第13話 様々な未来の景色

「それで、今日は何をしようか」


 フレンチトーストをもぐもぐしている澪に、夏斗が尋ねる。

 粉砂糖とメープルシロップで甘く、そしてふわふわに仕上げたフレンチトーストは、夏斗の得意料理のひとつだ。


「そうだね……」


 口の中のフレンチトーストを飲み込んで、澪は逆に質問し返す。


「夏斗くんは、普段どんな夏休みを送ってたの?」

「俺? そうだな……去年まではばあちゃんの家にいたから、農作業の手伝いとかさせられることもあったかな。あとはそんなに特別なことはしてないよ。プールとか海とか遊びに出かけたり、家でゲームしたりとか」

「ゲームか……ゲームって楽しいの?」

「楽しいでしょ……っていうか、やったことないの?」


 驚いた表情の夏斗だが、澪は至って平然と頷く。

 澪はたくさんのゲームを持っている。

 祖母の麗子から、プレゼントとして送られてきたものだ。

 でも持ってるだけ。

 実際にやったことはない。


「夏斗くんはゲーム好きなんだ」

「うん。結構いろいろやるよ」

「夏斗くんとならゲームも楽しいかな」

「一緒にやる?」


 澪がゲームに興味を示さなかった原因のひとつは、一緒にやる友達がいなかったことがある。

 小学校、中学校、高校とまわりのみんながゲームを話題にしていることは分かっていた。

 ただ、その話の輪に入っていけなかった澪は、どうにもひとりでゲームをする気にはなれなかったのだ。


「やってみたい。でも……」


 澪は少し間を置いて、夏斗にとって痛烈な一言を放つ。


「まずは課題からやらないとね」

「うぐっ……。ばあちゃんみたいなことを……」


 直前まで夏斗の頭から、課題の2文字はすっかり消え去っていた。

 しかしそれを澪が呼び覚ましてしまったのである。

 あからさまにめんどくさそうな顔をする夏斗に、澪は不思議そうに尋ねる。


「課題、やらないの?」

「いや、やらないわけじゃないんだよ? ただまあ、やっぱり8月の最終週くらいにならないとやる気が出ないというか、スイッチが入らないというか……」

「そうなんだ……。じゃあ今年は、私も夏斗くんに合わせて……」

「いや! ストップ!」


“俺の成績はともかく、澪の成績を落とすわけにはいかない……!”


 8月最終週にまとめて片付けるという時点で、そのクオリティはお察しだ。

 夏斗だけ成績が下がるならまだしも、まさか澪を道連れにするわけにはいかない。

 ましてや今の澪は、夏斗の言う大抵のことは肯定しかねない勢いがあるので、夏斗の側がブレーキをかけるしかなかった。


「やっぱりやろう、課題」

「やるの?」

「うん。毎日コツコツ片付ける。やっぱりそっちの方がいい」

「夏斗くんがそれでいいなら、私はもちろん異論はないけど」

「じゃあまず課題をやって、それからゲームをするか」

「うん。そうだね」


 夏斗としても、早めに課題が片付くに越したことはない。

 それは分かっている。

 ただ、なんだかんだ言いながら孫に甘いじいちゃんばあちゃんの元では、どうにも課題を計画的にやる気が起きなかった。

 しかし今年の夏は、澪に付き合う形で課題をやることになる。


“学年トップの澪に教えてもらえるわけだし、結果オーライなんじゃ……?”


 少なくとも澪の成績を下げてしまうことはなさそうなので、夏斗はほっと胸をなでおろした。

 そして、皿に残っていたフレンチトーストの最後の一口を食べきる。


「重ねて下げるよ?」

「お、ありがとう」

「洗い物しとくね」

「手伝うよ」

「じゃあ拭くのをお願い」

「任せて」


 2人は並んでキッチンに立った。

 澪が食器を洗い、それを受け取って夏斗が拭き上げていく。


“夏休みの間は、こうやって澪と何回も一緒にキッチンに立つんだろうな。”


“少なくとも夏休みの間は、こうやって夏斗くんと何回も一緒にキッチンに立つのかな。”


 やや見ている未来の景色が異なる2人が、洗い物をしながらふと目を合わせる。

 ほんのわずかだが、澪の顔がさっきより明るくなった気がした夏斗だった。




 ※ ※ ※ ※




 所は変わってドイツ。

 休日の陽気なムードに満ちた街中で、2人の男女が食事を楽しんでいた。

 オープンテラスの席に座り、提供される料理に舌鼓を打つ。

 そんななかで、男性の方が明るい声の調子で話し始めた。


「今回の仕事が上手くいけば、だいぶ余裕ができるね」

「そうね」


 笑顔で答えた女性は、優雅な仕草でワインを飲んだ。

 それから懐かしむように言う。


「夏斗、元気かしら」

「元気だと思うよ。たまにラウィンを送ると、元気だって返ってくるから」


 男性は長屋壮一そういち

 女性は長屋香織かおり

 仕事で世界を飛び回っている夏斗の両親だ。


「でもやっぱり、直接会いたいわ」

「そうだね。それこそこの仕事が上手くいけば……」


 長屋壮一は、遠く離れた日本と繋がっている青空を見上げて言う。


「夏斗にこっちに来てもらおう。早ければ9月には、夏斗もドイツに来られると思うよ」

「そうね。家族3人で暮らせるわ」


 ドイツに行く。つまり、澪とは離れ離れになる。

 支えると誓った約束が、果たせなくなる。

 そんな可能性が浮上し始めたことを、夏斗は知る由もないのだった。

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