第18話 夏風邪

 ゲーム大会翌朝。

 夏斗は先に起きて、キッチンで朝食の準備をしていた。


“今日の澪、ちょっと起きるの遅いな……。”


 そんなことを思いながら熱いお茶を淹れていると、少し顔をしかめながら澪が入ってくる。

 顔を洗ってなお眠そうなだるそうな表情で、よろよろと椅子に腰かけた。


「おはよう」

「うん……おはよう……」

「大丈夫? 調子悪い?」

「頭が……痛い……」


 そう言いながら、澪は頭を押さえて机にへたり込む。

 初めはゲームのし過ぎで眼精疲労が頭に来たのかと思った夏斗だったが、どうにもそういうわけではなさそうだった。

 普段は雪のように白い澪の肌が、全体的に赤らんでいる。


「澪、おでこ」

「ん……?」


 夏斗は澪の前髪を上げて、その額に手を当てた。


「熱っ……!?」

「夏斗くんの手、あったかい……」

「いやいや、こっちは温かいとかいう次元じゃないから!」


 これまで澪に触れても冷たいと感じることが多かったのに、今は燃えるように熱い。

 かなりの高熱を出しているようだった。


「体温計どこにある?」

「あっちの……引き出しの中にある……」


 澪が指差した場所から、デジタル式の体温計を取り出して彼女に渡す。

 それを脇に挟んで十数秒後。

 ピピピッと軽やかな音がした。

 しかし表示された体温は38.2℃。

 まったく軽くない。重病だ。


「とりあえず横になろ」

「うん……」


 夏斗の肩を借りながら、澪はふらふらとソファーまで移動する。

 何とか寝転がると、真っ赤な顔で目を閉じた。

 はぁはぁと荒く苦し気な呼吸を繰り返している。


“何とかしなきゃ……! まずは病院……!”


 夏斗はスマホを取り出して、近くの病院を調べる。

 ネットを見たところ、最寄りから5つ先のバス停の目の前が、そこそこ大きな病院になっているようだ。

 すぐに電話をした夏斗だったが、診察できるのは午後からだと言われてしまった。


「澪、病院は午後になっちゃうって」

「うん……大丈夫……。たぶん……ちょっときつめな夏風邪だから……」

「それでも心配だって。冷感シートとかある? ちょっとは辛さ違うと思うけど」

「体温計の隣の引き出しにあると思う……」


 澪が言った場所を開けてみると、おでこに貼るタイプの冷感シートがあった。

 買っただけで使っていないらしく、箱ごと未開封になっている。

 夏斗はシートを1枚取り出すと、澪のおでこにぺたっと貼り付けた。


「ひんやり……」

「うん。寝れそうだったら寝てな。病院の時間になったら、連れて行ってあげるから」

「ありがと……。お水だけもらってもいい……?」

「お水ね」


 夏斗がコップに注いだ水を半分くらい飲んで、澪は再び目を閉じる。

 そして昨晩とは打って変わって苦し気な寝息を立て始めた。


“手もすごく熱い……。”


 夏斗は心配のあまり、自然に澪の手を握って彼女を見つめる。

 2人だけのリビングに、澪の呼吸が痛く響くのだった。




 ※ ※ ※ ※




「うーん、風邪ね。インフルとかそういう類ではないから、ひとまず安心して。辛いだろうけど」


 夏斗に付き添ってもらってやってきた病院。

 診察した女性医師は、そう言ってすごいスピードでキーボードを叩いた。


「解熱剤と鎮痛剤、出しとくから。薬局でもらったらすぐ飲んで。多分、飲んだら眠くなっちゃうだろうけど、彼氏さん付き添ってくれてたから大丈夫だよね?」


 ――彼氏じゃないです。


 そう否定するほどの元気も、澪には残っていない。

 とにかく夏斗がいれば大丈夫なことに間違いないので、澪は静かに頷いた。


「お大事に」

「ありがとう……ございました……」


 頭を下げて診察室を出ると、扉のすぐそばで夏斗が待っている。

 優しく体を支えられて、澪は待合室に戻った。

 そして病院のお会計をして処方箋を受け取り、すぐ隣に併設された薬局に向かう。

 薬を受け取ると、夏斗は澪にペットボトルの水を差しだした。


「はい。薬飲むのに使って」

「ありがと……」


 解熱剤2錠に、鎮痛剤が2錠。

 合計4錠の薬を飲み込むと、澪は再び体重のほとんどを夏斗に預ける。

 そして何とかバスに乗り込んだところで、医師が言っていた通り猛烈な睡魔がやってきた。

 耐えきれず、澪は目を閉じる。


“寝れるなら寝るのが一番だよな。”


 さっきよりは呼吸が穏やかになりつつあることにほっとしつつ、夏斗はそっと澪の頭に肩を貸す。

 澪が弱っている時に、安心して自分を頼ってくれている。

 そのことが夏斗にとってはとても嬉しかった。


「停車します」


 家の最寄りのバス停に着いても、澪が目を覚ます気配はない。

 夏斗は病人をおんぶすると、バスを降りて家へと歩き始めた。

 暑い夏の日。

 ただ歩いているだけでも、じりじりと体力が削られていく。

 それでも夏斗にとってはなんのその。


“澪が頼ってくれるなら……!”


 家までの道のりを、澪を背負いその荷物を腕にぶら下げて歩いて行く。

 澪だったらタクシーを呼ぼうなどと提案しそうなところだが、あいにく夏斗はまったくもってタクシーに乗ったことがない。

 思いつく最善の手段がこれだったのだ。


「んっ……」


 もう少しで家というタイミングで、澪が目を覚ます。

 彼女はぼんやりした視界で辺りを見回して、自分が夏斗に背負われているのだと気付いた。


「夏斗くん……」

「あ、起きた? もう少しで家だよ」

「バス停からずっとおんぶしてくれたの……?」

「……まあね」


“夏斗くんの背中、大きくて温かい……。”


 細菌と戦うのとはまた違った熱が、澪の体の中で高まっていく。

 今、彼女の顔が赤いのは、体調不良だけのせいではないかもしれない。

 でも幸か不幸か、おんぶしてくれている夏斗にその顔が見られることはなかった。


「少し楽になったかも」

「薬の効果かな。でも油断しちゃダメだよ」

「うん。久しぶりに熱出ちゃったな……」

「そうなの?」

「うん。小学校ぶりかも。夏斗くんが甘えさせてくれるから、安心しちゃったのかな」

「……っ」


 ほんのり赤くなった夏斗の耳元で、澪が小さく囁く。


「ありがと、夏斗くん」

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