第19話 2人の祖母
澪が熱を出した次の日。
薬の効果で少しは熱が下がったとはいえ、猛暑による疲れもあり、澪はまだダウンしていた。
夏斗がリビングでひとりお茶を飲んでいると、ぶるぶるとスマホが振動する。
澪の祖母、霜乃木麗子から送られてきた方のスマホだ。
手に取ってみると、電話をかけてきたのも霜乃木麗子だった。
“何だろう……。”
澪への連絡はこのスマホを使い夏斗を介して行うと言われていたし、曲がりなりにもお金をもらっている以上は出ないといけない。
それでも夏斗は、少し出るのを躊躇してしまった。
しかしバイブレーションはずっと鳴り続けている。
夏斗はひとつ深呼吸すると、緊張しながら電話に出た。
「もしもし」
「もしもし。霜乃木麗子といいます。長屋夏斗さんですか?」
口調は丁寧だが、声の調子は澪と同じくらい、あるいはそれ以上に冷え冷えとしている。
電話の向こうに澪の無表情をイメージしながら、夏斗は声が震えないように気を付けて答えた。
「はい。長屋夏斗です」
「初めまして、ですね。孫がお世話になっています」
「いえ。こちらこそお世話になってます」
「澪は元気ですか?」
「元気……今は少し、体調を崩しています。それでも徐々に回復してきているので、心配はないと思います」
「そうですか」
短く答えて、霜乃木麗子は沈黙する。
その間に耐えられなくなった夏斗は、逆に尋ねた。
「あの……どういったご用件でしょうか?」
「用というほどのことはありません。ただ孫がお世話になっている方に、挨拶をしておこうと思っただけです」
「そうでしたか。えっと……ご丁寧にありがとうございます」
ただでさえ、見知らぬ年上の人と電話するのは緊張するものだ。
ましてやそれが澪の祖母で、日本有数の大企業の権力者ともなれば、緊張はより高まる。
夏斗はとにかく大人の見よう見まねで、言葉遣いに注意しながら応対した。
「それでは、引き続き澪をよろしくお願いします」
「あ、えっと……」
「何かありますか?」
この場で澪の思いを代弁して、霜乃木麗子にぶつけることもできなくはない。
でも一瞬だけ夏斗の頭をよぎったその考えは、澪に頼ってもらう、甘えてもらうこととはまた別の話のような気がした。
“今の俺がやるべきことはこれじゃない。”
「何でもないです」
「そうですか。では、失礼します」
霜乃木麗子が電話を切り、ツーツーと無機質な音が夏斗の耳に残る。
まるで感情が読み取れず、冷え冷えとしていて、無駄な言葉は一切ない。
3分にも満たない短い電話のなかで、夏斗は霜乃木麗子という人間を垣間見た気がした。
とにもかくにも難局を乗り切ってほっとしたところに、今度は夏斗がもともと持っていたスマホが鳴る。
このたび電話をかけてきたのは、夏斗の方の祖母だった。
「もしもし」
「もしもし? 夏斗?」
「うん。ばあちゃん、元気してる?」
「おかげさまで。夏斗は元気かい?」
「元気だよ」
先ほどとは打って変わって、和やかで穏やかな空気が流れる。
実家に帰ったような安心感を抱きながら、夏斗は祖母との会話を楽しむ。
「どうしたの、ばあちゃん。何かあった?」
「何かってほどのことでもないんだけどねぇ。でもちょっと、夏斗に頼みたいことがあってね」
「何? 何でも言ってよ」
「今年の夏は特に暑いでしょ? それでもじいさん、夏斗に美味い野菜を送ってやるんだって張り切っちゃってねぇ。頑張るのはいいんだけど、無理して倒れないかが心配で」
「あー、なるほどね」
夏斗の祖父母は、農家というだけあって家庭菜園とは明らかに規模の異なる畑を所有している。
まだ夏斗がいた時は、せっせと毎日お手伝いしていたのだが、今年からはそうも行かなくなっていた。
「バイトも始めたって言ってたし、無理は承知なんだけどね。できればちょっとの間だけでも、手伝いに帰ってきてくれたら嬉しいのよ。孫の顔も見たいしね」
「そうだね……」
今すぐにでも手伝いに行ってあげたい気持ちはやまやまだが、今の夏斗の雇い主は澪だ。
澪が行っちゃダメと言うとも思えないが、そもそも今の澪は夏風邪にあえいでいる。
まさかほっぽり出すわけにもいかない。
「ちょっとバイト先とも相談してみるよ。決まったら、また電話する」
「うん。ありがとう。よろしくね」
「ばあちゃんも倒れないように」
「はいはい。気を付けるよ」
祖母との電話を終えて顔を上げると、リビングの入口に澪が立っていた。
まだ熱があるようで顔は赤いが、立ち姿は昨日よりずっとしゃんとしている。
「調子どう?」
「うん。まだ少しふらふらするけど、だいぶ良くなったと思う」
「良かった。何か食べれそうだったら、雑炊でも作るけど食べる?」
「うん。ありがとう」
「任せといて」
薬を飲むための水を澪に出してあげてから、夏斗は雑炊の準備に取り掛かる。
ご飯と卵、それに干したシラスというシンプルな材料を、やや薄めの白だしで仕上げる。
小さめの茶碗に盛って、少し冷ましてから澪の元に運んだ。
ソファーでゆったりしていた彼女の横に座り、レンゲでひとくちすくって差し出す。
「え?」
「あ……」
澪がきょとんとしてようやく、夏斗は自分の行動に気が付いた。
ついさっきまでばあちゃんと話していたせいで、つい自分が風邪の時にしてもらったことを再現してしまったのだ。
「ごめ……」
「はぐっ……」
慌ててレンゲを引こうとした夏斗だったが、それよりも先に澪が食いつく。
「美味しい」
そう言った澪は、再び軽く口を開けて待つ。
少しためらったあと、夏斗は再びおかゆを差し出した。
あーん看病のひと時が始まる。
“風邪を引くのも悪くないかも……。”
ちょっとばかし味を占めた澪だった。
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