと思っている。
完全に認識のずれがあるのだが、そんなことはもちろんお互いに知っているはずもなかった。
「旅行はこれでオッケーかな……」
澪が静かに呟く。
夏斗は口の中のものを飲み込むと、その言葉に反応した。
「旅行……まあ、澪にとっては旅行か」
「うん。せっかくだし、こういうものを作ってみたの」
澪はスマホを取り出すと、メモアプリを開いて夏斗に見せる。
メモのタイトルは「夏休みに夏斗くんとしたいこと」となっていた。
「これは……?」
「私、前にも言ったかもしれないけれど友達がいる夏休みが初めてに近いから。だから、この夏休みに夏斗くんとしたいことを考えて、リストにまとめてみた」
リストには「旅行」「海水浴」「バーベキュー」「遊園地」などなどの内容が羅列されている。
なかなかにアクティブな種目が多い。
「これ、全部やるの?」
「……無理かな?」
「……いや、全部やろう」
夏斗はもう一度リストに目を落としてから、力強く頷いた。
これが澪のしたいこと。
それなら夏斗は全力で答えるのみだ。
「旅行先は夏斗くんのおじい様おばあ様のところで……」
「じいちゃんばあちゃんちなら、バーベキューも、花火もできると思うよ」
「いいね。もともと楽しみだったけど、より楽しみになってきた」
そう言った澪の口角が、わずかに上がる。
目もほんの少しだけ細くなった。
“あっ……。”
そのことに気付いた夏斗は、嬉しくなって笑顔を浮かべる。
そして澪に言った。
「澪、今少しだけど笑ったね」
「え……? 笑えて……た?」
「うん。ちょっとだけど」
「そっか。本当に楽しみだからかも」
夏斗と過ごすうちに、少しずつ少しずつ澪の表情がほぐれてきている。
その甲斐あって、良い兆候が表れ始めた。
微妙に浮かんだ笑顔は、しっかりと夏斗の目に焼き付く。
“きっと澪の作ったこのリストが現実になれば、その時は……。”
“澪の笑顔がもっと広がって、どんどん上書きされていくかもしれない。”
夏斗はそんな期待を抱いた。
澪が笑うと、夏斗も嬉しくなる。
心が通ってきているのを感じながら、夏斗は残っているリゾットを口に運んだのだった。
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