第20話 裏を返せば
「体調、無事に復活しました。ありがとうございました」
朝のリビングで、澪が夏斗にお礼を伝える。
夏斗はほっとした笑顔で、優しく声を掛けた。
「いえいえ。治って本当に良かったよ」
「夏斗くんが看病してくれたおかげ」
「友達だから当然だよ。少しでも力になれたなら、何より」
普通の友達は昼夜問わずつきっきりで看病したりはしないのだが、そこは特殊な事情を抱える2人だ。
澪が一般的な“友達”のイメージと自分のイメージに差があると知るのは、もう少し後のことである。
「看病してくれたお礼に、今日は夏斗くん感謝デーだよ」
「何そのバーゲンセールが始まりそうな名前は」
「今日は感謝を込めて、夏斗くんがしたいことをしたり、食べたいものを食べたりするってこと。日ごろ、私がしたいこととかに合わせてもらってるし」
「いやーでも、わりと自由にやらせてもらってると思ってるよ?」
「それでも、やりたいこととか行きたい場所とかあるでしょ?」
「行きたい場所かぁ……ばあちゃんとこぐらいしか……」
夏斗の呟きに、澪は目ざとく反応する。
今の澪は、「夏斗くんの行く場所なら火の中水の中モード」なのだ。
「夏斗くんのおばあ様の家って、あの写真にあった農家の?」
「そうそう。畑仕事の手伝いに来てほしいって頼まれてさ。でもこのバイトあるし、遠いし、現実的じゃないのは分かってるんだけど」
「でも、行きたいの?」
「……今すぐにとは言わないけど、行けるなら」
じいちゃんが無理して倒れないか、ばあちゃんと同じように夏斗も心配している。
すぐにでも行ってあげたいところだが、今は何よりもここでのバイトがあるのだ。
行くか行かないかは、雇い主である澪の裁量に委ねることになる。
「じゃあ行こうよ」
「いいの?」
「うん。人手が2人分増えたら、きっと少しは楽になるよね?」
「それはそう……うん? 2人?」
お互いに見合って、首を傾げた夏斗と澪。
澪は例によって淡々と言う。
「もちろん私も行くよ?」
「いやでも、もともとは俺がバイトできた側なのにその家の手伝いをさせるのは……」
「友達と一緒に出かけたいって、普通のことだと思うけど」
「でも遊園地でも何でもないんだよ? 本当に単なる田舎の農家なんだから」
「夏斗くんのおじい様とおばあ様、どんな方なのか会ってみたいな」
「……そこまで言うなら」
夏斗としては、休みをもらって自分が手伝いに行ければ万々歳と思っていた。
だから澪も一緒に行くのは完全に予想外である。
ただ夏斗にも、澪を極力ひとりきりにはさせたくない気持ちはあった。
澪が乗り気で自分から一緒に行くというのなら、それを断る理由など何もない。
「じゃあ早速荷物の準備を……」
「いやいやストップストップ」
いきなり動き出そうとした澪を、夏斗は冷静に止める。
夏斗の祖父母側にも準備というものがあるし、何よりも今の澪は病み上がりだ。
炎天下での作業なんてして、疲労がたまり風邪がぶり返しても困る。
普段だったら、これくらい澪も容易に想像がつくのだが、まだ少し頭がぼんやりしている様子だった。
「とりあえず、日程はじいちゃんばあちゃんと改めて調整しようよ」
「分かった。でもそうすると、今日の夏斗くん感謝デーにやることがなくなっちゃったね。考え直さないと」
「その夏斗くん感謝デーってのを、ばあちゃんの家に行く日にすればいいんじゃ?」
「そうじゃなくて、今日のうちに何かしたいの」
「ええ……」
いつになく強引な澪に乗せられて、夏斗は何かないかと考えこむ。
しかしいざ言われてみると、やりたいことも食べたいものも行きたい場所も何も出てこない。
“こうなったらむしろ……。”
夏斗はふと思いついたアイデアを口にした。
「何もしないってのはどう?」
「何もしない?」
「そう。特に何をするでもなく、目的もなしにダラダラ過ごす。ゴロゴロとさ。お腹がすいたら何か食べるし、ゲームがしたくなったらするし、眠くなったら寝る。そんな日があってもいいかなーって」
「あんまりイメージできないけど……夏斗くんはそれでいいの?」
「うん」
「じゃあそうしようか。ご飯が食べたくなったらいつでも作るから、気軽に言ってね。病み上がりだけど、もう本当に元気だから遠慮はしないで」
「ありがとう」
夏斗はふと考える。
澪がどうして、こんな急に自分に尽くしたいというようなことを言いだしたのかを。
澪はずっとひとりぼっちだった。
頼らせてくれる、甘えさせてくれる夏斗のような存在はいなかった。
でもそれは裏を返せば、自分に頼ってくれる、甘えてくれる存在もいなかったということだ。
ただ与えられるだけでなく、自分が与える側になることにも、澪は飢えているのである。
つまり夏斗がやりたいことをするのは、澪のやりたいことでもある。
そして夏斗が今やりたいことは、澪のやりたいことをやること。
夏斗くん感謝デーは巡り巡って、お互いにお互いのやりたいことをやるという需要と供給の完全一致を形成しているのである。
“それなら思う存分、甘えさせてもらおうかな。”
「早速なんだけど、朝ごはん食べたいな」
「任せて。何がいい?」
「うーん……おまかせで」
「分かった」
いそいそと、澪はエプロンを身に着け始める。
その顔が、少し楽しそうに見えた夏斗だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます